2008年04月

2008年04月30日

[第53話 万鐘、食] 中野シェフの天然熟成生ハム

 今回は自社ネタながら、とびきりおいしい話題をご提供。東京・池尻大橋のイタリアンレストラン「パーレンテッシ」の中野秀明グランシェフが、万鐘島ぶたで、オリジナリティあふれる2品を作った。首都圏にお住まいのロハス系グルメの方は直行すべし。

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 1つは、万鐘島ぶたの天然熟成生ハム。万鐘が中野シェフにモモ10本を納品したのは、2006年の12月初旬だった。シェフからは「爪付きで」とのリクエストを受けていたので、委託している食肉センターで「爪付き骨付きのモモ1本どり」という特別スペックでカットしてもらった。

 送付先は秋田県大仙市の山の中。中野シェフは、これを乾燥した冬の時季に仕込み始め、自然の風にあてながらじっくりと1年半かけて生ハムにした。

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 生ハムのような非加熱の食肉加工品は、本来、イタリアやスペイン、中国といった大陸性の乾燥気候の下で、自然の風に当てながら作るもので、温暖湿潤の日本ではなかなか難しい。

 大陸性の乾燥気候ならば、適切な場所さえ選べば、肉に塩をした後は、自然が、猛烈なスピードで水分を蒸発させていく。その乾燥ぶりはすさまじく、腐敗菌が活躍するのに必要な水分をあれよあれよという間に奪ってしまう。干し肉や、サラミのような非加熱ドライソーセージも、そういう乾燥ぶりだからこそうまくできる。

 湿潤な日本だとそうはいかない。水分を減らすのに時間がかかりすぎるため、多少の塩をしても、その間に腐敗菌が繁殖して肉全体を支配するということなのかもしれない。要するに、肉は乾燥する前に腐ってしまうのだ。

 塩の力で腐敗菌を抑えつつ、スピーディーに乾燥して腐敗菌が駆逐されると、内部はやがて乳酸菌の支配する世界になるらしい。その結果、天然熟成の生ハムは、乳酸菌の発酵香が際立つ。長期熟成したナチュラルチーズの香りに似ている。冷蔵庫の中で短期間に作られたよくある生ハムとは雲泥の差といっていい。

 中野シェフのもう一つの特別メニューは、万鐘島ぶたの子豚のスモーク。

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 生体重で30kg強の子豚を皮つきのまま塩蔵してから加熱し、さらに軽く燻蒸する。これをごく薄切りにし、オイルをかけて食す。子豚の上品な香りが口いっぱいに広がる逸品だ。この大きさの豚なら皮もそれほど厚くないので、心地よい歯ごたえが楽しめる。ワインがすすみそう。

 万鐘島ぶたの天然熟成生ハム、子豚のスモークとも1皿1600円。生ハムはあと数ヶ月はあるとのことだが、お早めにどうぞ。ただし、他の豚の生ハムをスライスしている期間は万鐘島ぶたの生ハムは食べられない。いずれにしてもパーレンテッシは人気店なので、事前に電話で確認・予約する方がいい。東京都目黒区東山3-6-8エクセル東山 2F、03-5722-6968。お昼が11:30-14:00、夜は18:30-24:00。最寄り駅は東急田園都市線の池尻大橋(渋谷の次)。

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2008年04月24日

[第52話 沖縄] 歴史の荒波に翻弄された王女

 世界遺産に登録された勝連城跡を訪れる人は年々増えている。だが、この勝連城を舞台に何が起きたのか、知る人は少ない。古琉球の世界は、沖縄の学校でもさほど詳しく教えないし、ましてや本土では全く扱わないからだ。これでは、あまりに背景知識がなさすぎて、せっかくの世界遺産も歴史のロマンを感じるところまではなかなかいかない。

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 勝連城跡のふもとには資料室がある。そこにはパネルなどで解説が用意されているが、やや教科書的。もっと楽しく歴史のロマンを感じる方法はないものかー。と探してみたら、格好の本があった。

 与並岳生作「琉球王女 百十踏揚(ももと・ふみあがり)」。勝連城最後の城主阿摩和利(あまわり)の妻となった首里王朝の王女百十踏揚を主人公に、怒濤の時代を描いた長編歴史小説。上下2段組、761ページのズシリと重い大作だ。

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 阿摩和利と首里王朝との確執は、歴史ファンにはたまらないエピソードに満ちているが、何しろ15世紀のこと。残された史料が限られており、それも伝承が中心のため、論証は困難な部分が多い。が、逆に、史料の隙き間を想像力で補っていくという別の楽しみがあるともいえる。この作品も、史実と想像とのバランスの上に大河ドラマが展開され、読み手は古琉球の世界へグイグイと引き込まれていく。

 あらすじはこうだ。首里城の国王、尚泰久(しょう・たいきゅう)は、琉球を統一した尚巴志以来の不安定な王権を安定させることを目指していた。当時、勝連は首里の支配下に入っているとはまだいえなかった。

 流れ者から身を起こし、持ち前の才覚で、ついには勝連城の主となった阿摩和利は地元民から大いに慕われていた。その阿摩和利ににらみを効かせるため、尚泰久は、首里と勝連の中間にある中城に護佐丸(ごさまる)を配した。護佐丸は、尚巴志に仕え、統一の戦闘で天下にその名をとどろかせた武将で、尚泰久の岳父でもあった。

 首里に対峙して天下をうかがう勝連の阿摩和利を懐柔するため、尚泰久は臣下の金丸の進言を受け入れ、「国の花」と言われた愛娘の百十踏揚を阿摩和利に嫁がせる。尚泰久は明からの使節による冊封を控えており、何としてもいくさを回避したかった。冊封は、中国皇帝が周辺諸国の君主と形式上の君臣関係を結ぶこと。

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 百十踏揚が阿摩和利に嫁いでからは、首里と勝連との緊張は解け、しばしの平和が訪れた。やがて護佐丸の娘の王妃が病死し、護佐丸の首里王家との縁がやや薄らぐ中で、金丸は、自分を排除しようとする護佐丸に危険を感じる。護佐丸をなきものにしようと企んだ金丸は、「護佐丸謀反」を尚泰久王を含む周囲に信じさせることに成功する。

 金丸は、護佐丸征討軍の総大将に、王婿である阿摩和利を据える。百十踏揚は、自分の祖父である護佐丸を夫の阿摩和利が討とうとするのを必死で止めようとしたが、護佐丸謀反を信じ込んだ阿摩和利は聞き入れない。

 しかし、護佐丸討伐の闘いの最中に、護佐丸の軍使から届けられた手紙には、驚くべき事実が記されていた。なんと、阿摩和利は護佐丸の落とし胤だったというのだ。阿摩和利は戦闘を中止しようとしたが、護佐丸は南から攻める首里軍にやられてしまう。

 阿摩和利は金丸の陰謀にようやく気づき、「父」の滅亡に自ら手を貸した罪にさいなまれる。その苦悩する姿を見た百十踏揚は、阿摩和利を許す。しかし金丸は、謀略に気づいたであろう阿摩和利をすかさず次の標的にして「謀反人」に仕立て上げる。挙兵直前に首里軍の武将鬼大城が百十踏揚を勝連城から強引に脱出させ、夫阿摩和利に添い遂げる決意だった彼女の心は再び切り裂かれる。

 首里城に戻らされた百十踏揚は、父の尚泰久に金丸の陰謀と護佐丸、阿摩和利の無実を必死で訴えるが、聞き入れられず、首里軍はついに阿摩和利を討つ―。

 こうして、身も心もボロボロにされた百十踏揚は、今度は、こともあろうに、最愛の夫阿摩和利討伐の総大将を務めた鬼大城に嫁がされる。時が過ぎ、尚泰久亡き後、後継の王の専横ぶりに危機感を覚えた金丸は、ついに王を廃し、自ら玉座に上る。その結果、前王統の血をひく百十踏揚は再び追われる立場に―。

 歴史の荒波に翻弄され続けた王女百十踏揚の真情を横糸、金丸を軸とする権力の思惑・陰謀とそれをめぐる男たちの動きを縦糸に、この歴史物語は展開していく。

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 「護佐丸は忠臣、阿摩和利は逆臣」というのが従来の琉球史の単純な解釈だった。しかし、護佐丸の家系が後の琉球王朝の高官を数多く輩出するなど、青史を編む立場だったのに対し、阿摩和利には子供がいなかったため、後代に阿摩和利が正当化される機会がなかった、と作者の与並さんは言う。

 護佐丸、阿摩和利親子説などの新解釈も交えながら、与並さんの筆は、状況の変化とともに移ろいゆく登場人物の心の機微と、思惑、思い込み、さらには、それら登場人物同士の生死をかけたギリギリのやりとりをたんねんに描く。

 与並さんがしばしば口にする「つじつまが合う」とは、史実と史実が符合するというだけの意味ではない。利害、思惑、愛憎まで含めて、登場人物の考えと行動が「必然」と思えるだけの物語が構築されて初めて「つじつま」が合い、読み手の胸に落ちるのだ。「琉球王女 百十踏揚」には、そうした物語としての説得力がある。

 「琉球王女 百十踏揚」はかつて地元紙「琉球新報」に連載されて大きな反響を呼んだ。それに加筆した単行本は、新星出版刊、3200円。沖縄県内は置いている書店が多い。本土でも書店で取り寄せできる。新星出版ではインターネット直販を近く始める予定。新星出版は、那覇市港町2-16-1、電話098-866-0741。

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2008年04月18日

[第51話 沖縄] 豊漁祈る平安座島のサングヮチャー

 数多くの伝統行事が行われる平安座島で、年間最大の行事サングヮチャーが行われた。島人は強い日差しの中で歌い、舞って、海の安全と豊漁を祈った。

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 旧暦3月3日から5日に行われるからサングヮチャー(「サングヮツの行事」の意)。潮干狩りをするハマウリ(浜降り)が沖縄各地では行われるが、平安座島では、この日に、集落を挙げて海の安全と豊漁を祈願する。

 初日は海難事故で亡くなった身内を慰霊する日。それぞれの家族ごとに浜に出て、海難の方角へ向かって慰霊する。

 中日にあたる旧3月4日、行事は最大の盛り上がりを見せる。ことしの新暦では4月9日。昼を過ぎた頃から、それまでの雨混じりの曇天が、ウソのようにみるみる晴れ、雲の合間から強い日差しが差し始めた。午後1時、平安座公民館の裏手にある東川上商店前の路上。数多くの観光客やマスコミ関係者などが見守る中で、まず下條義明自治会長がサングヮチャー3日間の概要を説明した。

 初めに三線片手の地方(じかた)の男たちと音取り(ニードゥイ)の女たちが「三月の歌」を歌って奉納。うちの1人がさらにモリを手に舞い、マクブとタマンを突き刺してトゥダヌイユした。トゥダはモリ、イユは魚(ウオ)だから、トゥダヌイユは直訳すれば「モリの魚」。

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 突く際に、太鼓や手拍子で、マクブとタマンが歌詞に織り込まれた漁の歌を歌う。黒く体を塗った男たちや、かぶりものをした男たちも入ってきて、慶びの踊りを次々に舞った。このマクブとタマンは翌日、解体して、神官であるノロに献上してから、おつゆにして、島人にふるまわれる。

 ひととおりの神事が終わると、魚をかたどった神輿をかついで、島の少し沖にあるナンザ岩に向けて行進。引き潮の際には、ナンザ岩まで歩いて渡れるのだ。おばあたちは男たちが岩に渡るのを見送り、男たちが岩で祈りを捧げる。ナンザ岩では、下條自治会長が、ニライの海にいるすべての魚が平安座に押し寄せてきてほしい、と神に豊漁を祈願した。

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 こうした行事が終わると、重箱などに詰めたポーポーを持ち寄って、祝宴が始まる。ポーポーは、小麦粉と黒砂糖を水で溶き、その生地を薄くのばして焼いたものをくるくると丸めたお菓子。サングヮチャーの日は、各家庭でポーポーをたくさん作る。

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 島人の話では、サングヮチャーのポーポーは、小麦を丸ごとひいた全粒粉で作るので、独特の舌ざわりになる。かつて、この時期は麦の収穫期にあたっていたため、サングヮチャーの食べ物としてポーポーが定着したという。

 ところで、こうした薄焼きをくるくる丸めたお菓子には、もう一つある。白い生地を焼いて、甘い味噌を中に入れて巻いたものがそれだ。正しくはこちらがポーポーではないかと言う人が多い。中国語で炮炮(パオパオ)がポーポーになったのだとすれば、中にあんが入っているのがポーポーで、何も入っていないのはチンビンが正解、というわけだ。

 ただ、面白いことに、この混乱は平安座島だけでなく、全沖縄に見られる。言葉としてポーポーの方が印象に残りやすいため、薄焼きを丸めたものは、中身のあるなしにかかわらず、みなポーポーということに徐々になってきたのかもしれない。

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2008年04月12日

[第50話 農] 島ニンニクの収穫、真っ盛り

 島ニンニクの収穫が最盛期を迎えている。昨年8月頃に植えた株が実るのがちょうど今ごろ。写真の上は、うるま市の字上江洲で安里シゲ子さんが栽培した島ニンニク。下の写真は、高速名護インターから降りて間もなくのところにある許田の「道の駅」で売られていた今帰仁産の島ニンニクだ。

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 島ニンニクは、よくあるニンニクよりも小さい。皮に赤紫の色がほんのりとついている。味も香りも鮮烈。生のスライスを食べるとその鮮烈さがよく分かるが、なるべく薄く切って試す方が無難。比較的若いうちに収穫されたものは、葉もまだ青々としている。その葉をニラのようにして食べると、いい香りがしておいしい。

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 ニンニクに限らないが、野菜類は、どれも品種改良が進んでいる。品種改良の目的はいろいろあるが、やはり主なねらいは、食べる部分を大きく、おいしくすること。だが、こと香りについては、改良種は弱くなる場合が多いような気がする。大きくなった分だけ、水で薄まったような結果になる、と言ったら言いすぎだろうか。沖縄の島ニンニクを含むアジアやアフリカの在来種のニンニクは、どれも小さくて香りが強い。

 香りが強いのは魅力だが、その一方、かなり小さいので、皮をむいて中を取り出すのは面倒くさい。だから、というわけではないだろうが、島ニンニクは丸ごと漬け物にすることがよくある。

 写真は伊江島の石新政子さんが漬けた黒糖漬け。商品名は「にんにくん」。これも許田の道の駅で売られている。

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 政子さんは、毎年、島ニンニクを3トン漬ける。塩で下漬けしてから、黒糖や酢を混ぜた液に3ヶ月ほど漬け込むと食べられるようになる。皮ごと漬けるが、漬けているうちに皮も水分を含んで柔らかくなるので、食べる時はそのまま食べられる。

 とはいえ、やはりニンニクなので、そうむやみとボリボリ食べるわけではない。風邪をひきかけたかな、というような時に食べるのが普通。ニンニク本体だけでなく、漬け汁を薬代わりに飲む人もいる。

 ただ、漬け込まれたニンニクは、生の時ほど強い臭いはなくなるし、味もマイルドになる。そのせいか、風邪をひいたわけでもないのに、「うまい、うまい」と、冷蔵庫を開けてはポリポリ食べてしまう向きが、どこの家にもいたりする。

 ニンニクはいためものに使われるだけではない。豚レバーと豚赤身肉に野菜を入れたシンジムン(煎じ汁)と呼ばれるおつゆに、ニンニクを入れることも多い。やはり風邪気味の時などに飲むおつゆで、ニンニクを入れれば強壮効果が高まること間違いなし。そういう場合は刻んで入れたりせず、一片ずつコロコロと入れて、そのまま食べてしまう。

 シンジムンを味噌仕立てにすると、これまた非常においしい。「豚+にんにく+味噌」は黄金の組み合わせ。風邪気味でないと食べられないと言うのなら喜んで風邪をひきましょう、と言い出す輩もいる激ウマ汁だ。

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2008年04月06日

[第49話 沖縄、南] ANA那覇ハブ(下) 沖縄に何が起きるか

 前回、説明したように、那覇空港が貨物ハブになれば、ANA全日空が東京や関西を含むアジア各地で集荷したすべての荷物は那覇に集まってきて、那覇空港で積み替えられ、那覇からアジア各地に出て行くことになる。

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 全日空がアジア各地とハブとの時間距離を「4時間」としたのは、前回説明した通りだが、それには理由がある。アジア各地から那覇行きの貨物便が出るのは、その日の集荷が終わった夜9時頃。4時間圏なら午前1時頃には那覇に着く。そこで2時間で積み替え作業をすれば、午前3時に那覇を出発でき、4時間飛んで午前7時には目的地に到着する。つまり4時間圏内ならば、前日に集荷したものが、人々が寝ている間に那覇経由で運ばれて、翌朝には目的地に着くから「差し出し日の翌日配達」が可能になる。それより遠いと、こうしたスピード輸送は難しい。

 この仕組みで最も有利な立場を享受できるのが沖縄になることは言うまでもない。沖縄以外のアジア各地発着の荷は、「沖縄まで」と「沖縄から」の2区間を動かす必要があるが、沖縄だけは発も着も1区間で済むからだ。料金体系は未定だが、1区間分なら安くなる可能性は十分あるし、少なくとも運ぶのにかかる時間は、沖縄だけが半分になる。アジア各地に商品を販売する場合はもちろんのこと、原材料などの買い付けをアジア各地からする場合も、沖縄にいれば、どの地域との間でもいち早く荷をやり取りすることが可能だ。

 例えば、沖縄のメーカーが現在は東京市場にしか出していなくても、このハブができたら香港市場や上海市場も、少なくとも物流の観点からは同じ位置づけのターゲットになりうる。あるいは、同じメリットを享受しようと、現在、羽田から荷を出している関東の業者が、那覇に製造拠点を移したり、新設することも十分考えられる。

 こんなケースもあるかもしれない。現在は日本国内3カ所の工場で同じ品を製造し、それぞれ近くの空港からアジアの3地域に輸出しているとする。単線方式の輸送システムしかなければそれでいいかもしれないが、那覇貨物ハブが使えるようになったら、製造拠点を沖縄1カ所に統合してコストを削減すれば競争力が高まる。写真は、各種優遇制度が用意されている沖縄特別自由貿易地域(うるま市州崎)。

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「ワンストップショッピング、ということですね」。全日空でこの事業を担当する貨物本部の清水良浩さんは、那覇1カ所からアジアの数多くの地域に荷を出せるメリットをそう表現する。ワンストップショッピングとは、多種類の欲しいものが1カ所で買えること。相手が広州だろうが、ソウルだろうが、大阪だろうが、沖縄1カ所でアジアのどこととも取り引きできるというわけだ。

 となれば、アジア各地への航空貨物輸出を前提とする企業は、沖縄に拠点を置くことを真剣に検討する必要があるのではないか。

 日本国内各地とのネットワークについては、全日空の場合、貨物専用便以外に、那覇発着の旅客便を併用できるのが強み。4月現在で東京、大阪が毎日片道9便ずつあるのをはじめとして、13の本土各都市との間に旅客の直行便を飛ばしている。写真は那覇空港でポケモンジェットに積み込まれる荷物。

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 航空貨物輸送向けの商品だから、重厚長大よりも、小さくて付加価値の高いものが向く。例えば、機械類ならその全体ではなく、中核部品だけといったように。それだけで勝負するとなれば、おのずとより高度な技術やずば抜けた品質が求められることになるが、逆にそういう世界なら、一点突破のベンチャーが沖縄に進出できる可能性もありそうだ。

 いま、航空貨物で実際にどんな品物が運ばれているのだろうか。交通関連が専門の米国コンサルティング会社マージグローバルの資料によると、2005年にアジア発アジア行きで運ばれた380万トンの航空貨物の内訳は、コンピューター関連18%、資本財17%、中間材料16%、冷蔵食品10%、一般消費材6%、衣料品4%などとなっている。

 清水さんは「うちは航空貨物輸送のインフラをご提供するわけです。そこに何を載せるかは荷主さん次第。可能性はまさに無限にあると思います」と話す。

 そう、今はもっぱら全日空の動きに注目が集まっているが、那覇貨物ハブが始まってからは、むしろ荷主としてこのインフラを利用することを視野に入れた各企業の企画力や営業力こそが問われる。それは、まずは地元沖縄の企業だろうし、沖縄進出の可能性を検討する日本本土やアジアの企業でもあるだろう。

 ANA那覇空港貨物ハブの開始予定は2009年度下半期。今回の記事を読まれた方の中にも、この1年半、忙しくなる人が出てくるのではないだろうか。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 沖縄 |