2008年07月

2008年07月29日

[第68話 沖縄、食] 寿司職人が3人いる小さなスーパー

 うるま市字昆布に、小さいながらも有名なスーパー、仲西商店がある。地元の住民に愛されて40年。肉、魚、野菜、惣菜、いろいろそろえている。だが仲西商店が有名なのは、それだけではない。人気のにぎり寿司を買い求めに来る客が多いのだ。

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 今でこそ、大手スーパーには当たり前のようににぎり寿司が置かれているが、仲西商店がにぎり寿司を始めた20年前、にぎり寿司といえばこの界隈ではまだ高級な食べもの。およそスーパーで買えるようなものではなかった。仲西商店があるうるま市昆布は、商店街や商業施設などがあるような地域とは違う農村部。そんな場所でにぎり寿司が手に入るというのは、ちょっと画期的なことだった。言うまでもないが、沖縄でもにぎり寿司は老若男女に大人気のごちそうだ。

 仲西商店はもともと鮮魚を長く扱ってきたので、それを生かしてにぎり寿司を作ってみよう、と先代が企画。にぎりを販売するにあたっては、ちゃんとした寿司職人を雇い上げた。確かに、にぎり寿司となれば、素人のパートさんに作ってもらうというわけにはいかない。

 その寿司職人は現在3人。9かん入りの1人前が毎日100パック以上売れるのに加え、パーティー用の大皿がしばしば出るから、1人や2人ではとても追いつかないのだ。田舎の小さなスーパーに寿司職人がいるというだけでも珍しいが、それが3人もいるというのは驚きの布陣と言える。

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 寿司職人がいるといっても、寿司屋ではないから客席はない。すべて持ち帰り用。そのにぎり寿司、9かん入りの1人前が500円と安い。大手のスーパーなら700から800円はする。それほど高級なネタを使っているわけではないが、500円で本格的なにぎり寿司の味が十分に楽しめるとあって、地元だけでなく、沖縄市や浦添市、那覇市あたりからもファンが買いに来るという。

 質実な店。見てくれにはあまり金をかけない。にぎり寿司のパッケージもごく簡単なプラスチックの弁当箱。鮮魚も普通のビニル袋に無造作に入れて売る。目玉やアラも安く売る。

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 一方で、クーブイリチャーの材料を全部まとめたパックだとか、パパイヤイリチャーにする青パパイヤの細切りだとかが、ビニル袋に入れられて陳列ケースに並ぶ。「最近のお客さんは、手間のかかる料理をしない人が増えてますから」と仲西秀樹店長。

 ただ安いだけではなく、顧客のニーズをよくつかんで、必要と思われることには手間を惜しまないのだ。一口サイズにカットされた冬瓜もあった。確かに冬瓜はちょっとカットしづらい。青パパイヤも固くて切りにくいし、アクも出る。こうして準備してくれたら、忙しい人は大いに助かる。

 しかも、大規模な加工場で作られるカット野菜などのように、薬品や添加物を使ったりしないから安心だ。「うちは添加物は使いません。回転をよくして、とにかく新鮮なものを出します。どうしても余ったらすぐ下げて、ということでやってます」と仲西店長は話す。写真は右からクーブイリチャーの材料パック、青パパイヤ細切り、カット冬瓜。

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 惣菜類も充実。軟骨ソーキは柔らかくなるまで長時間煮込まなければならないが、仲西商店は、食べられるくらいまで薄味で煮込んだものを売っている。手間のかかる煮込みはしてあるから、濃く味付けしたい人は好きな調味料を入れて少し煮ればOK、というわけだ。

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 仲西商店は、那覇市、沖縄市方面からなら、コザ十字路から県道75号線を北上し、安慶名十字路を超えてさらに5分ほど進むと、上の写真の看板が左手に見える。看板を左折し、あとは道なりに1、2分行けばよい。昆布公民館の隣り。沖縄県うるま市字昆布916-1、098-972-6778。

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2008年07月23日

[第67話 沖縄] 同窓会の告知は横断幕で

 あなたが同窓会の幹事だとしたら、いつどこで同窓会が開かれるかを、どのようにして知らせるだろうか。ハガキ? 住所が分かる人には出せるが、引っ越してしまった同窓生には出せない。

 沖縄では同窓会の告知に横断幕をよく使う。3mくらいの長さの布に「●●高校昭和55年卒同窓会」と大書きした横断幕だ。

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 同窓会だけではない。コンサートからスポーツ大会、選挙候補者の演説会まで、あらゆる行事、催しがこの横断幕で告知される。通行量の多い交差点には必ずといっていいほど何かの横断幕がかかっていて、そこをしばしば通っていれば、何が行われるかが自然に分かる仕組み。短い信号待ちの間に読むのに頃合いの情報量だ。

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 街かどの横断幕は、不特定多数を相手にする看板と同じ働きをしているが、実際には特定少数の人々をターゲットにしている横断幕も多い。

 冒頭の同窓会がその好例。「●●中学校野球部九州大会派遣資金造成ボウリング大会」などのケースもそうだ。不特定多数の関係ない人々にとっては、文字通り関係ない情報。だが、こんなこともある。例えば、現在は野球部と没交渉になっているOBが、たまたま横断幕を見かけて「へえー、九州大会まで行くようになったのか。アイツも誘って、ちょっと参加するか」ー。

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 同窓生や野球部OB一人ひとりの住所や電話番号を追いかけるような面倒なことはしないけど、こういう集まりがあるからぜひ来てね、と広く知らせる。実際、それによって、野球部OBの話のように、主催者が予想していなかった人がひょっこり来たりもする。

 そう、呼ばれたから行くのではなく、行きたいから行く。集まりは「呼ぶ側が集める場」ではなく、「行く人が作り上げる場」というのが沖縄式。宴席でも、ちょっとした集まりでも、特に呼ばれなかったけど参加している人が必ずいる。参加してしまえば、後は同じ。イチャリバ、チョーデー(行き逢えばみな兄弟)なのである。

 横断幕なら、広告塔や固定の看板類よりはるかに安く済むのも魅力だ。3mほどの横断幕1つが5000円ほどでできる。同じ大きさの看板を作ったら、何万円もの経費がかかる。しかも掲示先の場所の多くは公共空間。タダで張り出せるから、まことに具合がよい。

 横断幕のプロに話を聞いてみた。横断幕を数多く製作している読谷村の丸吉工芸、与古田松吉さんによると、横断幕は、沖縄が日本に復帰する前の米軍統治時代に、コカコーラやペプシコーラが自社マーク付きの横断幕を無料で提供したのが始まりらしい。タダとあって、人々は横断幕を広く利用するようになった。下の写真のように、このスポンサーつき横断幕は今でもあるが、今はさすがに無料ではないという。

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 かつての横断幕は看板職人が手で書いていたが、大型プリンターの登場で次第に職人芸の出番がなくなっていった。「看板が書ける技術があれば一生食うに困らないと言われた時代もあったけどね。その神話は今や完全に崩壊しました」と与古田さん。与古田さんも現在はパソコンとプリンターで横断幕を印刷している。

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 数多くの看板職人が仕事を失う中で、与古田さんは、横断幕を発注する人の身になって仕事をすることで受注を伸ばしてきたという。例えば、選挙事務所の集まりを知らせる横断幕に「会費」の項目がないことに気づいた与古田さんは「これだと公選法違反になりますよ」と助言するなど、内容にも踏み込んだアドバイスを心がけている。

 横断幕は、お金をかけずに、だれでも気軽に催しを告知できる。横断幕を見た人々も、気軽に集い、交流する。人が集う機会がひんぱんにあることが、沖縄力の基盤になっているのは確か。横断幕はアナログだが、決してアナクロ(時代錯誤)ではないのだ。

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2008年07月17日

[第66話 農] 盛夏に強いウンチェーバー

 沖縄の野菜はどれも夏の強い陽光にも強いと思われているが、そうでもない。地野菜のハンダマでもニガナでも、盛夏の生育はあまり芳しくない。だが、ウンチェーバーだけは違う。どんなに強い日差しの下でもへこたれることなく伸びていく。

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 葉野菜の産地、豊見城市田頭に行った。多くの葉野菜は白や青のネットをかぶせて日差しを緩和しているが、ウンチェーバー畑だけはそのままだ。

 ウンチェーバーは、エンサイ、ヨウサイ、空芯菜などと呼ばれるが、同じもの。東南アジア各地でもよく食べられる。タイではパッブーン、フィリピンではカンコン。「熱帯のホウレンソウ」と言われるが、ホウレンソウの4倍のカルシウムを含むなど、栄養面でも優れている。

 サツマイモの仲間だが、大きなイモがつくわけではない。葉は、普通のサツマイモの葉よりは長くてとがっている。茎の中が空洞になっているのは、空芯菜の名前の通りだ。

 水気のあるところではどこまでもスルスルとつるが伸びていくのがウンチェーバー本来の姿だが、栽培する際にはあまりつるを伸ばさずに、葉が出て少ししたら刈り取る。その方がやわらかいし、えぐみも少ない。

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 豊見城市田頭でウンチェーバーを作っている比嘉セツ子さんの話では、葉が出ては刈り、を1年に8回くらい繰り返せるという。その後は株を植え替える。

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 沖縄の夏はとにかくウンチェーバー、という事情は、市場を見ればすぐわかる。この時期、スーパーでは野菜売り場の一角にウンチェーだけを山積みにしたコーナーが設けてあったりする。農家の持込み式マーケット、沖縄市のJAちゃんぷるー市場にもウンチェーバーが山のように置かれていた。

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 食べ方は、おなじみのニンニクいためが一番人気。ニンニクを油に入れて弱火でじっくりいため、香りをよく引き出したら、火を強めて、ザクザクと切ったウンチェーバーを入れる。かさがある程度減ったら、塩をし、最後に醤油を少し入れて出来上がり。

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 盛夏の強い日差しをたっぷり浴びて育った沖縄産ウンチェーバー。おそらく抗酸化力満点のはずだが、残念ながら本土への出荷はできない。サツマイモと同じようにイモゾウムシやアリモドキゾウムシがつく可能性があり、植物防疫によって本土への移入が禁じられているため。第54話で紹介したカンダバーと事情は同じだ。

 加熱したものなら問題ないが、葉野菜を加熱してしまうわけにもいかない。というわけで、沖縄産ウンチェーバーは沖縄で味わうしかない。ただ、カンダバーと違って、ウンチェーバーは居酒屋などでも出すところがかなりあるから、旅行者でも食べるチャンスはありそうだ。

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2008年07月11日

[第65話 沖縄] 進化するかりゆしウェア

 数年前、当時の小池百合子環境相がクールビズを推進した際、小泉元首相や閣僚が着ておなじみになった「かりゆしウェア」。沖縄の県庁や銀行、各企業では、夏の仕事着として完全に定着している。人口130万の沖縄で、ことしの出荷枚数は40万着に迫る勢いだ。

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 かりゆしウェアとは、そもそもどんな服なのか。みんさー織りのような伝統柄のものから、ハワイのアロハシャツに近いものまで、デザインはさまざま。沖縄県衣類縫製品工業組合の定義は次の2つだ。

 1. 沖縄県産品であること 
 2. 沖縄らしさを表現したものであること

 つまり、沖縄をモチーフにしたデザインで、かつ沖縄県内で縫製されたシャツ、ということになる。形は半袖の開襟が多いが、最近はボタンダウンなどの応用編も出てきた。

 沖縄でかりゆしウェアが仕事着として定着したのは、着用運動によって職場ぐるみで着ることになったという事情が一番大きい。2000年沖縄サミットでG8首脳がかりゆしウェアを着たことも着用運動に大きなはずみをつけた。

 着用運動には「伝統柄のものが最もかりゆしウェアらしいと考えられている」ことが大きな役割を果たしてきたといえるかもしれない。ファッションは、それが伝統的なものだと認識されれば、それだけでオフィシャルにもフォーマルにもなる可能性を秘めているからだ。県幹部や県内企業幹部が着ているかりゆしウェアの多くはこのタイプ。

 写真は、イージーオーダーであつらえる高級かりゆしウェアの売り場。絣系にせよ、紅型系にせよ、伝統柄ばかりだ。前述のようにかりゆしウェアの定義は伝統柄に限っているわけでは全くないが、今も伝統柄こそがかりゆしウェアの本筋とみなされているからこそ、職場で中高年の幹部が堂々と着られるのだろう。

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 だが、その一方で、伝統柄のシャツはまるで甚平のような趣きなのでかえって抵抗を感じるという人もいる。これは若い人に多い。彼らは、どちらかと言えば、花柄など、むしろアロハに近いデザインのかりゆしウェアを好む。売り場面積から考えれば、今やこちらの方が数多く生産・出荷されている。

 伝統柄VSアロハ風。だが、本土からの転勤組などは、この両方に違和感を感じる人が少なくない。沖縄の伝統柄も今ひとつ胸に落ちないし、アロハのような図柄のシャツを仕事着にするのは抵抗がある、というわけだ。

 かりゆしウェアメーカーの1つ、豊見城市の有限会社ジュネは「OKINAWA COCONUTS JUICE」のブランド名で、こんな人々の気持ちに応えるデザインを模索している。「そうした不安を安心に変えられないものかなと考えました」と語る吉田康秀社長も新潟県の出身。

 例えばこの柄。ハイビスカスの柄なのだが、図柄のラインがシャープなのと、地の空間を多くとっているせいか、独特の落ち着きが感じられる(写真は女性用だが、全く同じ柄の男性用もある)。

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 次は、貝がらやサンゴなど、図柄の内容はカジュアルカジュアルしているが、遠くから見ると、小さな柄の繰り返しが、にぎやかさと同時に、ある種の落ち着きを醸し出す。生地も、発色にきつさのないプリント裏地を使っている。

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 かりゆしウェアである以上「沖縄らしさ」から出発するのは当然だが、それをどこまで普遍的なものに高められるかが勝負、というのが吉田社長の考え方。

 間違いなく沖縄でありながら普遍的―。こうした進化系デザインのかりゆしウェアがたくさん出てくれば、沖縄県外でも愛好者が増えていくことだろう。

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2008年07月05日

[第64話 農] 超早場米、できました

 当店第44話でお伝えした稲が実りの時季を迎えている。3月の田植えから4カ月弱。一期目の新米だ。盛夏の強い日差しの下で、たわわに実った稲穂がこうべを垂れていた。写真は金武町屋嘉。

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 沖縄県内で流通している新米の主力は、石垣、西表産のひとめぼれ。JA八重山営農センターの話では、ことしはほぼ去年並みの出来で、6月中旬から7月中旬にかけて1200トン前後の出荷を見込む。沖縄本島のスーパーでも、穫りたての新米が大々的に売り出されている。

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 八重山産の新米は、少量だが、本土にも「超早場米」として出荷されている。確かに、日本のどこよりも早い新米であることは間違いない。そして、あと1カ月もすると、南九州産の新米が出回るようになる。サクラ前線ならぬ新米前線は、こうしてゆっくりと北上していく。

 この超早場米、かつて本土では「初物」ということでかなりの高値がついたこともあったが、最近はコシヒカリの新米などとそれほど変わらないという。やはり米は主食。初がつおやボージョレーヌーボーのような嗜好性の高い食べ物とは違い、早いという理由だけでもてはやされることはないのかもしれない。

 一方、沖縄本島でわずかに作られている米は、ほとんどが自家消費用。金武町屋嘉の仲間達夫さんは、800坪の水田で米を作っている。品種はちゅらひかり。「ひとめぼれの方がおいしいらしいけど、自分は味が分からんから―」と屈託ない。ことしは台風が来なかったので、まあまあの出来だという。

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 水を落とした後、土が乾くのを待って、小型の収穫機で稲刈りをする。「雨が降って土が乾かなかったもんだから、なかなか機械を入れられんかった」。穫れた新米を孫に食べさせるのが楽しみだ。

 金武では、収穫した米を道路のガードレールにかけて自然乾燥させる農家が多い。仲間さんの場合もよく天日乾燥させ、脱穀、もみすりは小型の機械でやるとのこと。

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 米はもともと暖かい地域の作物。沖縄でもかつては田んぼがたくさんあったが、換金性の高かったサトウキビに押される形で、米の作付け面積が大きく減った。現在の生産量はかつての10分の1以下。

 さすがにこれだけ減ると、種や苗の生産を含めた一連の稲作技術が大きく後退し、他の地域依存になってしまう。例えば、暑い地域で誕生した米本来のポテンシャルを最大限に発揮できる品種の作出などは、今の生産規模では、残念ながら難しいだろう。

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