2008年06月
2008年06月29日
[第63話 食] 沖縄素材を珠玉の和小鉢に
沖縄には、沖縄料理以外に、フレンチ、イタリアンはもちろん、中華、インド、タイ、フィリピン、南米各国と、さまざまな料理を出す店がひしめいている。そんな中で和食の店も負けてはいない。今回は沖縄素材を珠玉の小鉢に仕立てる那覇市の割烹あらやをご紹介。
あらやの料理長は屋良敦(やら・あつし)さん。当万鐘本店第37話で魚のマース煮の作り方の手ほどきをしていただいた和の職人だ。屋良さんの手にかかると、沖縄のさまざまな素材が美しい和の一品になる。いちょうの大きなまな板で屋良さんが手際よく小鉢を作っていく姿をカウンターごしに眺めるのも楽しい。
まず、ハンダマの梅酢あえ。沖縄の家庭菜園でよく見かけるハンダマ。表が緑、裏が紫の葉で、紫の色素はアントシアニンが豊富だ。和名はスイゼンジナまたはキンジソウ。これをだしで軽く煮びたしにしたものに梅酢を加え、ミョウガとかつおぶしをのせた。
ハンダマのシャキシャキした歯ごたえを楽しみながら、梅酢で引き出された赤紫色の美しさを目でも味わう一品。味と香りのアクセント役を務めるミョウガは沖縄県産。ミョウガが沖縄県内で生産され始めたのは比較的最近だが、既にすっかり定着した。
鶏肝とセロリのからし味噌あえ。セロリも沖縄県内の各地で作られている。文字通り濃厚な味わいの鶏肝と、強い香りのセロリ。特に沖縄の強い日差しの下で育ったセロリは一段と鮮烈な香りがする。
この強い2つをつないでまとめきれるのは、圧倒的な強さを持つ味噌くらいのものかもしれない。そこにからしが加わることで、肝や味噌のもたつきがちな味がキュッと引き締められる。
一転してさわやか系のジャガイモのそうめん。かつらむきにしたジャガイモを細切りにして軽くゆがき、だしで食す。トッピングのミニトマトは色どりだけでなく、酸味とうまみがだしの味に奥行きを与える。この夜のジャガイモは沖縄県産だった。宜野座村をはじめ、ジャガイモを生産している地域は沖縄県内にもかなりある。
最後に常連客に人気のカニしんじょ。カニの身を白身の魚のすり身に混ぜてしんじょを作り、湯葉でつつんだ。カニはガサミなどワタリガニの仲間が多く、こうした県産カニが手に入る時はそれで作る。アクセントはもみじおろし。
「素材をながめていると、アイデアがいろいろ浮かんできます」と屋良さん。あえたり、ゆがいたり、しんじょのように手をかけて準備したり、と手順はさまざまだが、どれも素材の味と香りを生かすという和のセンスにあふれている。
小鉢ばかりでなく、刺身、焼き物、煮物、天ぷらといった和食の定番の仕上がり具合も見事。お任せで小鉢を3、4つ楽しんでから、おなかの具合と相談しながら、魚を焼いてもらうもよし、野菜の炊き合わせを味わうもよし。
料理が盛られる皿や鉢、酒器が面白い。沖縄県内で焼かれている陶器を中心に、作家もので固めている。沖縄伝統の壺屋焼ではなく、ニューウェーブの県内作家の作品が多い。もちろん、和の空間にしっくりはまるものばかり。焼き物好きにとっては、器だけでも十分楽しめるだろう。
あらやは那覇市松山1-6-17、電話098-860-9004。営業は18:00―24:00。日曜休み。飲んで食べて1人5000ー6000円くらい。
あらやの料理長は屋良敦(やら・あつし)さん。当万鐘本店第37話で魚のマース煮の作り方の手ほどきをしていただいた和の職人だ。屋良さんの手にかかると、沖縄のさまざまな素材が美しい和の一品になる。いちょうの大きなまな板で屋良さんが手際よく小鉢を作っていく姿をカウンターごしに眺めるのも楽しい。
まず、ハンダマの梅酢あえ。沖縄の家庭菜園でよく見かけるハンダマ。表が緑、裏が紫の葉で、紫の色素はアントシアニンが豊富だ。和名はスイゼンジナまたはキンジソウ。これをだしで軽く煮びたしにしたものに梅酢を加え、ミョウガとかつおぶしをのせた。
ハンダマのシャキシャキした歯ごたえを楽しみながら、梅酢で引き出された赤紫色の美しさを目でも味わう一品。味と香りのアクセント役を務めるミョウガは沖縄県産。ミョウガが沖縄県内で生産され始めたのは比較的最近だが、既にすっかり定着した。
鶏肝とセロリのからし味噌あえ。セロリも沖縄県内の各地で作られている。文字通り濃厚な味わいの鶏肝と、強い香りのセロリ。特に沖縄の強い日差しの下で育ったセロリは一段と鮮烈な香りがする。
この強い2つをつないでまとめきれるのは、圧倒的な強さを持つ味噌くらいのものかもしれない。そこにからしが加わることで、肝や味噌のもたつきがちな味がキュッと引き締められる。
一転してさわやか系のジャガイモのそうめん。かつらむきにしたジャガイモを細切りにして軽くゆがき、だしで食す。トッピングのミニトマトは色どりだけでなく、酸味とうまみがだしの味に奥行きを与える。この夜のジャガイモは沖縄県産だった。宜野座村をはじめ、ジャガイモを生産している地域は沖縄県内にもかなりある。
最後に常連客に人気のカニしんじょ。カニの身を白身の魚のすり身に混ぜてしんじょを作り、湯葉でつつんだ。カニはガサミなどワタリガニの仲間が多く、こうした県産カニが手に入る時はそれで作る。アクセントはもみじおろし。
「素材をながめていると、アイデアがいろいろ浮かんできます」と屋良さん。あえたり、ゆがいたり、しんじょのように手をかけて準備したり、と手順はさまざまだが、どれも素材の味と香りを生かすという和のセンスにあふれている。
小鉢ばかりでなく、刺身、焼き物、煮物、天ぷらといった和食の定番の仕上がり具合も見事。お任せで小鉢を3、4つ楽しんでから、おなかの具合と相談しながら、魚を焼いてもらうもよし、野菜の炊き合わせを味わうもよし。
料理が盛られる皿や鉢、酒器が面白い。沖縄県内で焼かれている陶器を中心に、作家もので固めている。沖縄伝統の壺屋焼ではなく、ニューウェーブの県内作家の作品が多い。もちろん、和の空間にしっくりはまるものばかり。焼き物好きにとっては、器だけでも十分楽しめるだろう。
あらやは那覇市松山1-6-17、電話098-860-9004。営業は18:00―24:00。日曜休み。飲んで食べて1人5000ー6000円くらい。
2008年06月23日
[第62話 食] 冷凍でない本マグロを楽しむ
梅雨明けした沖縄は、今、生本マグロ(クロマグロ)の季節。マグロ好きは毎年、この時季を心待ちにしている。沖縄のマグロ漁は沖合100―150km付近の近海で行われるので、冷凍されない生の本マグロが味わえるからだ。写真は200kgクラスの頭。沖縄市泡瀬の沖縄市漁協に隣接する鮮魚店パヤオで見かけた。
沖縄近海で本マグロ漁をしているのは、那覇地区漁協や沖縄県近海マグロ漁協に所属する20隻ほどの小型船が中心。4月下旬頃から揚がり始めるが、はしりのものはセリ値がキロ1万円といった猛烈な値段がつくので、地元にはほとんど出回らない。これらは東京・築地に直送され、高級料亭などに流れるようだ。
5月半ば頃から水揚げが増え、値が落ち着くと、地元に出回るようになる。それから7月の初旬くらいまでが沖縄の生本マグロのシーズンだ。
案外知られていないが、沖縄で水揚げされる魚種は実はマグロ類がトップ。全水揚げ量の約半分を占める。ただしこれは本マグロだけでなく、キハダやビンチョウなど、すべてを含む。既に述べたように、本マグロが揚がる時期は初夏の2カ月強だけだ。
本マグロの多くが那覇の泊漁港に上がるので、漁港内に設けられた沖縄鮮魚卸流通協同組合の共同販売施設「泊いゆまち」に行けば、トロでも赤身でも、お好みのものが好きなだけ買える。いゆまちの「いゆ」は「うお」のこと。写真はその泊いゆまちの中でも、本マグロをたくさんそろえている有限会社カネヤマ水産のまぐろや本舗。
下の写真は業務用のブロックで、棚の一番上のものは1尾300kgの大物から切り分けた20kg前後の固まり。客のニーズによって、これを1kg単位で切ってくれる。店長の當山清史さんは板前出身。使う側として培ったプロの目でマグロの質を鋭く見分ける。「ことしは残念ながら、量も質も今ひとつなんです」と當山さん。とはいえ、一般のマグロファンにしてみれば、ことしも生本マグロの魅力は十分に楽しめる。
マグロの魅力は2つ。一つは、いわずと知れたトロの脂のうまさ。もう一つはジューシーな赤身の香りの高さだ。これぞマグロの味、と言えるのは、むしろ赤身の味と香りではないだろうか。
そんな「ピンの赤身」はありませんかと當山さんに聞いたら「すごいのが時々入ります。ただ、そういうのはだいたい高級なお寿司屋さんに行ってしまうんです」との答が。やはり本当にうまいものを手に入れるのは簡単ではないらしい。
泊いゆまちの各店は、200―300gの食べやすい大きさのサクに切って売っている。現在の価格で、赤身が1000円前後、中トロで1500円前後といったところ。ピンの赤身には遠いが、中落ちはマグロらしい味がする。見栄えはあまりしないが、400gほど入って1000円とお買い得(下の写真)。
泊いゆまちは那覇市港町1-1-18、泊漁港内。098-868-1096。朝6時から夕方6時まで。いゆまちは旧盆と正月以外は無休だが、入居している各店舗はそれぞれ個別に休みを設けている。
沖縄近海で本マグロ漁をしているのは、那覇地区漁協や沖縄県近海マグロ漁協に所属する20隻ほどの小型船が中心。4月下旬頃から揚がり始めるが、はしりのものはセリ値がキロ1万円といった猛烈な値段がつくので、地元にはほとんど出回らない。これらは東京・築地に直送され、高級料亭などに流れるようだ。
5月半ば頃から水揚げが増え、値が落ち着くと、地元に出回るようになる。それから7月の初旬くらいまでが沖縄の生本マグロのシーズンだ。
案外知られていないが、沖縄で水揚げされる魚種は実はマグロ類がトップ。全水揚げ量の約半分を占める。ただしこれは本マグロだけでなく、キハダやビンチョウなど、すべてを含む。既に述べたように、本マグロが揚がる時期は初夏の2カ月強だけだ。
本マグロの多くが那覇の泊漁港に上がるので、漁港内に設けられた沖縄鮮魚卸流通協同組合の共同販売施設「泊いゆまち」に行けば、トロでも赤身でも、お好みのものが好きなだけ買える。いゆまちの「いゆ」は「うお」のこと。写真はその泊いゆまちの中でも、本マグロをたくさんそろえている有限会社カネヤマ水産のまぐろや本舗。
下の写真は業務用のブロックで、棚の一番上のものは1尾300kgの大物から切り分けた20kg前後の固まり。客のニーズによって、これを1kg単位で切ってくれる。店長の當山清史さんは板前出身。使う側として培ったプロの目でマグロの質を鋭く見分ける。「ことしは残念ながら、量も質も今ひとつなんです」と當山さん。とはいえ、一般のマグロファンにしてみれば、ことしも生本マグロの魅力は十分に楽しめる。
マグロの魅力は2つ。一つは、いわずと知れたトロの脂のうまさ。もう一つはジューシーな赤身の香りの高さだ。これぞマグロの味、と言えるのは、むしろ赤身の味と香りではないだろうか。
そんな「ピンの赤身」はありませんかと當山さんに聞いたら「すごいのが時々入ります。ただ、そういうのはだいたい高級なお寿司屋さんに行ってしまうんです」との答が。やはり本当にうまいものを手に入れるのは簡単ではないらしい。
泊いゆまちの各店は、200―300gの食べやすい大きさのサクに切って売っている。現在の価格で、赤身が1000円前後、中トロで1500円前後といったところ。ピンの赤身には遠いが、中落ちはマグロらしい味がする。見栄えはあまりしないが、400gほど入って1000円とお買い得(下の写真)。
泊いゆまちは那覇市港町1-1-18、泊漁港内。098-868-1096。朝6時から夕方6時まで。いゆまちは旧盆と正月以外は無休だが、入居している各店舗はそれぞれ個別に休みを設けている。
2008年06月17日
[第61話 沖縄] 集会所を私財で建てた上江洲安盛さん
地域の集会施設といえば、行政にお願いして補助事業などで建設するケースが多いが、私財を投じてこれを作ってしまった人がいる。うるま市の上江洲安盛さん。生まれ故郷の同市字塩屋の自分の土地に、地域の人々が集えるようにと、平屋建ての「なかゆくい」を建設した。
なかゆくいとは「ひと休み」の意。地域のこどもたちが気軽に立ち寄って本を読んだり遊んだり、大人たちが集会などの活動場所として使ってもらえる施設を、生まれ育ったふるさとに建てたいと上江洲さんはかねてから考えていた。
「人が集まるということが、何かを始める第一歩になると思うんです」と上江洲さん。小さなプロパンガス会社を経営しながら、長期にわたって少しずつ資金を貯めていき、すべて自力で建てた。
マイクロソフトのビル・ゲイツが自らの財団を作って活動しているように、公共のために私財を投じる例は欧米にはたくさんあるようだ。日本では大企業がしばしば社会貢献活動をしていることがあるが、市井の一個人が私財を投じて公共施設を建設するというケースは、まだ珍しい部類に入るのではないだろうか。
上江洲さんと話していると、生まれ育った集落の活性化の役に立ちたいという思いがひしひしと伝わってくる。上江洲さんは多くを語らないが、みんなで行政に陳情として、というお決まりのステップを踏むのではなく、私財を投じることで、いろいろな制約を受けずに自由で効率的にやれる道を選んだということかもしれない。民間企業経営の発想、ともいえそうだ。
なかゆくい備えつけの図書も、上江洲さんが自分でこつこつ集めた。プロパンガス会社の事務を兼ねたスタッフが午後2時から常駐しているので、だれでも入ることができる。近くの子供たちが宿題をしたり、お年寄りが集まっておしゃべりをしたりしている。
もっとたくさんの人に利用してほしい、と考えた上江洲さんは、まず民謡教室を定例化した。毎週月曜日の夜、沖縄民謡の愛好家が三線を抱えて集まってくる。次に始めたのは英語教室。これは毎週木曜日の夜に、米軍基地の通訳を講師に招いて実施している。
なかゆくいの正面には「共存共栄」の額がかかっている。「それが僕の生き方そのものなんです」。人と人とのかかわりがどんどん薄らいでいく時代だからこそ「ともに繁栄しようじゃないか」の熱いメッセージを込めて、上江洲さんは人が集える場所を作ったのかもしれない。
なかゆくいとは「ひと休み」の意。地域のこどもたちが気軽に立ち寄って本を読んだり遊んだり、大人たちが集会などの活動場所として使ってもらえる施設を、生まれ育ったふるさとに建てたいと上江洲さんはかねてから考えていた。
「人が集まるということが、何かを始める第一歩になると思うんです」と上江洲さん。小さなプロパンガス会社を経営しながら、長期にわたって少しずつ資金を貯めていき、すべて自力で建てた。
マイクロソフトのビル・ゲイツが自らの財団を作って活動しているように、公共のために私財を投じる例は欧米にはたくさんあるようだ。日本では大企業がしばしば社会貢献活動をしていることがあるが、市井の一個人が私財を投じて公共施設を建設するというケースは、まだ珍しい部類に入るのではないだろうか。
上江洲さんと話していると、生まれ育った集落の活性化の役に立ちたいという思いがひしひしと伝わってくる。上江洲さんは多くを語らないが、みんなで行政に陳情として、というお決まりのステップを踏むのではなく、私財を投じることで、いろいろな制約を受けずに自由で効率的にやれる道を選んだということかもしれない。民間企業経営の発想、ともいえそうだ。
なかゆくい備えつけの図書も、上江洲さんが自分でこつこつ集めた。プロパンガス会社の事務を兼ねたスタッフが午後2時から常駐しているので、だれでも入ることができる。近くの子供たちが宿題をしたり、お年寄りが集まっておしゃべりをしたりしている。
もっとたくさんの人に利用してほしい、と考えた上江洲さんは、まず民謡教室を定例化した。毎週月曜日の夜、沖縄民謡の愛好家が三線を抱えて集まってくる。次に始めたのは英語教室。これは毎週木曜日の夜に、米軍基地の通訳を講師に招いて実施している。
なかゆくいの正面には「共存共栄」の額がかかっている。「それが僕の生き方そのものなんです」。人と人とのかかわりがどんどん薄らいでいく時代だからこそ「ともに繁栄しようじゃないか」の熱いメッセージを込めて、上江洲さんは人が集える場所を作ったのかもしれない。
2008年06月11日
[第60話 食] ごまの香り豊かな伝統菓子 こんぺん
沖縄ではお盆や法事などの際、天ぷらなどのごちそうと並んで伝統菓子が仏壇に供えられる。ウートートーがすめば、おばあはそんなお菓子を孫にすすめる。が、孫は困った顔をして「いいよー」。さまざまなおいしいスイーツ類があふれる昨今、伝統菓子の旗色はあまりよくないのかもしれない。
だが、なかなかどうして、中には非常にうまいものがある。おいしい伝統菓子を数人の子供に食べさせてみたら、あっという間になくなった。そんなとびきりのお菓子を紹介したい。
まず「こんぺん」。「くんぺん」と読む場合もある。薫餅と書く。漢字表記といい、その読み方といい、いかにも中国風。琉球王国時代から高級菓子として作られていたという。
那覇の国際通りの松尾から東に伸びる浮島通り。ここに店を構える南島製菓が作るこんぺんは、たっぷりとごまを使う。県内製菓店の多くは、ピーナツバターを加えて作るが、南島製菓は伝統製法にのっとって、ごまで作る。パクリと口に含むと、ごまの豊かな香りが口いっぱいに広がる。
南島製菓のこんぺんにはもう一つ、特徴がある。伝統菓子のこんぺんは直径8cmほど。仏壇に供える場合もこの大きさが普通で、南島製菓でもこのサイズのこんぺんを作っているが、食べるにはちょっと大きすぎるという声も少なくない。実際、フルサイズのこんぺんを1つ食べたら、かなり腹にたまる。そこで、南島製菓では、直径5cmほどの小ぶりのこんぺんを焼き始めた。
カロリー過多気味なので小さめがありがたい、という人も多いはず。この大きさなら、食後のお茶といっしょに食べられそう。手頃なおみやげとして買い求めていく観光客も多いという。水分が少ないので1ヶ月もつ点も、おみやげとして優れている。
次は、もも菓子。桃のような形をしているので、そう呼ばれる。この中のあんもうまい。ごまと小豆の餡がびっしり入っている。月餅の小豆餡よりいくぶん水分を飛ばした感じの、香り高い餡だ。
もう一つ、巻がん。読み方は「マチガン」。これは、どら焼きのような生地に、羊羹の生地をぬって巻いたもの。愛媛は松山の巻き菓子タルトに似た外観だが、小豆餡ではなく、羊羹なので、かなりしっかりしている。お供え物としての巻がんは、法事にのみ使われ、慶事には使われない。巻がんはしっかり甘いので、濃いめのお茶に合う。
桃菓子も巻がんも、こんぺんより水分が多いので、賞味期限は1週間。こんぺんは県内各地で作られ、スーパーなどにも置かれているが、ごまにこだわった南島製菓のこんぺんが、味も香りも頭ひとつ抜け出している印象だ。
南島製菓は那覇市松尾2-11-28、098-863-3717。年中無休。
だが、なかなかどうして、中には非常にうまいものがある。おいしい伝統菓子を数人の子供に食べさせてみたら、あっという間になくなった。そんなとびきりのお菓子を紹介したい。
まず「こんぺん」。「くんぺん」と読む場合もある。薫餅と書く。漢字表記といい、その読み方といい、いかにも中国風。琉球王国時代から高級菓子として作られていたという。
那覇の国際通りの松尾から東に伸びる浮島通り。ここに店を構える南島製菓が作るこんぺんは、たっぷりとごまを使う。県内製菓店の多くは、ピーナツバターを加えて作るが、南島製菓は伝統製法にのっとって、ごまで作る。パクリと口に含むと、ごまの豊かな香りが口いっぱいに広がる。
南島製菓のこんぺんにはもう一つ、特徴がある。伝統菓子のこんぺんは直径8cmほど。仏壇に供える場合もこの大きさが普通で、南島製菓でもこのサイズのこんぺんを作っているが、食べるにはちょっと大きすぎるという声も少なくない。実際、フルサイズのこんぺんを1つ食べたら、かなり腹にたまる。そこで、南島製菓では、直径5cmほどの小ぶりのこんぺんを焼き始めた。
カロリー過多気味なので小さめがありがたい、という人も多いはず。この大きさなら、食後のお茶といっしょに食べられそう。手頃なおみやげとして買い求めていく観光客も多いという。水分が少ないので1ヶ月もつ点も、おみやげとして優れている。
次は、もも菓子。桃のような形をしているので、そう呼ばれる。この中のあんもうまい。ごまと小豆の餡がびっしり入っている。月餅の小豆餡よりいくぶん水分を飛ばした感じの、香り高い餡だ。
もう一つ、巻がん。読み方は「マチガン」。これは、どら焼きのような生地に、羊羹の生地をぬって巻いたもの。愛媛は松山の巻き菓子タルトに似た外観だが、小豆餡ではなく、羊羹なので、かなりしっかりしている。お供え物としての巻がんは、法事にのみ使われ、慶事には使われない。巻がんはしっかり甘いので、濃いめのお茶に合う。
桃菓子も巻がんも、こんぺんより水分が多いので、賞味期限は1週間。こんぺんは県内各地で作られ、スーパーなどにも置かれているが、ごまにこだわった南島製菓のこんぺんが、味も香りも頭ひとつ抜け出している印象だ。
南島製菓は那覇市松尾2-11-28、098-863-3717。年中無休。
2008年06月05日
[第59話 農] 沖縄の農作業に欠かせないヘラ
畑仕事をスムーズにやれるかどうかは、農具の優劣に大きく左右される。農業に限ったことではないが、すぐれた道具があれば仕事は大いにはかどるというもの。沖縄の農作業に欠かせない農具は「ヘラ」だ。
ヘラは片手で持って土をほじったり、草をとるのに使う。高温多湿の沖縄では、農作業の多くが雑草との闘いに費やされる。実際、ちょっと油断するとすぐ草が生い茂って作物が劣勢になるから、まめに除草しなければならない。冬に草が枯れてくれる温帯地域や、同じ熱帯・亜熱帯でも乾季がはっきりしている地域とはこの点が大きく違う。
その草も、まっすぐ上に伸びる雑草ばかりではない。むしろ地面にはりついているような雑草や、地面をはうツル性の雑草が始末が悪い。こうした雑草の多くは、葉を切るだけでなく、根ごと掘り返してとってしまわないと、またすぐに生えてきて、畑を荒らす。このように雑草を根までとるには、かなりの力がいるから、ヘラのような短くて手元で細かく動かせる農具がどうしても必要になる。
畑にすわり込んでヘラで除草すれば、立ったままかがんで鍬を使うよりも腰を傷めなくてすむというメリットも。そもそも、有機質の多い柔らかな土を起こすなら立って鍬をふるってでもできるが、沖縄の固い土の中に埋まっている草の根をほじくり出すといった作業を、長い柄の農具でやるのは相当しんどい。
文化人類学者は農具や農耕儀礼の分布から、トカラ列島から八重山までの地域にしか見られない独特の農耕文化について論じている。佐々木高明著「南からの日本文化」(2003年、NHKブックス)には、そんな農具や農耕儀礼の分布が示されている。それによると、ヘラもこの地域に固有の農具。呼び名も場所によって「ヒラ」「ピラ」「ビラ」「ヘラ」などと微妙に違う。
今は、握りまでオール鉄製のヘラが当たり前のように使われているが、かつては握りの部分は木製だった。写真は那覇市の県立博物館に展示されている古いヘラ。
地上戦で文字通り灰燼に帰した沖縄―。すべてが焼き尽くされた焦土の沖縄で、まず何よりも求められたのが食べものを作ること、つまり農業だった。その農作業の能率を大きく高めたのが、一体型のオール鉄製ヘラの登場だった、といっても過言ではない。
戦後、このオール鉄製ヘラをいち早く生産したのが、現在、食品スーパーかねひでなどの関連企業を束ねる金秀グループの創設者、呉屋秀信さんだった。呉屋さんは、時代が最も必要としているものに鋭く着目し、それをすばやく供給して次々に事業を成功させてきたことで知られている。
機械化が進んで、ヘラの活躍の場は以前ほどではなくなったかもしれないが、それでも沖縄の畑仕事にヘラは欠かせない。ヘラは沖縄県内の金物屋やホームセンター、農協などで売っている。
ヘラは片手で持って土をほじったり、草をとるのに使う。高温多湿の沖縄では、農作業の多くが雑草との闘いに費やされる。実際、ちょっと油断するとすぐ草が生い茂って作物が劣勢になるから、まめに除草しなければならない。冬に草が枯れてくれる温帯地域や、同じ熱帯・亜熱帯でも乾季がはっきりしている地域とはこの点が大きく違う。
その草も、まっすぐ上に伸びる雑草ばかりではない。むしろ地面にはりついているような雑草や、地面をはうツル性の雑草が始末が悪い。こうした雑草の多くは、葉を切るだけでなく、根ごと掘り返してとってしまわないと、またすぐに生えてきて、畑を荒らす。このように雑草を根までとるには、かなりの力がいるから、ヘラのような短くて手元で細かく動かせる農具がどうしても必要になる。
畑にすわり込んでヘラで除草すれば、立ったままかがんで鍬を使うよりも腰を傷めなくてすむというメリットも。そもそも、有機質の多い柔らかな土を起こすなら立って鍬をふるってでもできるが、沖縄の固い土の中に埋まっている草の根をほじくり出すといった作業を、長い柄の農具でやるのは相当しんどい。
文化人類学者は農具や農耕儀礼の分布から、トカラ列島から八重山までの地域にしか見られない独特の農耕文化について論じている。佐々木高明著「南からの日本文化」(2003年、NHKブックス)には、そんな農具や農耕儀礼の分布が示されている。それによると、ヘラもこの地域に固有の農具。呼び名も場所によって「ヒラ」「ピラ」「ビラ」「ヘラ」などと微妙に違う。
今は、握りまでオール鉄製のヘラが当たり前のように使われているが、かつては握りの部分は木製だった。写真は那覇市の県立博物館に展示されている古いヘラ。
地上戦で文字通り灰燼に帰した沖縄―。すべてが焼き尽くされた焦土の沖縄で、まず何よりも求められたのが食べものを作ること、つまり農業だった。その農作業の能率を大きく高めたのが、一体型のオール鉄製ヘラの登場だった、といっても過言ではない。
戦後、このオール鉄製ヘラをいち早く生産したのが、現在、食品スーパーかねひでなどの関連企業を束ねる金秀グループの創設者、呉屋秀信さんだった。呉屋さんは、時代が最も必要としているものに鋭く着目し、それをすばやく供給して次々に事業を成功させてきたことで知られている。
機械化が進んで、ヘラの活躍の場は以前ほどではなくなったかもしれないが、それでも沖縄の畑仕事にヘラは欠かせない。ヘラは沖縄県内の金物屋やホームセンター、農協などで売っている。