2012年11月

2012年11月28日

海中道路の先の島々を一望

 一の曲輪(くるわ)、つまり勝連城の一番上から眺める絶景の話を続けます。

 北側を見てみましょう。これは金武湾です。沖縄本島東側を勝連城から北上すると石川、金武、宜野座と続きますが、その方向です。やんばるの山がこんもりと盛り上がっていますね。白い建物と煙突は沖縄電力具志川火力発電所です。沖縄には原発はありません。

Katsurenjo11


 さらに目を東寄りに向けてみましょう。海中道路がくの字に曲がって、平安座島までつながっているのが分かります。海中道路の赤い支柱が中央付近に立っています。

Katsurenjo3


 平安座島の石油備蓄基地のタンク群、その先の宮城島、伊計島が見えます。海中道路の右側にある島は浜比嘉島です。こちらも橋がかかっていて、車で行くことができます。

 天気のよい日に、ぜひ一の曲輪まで登ってみて下さい。写真でも分かるように、一の曲輪それ自体はそんなに広い場所ではありません。

Katsurenjo10



 

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote 勝連城跡周辺 

2012年11月23日

勝連城の一番上からの絶景

 勝連城跡の一番上、「一の曲輪(くるわ)」まで登ってみましょう。

Katsurenjo8


 正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。

 一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。

 いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。

 おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。

 足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。

 三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。

 一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。

 グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。

2 Ichinokuruwa


 これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。

 防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。

 少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。

Katsurenjo4


 北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。

 500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。

 北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。



bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote 勝連城跡周辺 

2012年11月18日

究極のラフテーを期間限定で

 47CLUBの「究極のおせち」をご存知ですか。全国47都道府県の各地の一押しの名産を重箱に詰めたぜいたくなおせちとして人気です。

 この究極のおせち。ことしは、沖縄から、万鐘ももと庵のラフテーが重箱の一角を飾ることになりました。沖縄ならではの皮付き豚三枚肉をじっくり煮上げたラフテーです。

Lafute15


 究極のおせちの仲間入りしたこのラフテーを、ももと庵でも召し上がっていただくことにしました。少し先になりますが、新年1/11(金)から2月末までの期間限定です。

 ラフテーは、脂身のたっぷりついた三枚肉を使います。じっくりと煮込みながら脂分を落としていきますが、さらに蒸し工程を入れると、効果的に脂を抜くことができます。しっかり脂の抜けた三枚肉は、とろとろした舌触りが楽しめます。

 皮はコラーゲンの固まり。煮汁の色がゼリー状の皮にしみ込むと、ラフテーらしい色とツヤになります。おはしで切れるくらいの柔らかさです。

Lafute16


 ラフテーの味は、黒砂糖、白砂糖、醤油、泡盛でつけます。特に大切なのが泡盛。これをたっぷり入れないとおいしくなりません。

 究極のおせちでは、重箱に詰めることもあり、かまぼこ型に切っていますが、ももと庵でお出しするものは、写真のように四角い切り方を予定しています。

 とろっとろの食感をどうぞお楽しみ下さい。


bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote ももと庵メニュー 

2012年11月13日

豚しゃぶ素麺膳が新登場

 だんだん涼しくなってきて、温かいものがおいしくなってきましたね。万鐘ももと庵の新メニュー「豚しゃぶ素麺膳(ぶたしゃぶ・そうめん・ぜん)」の話を。

Butasyabusomen6


 ももと膳でおなじみの豚しゃぶを、温かい汁素麺にたっぷりのせました。その上に、刻みネギと揚げニンニク、おろし生姜をトッピング。このブログでも何回か紹介した揚げニンニクはアジアン風味ですね。

 コクのあるおつゆと一緒に豚しゃぶを食べるのは格別。そこに揚げニンニクやネギ、生姜のうまみと香りが絡み合います。さらに、のどごしのよい素麺がつるつると入っていき、口ざわりのいい極薄切りの豚しゃぶと最高の相性を見せてくれます。

 ところで、沖縄の麺といえば、沖縄そばが代表選手ということになっていますけど、実は実は、沖縄の家庭で消費されているのは圧倒的に素麺なんです。

 ニラをたっぷり入れた夏場の素麺ちゃんぷるーに、おろし生姜をちょんとのせた冬場の温かい汁素麺。まさに沖縄家庭料理の定番です。

 どこの家にも1人くらい素麺じょーぐーがいて、そういう人は「ごはんの代わりに毎食でも素麺を食べたい」なんて思っています。

 お祝いごとでも、素麺入りのおつゆがよく出されます。結納の際に持って行く品々の中には素麺があります。「とも白髪」と呼んで、ともに白髪になるまで仲睦まじく添い遂げる縁起物、とされています。

 南のアジア麺の多くは米の麺ですが、沖縄は小麦の麺。かつて、沖縄では、米とともに小麦が広く栽培されていました。麦の栽培は、沖縄あたりが南限なのかもしれません。

 豚しゃぶ素麺の話に戻りましょう。ももと庵の豚しゃぶ素麺膳は、豚しゃぶ素麺の周囲を、おなじみの「豆乳ふるふる」や「生人参しりしり」などのわき役がしっかり固めています。

 あのう、汁麺の時にも、ちょっとだけごはんが欲しいんですけどーとおっしゃる方。はい、ご希望の方には、ミニごはんもサービスしていますよ。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote ももと庵メニュー | 沖縄とアジアの食

2012年11月08日

大きな経済力と言われても・・・

 勝連城跡から出土した中国、元の時代の染付。元の染付の高度なデザインについては、前回、紹介しました。

 「陶磁の道」という古典的名著を書いた東洋学者で考古学者の三上次男が、勝連城跡から出土した元染付のかけらを鑑定したところ、その多くは「至正様式」と呼ばれる最高級品であることが確認されました。

Toujinomichi


 21世紀の現代でも、「至正様式の元染付」といえば、ゼロがいくつも並ぶような天文学的な値が世界的につきます。例えば、2005年にロンドンのオークションで元染付の壺が日本円にして30億円で落札された、という記録があります。その時点で、陶磁オークション史上の最高価格だったとのこと。

 15世紀の当時も、それらが大変な高級品であったことは疑いのないところです。

 そういう高級品が出てくるということは、つまり、当時の勝連にはものすごい経済力があったということ。三上次男も論文でそのことに触れています。

 世界に高級品として輸出されていた貴重品である元染付の陶磁を買える人が勝連にはいた、あるいは買える組織が勝連にはあった、ということでしょう。ひょっとしたら、勝連は、そんな海外の高級品が売買される貿易ルート、貿易拠点の一つだった、ということになるのかもしれません。

 昔の、15世紀ころの沖縄は、那覇だけが都市で、それ以外の地域はすべて農村だったというのが通り相場。そんな純農村であったはずの勝連に、世界的にも高級な輸入陶磁器を買えるほどの大きな経済力があった、と言われても、どうもイメージできません。

2 Katsurenjo Mokei


 ただ、よく考えてみると、勝連城という城はかなり立派な城です。あれだけの城があったのですから、それを支える経済力があって、周辺にも、いろいろな立派な施設があったり、人やモノの往来が盛んだったりしたのかもしれません。

 ももと庵のある場所は、勝連城の南風原御門(はえばる・うじょう)から海側に出てすぐ左のところ。反対側の西原御門(にしはら・うじょう)側入口の休憩所に置かれている復元模型で言えば、左側の手前にある門が西原御門、その先の奥にある門が正門だった南風原御門です。

 正門のすぐ前ですから、ももと庵のあたりにも何かあったことは間違いなさそうです。

 何か手がかりでも落ちていないかなあー。

 500年以上前の手がかりが簡単に落ちているはずもないですが、そんなことを思いながら、店の回りを歩いたりしています。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote 勝連城跡周辺 

2012年11月03日

勝連城跡から超高級の染付が

 前回は、勝連城の正門だった南風原御門側からの上がり方を紹介しました。今度は勝連城の歴史のナゾに少しだけ分け入ってみることにしましょう。

 勝連城跡からは、いろいろなものが出土しています。中でもすごいのは、中国の元(げん)の時代の染付(そめつけ)の破片が出たこと。

 「な、なにいっ! ゲ、ゲンのソメツケっ!」 その道の方なら驚きのあまり卒倒するくらいのシロモノなのだそうです。

Sometsuke2


 卒倒する前に、染付について少々。染付というのは、鮮やかな紺色の絵が描かれている白い磁器のこと。写真のように、私たちがふだん使っている食器にもたくさんあります。

 勝連城跡から出た染付は、こうしたふだん使いの食器とは、ちょっと、いや、だいぶ違います。

 勝連城跡から出た染付は、染付という絵付けの技法が始まったとされる中国の元の時代のものなんです。「チンギスハン」「元寇」の元ですね。13世紀から14世紀に中国を支配しました。

 元時代の染付は、たんに染付の始まりだからということで珍重されているわけではありません。その後の時代の染付と比べても、精巧で絢爛豪華な模様の大型作品が多く、最高級品としてアジア各地や、遠くイスラム文化圏に輸出されていました。

 東京にある戸栗美術館が収蔵品の写真をホームページに載せています。このページの「2.中国陶磁」の「元時代」を開けてみて下さい。この皿の模様のスゴいこと。

 この美術館のブログに同じ皿の写真が載っています。模様がよく見えるこちらの写真を拝借しました。素人目にも、まったくため息が出るほどの精巧さです。

2 Toguri


 元の染付には、海中の魚の絵が描かれた大型の壺など、日本の重要文化財に指定されている作品もあります。

 最高級品である元の染付。日本で出土するのは、沖縄のグスク跡からが多く、中でも勝連城跡が圧倒的ということらしいんです。ということは?!?! ?!?!?!

 続きは次回に。


bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote 勝連城跡周辺