2008年12月

2008年12月26日

[第93話 沖縄、南] 沖尚、もう一つの甲子園級

 ことし最後の万鐘本店、締めくくりは、高校生の話で。

 沖縄尚学高校といえば、ことし春の甲子園で全国優勝した野球部が有名。さわやかな笑顔を時折見せながら剛速球を繰り出す東浜巨投手が高校野球ファンを魅了したのは記憶に新しい。だが今回は、その沖尚野球部ではなく、沖尚「与座部」が話の主役。ヨザブ? そう、ヨザブ。

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 沖縄尚学は、沖縄では数少ない私学の一つ。文武両道を掲げ、野球部をはじめスポーツ各部にはかなりの実力を備えた選手がいる一方で、大学の合格実績は沖縄県内でもトップクラスを誇る。

 文と武に加え、沖縄尚学にはもう一つの顔がある。国際派、がそれ。創立者の名城政次郎校長の専門が英語だったこともあり、かねてから英語教育に力を入れてきた。例えば、語学留学で1年間、欧米やアジアに派遣される生徒は、毎年20人前後に上る。

 こうした雰囲気は部活にも影響を与えている。そのシンボル的存在が与座部。正式名称は、地域国際交流クラブ、ことしから地域政策研究部に改称された。生徒たちは、尊敬と親しみを込めて、顧問の与座宏章教諭の名前を冠したニックネームで部を呼ぶ。

 地域政策研究部は、2000年にスタート。JICAの日系社会青年ボランティアとして3年間、アルゼンチンで生活した経験を持つ与座先生のもとに、国際交流に興味を持つ生徒たちが集まってきた。初めのうちは、JICA沖縄国際センターの講座に行ったり、世界の国々について勉強、研究する地味な活動をしていた。

 やがて、学んだことを県外や海外に発信する活動をしたいという生徒が出てきた。ちょうどその頃、9.11の米国同時多発テロ事件が発生。その余波で沖縄の観光客が一時的に減った。特に、修学旅行のキャンセルが相次いだ。いわゆる風評被害だった。

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 かねてから交流のあった茨城の高校が修学旅行をキャンセルしそうになっていることを聞いた与座部の生徒たちは、沖縄が全くふだん通りであることをビデオに撮影し、安心して沖縄に来てもらおうと自ら動き出した。県庁に観光文化局長を訪ねてインタビューし、町の表情を各地で写し、生徒たち自身がビデオの中でふだんと全く変わりない沖縄の様子を訴えた。

 自分たちの東京への修学旅行の際、茨城に足を伸ばしてビデオを手渡しながら、直接、訴えた。そのかいあって、茨城の高校は予定通り、沖縄修学旅行を実施することに。この出来事は、グローバルな視点で世界に向き合うだけでなく、自分たちの足元をどうするかを考える大切さを生徒たちに認識させることになった。

 それ以後の与座部は、研究活動でも、行動範囲が大きく広がった。例えば広島県の2つの町で、片方は商店街が栄えているのに、もう一方ではシャッター通りになっているのはなぜなのかを、現地でアンケートをとるなどして比較研究し、沖縄で同様の問題に悩む地域の活性化の道を探った。最近では、北海道夕張市の財政破綻とまちづくりのあり方を、北海道に飛び、現地調査して、沖縄と比較した。

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 夕張では、政府の補助金を受けた事業がことごとく失敗したのに比べて、そのような一切の支援を受けなかった夕張メロンだけが成功を収めている事実に注目。その構造を分析したうえで、沖縄の経済発展の最大の阻害要因は「補助金による甘え」と明快に結論づけた。大人たちがなかなか言えない正論をズバリ指摘する。

 研究とは別に、世界各地や沖縄の民族舞踊を演じるなどの芸能活動も手がけている。これをやるようになってから、あちこちから「公演に来てくれ」という声がかかるようになり、外向けの動きに拍車がかかった。地元のお年寄りの前で踊ることもあるが、海外にまで出かける経験もした。ことし8月、移民100周年を祝うアルゼンチンの沖縄県人会に招かれ、アルゼンチンに赴いて、記念公演で創作劇を演じたのだ。

 広島、夕張、アルゼンチン。外での活動が増えればお金もかかる。「基本的には自己負担なので大変ですが、部としても資金を集めて補助しています」と与座先生。現在部員は約50人。

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 若い感性と行動力が世界を動かすことはしばしばあるが、沖尚与座部の活動ぶりは、どこかそんな可能性を感じさせる。甲子園のように世間の注目を浴びることはないかもしれないが、沖尚与座部の活動内容の濃さは「甲子園級」といって間違いなさそうだ。

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2008年12月20日

[第92話 食、南] 青パパイヤの沖縄式食べ方

 沖縄では、パパイヤは、黄色く熟した果物としてよりも、青いうちに野菜として食べる方がポピュラーだ。今回はダイエットに効き、母乳の出がよくなると言われる野菜パパイアの沖縄式食べ方を。

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 パパイヤは、庭先や畑の隅など、沖縄では、それこそどこにでも生えている。一応、暑い時季が結実のピークではあるが、ほとんど周年、実をつけるので、あまり季節感はない。いつでもどこにでもある自然の恵みだ。

 パパイヤはものすごい早さで伸びる。木のように見えるが、中は木質化しておらず、水っぽい。バナナの茎とよく似ている。だから、台風の強風で折れたりすると、まもなく腐ってしまう。

 野菜で食べるパパイヤは、青いうちに収穫する。皮をむき、2つに割って、白い種を出し、しばし水につけてあくぬきする。ちなみに、パパイヤの種は、熟してくると黒くなる。あくぬきしたら、千切りに。細かい繊維がしっかり入っているので、ちょっと固くて切りづらい。千切りできるスライサーを使うとラクだ。

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 千切りしたものを油をひいたフライパンでいためる。コクを出すためにかつおぶしをふる。ツナ缶を入れる人も多いし、豚肉の細切れなどといためあわせてもいい。味付けは塩と醤油少々で。パパイアはすぐ柔らかくならないので、途中で少し水を加えてフタをし、1、2分、蒸し煮にする。固めが好きな人は、この時間を短くすればよい。これでパパイヤイリチャーの出来上がり。

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 味は、ほんのりとした甘味がある。クセは全くない。ウリ類や大根に似ている。淡白だが、パパイヤイリチャーは不思議にごはんがすすむ。文部科学省の食品成分表では、タンパク質が100g中に1g以上含まれている野菜は少ないが、青パパイヤは1.3g含まれている。

 熱帯各地ではパパイアを野菜で食べることは珍しくない。ベトナム料理のゴイドゥドゥ、タイ料理のソムタムはいずれも青パパイアの細切りで作るサラダ。これらは生の青パパイヤの歯ごたえを楽しむ料理だが、沖縄式のパパイヤイリチャーは、蒸し煮するので柔らかい。

 沖縄では昔から、パパイヤは食べると母乳の出がよくなると言われる。パパイヤの生産に力を入れている石垣市のパパイヤ研究所ではこれを実証する研究も行われている。

 アジア各地でも同じことが言われているらしい。あれこれ調べてみると、中国で古くからそう言われているのが近隣地域に広まった可能性がある。中国では、母乳の出が悪いお母さんに食べさせる料理として、パパイヤと魚のスープが有名。母乳の出をよくするだけでなく、バストアップにも効果があるとの説も。漢方でパパイヤの効能は、泌乳促進だけでなく、肺などにもいいとされる。

 青パパイヤにはパパインというタンパク質分解酵素がたくさん含まれている。パパインは強力な脂肪分解力があるため、ダイエットサプリメントとしてしばしば話題に。ただし、パパインを含むのは青パパイヤのみで、黄色く熟した果物パパイヤにはこれがほとんど含まれていない。というわけで、要減量の方は、沖縄産青パパイヤをたっぷりお召し上がり下さい。

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2008年12月14日

[第91話 食、沖縄] とっても沖縄的な洋食店

 赤瓦の民家でワインと洋食を出す店が那覇にあると聞いて、出かけた。泉崎の県庁から少し北に行った住宅街の一角。雑然とした緑の中に赤瓦が見えた。

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 店名は「食堂ぬーじボンボン」。ウチナーグチで、ぬーじは虹、ボンボンはてんとう虫のこと。店主の奥間朝樹さんは、やんばる東村の出身で、名古屋のレストランで修業した経歴を持つ。

 もともとは全くの民家だった。今は店向けに改装されているが、玄関や床の間はほぼそのままの風情だし、座敷の机の横の本棚には「ルパン三世」などが置かれていて、まるで自宅の居間でごはんを食べているような気分になる。

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 つい最近まで、沖縄の食堂には、こんな感じの店が多かった。赤瓦のことではない。店内にどこか生活の臭いがするのだ。例えば第14話で紹介した那覇・東町の山海には少し前は子供用の学習机があったりした。ぬーじボンボンは人が住んでいるわけではないが、この本棚の周囲には生活の空気がかすかに漂う。

 ぬーじボンボンの建物の外には、雑草や雑木の豊かな緑が繁茂する。あまり造り込まれていないところが、沖縄の普通の民家っぽさに拍車をかけている。

 「この近所の出身のお客様で、子供の頃、この家が友達の家だったのでよく遊びにきたよ、と言われた方がいました」と奥間さんが話す。

 建物や空気だけではない。メニューも沖縄的。むろん、ここは沖縄料理の店ではなく、洋食店なのだが、イタリアンとかフレンチといった定義にはあまりこだわらない。ピザやパスタ類が充実していることがら考えれば、イタリアンのようではあるが、例えば「揚げなすとみょうがと水菜のサラダ自家製しょうがドレッシング」がイタリアンかどうかは微妙。要は、奥間さんのセンスと手に入る素材で自由に作っているのだ。

 飲み物もさまざま。中心に位置するワインは、種類はワインバーのようには多くないが、フレンチばかりでなく、アルゼンチンワインあたりにも目配りしていて面白い。ハードリカーは、泡盛からバーボンまで何でもあるし、カクテルもたくさんあって楽しい。

 この自由さ、そして肩の力が抜けた感じ―。何とも沖縄らしい。

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 この日はランチタイムだったので、850円のランチをいただいた。前菜がプレートに盛り合わせで登場した。水菜などにかかっているのが前述の「自家製しょうがドレッシング」。しょうがの香りがきいていて素晴しくおいしい。ほかに野菜のフリットと鶏レバーのペースト。

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 コーンポタージュスープの後のメインは、看板メニューの一つでもある「大人の男のための本格ハンバーグステーキ」。ソースは、ワインの香りとフォンドボーのうまみが際立ち、ごはんによく合う。ハンバーグにソースをしっかりつけて口に入れ、同時にごはんをほおばる。うまい。後はひたすら、ハンバーグとごはんを交互に口に運ぶ。「食堂」の醍醐味を満喫しながら、やがてお腹いっぱいに。

 ぬーじボンボンは那覇市楚辺276、098-832-8415。県庁方面から進んだら、泉崎りうぼうを左手に見て、向かいのファミリーマートを右に入ってすぐ左側。火曜休み。昼は11:30-14:30、夜は18:00-23:30。

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2008年12月08日

[第90話 沖縄] 鈍い光を放つ銀のジーファー

 かつて沖縄の女性は、長い髪を巻いて銀のかんざし「ジーファー」でとめていた。琉球王朝時代からのジーファーを今も作り続けているのが「金細工またよし」の又吉健次郎さん。今回は、鈍い光を放つ銀の伝統装飾品の輝きをお伝えしよう。

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 金細工は、標準語では「かねざいく」だが、又吉さんの工房は沖縄式で「かんぜーく」と読む。作品はいずれも銀製品。かつては貴金属類をすべて「金(かね)」と表現していた。その金細工の歴史は、実に1509年までさかのぼる。

 首里王府のお抱え職人として、又吉さんの祖先は、守礼の門の近くで、金細工の仕事を代々続けてきた。しかしその何百年にもわたる伝統工芸の技術と作品は、琉球処分による王朝の消滅と世替わりの中で徐々に廃れていき、最後には沖縄戦で焼失してしまった。

 転機は1960年代に訪れた。民芸運動を担っていた浜田庄司や版画家棟方志功が、健次郎さんの父誠睦さんに、所蔵していた琉球の金細工の作品や資料スケッチを手渡し、その復興を進言。誠睦さんは、ジーファー、房指輪、結び指輪の銀の伝統装飾品3点を見事に復元した。その技は健次郎さんに引き継がれ、今日に至っている。

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 冒頭の写真とこれが、銀のかんざしジーファー(同じもの)。ジーファー自体が女性の体を表している。丸い部分は顔で、棒の細い部分が胴のくびれ。長さは20cmほどだ。

 尻に届くほどの長い髪をくるくると巻いてカンプーを結っていたかつての沖縄女性にとって、ジーファーは必需品。一本のジーファーを一生使い続け、ジーファーは「女の分身」とまでいわれていたという。使う際には、丸めたカンプーの下から差して止めるので、丸い部分は下にくる。冒頭の写真が、カンプーに差したジーファーを左後ろから見た時の位置になる。

 原料の銀の小粒を溶かして作った8mm角×5cmほどの銀の固まりを、金槌でコツコツ、コツコツと叩きのばし、少しずつ少しずつ長くしていく。丸い部分もすべて打ち出し。銀製品は時間が経つと少し黒ずんでくる。「いぶし銀の渋い輝きになったジーファーもなかなかいいですよ」と又吉さん。

 次は房指輪。

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 房指輪は婚礼の際に使われた指輪。指にはめる本体が、幅の広いメインの輪と細い2つの輪の3つで、さらに芭蕉の葉、花、蝶、鳩、扇、燈明、魚の7つの飾りがついている。それぞれに意味があり、例えば魚は「食べ物に困らないように」、扇は「末広がりの福」といった具合。婚礼用とはいえ、この指輪の華やかさは特筆に値する。

 最後に結び指輪。

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 2本の細い銀を結んだ指輪で、かつては那覇・辻の遊女が身につけていたという。戦後、遊女は姿を消し、結び指輪も消えた。現在は、この結び指輪に、男女の絆を感じて、婚約用などに買い求める人が多いという。

 又吉さんは、その技を継承している女性3人とともに、今も毎日、金槌で銀を叩いてジーファーなどをこつこつ製作している。作品は金細工またよしの首里の工房を直接訪ねれば買える。那覇・国際通りの「鍵石(キーストン)」でも扱っている。1点3万円から4万5000円ほど。

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 ジーファー、房指輪、結び指輪の3つが伝統的な銀装飾品で、金細工またよしでは、基本的にはこの伝統3品を作っているが、結び指輪をブレスレットに応用した「結び腕輪」など、新作も少し作る。

 金細工またよしは那覇市首里石嶺町2-23-1、098-884-7301。営業は10:00から17:00。わかりにくい場所なので、電話してから行く方がよさそうだ。

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2008年12月02日

[第89話 食] 美味発掘 アサヒガニ

 今回はちょっと変わったカニ、アサヒガニをご紹介。オーストラリア産などが通信販売で出回っているようだが、沖縄では地場でアサニガニが獲れる。

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 ちょっと変わった、というのはこの形。普通のカニのイメージは弁当箱を横に置いたような「横長」だが、アサニガニは「縦長」だ。腹の部分が甲羅の下に収まらず、下に出たままになっているのが「縦長」に拍車をかけている。英語ではフロッグクラブ、つまり「かえるガニ」。言われてみれば、蛙の形に見えなくもない。

 アサヒガニは暖かい地方のカニで、太平洋、インド洋に生息する。日本では西南日本一帯の海にいるという。種子島でも食べられているようだが、いずれにしても漁獲量の少ない珍しいカニであることは間違いない。

 砂に潜っていることが多く、外に出ていても身の危険を感じるとサッと全身で砂に潜る。砂から目だけを潜望鏡のように突き出してあたりをうかがい、安全と分かったら砂から出て移動するらしい。

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 沖縄でカニと言えば、ワタリガニ(ガザミ)をもっともよく見かける。アサヒガニは、沖縄各地の漁港に上がるが、水揚げ量は少ない。ウチナーンチュでも見たことがないという人が多いのではないか。

 沖縄の中では、那覇漁港に上がる量が多いようだ。那覇・牧志の公設市場の鮮魚店の中には置いている店がぽつぽつある。珍しいカニではあるが、アサヒガニを専門に狙う漁師がちゃんといて、彼らが獲ってくるのだという。

 さて、肝心の味は―。20分ほどゆでて甲羅をはずすと、腹の部分には白い身がたっぷり。甲羅の中にはみそが。みその表面には赤い色をした液状の油も見え、コクを期待させる。

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 白い身は繊維っぽくなく、上品なうまみにあふれていておいしい。手足の中の身は少ないが、腹の部分は食べごたえがある。香りもよい。みそは、量はさほど多くないが、こっくりとコクがあって、実にうまい。鮮度がいいからかもしれないが、臭みは一切なく、奥深いうまみだけが舌に残った。数多くのカニの中でも、味と香りのよさでは、かなり上位に入るカニなのではないか。

 カラが薄いので、ぶつ切りにして中華風のいためものにしたり、カニ鍋やみそ汁にして食べるのもよさそうだ。

 那覇・牧志公設市場では、とれとれの生きたアサヒガニを置いている店が数店ある。甲羅の直径が10−12cmのもので1000-1500円といったところか。やや高めだが、カニ好きなら一度は試してみる価値がある。あまり小さいものより、多少値ははっても、食べごたえのある大きめのものがお薦め。

 同じく那覇漁港の「泊いゆまち」の中にも扱っている鮮魚店がある。ここでは、冷凍したものを売っていることが多い。アサヒガニは傷みやすいカニなので、早い時点での凍結は鮮度を保持する優れたひとつの方法。価格は牧志公設市場よりはいくぶん安い。

 アサヒガニについては、下記の各鮮魚店で尋ねてみてほしい。ただし、入荷しない日もあるので、行く前に問い合わせした方がよい。

 那覇・牧志公設市場の西銘(にしめ)鮮魚店 098-862-2871
 那覇・農連市場近くの活魚鮮魚卸 大和(やまと) 098-835-4567
 那覇・泊いゆまち内のキンシロ鮮魚 098-861-2957

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