2008年06月23日
[第62話 食] 冷凍でない本マグロを楽しむ
梅雨明けした沖縄は、今、生本マグロ(クロマグロ)の季節。マグロ好きは毎年、この時季を心待ちにしている。沖縄のマグロ漁は沖合100―150km付近の近海で行われるので、冷凍されない生の本マグロが味わえるからだ。写真は200kgクラスの頭。沖縄市泡瀬の沖縄市漁協に隣接する鮮魚店パヤオで見かけた。
沖縄近海で本マグロ漁をしているのは、那覇地区漁協や沖縄県近海マグロ漁協に所属する20隻ほどの小型船が中心。4月下旬頃から揚がり始めるが、はしりのものはセリ値がキロ1万円といった猛烈な値段がつくので、地元にはほとんど出回らない。これらは東京・築地に直送され、高級料亭などに流れるようだ。
5月半ば頃から水揚げが増え、値が落ち着くと、地元に出回るようになる。それから7月の初旬くらいまでが沖縄の生本マグロのシーズンだ。
案外知られていないが、沖縄で水揚げされる魚種は実はマグロ類がトップ。全水揚げ量の約半分を占める。ただしこれは本マグロだけでなく、キハダやビンチョウなど、すべてを含む。既に述べたように、本マグロが揚がる時期は初夏の2カ月強だけだ。
本マグロの多くが那覇の泊漁港に上がるので、漁港内に設けられた沖縄鮮魚卸流通協同組合の共同販売施設「泊いゆまち」に行けば、トロでも赤身でも、お好みのものが好きなだけ買える。いゆまちの「いゆ」は「うお」のこと。写真はその泊いゆまちの中でも、本マグロをたくさんそろえている有限会社カネヤマ水産のまぐろや本舗。
下の写真は業務用のブロックで、棚の一番上のものは1尾300kgの大物から切り分けた20kg前後の固まり。客のニーズによって、これを1kg単位で切ってくれる。店長の當山清史さんは板前出身。使う側として培ったプロの目でマグロの質を鋭く見分ける。「ことしは残念ながら、量も質も今ひとつなんです」と當山さん。とはいえ、一般のマグロファンにしてみれば、ことしも生本マグロの魅力は十分に楽しめる。
マグロの魅力は2つ。一つは、いわずと知れたトロの脂のうまさ。もう一つはジューシーな赤身の香りの高さだ。これぞマグロの味、と言えるのは、むしろ赤身の味と香りではないだろうか。
そんな「ピンの赤身」はありませんかと當山さんに聞いたら「すごいのが時々入ります。ただ、そういうのはだいたい高級なお寿司屋さんに行ってしまうんです」との答が。やはり本当にうまいものを手に入れるのは簡単ではないらしい。
泊いゆまちの各店は、200―300gの食べやすい大きさのサクに切って売っている。現在の価格で、赤身が1000円前後、中トロで1500円前後といったところ。ピンの赤身には遠いが、中落ちはマグロらしい味がする。見栄えはあまりしないが、400gほど入って1000円とお買い得(下の写真)。
泊いゆまちは那覇市港町1-1-18、泊漁港内。098-868-1096。朝6時から夕方6時まで。いゆまちは旧盆と正月以外は無休だが、入居している各店舗はそれぞれ個別に休みを設けている。
沖縄近海で本マグロ漁をしているのは、那覇地区漁協や沖縄県近海マグロ漁協に所属する20隻ほどの小型船が中心。4月下旬頃から揚がり始めるが、はしりのものはセリ値がキロ1万円といった猛烈な値段がつくので、地元にはほとんど出回らない。これらは東京・築地に直送され、高級料亭などに流れるようだ。
5月半ば頃から水揚げが増え、値が落ち着くと、地元に出回るようになる。それから7月の初旬くらいまでが沖縄の生本マグロのシーズンだ。
案外知られていないが、沖縄で水揚げされる魚種は実はマグロ類がトップ。全水揚げ量の約半分を占める。ただしこれは本マグロだけでなく、キハダやビンチョウなど、すべてを含む。既に述べたように、本マグロが揚がる時期は初夏の2カ月強だけだ。
本マグロの多くが那覇の泊漁港に上がるので、漁港内に設けられた沖縄鮮魚卸流通協同組合の共同販売施設「泊いゆまち」に行けば、トロでも赤身でも、お好みのものが好きなだけ買える。いゆまちの「いゆ」は「うお」のこと。写真はその泊いゆまちの中でも、本マグロをたくさんそろえている有限会社カネヤマ水産のまぐろや本舗。
下の写真は業務用のブロックで、棚の一番上のものは1尾300kgの大物から切り分けた20kg前後の固まり。客のニーズによって、これを1kg単位で切ってくれる。店長の當山清史さんは板前出身。使う側として培ったプロの目でマグロの質を鋭く見分ける。「ことしは残念ながら、量も質も今ひとつなんです」と當山さん。とはいえ、一般のマグロファンにしてみれば、ことしも生本マグロの魅力は十分に楽しめる。
マグロの魅力は2つ。一つは、いわずと知れたトロの脂のうまさ。もう一つはジューシーな赤身の香りの高さだ。これぞマグロの味、と言えるのは、むしろ赤身の味と香りではないだろうか。
そんな「ピンの赤身」はありませんかと當山さんに聞いたら「すごいのが時々入ります。ただ、そういうのはだいたい高級なお寿司屋さんに行ってしまうんです」との答が。やはり本当にうまいものを手に入れるのは簡単ではないらしい。
泊いゆまちの各店は、200―300gの食べやすい大きさのサクに切って売っている。現在の価格で、赤身が1000円前後、中トロで1500円前後といったところ。ピンの赤身には遠いが、中落ちはマグロらしい味がする。見栄えはあまりしないが、400gほど入って1000円とお買い得(下の写真)。
泊いゆまちは那覇市港町1-1-18、泊漁港内。098-868-1096。朝6時から夕方6時まで。いゆまちは旧盆と正月以外は無休だが、入居している各店舗はそれぞれ個別に休みを設けている。
2008年06月17日
[第61話 沖縄] 集会所を私財で建てた上江洲安盛さん
地域の集会施設といえば、行政にお願いして補助事業などで建設するケースが多いが、私財を投じてこれを作ってしまった人がいる。うるま市の上江洲安盛さん。生まれ故郷の同市字塩屋の自分の土地に、地域の人々が集えるようにと、平屋建ての「なかゆくい」を建設した。
なかゆくいとは「ひと休み」の意。地域のこどもたちが気軽に立ち寄って本を読んだり遊んだり、大人たちが集会などの活動場所として使ってもらえる施設を、生まれ育ったふるさとに建てたいと上江洲さんはかねてから考えていた。
「人が集まるということが、何かを始める第一歩になると思うんです」と上江洲さん。小さなプロパンガス会社を経営しながら、長期にわたって少しずつ資金を貯めていき、すべて自力で建てた。
マイクロソフトのビル・ゲイツが自らの財団を作って活動しているように、公共のために私財を投じる例は欧米にはたくさんあるようだ。日本では大企業がしばしば社会貢献活動をしていることがあるが、市井の一個人が私財を投じて公共施設を建設するというケースは、まだ珍しい部類に入るのではないだろうか。
上江洲さんと話していると、生まれ育った集落の活性化の役に立ちたいという思いがひしひしと伝わってくる。上江洲さんは多くを語らないが、みんなで行政に陳情として、というお決まりのステップを踏むのではなく、私財を投じることで、いろいろな制約を受けずに自由で効率的にやれる道を選んだということかもしれない。民間企業経営の発想、ともいえそうだ。
なかゆくい備えつけの図書も、上江洲さんが自分でこつこつ集めた。プロパンガス会社の事務を兼ねたスタッフが午後2時から常駐しているので、だれでも入ることができる。近くの子供たちが宿題をしたり、お年寄りが集まっておしゃべりをしたりしている。
もっとたくさんの人に利用してほしい、と考えた上江洲さんは、まず民謡教室を定例化した。毎週月曜日の夜、沖縄民謡の愛好家が三線を抱えて集まってくる。次に始めたのは英語教室。これは毎週木曜日の夜に、米軍基地の通訳を講師に招いて実施している。
なかゆくいの正面には「共存共栄」の額がかかっている。「それが僕の生き方そのものなんです」。人と人とのかかわりがどんどん薄らいでいく時代だからこそ「ともに繁栄しようじゃないか」の熱いメッセージを込めて、上江洲さんは人が集える場所を作ったのかもしれない。
なかゆくいとは「ひと休み」の意。地域のこどもたちが気軽に立ち寄って本を読んだり遊んだり、大人たちが集会などの活動場所として使ってもらえる施設を、生まれ育ったふるさとに建てたいと上江洲さんはかねてから考えていた。
「人が集まるということが、何かを始める第一歩になると思うんです」と上江洲さん。小さなプロパンガス会社を経営しながら、長期にわたって少しずつ資金を貯めていき、すべて自力で建てた。
マイクロソフトのビル・ゲイツが自らの財団を作って活動しているように、公共のために私財を投じる例は欧米にはたくさんあるようだ。日本では大企業がしばしば社会貢献活動をしていることがあるが、市井の一個人が私財を投じて公共施設を建設するというケースは、まだ珍しい部類に入るのではないだろうか。
上江洲さんと話していると、生まれ育った集落の活性化の役に立ちたいという思いがひしひしと伝わってくる。上江洲さんは多くを語らないが、みんなで行政に陳情として、というお決まりのステップを踏むのではなく、私財を投じることで、いろいろな制約を受けずに自由で効率的にやれる道を選んだということかもしれない。民間企業経営の発想、ともいえそうだ。
なかゆくい備えつけの図書も、上江洲さんが自分でこつこつ集めた。プロパンガス会社の事務を兼ねたスタッフが午後2時から常駐しているので、だれでも入ることができる。近くの子供たちが宿題をしたり、お年寄りが集まっておしゃべりをしたりしている。
もっとたくさんの人に利用してほしい、と考えた上江洲さんは、まず民謡教室を定例化した。毎週月曜日の夜、沖縄民謡の愛好家が三線を抱えて集まってくる。次に始めたのは英語教室。これは毎週木曜日の夜に、米軍基地の通訳を講師に招いて実施している。
なかゆくいの正面には「共存共栄」の額がかかっている。「それが僕の生き方そのものなんです」。人と人とのかかわりがどんどん薄らいでいく時代だからこそ「ともに繁栄しようじゃないか」の熱いメッセージを込めて、上江洲さんは人が集える場所を作ったのかもしれない。
2008年06月11日
[第60話 食] ごまの香り豊かな伝統菓子 こんぺん
沖縄ではお盆や法事などの際、天ぷらなどのごちそうと並んで伝統菓子が仏壇に供えられる。ウートートーがすめば、おばあはそんなお菓子を孫にすすめる。が、孫は困った顔をして「いいよー」。さまざまなおいしいスイーツ類があふれる昨今、伝統菓子の旗色はあまりよくないのかもしれない。
だが、なかなかどうして、中には非常にうまいものがある。おいしい伝統菓子を数人の子供に食べさせてみたら、あっという間になくなった。そんなとびきりのお菓子を紹介したい。
まず「こんぺん」。「くんぺん」と読む場合もある。薫餅と書く。漢字表記といい、その読み方といい、いかにも中国風。琉球王国時代から高級菓子として作られていたという。
那覇の国際通りの松尾から東に伸びる浮島通り。ここに店を構える南島製菓が作るこんぺんは、たっぷりとごまを使う。県内製菓店の多くは、ピーナツバターを加えて作るが、南島製菓は伝統製法にのっとって、ごまで作る。パクリと口に含むと、ごまの豊かな香りが口いっぱいに広がる。
南島製菓のこんぺんにはもう一つ、特徴がある。伝統菓子のこんぺんは直径8cmほど。仏壇に供える場合もこの大きさが普通で、南島製菓でもこのサイズのこんぺんを作っているが、食べるにはちょっと大きすぎるという声も少なくない。実際、フルサイズのこんぺんを1つ食べたら、かなり腹にたまる。そこで、南島製菓では、直径5cmほどの小ぶりのこんぺんを焼き始めた。
カロリー過多気味なので小さめがありがたい、という人も多いはず。この大きさなら、食後のお茶といっしょに食べられそう。手頃なおみやげとして買い求めていく観光客も多いという。水分が少ないので1ヶ月もつ点も、おみやげとして優れている。
次は、もも菓子。桃のような形をしているので、そう呼ばれる。この中のあんもうまい。ごまと小豆の餡がびっしり入っている。月餅の小豆餡よりいくぶん水分を飛ばした感じの、香り高い餡だ。
もう一つ、巻がん。読み方は「マチガン」。これは、どら焼きのような生地に、羊羹の生地をぬって巻いたもの。愛媛は松山の巻き菓子タルトに似た外観だが、小豆餡ではなく、羊羹なので、かなりしっかりしている。お供え物としての巻がんは、法事にのみ使われ、慶事には使われない。巻がんはしっかり甘いので、濃いめのお茶に合う。
桃菓子も巻がんも、こんぺんより水分が多いので、賞味期限は1週間。こんぺんは県内各地で作られ、スーパーなどにも置かれているが、ごまにこだわった南島製菓のこんぺんが、味も香りも頭ひとつ抜け出している印象だ。
南島製菓は那覇市松尾2-11-28、098-863-3717。年中無休。
だが、なかなかどうして、中には非常にうまいものがある。おいしい伝統菓子を数人の子供に食べさせてみたら、あっという間になくなった。そんなとびきりのお菓子を紹介したい。
まず「こんぺん」。「くんぺん」と読む場合もある。薫餅と書く。漢字表記といい、その読み方といい、いかにも中国風。琉球王国時代から高級菓子として作られていたという。
那覇の国際通りの松尾から東に伸びる浮島通り。ここに店を構える南島製菓が作るこんぺんは、たっぷりとごまを使う。県内製菓店の多くは、ピーナツバターを加えて作るが、南島製菓は伝統製法にのっとって、ごまで作る。パクリと口に含むと、ごまの豊かな香りが口いっぱいに広がる。
南島製菓のこんぺんにはもう一つ、特徴がある。伝統菓子のこんぺんは直径8cmほど。仏壇に供える場合もこの大きさが普通で、南島製菓でもこのサイズのこんぺんを作っているが、食べるにはちょっと大きすぎるという声も少なくない。実際、フルサイズのこんぺんを1つ食べたら、かなり腹にたまる。そこで、南島製菓では、直径5cmほどの小ぶりのこんぺんを焼き始めた。
カロリー過多気味なので小さめがありがたい、という人も多いはず。この大きさなら、食後のお茶といっしょに食べられそう。手頃なおみやげとして買い求めていく観光客も多いという。水分が少ないので1ヶ月もつ点も、おみやげとして優れている。
次は、もも菓子。桃のような形をしているので、そう呼ばれる。この中のあんもうまい。ごまと小豆の餡がびっしり入っている。月餅の小豆餡よりいくぶん水分を飛ばした感じの、香り高い餡だ。
もう一つ、巻がん。読み方は「マチガン」。これは、どら焼きのような生地に、羊羹の生地をぬって巻いたもの。愛媛は松山の巻き菓子タルトに似た外観だが、小豆餡ではなく、羊羹なので、かなりしっかりしている。お供え物としての巻がんは、法事にのみ使われ、慶事には使われない。巻がんはしっかり甘いので、濃いめのお茶に合う。
桃菓子も巻がんも、こんぺんより水分が多いので、賞味期限は1週間。こんぺんは県内各地で作られ、スーパーなどにも置かれているが、ごまにこだわった南島製菓のこんぺんが、味も香りも頭ひとつ抜け出している印象だ。
南島製菓は那覇市松尾2-11-28、098-863-3717。年中無休。
2008年06月05日
[第59話 農] 沖縄の農作業に欠かせないヘラ
畑仕事をスムーズにやれるかどうかは、農具の優劣に大きく左右される。農業に限ったことではないが、すぐれた道具があれば仕事は大いにはかどるというもの。沖縄の農作業に欠かせない農具は「ヘラ」だ。
ヘラは片手で持って土をほじったり、草をとるのに使う。高温多湿の沖縄では、農作業の多くが雑草との闘いに費やされる。実際、ちょっと油断するとすぐ草が生い茂って作物が劣勢になるから、まめに除草しなければならない。冬に草が枯れてくれる温帯地域や、同じ熱帯・亜熱帯でも乾季がはっきりしている地域とはこの点が大きく違う。
その草も、まっすぐ上に伸びる雑草ばかりではない。むしろ地面にはりついているような雑草や、地面をはうツル性の雑草が始末が悪い。こうした雑草の多くは、葉を切るだけでなく、根ごと掘り返してとってしまわないと、またすぐに生えてきて、畑を荒らす。このように雑草を根までとるには、かなりの力がいるから、ヘラのような短くて手元で細かく動かせる農具がどうしても必要になる。
畑にすわり込んでヘラで除草すれば、立ったままかがんで鍬を使うよりも腰を傷めなくてすむというメリットも。そもそも、有機質の多い柔らかな土を起こすなら立って鍬をふるってでもできるが、沖縄の固い土の中に埋まっている草の根をほじくり出すといった作業を、長い柄の農具でやるのは相当しんどい。
文化人類学者は農具や農耕儀礼の分布から、トカラ列島から八重山までの地域にしか見られない独特の農耕文化について論じている。佐々木高明著「南からの日本文化」(2003年、NHKブックス)には、そんな農具や農耕儀礼の分布が示されている。それによると、ヘラもこの地域に固有の農具。呼び名も場所によって「ヒラ」「ピラ」「ビラ」「ヘラ」などと微妙に違う。
今は、握りまでオール鉄製のヘラが当たり前のように使われているが、かつては握りの部分は木製だった。写真は那覇市の県立博物館に展示されている古いヘラ。
地上戦で文字通り灰燼に帰した沖縄―。すべてが焼き尽くされた焦土の沖縄で、まず何よりも求められたのが食べものを作ること、つまり農業だった。その農作業の能率を大きく高めたのが、一体型のオール鉄製ヘラの登場だった、といっても過言ではない。
戦後、このオール鉄製ヘラをいち早く生産したのが、現在、食品スーパーかねひでなどの関連企業を束ねる金秀グループの創設者、呉屋秀信さんだった。呉屋さんは、時代が最も必要としているものに鋭く着目し、それをすばやく供給して次々に事業を成功させてきたことで知られている。
機械化が進んで、ヘラの活躍の場は以前ほどではなくなったかもしれないが、それでも沖縄の畑仕事にヘラは欠かせない。ヘラは沖縄県内の金物屋やホームセンター、農協などで売っている。
ヘラは片手で持って土をほじったり、草をとるのに使う。高温多湿の沖縄では、農作業の多くが雑草との闘いに費やされる。実際、ちょっと油断するとすぐ草が生い茂って作物が劣勢になるから、まめに除草しなければならない。冬に草が枯れてくれる温帯地域や、同じ熱帯・亜熱帯でも乾季がはっきりしている地域とはこの点が大きく違う。
その草も、まっすぐ上に伸びる雑草ばかりではない。むしろ地面にはりついているような雑草や、地面をはうツル性の雑草が始末が悪い。こうした雑草の多くは、葉を切るだけでなく、根ごと掘り返してとってしまわないと、またすぐに生えてきて、畑を荒らす。このように雑草を根までとるには、かなりの力がいるから、ヘラのような短くて手元で細かく動かせる農具がどうしても必要になる。
畑にすわり込んでヘラで除草すれば、立ったままかがんで鍬を使うよりも腰を傷めなくてすむというメリットも。そもそも、有機質の多い柔らかな土を起こすなら立って鍬をふるってでもできるが、沖縄の固い土の中に埋まっている草の根をほじくり出すといった作業を、長い柄の農具でやるのは相当しんどい。
文化人類学者は農具や農耕儀礼の分布から、トカラ列島から八重山までの地域にしか見られない独特の農耕文化について論じている。佐々木高明著「南からの日本文化」(2003年、NHKブックス)には、そんな農具や農耕儀礼の分布が示されている。それによると、ヘラもこの地域に固有の農具。呼び名も場所によって「ヒラ」「ピラ」「ビラ」「ヘラ」などと微妙に違う。
今は、握りまでオール鉄製のヘラが当たり前のように使われているが、かつては握りの部分は木製だった。写真は那覇市の県立博物館に展示されている古いヘラ。
地上戦で文字通り灰燼に帰した沖縄―。すべてが焼き尽くされた焦土の沖縄で、まず何よりも求められたのが食べものを作ること、つまり農業だった。その農作業の能率を大きく高めたのが、一体型のオール鉄製ヘラの登場だった、といっても過言ではない。
戦後、このオール鉄製ヘラをいち早く生産したのが、現在、食品スーパーかねひでなどの関連企業を束ねる金秀グループの創設者、呉屋秀信さんだった。呉屋さんは、時代が最も必要としているものに鋭く着目し、それをすばやく供給して次々に事業を成功させてきたことで知られている。
機械化が進んで、ヘラの活躍の場は以前ほどではなくなったかもしれないが、それでも沖縄の畑仕事にヘラは欠かせない。ヘラは沖縄県内の金物屋やホームセンター、農協などで売っている。
2008年05月30日
[第58話 食] 上原慶子さんのムジどっさり汁
ターンム(田芋)は 沖縄の伝統行事には欠かせない食材で、旧盆や清明といった行事が近くなると、今でもスーパーの棚にちゃんと並ぶ。ターンムそのものは別の機会に取り上げるとして、今回はターンムの茎「ムジ」のお話。
まずはこの写真をご覧あれ。これほどムジがどっさり入ったムジ汁も珍しい。ムジ好きにはこたえられない一品。ムジ料理を専門にしている「万富(まんぷ)」の看板料理だ。
沖縄ではかつて、ムジはもっと身近な食材だった。ターンムと豚肉、カマボコなどを練り合わせたドゥルワカシーには必ずムジが入るし、みそ仕立てのムジ汁も祝い事などで定番の一つだったという。だが、なぜか最近はあまり流通していない。
「なぜか」と書いたのは、地下にできるターンムはスーパーでいくらでも手に入るのに、地上部の茎だけが食べられなくなったのは不思議だから。ターンムはゆでられた状態で売られているので、そこからディンガクを作るなり、油でカリッと揚げるなりするのは簡単。一方、ムジは皮をむいて、アクも抜いて、と下処理に手間がかかる。これがイモは生き残り、ムジだけが消えかかっている理由の一つかもしれない。
万富を経営する上原慶子さんも、メニューの主役であるムジの確保に苦労している。ターンムを栽培する場所は田んぼ。田んぼのある宜野湾市や金武町など、限られた場所でしか作られていないため、十分な量を安定して確保することがなかなか難しい。このため、ムジ汁よりも多くのムジを使う「ムジいため」はメニューからはずさざるをえなかったという。
そんなに入手しにくいのに、こんなにたくさんのムジをムジ汁に入れて大丈夫かな、と心配になってしまう。「みなさん、ムジが食べたくてウチに来るんですから、ムジ汁のムジだけはたっぷり入れているんです」と慶子さん。大らかでケチケチしない沖縄アンマーの面目躍如。材料供給をさらに安定させるため、水田でなく、畑でもターンムが栽培できるという話を聞いた慶子さんは、ふるさとの今帰仁で親戚に頼んで栽培実験を始めた、と語る。
ムジ汁のだしは豚骨と鶏ガラ、かつおぶしで。慶子さんの話では、ムジからはうま味はあまり出ないので、だしはしっかりとっておかないとムジ汁がおいしくならない。これに、皮をむき、アクぬきをしたムジと豆腐を加え、味噌を溶く。味噌についても、試行錯誤しながら、合わせ味噌の気に入った配合を決めていった。
「体によいものを作りたいんです」という慶子さんは、ムジ以外にも細かな気配りをみせる。例えば、600円のムジ汁定食には、大ぶりの椀に入ったムジ汁にごはんと小さな野菜いためがついているが、この野菜いためを作る際には、サラダ油ではなく、高価なココナツ油を使っている。ココナツ油は酸化しにくく、胃にももたれない。「肌にすり込んでも、すーっと染み込んでいくんですよ」と慶子さん。
万富は、ローカル市場の香りあふれる那覇市安里の栄町市場の中にある。周囲の駐車場に車を停めて、どの入り口からでもいいから栄町市場の中に入り、「ムジ汁の店はどこですか」と聞けば、だれでも場所を教えてくれる。
万富は那覇市安里379、電話887-4658。営業時間は11:00-19:00。日曜休み。
まずはこの写真をご覧あれ。これほどムジがどっさり入ったムジ汁も珍しい。ムジ好きにはこたえられない一品。ムジ料理を専門にしている「万富(まんぷ)」の看板料理だ。
沖縄ではかつて、ムジはもっと身近な食材だった。ターンムと豚肉、カマボコなどを練り合わせたドゥルワカシーには必ずムジが入るし、みそ仕立てのムジ汁も祝い事などで定番の一つだったという。だが、なぜか最近はあまり流通していない。
「なぜか」と書いたのは、地下にできるターンムはスーパーでいくらでも手に入るのに、地上部の茎だけが食べられなくなったのは不思議だから。ターンムはゆでられた状態で売られているので、そこからディンガクを作るなり、油でカリッと揚げるなりするのは簡単。一方、ムジは皮をむいて、アクも抜いて、と下処理に手間がかかる。これがイモは生き残り、ムジだけが消えかかっている理由の一つかもしれない。
万富を経営する上原慶子さんも、メニューの主役であるムジの確保に苦労している。ターンムを栽培する場所は田んぼ。田んぼのある宜野湾市や金武町など、限られた場所でしか作られていないため、十分な量を安定して確保することがなかなか難しい。このため、ムジ汁よりも多くのムジを使う「ムジいため」はメニューからはずさざるをえなかったという。
そんなに入手しにくいのに、こんなにたくさんのムジをムジ汁に入れて大丈夫かな、と心配になってしまう。「みなさん、ムジが食べたくてウチに来るんですから、ムジ汁のムジだけはたっぷり入れているんです」と慶子さん。大らかでケチケチしない沖縄アンマーの面目躍如。材料供給をさらに安定させるため、水田でなく、畑でもターンムが栽培できるという話を聞いた慶子さんは、ふるさとの今帰仁で親戚に頼んで栽培実験を始めた、と語る。
ムジ汁のだしは豚骨と鶏ガラ、かつおぶしで。慶子さんの話では、ムジからはうま味はあまり出ないので、だしはしっかりとっておかないとムジ汁がおいしくならない。これに、皮をむき、アクぬきをしたムジと豆腐を加え、味噌を溶く。味噌についても、試行錯誤しながら、合わせ味噌の気に入った配合を決めていった。
「体によいものを作りたいんです」という慶子さんは、ムジ以外にも細かな気配りをみせる。例えば、600円のムジ汁定食には、大ぶりの椀に入ったムジ汁にごはんと小さな野菜いためがついているが、この野菜いためを作る際には、サラダ油ではなく、高価なココナツ油を使っている。ココナツ油は酸化しにくく、胃にももたれない。「肌にすり込んでも、すーっと染み込んでいくんですよ」と慶子さん。
万富は、ローカル市場の香りあふれる那覇市安里の栄町市場の中にある。周囲の駐車場に車を停めて、どの入り口からでもいいから栄町市場の中に入り、「ムジ汁の店はどこですか」と聞けば、だれでも場所を教えてくれる。
万富は那覇市安里379、電話887-4658。営業時間は11:00-19:00。日曜休み。
2008年05月24日
[第57話 沖縄] 新県立博物館で沖縄をたどる
那覇市の新都心に新しい県立博物館がオープンして5ヶ月近くが過ぎ、利用者が20万人を超えた。観光客だけでなく、地元の高校生なども沖縄学習の場として盛んに利用している。オーソドックスな沖縄の自然、歴史、文化、生活を学ぶにはおそらく最適の場。テーマを絞っても、じっくり見ていくと、2、3時間はあっという間にすぎてしまう。
博物館は中央部分に時系列で主要な展示物が置かれ、そこを回ることで、ひととおりの歴史や文化の流れが分かるようになっている。その中央部分を取り囲むように、自然史、考古、歴史、美術工芸、民俗といった部門別の展示室があって、さらに深くテーマを追いかけられる。展示のさわりを紹介しよう。写真は、いずれも、博物館の許可を得て万鐘が撮影した。
まず、万国津梁の鐘。1458年に琉球国王尚泰久が鋳造し、首里城正殿にかけられた梵鐘で、その銘文に「舟楫を以て万国の津梁となし」(船を操って世界のかけはしになり)の言葉が刻まれていることで知られる。中継貿易で栄えた沖縄に国際色豊かな産物がたくさんあったことがうたわれており、貿易立国だった琉球王国の繁栄の象徴と言われる。首里城に置かれているものはレプリカで、こちらが本物。
円覚寺白象。1521年作で、沖縄で現存する最古の仏教木像。材料がチャーギ(イヌマキ)であることから、沖縄で制作されたとみられている。円覚寺は首里城の隣りにあった王家の菩提寺。戦争で焼失し、そこにあった仏教彫刻類の多くも破損が激しかった。近年、これを修復して新博物館開館とともに展示にこぎつけた。ただし、もともと騎乗していた仏像は失われている。
文書類もいろいろある。写真は琉球王国初の正史である中山世鑑。羽地朝秀が1650年に編纂した全6巻。薩摩藩支配下だったことが影響したのか、琉球最初の王舜天が源為朝の子だったなどという記述もある。
このほかにも、旧石器時代の港川人の人骨、さまざまな化石類、植物標本、土器、紅型などの衣装、中国や朝鮮から送られてきた公文書、肖像画、数多くの民具・農具など、もりだくさんの展示物が置かれている。
この博物館には特徴が一つある。「沖縄は戦争で数多くの文化財が焼失したため、展示できるものが必ずしも豊富ではありません。こうしたハンデをカバーするためにも展示にはいろいろな工夫が求められます」と話すのは学芸員の上原久さん。
例えば、史料や調査を頼りに、失われたものを復元する展示方法もその一つだ。写真は高位の神女だった伊平屋の阿母加那志の正装。こうした衣装の一部は保存されていたが、退色が激しかったため、調査によって復元し、往時の赤い色を蘇らせた。
模型による展示も工夫の一つといえるだろう。戦前、走っていた軽便鉄道は鉄道模型と当時の映像で展示が構成されている。写真は八重山上布の製作工程の模型。一見おもちゃのようだが、よく見ると、原料の苧布(ちょま)の栽培から始まって、その繊維を取り出す作業、糸につむぐ作業、機を織る作業など、一連の工程がリアルに再現されている。
展示のほかに、情報センターには書籍が豊富にそろっており、展示で見たものをさらに深く調べるのに便利。ふれあい体験室は、例えば、重箱に伝統料理を詰める模擬体験ができるなど、県外から来た子供でも楽しみながら学べるようになっている。
沖縄県立博物館は那覇市おもろまち3-1-1、電話098-941-8200。月曜休館。入館時間は日、火、水、木が09:00-17:30、金、土が09:00-19:30。観覧料は常設展が一般400円、高校・大学250円、小中学生150円。
博物館は中央部分に時系列で主要な展示物が置かれ、そこを回ることで、ひととおりの歴史や文化の流れが分かるようになっている。その中央部分を取り囲むように、自然史、考古、歴史、美術工芸、民俗といった部門別の展示室があって、さらに深くテーマを追いかけられる。展示のさわりを紹介しよう。写真は、いずれも、博物館の許可を得て万鐘が撮影した。
まず、万国津梁の鐘。1458年に琉球国王尚泰久が鋳造し、首里城正殿にかけられた梵鐘で、その銘文に「舟楫を以て万国の津梁となし」(船を操って世界のかけはしになり)の言葉が刻まれていることで知られる。中継貿易で栄えた沖縄に国際色豊かな産物がたくさんあったことがうたわれており、貿易立国だった琉球王国の繁栄の象徴と言われる。首里城に置かれているものはレプリカで、こちらが本物。
円覚寺白象。1521年作で、沖縄で現存する最古の仏教木像。材料がチャーギ(イヌマキ)であることから、沖縄で制作されたとみられている。円覚寺は首里城の隣りにあった王家の菩提寺。戦争で焼失し、そこにあった仏教彫刻類の多くも破損が激しかった。近年、これを修復して新博物館開館とともに展示にこぎつけた。ただし、もともと騎乗していた仏像は失われている。
文書類もいろいろある。写真は琉球王国初の正史である中山世鑑。羽地朝秀が1650年に編纂した全6巻。薩摩藩支配下だったことが影響したのか、琉球最初の王舜天が源為朝の子だったなどという記述もある。
このほかにも、旧石器時代の港川人の人骨、さまざまな化石類、植物標本、土器、紅型などの衣装、中国や朝鮮から送られてきた公文書、肖像画、数多くの民具・農具など、もりだくさんの展示物が置かれている。
この博物館には特徴が一つある。「沖縄は戦争で数多くの文化財が焼失したため、展示できるものが必ずしも豊富ではありません。こうしたハンデをカバーするためにも展示にはいろいろな工夫が求められます」と話すのは学芸員の上原久さん。
例えば、史料や調査を頼りに、失われたものを復元する展示方法もその一つだ。写真は高位の神女だった伊平屋の阿母加那志の正装。こうした衣装の一部は保存されていたが、退色が激しかったため、調査によって復元し、往時の赤い色を蘇らせた。
模型による展示も工夫の一つといえるだろう。戦前、走っていた軽便鉄道は鉄道模型と当時の映像で展示が構成されている。写真は八重山上布の製作工程の模型。一見おもちゃのようだが、よく見ると、原料の苧布(ちょま)の栽培から始まって、その繊維を取り出す作業、糸につむぐ作業、機を織る作業など、一連の工程がリアルに再現されている。
展示のほかに、情報センターには書籍が豊富にそろっており、展示で見たものをさらに深く調べるのに便利。ふれあい体験室は、例えば、重箱に伝統料理を詰める模擬体験ができるなど、県外から来た子供でも楽しみながら学べるようになっている。
沖縄県立博物館は那覇市おもろまち3-1-1、電話098-941-8200。月曜休館。入館時間は日、火、水、木が09:00-17:30、金、土が09:00-19:30。観覧料は常設展が一般400円、高校・大学250円、小中学生150円。
2008年05月18日
[第56話 食] 古酒づくりのための51度原酒泡盛
泡盛は、イモや麦などを混ぜず、米こうじ100%で仕込む。だから、寝かせれば寝かせるほど熟成していく。これが古酒。その古酒を仕込むために作られたのが神村酒造の「守禮 原酒51度」だ。
普通の泡盛は、モロミを蒸留して得られた原酒に水を加えてアルコール度数を調整する。現在、沖縄で生産されている泡盛は30度や25度がほとんど。その結果、多くの古酒もこうした泡盛で仕込まれることになる。
30度や25度の泡盛が作られる背景には、飲みやすさに対する配慮があるが、酒税法も影を落としている。酒税法が定める泡盛の定義はアルコール度数が45度まで。それ以上の度数の泡盛は「泡盛」と表示できないことになっている。
「でも、昔は、酒税法はもちろんなかったですし、アルコール度数を測る機器もなかったわけです。ということは、琉球王朝時代の古酒は、蒸留された原酒をそのまま仕込んでいたのではないか、と考えたわけです」と話すのは、常務の神村盛行さん。明確な記録はないが、あえて水で薄める理由は見当たらない、というわけだ。
発端は、泡盛を百年寝かせて古酒をを作ろうという話だった。百年古酒を仕込むにあたって、それにふさわしい良質の原料泡盛とは何かを考える中から、原酒を薄めずにそのまま仕込むというアイデアが出てきたのである。写真は、神村酒造の構内にさりげなく置かれている往年の酒仕込み用のカメ。
神村さんによると、蒸留工程の前半ではアルコール分の高い原酒がとれ、後半では油分を多く含んだ原酒がとれる。熟成の過程では、後半の油分が大きな働きをする。熟成を経て、これらがバニリンなどの香気成分に変わっていくからだ。
こうして、モロミを蒸留する全工程から得られた原酒100%の泡盛「守禮 原酒51度」が、昨年初めて誕生した。
「100年後においしくなる酒」だから、違いが明らかになるのは孫の代。ずいぶん気の長い話だが、100年かけて泡盛を育てるという発想は、スケールの大きなロマンを感じさせる。
これに応えるロマンチストがたくさんいたということだろうか。昨年「守禮 原酒51度」を発売したところ、3000本限定で出したものが3ヶ月で売り切れたという。時間をかけて泡盛を育てていくという沖縄の酒文化は健在だ。好評に応えて、ことしも2月から、泡盛原酒の発売を始めた。
「守禮 原酒51度」は1升入りで税込み6300円。100年後に思いをはせつつ、自分でも試しに飲んでみたいという人には、360ml入りの小びんがある。これは神村酒造内にあるショップのみの限定販売。ただし、寝かせていない原酒は口にふくんだ時にやや固い感じを受けた。
那覇で明治15年に創業した神村酒造は、いま、うるま市石川の緑豊かな敷地にある。工場見学もできるので、泡盛に関心のある向きにはピッタリの訪問先だろう。
神村酒造はうるま市石川嘉手苅570、電話098-964-7628。
普通の泡盛は、モロミを蒸留して得られた原酒に水を加えてアルコール度数を調整する。現在、沖縄で生産されている泡盛は30度や25度がほとんど。その結果、多くの古酒もこうした泡盛で仕込まれることになる。
30度や25度の泡盛が作られる背景には、飲みやすさに対する配慮があるが、酒税法も影を落としている。酒税法が定める泡盛の定義はアルコール度数が45度まで。それ以上の度数の泡盛は「泡盛」と表示できないことになっている。
「でも、昔は、酒税法はもちろんなかったですし、アルコール度数を測る機器もなかったわけです。ということは、琉球王朝時代の古酒は、蒸留された原酒をそのまま仕込んでいたのではないか、と考えたわけです」と話すのは、常務の神村盛行さん。明確な記録はないが、あえて水で薄める理由は見当たらない、というわけだ。
発端は、泡盛を百年寝かせて古酒をを作ろうという話だった。百年古酒を仕込むにあたって、それにふさわしい良質の原料泡盛とは何かを考える中から、原酒を薄めずにそのまま仕込むというアイデアが出てきたのである。写真は、神村酒造の構内にさりげなく置かれている往年の酒仕込み用のカメ。
神村さんによると、蒸留工程の前半ではアルコール分の高い原酒がとれ、後半では油分を多く含んだ原酒がとれる。熟成の過程では、後半の油分が大きな働きをする。熟成を経て、これらがバニリンなどの香気成分に変わっていくからだ。
こうして、モロミを蒸留する全工程から得られた原酒100%の泡盛「守禮 原酒51度」が、昨年初めて誕生した。
「100年後においしくなる酒」だから、違いが明らかになるのは孫の代。ずいぶん気の長い話だが、100年かけて泡盛を育てるという発想は、スケールの大きなロマンを感じさせる。
これに応えるロマンチストがたくさんいたということだろうか。昨年「守禮 原酒51度」を発売したところ、3000本限定で出したものが3ヶ月で売り切れたという。時間をかけて泡盛を育てていくという沖縄の酒文化は健在だ。好評に応えて、ことしも2月から、泡盛原酒の発売を始めた。
「守禮 原酒51度」は1升入りで税込み6300円。100年後に思いをはせつつ、自分でも試しに飲んでみたいという人には、360ml入りの小びんがある。これは神村酒造内にあるショップのみの限定販売。ただし、寝かせていない原酒は口にふくんだ時にやや固い感じを受けた。
那覇で明治15年に創業した神村酒造は、いま、うるま市石川の緑豊かな敷地にある。工場見学もできるので、泡盛に関心のある向きにはピッタリの訪問先だろう。
神村酒造はうるま市石川嘉手苅570、電話098-964-7628。
2008年05月12日
[第55話 沖縄] 赤瓦の景観が美しい分譲住宅
赤瓦に真っ白いしっくい。沖縄の伝統家屋は、南国の青い空によく映える。かつてはそんな家並みが作り出す景観がさぞ美しかったに違いない。最近の建物は同系色の素材を使うこともなく、統一感のある景観は見られない。と思っていたら、景観づくりを意識した先駆例があった。
豊見城市渡橋名にある「エコシティとはしな」。沖縄県住宅供給公社が、戸建て分譲住宅として整備・販売したいくつかの地域の一つだ。
エコシティとはしなの住宅総数は140戸。これだけの数がまとまって意匠をそろえると、それなりの統一景観になる。統一されている意匠は外壁の白と屋根の赤瓦。住宅のデザインは17種類あり、多様でバラバラの印象だが、かえってそれが町並みのリアリティを醸し出しているといえそうだ。
むろん、エコシティとはしなは、住民の総意で景観づくりをしたケースではなく、公社のイニシアチブによる分譲で、言ってみれば「上からの景観づくり」。が、とにもかくにも、統一景観を実際に作り出しているので、百聞は一見にしかずの宣伝効果は確実にあるだろう。
各戸の屋根に置かれているのは「重ね瓦」と呼ばれる平らな瓦が多い。伝統的な丸みのある本瓦が、雄雌を交互に組み合わせて排水機能を持たせているのとは違って、重ね瓦はただ貼付けてあるだけで、特に機能性はない。デザインのための瓦、といってよい。重ね瓦の場合、しっくいは使わない。
住宅供給公社はエコシティとはしなを分譲する際に、建築協定を購買者と結び、事実上の規制の網をかけている。購買者は先々、改装などをするにしても、この協定を守らなければならない。例えば、家は2階建まで。後退距離と呼ばれる家の壁から隣りの敷地との境界までの距離は1.5m以上。これらが地域全体のゆったり感や景観を演出する。屋根と外壁の色については「地域全体の調和を図るよう努めるものとする」という一項が協定にある。
エコシティの名の通り、景観づくりだけでなく、植栽を工夫したり、透水性の高い敷石を採用するなど、環境との共生をキーコンセプトにしている。車とどう共存するかも考えられていて、ハンプと呼ばれる地面の盛り上がりをところどころに設けて事実上の速度制限をかけ、子供やお年寄りが安心して歩ける空間を作っている。
エコシティとはしなと似た環境共生型の分譲住宅があるのは、南風原町宮平、西原町池田、北谷町美浜の3カ所。これらは平成元年から徐々に建てられてきた。既に、戸建て住宅の提供事業から住宅供給公社が手を引いたため、公社による同じような分譲住宅はこれ以上増えることはない。これからの沖縄の景観づくりは、民間デベロッパーの動きと、既存の集落での地元民による景観統一の努力に焦点が移る。
とはいえ、地域全体に規制をかけることができるのは行政と、それを支える住民意識だけ。今後、徐々に返還が進んでいく米軍用地の再開発を計画する際にも、こうした規制の仕方がますます重要になってくるだろう。規制効果がほとんど見られず、目を覆いたくなるような乱開発が繰り広げられている那覇新都心の轍を踏まないためにも。
豊見城市渡橋名にある「エコシティとはしな」。沖縄県住宅供給公社が、戸建て分譲住宅として整備・販売したいくつかの地域の一つだ。
エコシティとはしなの住宅総数は140戸。これだけの数がまとまって意匠をそろえると、それなりの統一景観になる。統一されている意匠は外壁の白と屋根の赤瓦。住宅のデザインは17種類あり、多様でバラバラの印象だが、かえってそれが町並みのリアリティを醸し出しているといえそうだ。
むろん、エコシティとはしなは、住民の総意で景観づくりをしたケースではなく、公社のイニシアチブによる分譲で、言ってみれば「上からの景観づくり」。が、とにもかくにも、統一景観を実際に作り出しているので、百聞は一見にしかずの宣伝効果は確実にあるだろう。
各戸の屋根に置かれているのは「重ね瓦」と呼ばれる平らな瓦が多い。伝統的な丸みのある本瓦が、雄雌を交互に組み合わせて排水機能を持たせているのとは違って、重ね瓦はただ貼付けてあるだけで、特に機能性はない。デザインのための瓦、といってよい。重ね瓦の場合、しっくいは使わない。
住宅供給公社はエコシティとはしなを分譲する際に、建築協定を購買者と結び、事実上の規制の網をかけている。購買者は先々、改装などをするにしても、この協定を守らなければならない。例えば、家は2階建まで。後退距離と呼ばれる家の壁から隣りの敷地との境界までの距離は1.5m以上。これらが地域全体のゆったり感や景観を演出する。屋根と外壁の色については「地域全体の調和を図るよう努めるものとする」という一項が協定にある。
エコシティの名の通り、景観づくりだけでなく、植栽を工夫したり、透水性の高い敷石を採用するなど、環境との共生をキーコンセプトにしている。車とどう共存するかも考えられていて、ハンプと呼ばれる地面の盛り上がりをところどころに設けて事実上の速度制限をかけ、子供やお年寄りが安心して歩ける空間を作っている。
エコシティとはしなと似た環境共生型の分譲住宅があるのは、南風原町宮平、西原町池田、北谷町美浜の3カ所。これらは平成元年から徐々に建てられてきた。既に、戸建て住宅の提供事業から住宅供給公社が手を引いたため、公社による同じような分譲住宅はこれ以上増えることはない。これからの沖縄の景観づくりは、民間デベロッパーの動きと、既存の集落での地元民による景観統一の努力に焦点が移る。
とはいえ、地域全体に規制をかけることができるのは行政と、それを支える住民意識だけ。今後、徐々に返還が進んでいく米軍用地の再開発を計画する際にも、こうした規制の仕方がますます重要になってくるだろう。規制効果がほとんど見られず、目を覆いたくなるような乱開発が繰り広げられている那覇新都心の轍を踏まないためにも。
2008年05月06日
[第54話 農、食] 庶民の味 カンダバーのみそ汁
少し前の沖縄の庶民にとって最も身近な地野菜の料理と言えば、なんといってもカンダバーのみそ汁だろう。強風や酷暑といった厳しい環境でも育つカンダバーは、沖縄の食事のレギュラーメンバーとして、人々の健康を支えてきた。
カンダバーは、和語ではかずらの葉。サツマイモの葉、と言えば分かりやすいかもしれない。が、土の中に大きなイモが実る品種の葉は、えぐみが強かったり、固かったりして、あまりおいしくない。イモの中でも葉を食べるための品種というのがあって、カンダバーとしてはそれが栽培されている。この品種は地中のイモが大きくならない。
品種は違っても、栽培方法はイモと同じ。苗は葉のついた茎1本で、これを畑に差し込めば、そこから根が出てきて株になる。繁殖力が強いので、少々の雑草は抑えてしまう。地面を這うので、台風時の強風にも強い。仮に葉がかなりやられても、また伸びてくる。こうした強靭さとおいしさで、カンダバーは毎日のように庶民の食卓に上ることになった。写真は豊見城市字高安にある座安博さんのカンダバー畑。
ただし、カンダバーは「地野菜の王者」というような勇ましいイメージではない。貧しい時代は、葉野菜と言えばカンダバーしかないこともあった、と年輩者は言う。でも、そのおじいやおばあたちは、毎日のようにカンダバーを食べて長寿を実現したのだから、カンダバーはやはりよほど体にいいのだろう。
カンダバーに限った話ではないが、安仁屋洋子琉球大医学部教授の研究によると、紫外線の強い環境で生育した植物は、紫外線の弱い環境で育った植物よりも抗酸化力が強くなるという。抗酸化力の強い地野菜を毎日のように食べ続けてきたことが、沖縄の長寿を生み出した一因ではないか、とも考えられるわけだ。
しかし、カンダバーは現在、残念ながら「忘れられた野菜」に近い。生鮮食品物流網の発達で本土産の温帯野菜が大量に流入している中で、カンダバーの流通量は微々たるもの。カンダバーは地元農協も取り扱わないので、生産農家は相対取り引きの農連市場に持ち込むか、顧客に直接販売することになる。
その結果、沖縄県民でも、特に若い人の中にはカンダバーを知らない人が多い。今から数年前、県内のある大学でカンダバーを知っているかどうか尋ねたところ、知っていたのは2割に満たなかった、というエピソードも。
紫外線を浴びないで育った本土の野菜ばかり食べるようになったから沖縄の長寿が揺らいだ、とまでは言えないかもしれない。が、人間が浴びる紫外線はむしろ増えているのだから、健康・長寿を願うならば、抗酸化力が強いカンダバーなど地野菜の復権はやはり必須なのではないだろうか。
冒頭で書いたように、カンダバーの一番手近な食べ方はみそ汁の実にすること。カンダバーは葉だけを使う。だしをしっかりとってカンダバーを入れ、すぐに味噌を入れてひと煮立ちさせたら出来上がり。
加熱されたカンダバーは柔らかくなって、少しとろみが出てくる。この点はモロヘイヤに似ている。おじやであるボロボロジューシーに入れてもおいしい。みそ仕立てのカンダバージューシーは健康食として見直されつつある。
イモの葉は、世界では最もポピュラーな野菜の一つ。タマネギやトマトと煮込んだり、油いためにするなどして、アジアやアフリカでもよく食べられている。「穀物・イモ+葉野菜+しばしば豆+ときどき動物タンパク」が世界中どこに行っても見られる食事の基本形だが、この「葉野菜」の中にイモの葉が一役買っていることが多い。
サツマイモの類はイモゾウムシやアリモドキゾウムシといった害虫がつくため、日本政府は、植物防疫の観点から、生の葉やイモの沖縄から本土への持ち込みを禁じている。これらの害虫が根絶されるまでは、沖縄産カンダバーを味わうのは沖縄で、ということになりそうだ。
ただ、観光で沖縄に来た人が、飲食店でカンダバーを食べるのは難しいかもしれない。カンダバーは、店でお金をとって出すような野菜の対極にある「ふだん着野菜」。そのせいか、カンダバーを食材として使っている食堂やレストランは少ない。
しかし、生のカンダバーなら、スーパーに置かれていることも多いし、JAのファーマーズマーケットや各地の農産物直売所、農連市場などで出回っているので、そこで買える。自炊できる宿ならそこで自炊するか、沖縄の知人に頼んで調理してもらうのがいいだろう。
カンダバーは、和語ではかずらの葉。サツマイモの葉、と言えば分かりやすいかもしれない。が、土の中に大きなイモが実る品種の葉は、えぐみが強かったり、固かったりして、あまりおいしくない。イモの中でも葉を食べるための品種というのがあって、カンダバーとしてはそれが栽培されている。この品種は地中のイモが大きくならない。
品種は違っても、栽培方法はイモと同じ。苗は葉のついた茎1本で、これを畑に差し込めば、そこから根が出てきて株になる。繁殖力が強いので、少々の雑草は抑えてしまう。地面を這うので、台風時の強風にも強い。仮に葉がかなりやられても、また伸びてくる。こうした強靭さとおいしさで、カンダバーは毎日のように庶民の食卓に上ることになった。写真は豊見城市字高安にある座安博さんのカンダバー畑。
ただし、カンダバーは「地野菜の王者」というような勇ましいイメージではない。貧しい時代は、葉野菜と言えばカンダバーしかないこともあった、と年輩者は言う。でも、そのおじいやおばあたちは、毎日のようにカンダバーを食べて長寿を実現したのだから、カンダバーはやはりよほど体にいいのだろう。
カンダバーに限った話ではないが、安仁屋洋子琉球大医学部教授の研究によると、紫外線の強い環境で生育した植物は、紫外線の弱い環境で育った植物よりも抗酸化力が強くなるという。抗酸化力の強い地野菜を毎日のように食べ続けてきたことが、沖縄の長寿を生み出した一因ではないか、とも考えられるわけだ。
しかし、カンダバーは現在、残念ながら「忘れられた野菜」に近い。生鮮食品物流網の発達で本土産の温帯野菜が大量に流入している中で、カンダバーの流通量は微々たるもの。カンダバーは地元農協も取り扱わないので、生産農家は相対取り引きの農連市場に持ち込むか、顧客に直接販売することになる。
その結果、沖縄県民でも、特に若い人の中にはカンダバーを知らない人が多い。今から数年前、県内のある大学でカンダバーを知っているかどうか尋ねたところ、知っていたのは2割に満たなかった、というエピソードも。
紫外線を浴びないで育った本土の野菜ばかり食べるようになったから沖縄の長寿が揺らいだ、とまでは言えないかもしれない。が、人間が浴びる紫外線はむしろ増えているのだから、健康・長寿を願うならば、抗酸化力が強いカンダバーなど地野菜の復権はやはり必須なのではないだろうか。
冒頭で書いたように、カンダバーの一番手近な食べ方はみそ汁の実にすること。カンダバーは葉だけを使う。だしをしっかりとってカンダバーを入れ、すぐに味噌を入れてひと煮立ちさせたら出来上がり。
加熱されたカンダバーは柔らかくなって、少しとろみが出てくる。この点はモロヘイヤに似ている。おじやであるボロボロジューシーに入れてもおいしい。みそ仕立てのカンダバージューシーは健康食として見直されつつある。
イモの葉は、世界では最もポピュラーな野菜の一つ。タマネギやトマトと煮込んだり、油いためにするなどして、アジアやアフリカでもよく食べられている。「穀物・イモ+葉野菜+しばしば豆+ときどき動物タンパク」が世界中どこに行っても見られる食事の基本形だが、この「葉野菜」の中にイモの葉が一役買っていることが多い。
サツマイモの類はイモゾウムシやアリモドキゾウムシといった害虫がつくため、日本政府は、植物防疫の観点から、生の葉やイモの沖縄から本土への持ち込みを禁じている。これらの害虫が根絶されるまでは、沖縄産カンダバーを味わうのは沖縄で、ということになりそうだ。
ただ、観光で沖縄に来た人が、飲食店でカンダバーを食べるのは難しいかもしれない。カンダバーは、店でお金をとって出すような野菜の対極にある「ふだん着野菜」。そのせいか、カンダバーを食材として使っている食堂やレストランは少ない。
しかし、生のカンダバーなら、スーパーに置かれていることも多いし、JAのファーマーズマーケットや各地の農産物直売所、農連市場などで出回っているので、そこで買える。自炊できる宿ならそこで自炊するか、沖縄の知人に頼んで調理してもらうのがいいだろう。
2008年04月30日
[第53話 万鐘、食] 中野シェフの天然熟成生ハム
今回は自社ネタながら、とびきりおいしい話題をご提供。東京・池尻大橋のイタリアンレストラン「パーレンテッシ」の中野秀明グランシェフが、万鐘島ぶたで、オリジナリティあふれる2品を作った。首都圏にお住まいのロハス系グルメの方は直行すべし。
1つは、万鐘島ぶたの天然熟成生ハム。万鐘が中野シェフにモモ10本を納品したのは、2006年の12月初旬だった。シェフからは「爪付きで」とのリクエストを受けていたので、委託している食肉センターで「爪付き骨付きのモモ1本どり」という特別スペックでカットしてもらった。
送付先は秋田県大仙市の山の中。中野シェフは、これを乾燥した冬の時季に仕込み始め、自然の風にあてながらじっくりと1年半かけて生ハムにした。
生ハムのような非加熱の食肉加工品は、本来、イタリアやスペイン、中国といった大陸性の乾燥気候の下で、自然の風に当てながら作るもので、温暖湿潤の日本ではなかなか難しい。
大陸性の乾燥気候ならば、適切な場所さえ選べば、肉に塩をした後は、自然が、猛烈なスピードで水分を蒸発させていく。その乾燥ぶりはすさまじく、腐敗菌が活躍するのに必要な水分をあれよあれよという間に奪ってしまう。干し肉や、サラミのような非加熱ドライソーセージも、そういう乾燥ぶりだからこそうまくできる。
湿潤な日本だとそうはいかない。水分を減らすのに時間がかかりすぎるため、多少の塩をしても、その間に腐敗菌が繁殖して肉全体を支配するということなのかもしれない。要するに、肉は乾燥する前に腐ってしまうのだ。
塩の力で腐敗菌を抑えつつ、スピーディーに乾燥して腐敗菌が駆逐されると、内部はやがて乳酸菌の支配する世界になるらしい。その結果、天然熟成の生ハムは、乳酸菌の発酵香が際立つ。長期熟成したナチュラルチーズの香りに似ている。冷蔵庫の中で短期間に作られたよくある生ハムとは雲泥の差といっていい。
中野シェフのもう一つの特別メニューは、万鐘島ぶたの子豚のスモーク。
生体重で30kg強の子豚を皮つきのまま塩蔵してから加熱し、さらに軽く燻蒸する。これをごく薄切りにし、オイルをかけて食す。子豚の上品な香りが口いっぱいに広がる逸品だ。この大きさの豚なら皮もそれほど厚くないので、心地よい歯ごたえが楽しめる。ワインがすすみそう。
万鐘島ぶたの天然熟成生ハム、子豚のスモークとも1皿1600円。生ハムはあと数ヶ月はあるとのことだが、お早めにどうぞ。ただし、他の豚の生ハムをスライスしている期間は万鐘島ぶたの生ハムは食べられない。いずれにしてもパーレンテッシは人気店なので、事前に電話で確認・予約する方がいい。東京都目黒区東山3-6-8エクセル東山 2F、03-5722-6968。お昼が11:30-14:00、夜は18:30-24:00。最寄り駅は東急田園都市線の池尻大橋(渋谷の次)。
1つは、万鐘島ぶたの天然熟成生ハム。万鐘が中野シェフにモモ10本を納品したのは、2006年の12月初旬だった。シェフからは「爪付きで」とのリクエストを受けていたので、委託している食肉センターで「爪付き骨付きのモモ1本どり」という特別スペックでカットしてもらった。
送付先は秋田県大仙市の山の中。中野シェフは、これを乾燥した冬の時季に仕込み始め、自然の風にあてながらじっくりと1年半かけて生ハムにした。
生ハムのような非加熱の食肉加工品は、本来、イタリアやスペイン、中国といった大陸性の乾燥気候の下で、自然の風に当てながら作るもので、温暖湿潤の日本ではなかなか難しい。
大陸性の乾燥気候ならば、適切な場所さえ選べば、肉に塩をした後は、自然が、猛烈なスピードで水分を蒸発させていく。その乾燥ぶりはすさまじく、腐敗菌が活躍するのに必要な水分をあれよあれよという間に奪ってしまう。干し肉や、サラミのような非加熱ドライソーセージも、そういう乾燥ぶりだからこそうまくできる。
湿潤な日本だとそうはいかない。水分を減らすのに時間がかかりすぎるため、多少の塩をしても、その間に腐敗菌が繁殖して肉全体を支配するということなのかもしれない。要するに、肉は乾燥する前に腐ってしまうのだ。
塩の力で腐敗菌を抑えつつ、スピーディーに乾燥して腐敗菌が駆逐されると、内部はやがて乳酸菌の支配する世界になるらしい。その結果、天然熟成の生ハムは、乳酸菌の発酵香が際立つ。長期熟成したナチュラルチーズの香りに似ている。冷蔵庫の中で短期間に作られたよくある生ハムとは雲泥の差といっていい。
中野シェフのもう一つの特別メニューは、万鐘島ぶたの子豚のスモーク。
生体重で30kg強の子豚を皮つきのまま塩蔵してから加熱し、さらに軽く燻蒸する。これをごく薄切りにし、オイルをかけて食す。子豚の上品な香りが口いっぱいに広がる逸品だ。この大きさの豚なら皮もそれほど厚くないので、心地よい歯ごたえが楽しめる。ワインがすすみそう。
万鐘島ぶたの天然熟成生ハム、子豚のスモークとも1皿1600円。生ハムはあと数ヶ月はあるとのことだが、お早めにどうぞ。ただし、他の豚の生ハムをスライスしている期間は万鐘島ぶたの生ハムは食べられない。いずれにしてもパーレンテッシは人気店なので、事前に電話で確認・予約する方がいい。東京都目黒区東山3-6-8エクセル東山 2F、03-5722-6968。お昼が11:30-14:00、夜は18:30-24:00。最寄り駅は東急田園都市線の池尻大橋(渋谷の次)。