2008年05月

2008年05月30日

[第58話 食] 上原慶子さんのムジどっさり汁

 ターンム(田芋)は 沖縄の伝統行事には欠かせない食材で、旧盆や清明といった行事が近くなると、今でもスーパーの棚にちゃんと並ぶ。ターンムそのものは別の機会に取り上げるとして、今回はターンムの茎「ムジ」のお話。

 まずはこの写真をご覧あれ。これほどムジがどっさり入ったムジ汁も珍しい。ムジ好きにはこたえられない一品。ムジ料理を専門にしている「万富(まんぷ)」の看板料理だ。

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 沖縄ではかつて、ムジはもっと身近な食材だった。ターンムと豚肉、カマボコなどを練り合わせたドゥルワカシーには必ずムジが入るし、みそ仕立てのムジ汁も祝い事などで定番の一つだったという。だが、なぜか最近はあまり流通していない。

 「なぜか」と書いたのは、地下にできるターンムはスーパーでいくらでも手に入るのに、地上部の茎だけが食べられなくなったのは不思議だから。ターンムはゆでられた状態で売られているので、そこからディンガクを作るなり、油でカリッと揚げるなりするのは簡単。一方、ムジは皮をむいて、アクも抜いて、と下処理に手間がかかる。これがイモは生き残り、ムジだけが消えかかっている理由の一つかもしれない。 

 万富を経営する上原慶子さんも、メニューの主役であるムジの確保に苦労している。ターンムを栽培する場所は田んぼ。田んぼのある宜野湾市や金武町など、限られた場所でしか作られていないため、十分な量を安定して確保することがなかなか難しい。このため、ムジ汁よりも多くのムジを使う「ムジいため」はメニューからはずさざるをえなかったという。

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 そんなに入手しにくいのに、こんなにたくさんのムジをムジ汁に入れて大丈夫かな、と心配になってしまう。「みなさん、ムジが食べたくてウチに来るんですから、ムジ汁のムジだけはたっぷり入れているんです」と慶子さん。大らかでケチケチしない沖縄アンマーの面目躍如。材料供給をさらに安定させるため、水田でなく、畑でもターンムが栽培できるという話を聞いた慶子さんは、ふるさとの今帰仁で親戚に頼んで栽培実験を始めた、と語る。

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 ムジ汁のだしは豚骨と鶏ガラ、かつおぶしで。慶子さんの話では、ムジからはうま味はあまり出ないので、だしはしっかりとっておかないとムジ汁がおいしくならない。これに、皮をむき、アクぬきをしたムジと豆腐を加え、味噌を溶く。味噌についても、試行錯誤しながら、合わせ味噌の気に入った配合を決めていった。
 
 「体によいものを作りたいんです」という慶子さんは、ムジ以外にも細かな気配りをみせる。例えば、600円のムジ汁定食には、大ぶりの椀に入ったムジ汁にごはんと小さな野菜いためがついているが、この野菜いためを作る際には、サラダ油ではなく、高価なココナツ油を使っている。ココナツ油は酸化しにくく、胃にももたれない。「肌にすり込んでも、すーっと染み込んでいくんですよ」と慶子さん。

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 万富は、ローカル市場の香りあふれる那覇市安里の栄町市場の中にある。周囲の駐車場に車を停めて、どの入り口からでもいいから栄町市場の中に入り、「ムジ汁の店はどこですか」と聞けば、だれでも場所を教えてくれる。

 万富は那覇市安里379、電話887-4658。営業時間は11:00-19:00。日曜休み。

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2008年05月24日

[第57話 沖縄] 新県立博物館で沖縄をたどる

 那覇市の新都心に新しい県立博物館がオープンして5ヶ月近くが過ぎ、利用者が20万人を超えた。観光客だけでなく、地元の高校生なども沖縄学習の場として盛んに利用している。オーソドックスな沖縄の自然、歴史、文化、生活を学ぶにはおそらく最適の場。テーマを絞っても、じっくり見ていくと、2、3時間はあっという間にすぎてしまう。

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 博物館は中央部分に時系列で主要な展示物が置かれ、そこを回ることで、ひととおりの歴史や文化の流れが分かるようになっている。その中央部分を取り囲むように、自然史、考古、歴史、美術工芸、民俗といった部門別の展示室があって、さらに深くテーマを追いかけられる。展示のさわりを紹介しよう。写真は、いずれも、博物館の許可を得て万鐘が撮影した。

 まず、万国津梁の鐘。1458年に琉球国王尚泰久が鋳造し、首里城正殿にかけられた梵鐘で、その銘文に「舟楫を以て万国の津梁となし」(船を操って世界のかけはしになり)の言葉が刻まれていることで知られる。中継貿易で栄えた沖縄に国際色豊かな産物がたくさんあったことがうたわれており、貿易立国だった琉球王国の繁栄の象徴と言われる。首里城に置かれているものはレプリカで、こちらが本物。

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 円覚寺白象。1521年作で、沖縄で現存する最古の仏教木像。材料がチャーギ(イヌマキ)であることから、沖縄で制作されたとみられている。円覚寺は首里城の隣りにあった王家の菩提寺。戦争で焼失し、そこにあった仏教彫刻類の多くも破損が激しかった。近年、これを修復して新博物館開館とともに展示にこぎつけた。ただし、もともと騎乗していた仏像は失われている。

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 文書類もいろいろある。写真は琉球王国初の正史である中山世鑑。羽地朝秀が1650年に編纂した全6巻。薩摩藩支配下だったことが影響したのか、琉球最初の王舜天が源為朝の子だったなどという記述もある。

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 このほかにも、旧石器時代の港川人の人骨、さまざまな化石類、植物標本、土器、紅型などの衣装、中国や朝鮮から送られてきた公文書、肖像画、数多くの民具・農具など、もりだくさんの展示物が置かれている。

 この博物館には特徴が一つある。「沖縄は戦争で数多くの文化財が焼失したため、展示できるものが必ずしも豊富ではありません。こうしたハンデをカバーするためにも展示にはいろいろな工夫が求められます」と話すのは学芸員の上原久さん。

 例えば、史料や調査を頼りに、失われたものを復元する展示方法もその一つだ。写真は高位の神女だった伊平屋の阿母加那志の正装。こうした衣装の一部は保存されていたが、退色が激しかったため、調査によって復元し、往時の赤い色を蘇らせた。

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 模型による展示も工夫の一つといえるだろう。戦前、走っていた軽便鉄道は鉄道模型と当時の映像で展示が構成されている。写真は八重山上布の製作工程の模型。一見おもちゃのようだが、よく見ると、原料の苧布(ちょま)の栽培から始まって、その繊維を取り出す作業、糸につむぐ作業、機を織る作業など、一連の工程がリアルに再現されている。

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 展示のほかに、情報センターには書籍が豊富にそろっており、展示で見たものをさらに深く調べるのに便利。ふれあい体験室は、例えば、重箱に伝統料理を詰める模擬体験ができるなど、県外から来た子供でも楽しみながら学べるようになっている。

 沖縄県立博物館は那覇市おもろまち3-1-1、電話098-941-8200。月曜休館。入館時間は日、火、水、木が09:00-17:30、金、土が09:00-19:30。観覧料は常設展が一般400円、高校・大学250円、小中学生150円。

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2008年05月18日

[第56話 食] 古酒づくりのための51度原酒泡盛

 泡盛は、イモや麦などを混ぜず、米こうじ100%で仕込む。だから、寝かせれば寝かせるほど熟成していく。これが古酒。その古酒を仕込むために作られたのが神村酒造の「守禮 原酒51度」だ。

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 普通の泡盛は、モロミを蒸留して得られた原酒に水を加えてアルコール度数を調整する。現在、沖縄で生産されている泡盛は30度や25度がほとんど。その結果、多くの古酒もこうした泡盛で仕込まれることになる。

 30度や25度の泡盛が作られる背景には、飲みやすさに対する配慮があるが、酒税法も影を落としている。酒税法が定める泡盛の定義はアルコール度数が45度まで。それ以上の度数の泡盛は「泡盛」と表示できないことになっている。

 「でも、昔は、酒税法はもちろんなかったですし、アルコール度数を測る機器もなかったわけです。ということは、琉球王朝時代の古酒は、蒸留された原酒をそのまま仕込んでいたのではないか、と考えたわけです」と話すのは、常務の神村盛行さん。明確な記録はないが、あえて水で薄める理由は見当たらない、というわけだ。

 発端は、泡盛を百年寝かせて古酒をを作ろうという話だった。百年古酒を仕込むにあたって、それにふさわしい良質の原料泡盛とは何かを考える中から、原酒を薄めずにそのまま仕込むというアイデアが出てきたのである。写真は、神村酒造の構内にさりげなく置かれている往年の酒仕込み用のカメ。

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 神村さんによると、蒸留工程の前半ではアルコール分の高い原酒がとれ、後半では油分を多く含んだ原酒がとれる。熟成の過程では、後半の油分が大きな働きをする。熟成を経て、これらがバニリンなどの香気成分に変わっていくからだ。

 こうして、モロミを蒸留する全工程から得られた原酒100%の泡盛「守禮 原酒51度」が、昨年初めて誕生した。

 「100年後においしくなる酒」だから、違いが明らかになるのは孫の代。ずいぶん気の長い話だが、100年かけて泡盛を育てるという発想は、スケールの大きなロマンを感じさせる。

 これに応えるロマンチストがたくさんいたということだろうか。昨年「守禮 原酒51度」を発売したところ、3000本限定で出したものが3ヶ月で売り切れたという。時間をかけて泡盛を育てていくという沖縄の酒文化は健在だ。好評に応えて、ことしも2月から、泡盛原酒の発売を始めた。

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 「守禮 原酒51度」は1升入りで税込み6300円。100年後に思いをはせつつ、自分でも試しに飲んでみたいという人には、360ml入りの小びんがある。これは神村酒造内にあるショップのみの限定販売。ただし、寝かせていない原酒は口にふくんだ時にやや固い感じを受けた。

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 那覇で明治15年に創業した神村酒造は、いま、うるま市石川の緑豊かな敷地にある。工場見学もできるので、泡盛に関心のある向きにはピッタリの訪問先だろう。

 神村酒造はうるま市石川嘉手苅570、電話098-964-7628。

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2008年05月12日

[第55話 沖縄] 赤瓦の景観が美しい分譲住宅

 赤瓦に真っ白いしっくい。沖縄の伝統家屋は、南国の青い空によく映える。かつてはそんな家並みが作り出す景観がさぞ美しかったに違いない。最近の建物は同系色の素材を使うこともなく、統一感のある景観は見られない。と思っていたら、景観づくりを意識した先駆例があった。

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 豊見城市渡橋名にある「エコシティとはしな」。沖縄県住宅供給公社が、戸建て分譲住宅として整備・販売したいくつかの地域の一つだ。

 エコシティとはしなの住宅総数は140戸。これだけの数がまとまって意匠をそろえると、それなりの統一景観になる。統一されている意匠は外壁の白と屋根の赤瓦。住宅のデザインは17種類あり、多様でバラバラの印象だが、かえってそれが町並みのリアリティを醸し出しているといえそうだ。
 
 むろん、エコシティとはしなは、住民の総意で景観づくりをしたケースではなく、公社のイニシアチブによる分譲で、言ってみれば「上からの景観づくり」。が、とにもかくにも、統一景観を実際に作り出しているので、百聞は一見にしかずの宣伝効果は確実にあるだろう。

 各戸の屋根に置かれているのは「重ね瓦」と呼ばれる平らな瓦が多い。伝統的な丸みのある本瓦が、雄雌を交互に組み合わせて排水機能を持たせているのとは違って、重ね瓦はただ貼付けてあるだけで、特に機能性はない。デザインのための瓦、といってよい。重ね瓦の場合、しっくいは使わない。

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 住宅供給公社はエコシティとはしなを分譲する際に、建築協定を購買者と結び、事実上の規制の網をかけている。購買者は先々、改装などをするにしても、この協定を守らなければならない。例えば、家は2階建まで。後退距離と呼ばれる家の壁から隣りの敷地との境界までの距離は1.5m以上。これらが地域全体のゆったり感や景観を演出する。屋根と外壁の色については「地域全体の調和を図るよう努めるものとする」という一項が協定にある。

 エコシティの名の通り、景観づくりだけでなく、植栽を工夫したり、透水性の高い敷石を採用するなど、環境との共生をキーコンセプトにしている。車とどう共存するかも考えられていて、ハンプと呼ばれる地面の盛り上がりをところどころに設けて事実上の速度制限をかけ、子供やお年寄りが安心して歩ける空間を作っている。

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 エコシティとはしなと似た環境共生型の分譲住宅があるのは、南風原町宮平、西原町池田、北谷町美浜の3カ所。これらは平成元年から徐々に建てられてきた。既に、戸建て住宅の提供事業から住宅供給公社が手を引いたため、公社による同じような分譲住宅はこれ以上増えることはない。これからの沖縄の景観づくりは、民間デベロッパーの動きと、既存の集落での地元民による景観統一の努力に焦点が移る。

 とはいえ、地域全体に規制をかけることができるのは行政と、それを支える住民意識だけ。今後、徐々に返還が進んでいく米軍用地の再開発を計画する際にも、こうした規制の仕方がますます重要になってくるだろう。規制効果がほとんど見られず、目を覆いたくなるような乱開発が繰り広げられている那覇新都心の轍を踏まないためにも。

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2008年05月06日

[第54話 農、食] 庶民の味 カンダバーのみそ汁

 少し前の沖縄の庶民にとって最も身近な地野菜の料理と言えば、なんといってもカンダバーのみそ汁だろう。強風や酷暑といった厳しい環境でも育つカンダバーは、沖縄の食事のレギュラーメンバーとして、人々の健康を支えてきた。

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 カンダバーは、和語ではかずらの葉。サツマイモの葉、と言えば分かりやすいかもしれない。が、土の中に大きなイモが実る品種の葉は、えぐみが強かったり、固かったりして、あまりおいしくない。イモの中でも葉を食べるための品種というのがあって、カンダバーとしてはそれが栽培されている。この品種は地中のイモが大きくならない。

 品種は違っても、栽培方法はイモと同じ。苗は葉のついた茎1本で、これを畑に差し込めば、そこから根が出てきて株になる。繁殖力が強いので、少々の雑草は抑えてしまう。地面を這うので、台風時の強風にも強い。仮に葉がかなりやられても、また伸びてくる。こうした強靭さとおいしさで、カンダバーは毎日のように庶民の食卓に上ることになった。写真は豊見城市字高安にある座安博さんのカンダバー畑。

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 ただし、カンダバーは「地野菜の王者」というような勇ましいイメージではない。貧しい時代は、葉野菜と言えばカンダバーしかないこともあった、と年輩者は言う。でも、そのおじいやおばあたちは、毎日のようにカンダバーを食べて長寿を実現したのだから、カンダバーはやはりよほど体にいいのだろう。

 カンダバーに限った話ではないが、安仁屋洋子琉球大医学部教授の研究によると、紫外線の強い環境で生育した植物は、紫外線の弱い環境で育った植物よりも抗酸化力が強くなるという。抗酸化力の強い地野菜を毎日のように食べ続けてきたことが、沖縄の長寿を生み出した一因ではないか、とも考えられるわけだ。

 しかし、カンダバーは現在、残念ながら「忘れられた野菜」に近い。生鮮食品物流網の発達で本土産の温帯野菜が大量に流入している中で、カンダバーの流通量は微々たるもの。カンダバーは地元農協も取り扱わないので、生産農家は相対取り引きの農連市場に持ち込むか、顧客に直接販売することになる。

 その結果、沖縄県民でも、特に若い人の中にはカンダバーを知らない人が多い。今から数年前、県内のある大学でカンダバーを知っているかどうか尋ねたところ、知っていたのは2割に満たなかった、というエピソードも。

 紫外線を浴びないで育った本土の野菜ばかり食べるようになったから沖縄の長寿が揺らいだ、とまでは言えないかもしれない。が、人間が浴びる紫外線はむしろ増えているのだから、健康・長寿を願うならば、抗酸化力が強いカンダバーなど地野菜の復権はやはり必須なのではないだろうか。

 冒頭で書いたように、カンダバーの一番手近な食べ方はみそ汁の実にすること。カンダバーは葉だけを使う。だしをしっかりとってカンダバーを入れ、すぐに味噌を入れてひと煮立ちさせたら出来上がり。

 加熱されたカンダバーは柔らかくなって、少しとろみが出てくる。この点はモロヘイヤに似ている。おじやであるボロボロジューシーに入れてもおいしい。みそ仕立てのカンダバージューシーは健康食として見直されつつある。

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 イモの葉は、世界では最もポピュラーな野菜の一つ。タマネギやトマトと煮込んだり、油いためにするなどして、アジアやアフリカでもよく食べられている。「穀物・イモ+葉野菜+しばしば豆+ときどき動物タンパク」が世界中どこに行っても見られる食事の基本形だが、この「葉野菜」の中にイモの葉が一役買っていることが多い。

 サツマイモの類はイモゾウムシやアリモドキゾウムシといった害虫がつくため、日本政府は、植物防疫の観点から、生の葉やイモの沖縄から本土への持ち込みを禁じている。これらの害虫が根絶されるまでは、沖縄産カンダバーを味わうのは沖縄で、ということになりそうだ。

 ただ、観光で沖縄に来た人が、飲食店でカンダバーを食べるのは難しいかもしれない。カンダバーは、店でお金をとって出すような野菜の対極にある「ふだん着野菜」。そのせいか、カンダバーを食材として使っている食堂やレストランは少ない。

 しかし、生のカンダバーなら、スーパーに置かれていることも多いし、JAのファーマーズマーケットや各地の農産物直売所、農連市場などで出回っているので、そこで買える。自炊できる宿ならそこで自炊するか、沖縄の知人に頼んで調理してもらうのがいいだろう。

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