2008年03月

2008年03月31日

[第48話 沖縄、南] ANA那覇ハブ(上) アジア成長で沖縄浮上

 ANA全日空が那覇空港を国際航空貨物の拠点空港にする、というニュースが流れたのは2007年7月。事業開始予定は2009年度下期だから、あと1年半しかない。

 「しかない」というのは、それまでに準備すべきことがいろいろありそうだから。「自分は関係ないけど」とおっしゃる方も、そう言わずに、今回と次回の記事を読んでいただきたい。ひょっとしたら、あなたも忙しくなるかもしれない。

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 全日空を含めた現在の日本の航空貨物輸送事業は、例えば関東の工場で作られた上海向けの製品を羽田発上海行きの便で運ぶ、という単線方式。これに対して今回のハブ方式は、各地の荷を1カ所にいったん集め、そこで目的地別に積み替えして、それぞれの目的地に飛行機を飛ばすというものだ。

 その「1カ所」がなぜ那覇なのか。沖縄の位置が中国にも韓国にも台湾にも近く、飛行距離と飛行時間が短くできるから、というのが答であることは容易に想像がつく。沖縄の地理的位置が有利なことについては、この万鐘本店でも、第19話のリムジンや第31話のブラジル石油公社の記事などで指摘してきた。

 しかし、だ。最近になって沖縄島がズズズッと移動して都合のよい位置に動いたわけでもないのに、なぜ今になって、こういう話が急浮上してきたのだろうか。

 「それは、航空貨物物流の環境が大きく変わってきたからなんです」と説明するのは、全日空でこの事業を担当している貨物本部事業戦略部主席部員の清水良浩さん。

 清水さんによると、これまで荷の動きは「日本発アジア向け」が主だったから、例えば日本の工場の近くの空港からアジアの目的地にシンプルに飛行機を飛ばせばそれでよかった。ところが、アジア各地の経済発展がこの20年くらいの間に進んだ結果、「アジア発アジア向け」の貨物需要が急速に増えて来た。「今後、主語が徐々に日本からアジアに変わっていくのではないでしょうか」と清水さんは語る。

 新たな主語になるアジアとは、1つ、2つの都市ではない。華北・華東・華南各経済圏の都市、台北、ソウル、バンコク、シンガポールといった複数の主語が舞台上に躍り出ている。むろん東京や大阪もその中で大きな位置を占めている。写真は経済発展著しいシンガポールの地下鉄駅。

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 全日空の見通しでは、アジア域内の航空貨物需要の総量は、2005年に380万トンだったのが、10年後の2015年には820万トンになるという。アジアの数多くの地域が、航空貨物の発地にも着地にもなるだけの大きな需要が見込めるというわけだ。

 こうなると、単線方式よりも、アジア各地からすべての荷物をどこか1カ所に集め、そこでアジア各地の行き先別に積み替えて飛行機を飛ばす方が合理的になる。この方式なら、単線方式にありがちな、時期によって荷が少なくてコストをカバーできないといったリスクがずっと小さくできるからだ。

 その「1カ所」は「アジア各地のどこにも近い場所」でなければならないから、日本では沖縄しかない。これは冒頭で述べた通り。次の図は飛行機で4時間の範囲を、万鐘お得意のグーグルアース活用南北逆さ地図の中で示しているが、例えば東京に拠点を置いたのではカバー範囲が北寄りになりすぎ、成長著しい中国南部などが遠くなってしまう。

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 こうして沖縄の地理的位置は、アジア各地の経済発展によって、航空貨物物流に関する限り、この10年ほどで急浮上した。次回はその那覇貨物ハブの正しい活用法について、4/6(日)に公開します。どうぞお楽しみに。

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2008年03月25日

[第47話 食、南] 帰郷者が手作りするブラジルおやつ

 沖縄はおやつが豊富。サーターアンダーギーやイモ天ぷらのようなおなじみの顔ぶれ以外にも、ターンムパイなど、新しく生み出されて既に市民権を得たおやつがある。ブラジルおやつも、そんな新しいおやつの世界を広げてくれる。今回は、ブラジル帰郷者の仲本隆信さん、まさみさん夫妻が手作りするブラジルおやつをご紹介。

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 写真はコシンヤ。仲本夫妻の店の名前にもなっている。ジャガイモのコロッケのようだが、日本の肉屋の定番コロッケとは違う。日本のコロッケはジャガイモの中にひき肉や玉ネギがパラパラ散っているが、コシンヤは、肉類があんの形で中心部にまとまって入っているので、普通のコロッケよりもそれらの味がはっきり分かる。

 仲本さんのコシンヤは、牛肉、鶏肉、チーズの3種類。衣がむやみに厚くてバリバリに仕上がっていたり、化学調味料で濃い味がついているようなコロッケが多いが、このコシンヤは手づくりのやさしい味。ブラジルのおふくろの味、なのかもしれない。

 次は小麦生地で作る3種。左からエスフィーア、パスティス、サルテンヤ。

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 まずサルテンヤは、パイ生地で鶏肉あんを包んで焼いたもの。生地の合わせ目をひねって模様をつける。肉あんにはパウミットというココナツの若芽をブラジルでは入れるが、沖縄では手に入らないので、仲本さんは代わりにタケノコを使っている。

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 エスフィーアは、パンのような生地に、牛肉あんが入っている。イタリアンパセリの香りがアクセント。仲本さんはイタリアンパセリを自宅で栽培して、エスフィーアに入れている。

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 パスティスは中に肉を入れたものだが、その応用ということで、仲本さんは沖縄のターウムを入れたものも作っている。ほんのりと甘く、もっちりしたターウムと、歯ごたえのあるパスティスの生地がいいコンビネーションを見せる。

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 仲本さんはうるま市に生まれたが、1959年、高校生の時に家族とともにブラジルに渡った。ブラジルはサンパウロ郊外で野菜販売の商売をしていたが、治安が悪化した1986年にまさみさんらと帰国。今から8年前に現在の店コシンヤを始めた。

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 沖縄は、かつて多くの人々が海を超え、南米各国に渡った。中でもブラジルは現在南米各国にいる沖縄系移民24万人の半分以上の14万人余りが暮らす。仲本さんのような帰郷者もいて、ブラジルと沖縄の草の根のかけはしになっている。

 コシンヤは、うるま市田場1557-8、電話973-3074。土日祝休。午前は店舗で作りながら販売し、午後はうるま市役所地下玄関前で移動販売している。

 コシンヤとターウムパイ(パスティスの応用)は常備しているが、サルテンヤ、エスフィーアは作らない日もある。欲しい場合は、あらかじめ電話して、いつ作るか尋ねてから行くとよい。

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2008年03月19日

[第46話 沖縄] 「人力」でスタートした海中道路建設

 沖縄本島中部東側に突き出している与勝半島と平安座(へんざ)島を結ぶ全長4.7kmの海中道路。青い海を眺めながらドライブを楽しむ人が多いが、この海中道路には驚くべき前史があった。今回は、離島の人々の心情を雄弁に物語るこの話題を。

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 海中道路は1971年、石油会社が平安座島に石油タンクを建設するのに伴って作られた。沖縄が日本本土に復帰する2年前のこと。これが現在利用されている道路だが、実はそれ以前にも、海中道路の建設が試みられていた。離島苦に悩む平安座島の人々が、なんと人力で海に石を置いて自力で道を造ろうとしたのである。

 下の2枚の白黒写真はいずれも平安座自治会に提供していただいた。1枚目の写真は、平安座島の女性たちが、石を頭に乗せて運んでいるところ。島から掘り出した石をこうして女性たちが運び、海に落としては道路の基盤を造っていった。

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 5km近い距離の海を人力で埋めて道を造ろうとは、普通なら、だれも考えないだろう。平安座の人々はなぜそれをやったのか。

 「離島苦というのは、実際に経験した者でないと分からないものですよ」と話すのは、平安座自治会長の下條義明さん。平安座島と沖縄本島とを何としても陸続きにして、不便な島の暮らしをラクに豊かにしたい―。その一念が、一見不可能とも思える人力による海中道路建設に人々を駆り立てたのだ。下條さんは子供のころ、埋め立て用の石を掘り出す作業を手伝わされた時の光景を、今も鮮明を覚えているという。
 
 平安座島と与勝半島屋慶名を結ぶのは浅瀬の海。干潮の時には砂地が顔を出す。道路が出来る前は渡船が主な交通手段だったが、干潮時だけはトラック輸送が行われていた。写真は、そのトラックが人や物資を乗せて出発するところ。1日のうちのわずかな時間とはいえ、こうして沖縄本島と島が陸続きになる光景を島人は毎日見ていた。このことも、人力で道を造ろうという動機づけになったに違いない。

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 かくして、1961年3月9日、人力による海中道路工事は始まった。島人総出で石を運び、道路は着々と建設が進んだ。が、7月、台風デルタの来襲で一部が流失。9月の台風ナンシーでは、島民の汗の結晶は無惨にもすべて破壊された。中心になって自力工事を推進した当時の玉栄政善自治会長は「憤怒のあまり失神寸前の態であった。悲嘆の涙は流れて止まず、呆然と立ちすくむ様であった」と、その無念さを記している。

 しかし島人はあきらめなかった。工法を再考し、翌1962年4月に工事を再開した。今度は資金をやりくりしてセメントを少しずつ買っては、コンクリートの道を再び自力で造り始めた。その年のうちに130mを構築。4年後には80mを増築した。まさに不屈の精神というほかない。そうこうしているうちに、石油会社の進出が決まり、現在の道路が建設された。

 いま沖縄で平安座島と言えば、伝統行事の島として名高い。自治会が正式に関与する行事だけで年間40以上、これに各家庭で行われている行事を加えると、70以上の伝統行事があるという。

 島が最大の盛り上がりを見せるのが、旧暦3月3日から5日に行われるサングヮチャー。ことしは新暦で4月8日から10日に当たる。海の安全と豊漁を祈るこの伝統行事には多くの観光客も訪れる。サングヮチャーはじめ、平安座の諸行事についての問い合わせは平安座自治会098-977-8127。

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2008年03月13日

[第45話 食] 沖縄そば 麺のひみつ

 沖縄そばの麺とは、いったい何者なのだろうか。小麦粉に塩と灰汁やかんすいを入れて練り上げた麺で、その多くは平麺。中華麺のようでもあるが、口当たりが微妙に違う。太めの沖縄そばの場合は、うどんやきしめんに似ていなくもないが、やはり食感が違う。パスタっぽい沖縄そばもあるが、パスタのような素直な歯ごたえではない。

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 原材料からすれば、中華麺に近い。アルカリである灰汁やかんすいが入って独特のコシが出るあたりはそっくり。だが、沖縄そばは中華麺とは練り方やのし方が違うので、同じコシでもソフトな感じになる。

 もう一つ、大きな違いがある。沖縄そばは、中華麺のように茹でたてを食べないこと。沖縄そば専門店のほとんどは、冷たくなった茹で麺を湯で温めてから使う。

 「麺というのは、茹でたてよりも、時間が経ってからの方が味が出るんですね」と話すのは、亀浜製麺所代表の亀浜貞夫さん。確かに味はそうなのかもしれないが、時間が経ったら麺はのびてしまうのでは、という声が聞こえてきそう。だが、心配御無用。

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 沖縄そばは、茹で上げためんに植物油をまぶしてから、風を当てて冷ます。水にさらすことはない。亀浜さんは、冷ます工程で余分な水分を飛ばすことが大切だと語る。これで麺が締まり、めんのコシが保たれる。
 
 こうして得られるコシは、茹でたてのコシとは微妙に違う。「歯が食い込もうとするのを必死で押し戻そうとする麺の弾力」が、茹でたてのコシ。沖縄そばにもそうしたコシはあるが、それに加えて、独特のポクポクした食感が伴う。このポクポク感は、不思議なことに茹でたてでは得られない。

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 原材料はほとんど中華麺と同じながら、食べて明らかに違いを感じるのは、このポクポク感の有無だ。これぞ沖縄そば、と言ってもいいくらいの個性がそこにある。生麺の沖縄そばをおみやげに買って帰った観光客が、自宅で茹でたての沖縄そばを食べる時に「沖縄で食べたのと、なんか違うなあ」と感じる違和感の正体は、恐らくこれだろう。

 だから、自宅で沖縄そばを作る時は、生麺ではなく、ゆで麺を買ってきて、湧かしたお湯に4、5秒つけて油落としと加温をし、どんぶりに入れてつゆをはれば、沖縄そばらしい食感の沖縄そばになる。沖縄そば専門店と同じやり方だ。現に沖縄のスーパーでは、沖縄そばの茹で麺は何種類もあるが、生麺はまず見かけない。

 亀浜製麺所の沖縄そばは、細めの平麺。繊細な口当たりで、ポクポク感としっかりしたコシがあり、のどごしもいい。亀浜さんは、大手の麺メーカーがやっていない手作りの工程を大事にしているという。沖縄県内の名だたる沖縄そば専門店が、亀浜麺を採用している。

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 亀浜麺はスーパーには置かれていないので、県民の多くは亀浜麺を沖縄そば店でしか味わうことができない。亀浜麺を使って自分で沖縄そばを作りたい人は、亀浜さんが先代からのつき合いを大事にしながら商品を卸している小売店が3カ所だけあるので、そこで買える。

・那覇市松山2丁目22−1−1F 若松公設市場内の与那嶺商店 098-868-9132
・那覇市若狭2丁目12−11−1F ストアー上原 098-868-3747
・宜野湾市普天間2丁目13−5 中央ミート普天間店 098-892-5634

 亀浜製麺所は豊見城市保栄茂1163-1、電話098-856-7103。

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2008年03月07日

[第44話 農] 田植えが始まった

 ことしの田植えが始まった。写真は金武町。抜けるような青空の下で、島本勉さんが小型の田植え機を慎重に運転し、青々とした苗をスッ、スッとリズミカルに植えていた。ただ、面積はわずかなもの。自家消費用の米という。

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 八重山では田植えは既にほぼ終わっており、沖縄本島と伊是名、伊平屋などが今から本格的な田植えシーズンを迎える。

 沖縄の稲作は、2、3月田植えの6、7月収穫。その後にもう1作、2期目を作ることもあるが、2期目は台風に当たる確率が高いのと、どうしても収量が落ちるので、やらない人も多い。品種は「ひとめぼれ」か「ちゅらひかり」。

 沖縄本島では、ターウム(田芋)用の田は金武町や宜野湾市にかなりあるが、稲が植えられている田はあまり見られない。金武町、恩納村、国頭村に少しあるくらいだ。

 現在の沖縄の稲作は離島が担っている。トップは八重山。石垣島、西表島などで1800トンほど作っている。八重山の稲作は日本一早い。5月末から6月に収穫された米は超早場米として高値で取り引きされる。JA沖縄八重山営農センターの話では、日本一高価な新潟・魚沼産コシヒカリに次ぐ値がつくという。品種はひとめぼれ。

 伊平屋島では1000トン、伊是名島で200トンほどの米がそれぞれ作られている。伊是名の米はブランド化され、沖縄本島のスーパーなどで売られている。伊平屋の米は特にブランド化はしておらず、ブレンド米の一部になる。

 こうして離島を中心に米は作られているが、沖縄全体でも1000haほどの作付けにすぎない。

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 かつて、沖縄では稲作がもっと盛んだった。戦後の最盛期だった1955年の作付面積は現在の10倍以上の1万2000ha。農村部に住む年輩者に聞くと、稲作を大豆などと輪作していたと話す人が多い。人類普遍の食糧ともいえる「穀物+豆」の黄金の組み合わせである。

 しかし1960年代から、カネになるサトウキビへの転換が進み、水田は急速に姿を消していった。ちょうどこの頃と時期を同じくして、各家庭で飼われていた豚やヤギも姿を消していく。作物と家畜の複合経営によって食べものを自給していく仕組みが崩壊。農業は現金収入を得るための換金農業になり、自分の食べものは、作るのではなく買うものになった。

 農村部では、朝起きれば野良着を着て畑に出る習慣を続けているおばあもたくさんいるが、今は小面積の野菜類が中心。主食になるような米やイモ類を自給している人は少ない。離島は別として、少なくとも沖縄本島の稲作は、こうした歴史の流れの中で生き残った数少ない主食自給農業と言えるだろう。

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2008年03月01日

[第43話 食] パッションフルーツの100%果汁

 パッションフルーツ、といえば、鮮烈な香りが自慢のトロピカルフルーツ。沖縄でも各地で生産されている。そのパッションフルーツ100%ジュースの話題を。

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 パッションフルーツは、生なら最高の香りが楽しめるが、種の周りの果肉と少量のジュースをちょっと食べるだけなのが、上品というか、はっきり言えばやや物足りない感じが残る。香りがあまりに鮮烈だから、それはそれで満足はするのだが、グイグイっとジュースを飲んでみたいという欲求はかなえられない。生の場合は種ごと食べることになるので、種の食感が苦手、という人もいるだろう。

 パッションフルーツのジュースはいろいろ出ている。ただ、その多くがリンゴジュースやブドウジュースなどとのブレンド。味はリンゴやブドウで香りはパッション、という役割分担かもしれない。もちろん、それはそれでうまい。でも、パッションが大好きな人はパッションだけのジュースはないのかな、などと思ったりする。

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 恩納村の字南恩納。リゾートホテル通りのおひざ元、人口760人ほどのこの集落で、地域おこし協議会の加工部会が、とびきりのパッションフルーツ100%ジュースを3年がかりで開発した。

 ジュースといえば、果物の汁を絞っただけ、と思うかもしれないが、絞っただけでは商品にならない。特にパッションフルーツの場合は、果汁を含んだ果肉が少ないから、うまく果汁を絞りとるにも技術がいるし、殺菌などのための加熱処理でも、ひとつ間違えばせっかくの香りがだいなしになったり、のどごしが悪くなったりする。奥が深いのだ。

 加工部会長の屋宜ハツ子さんら8人のメンバーは、県の農業改良普及センターや農業研究センターの支援を得ながら、こうした一つひとつの問題をクリアしていった。ただし、まゆ根にしわを寄せてという感じは全くない。「本当に楽しいですよー」と話すハツ子さんの極上の笑顔からは、♪がたくさん飛び出してきた。

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 パッションフルーツの果汁はかなり強いので、この100%ジュースはそのままではなく、水で3倍に薄めて飲む。価格は300ccで945円。高いと思うかもしれないが、この小さなびんにパッションフルーツ40個分の果汁が入っていることを考えれば、むしろ安いのではないか。

 このパッションフルーツジュース、今のところ、恩納村仲泊にある「おんなの駅なかゆくい市場」でしか手に入らない。昨年7月に発売を始め、これまでに1500本売れた。なかなかの人気商品といっていい。

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 徹底して品質にこだわり、あせって販路拡大に走ることなく、できる範囲で生産する―。ハツ子さんたちは、まさに高品質農産加工品開発の王道を歩んでいるといえそうだ。

 おんなの駅なかゆくい市場は、恩納村字仲泊1656-9、電話098-964-1188。営業は10:00から19:00まで。国道58号線をはさんで、ホテル「ルネサンスリゾートオキナワ」の反対側、恩納村博物館の隣り。

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