2013年01月
2013年01月30日
おかずとごはんがデュエット
アジア米ばなしの締めくくりに、ごはんの食べ方の話をしたいと思います。
日本の場合は、炊いたごはんにみそ汁、主菜、副菜、というのが、「正しいごはん」のイメージですね。アジアの多くでも、炊いたごはんは同じですが、それ以外のお皿構成というか、食べ方がやや違います。
韓国では、ごはん、おつゆとメインのおかずのほかに、キムチなどの小皿がたくさん出てきます。韓国料理店で、例えばメニューに「テンジャンチゲ」とあるので、それを注文すると、主役のテンジャンチゲ、つまり実だくさんのみそ汁のほかに、いろいろな種類のキムチが3、4つ、それに、野菜を煮たものとか、ゆでで味付けしたナムル類などが軽く3、4つは出てきます。
当然ながら、すごい皿数になります。家庭のごはんもそんな感じのようです。韓国北部から南部まで、農村の家庭でごはんをいただいたことがありますが、いずれの場合も、机に並べきれないほどの皿数で驚きました。客人をもてなす意味もあったはずですが、ふだんでもそれなりの皿数になると聞きました。
東南アジアは、また違います。皿数はそれほど多くはありません。でも、おかずがいっぱい、という感じは、韓国に負けていません。白いごはんは同じ。スープも好きな国が多いようですが、日本のように、個々のお椀によそられるのではなく、大鉢に入れられて、各自取り分ける式が多いです。
面白いと思ったのは、ベトナム。ごはんもおかずもスープも大皿、大鉢に入ってきます。個人用に置かれるのはごはん茶碗1個だけ。取り皿も汁碗もなく、茶碗1つですべてを兼用するんです。
まずごはんをよそって、好きなおかずをご飯の上にとって食べます。スープはどうするかと言えば、多くの場合、1杯目のごはんを食べ終わった時に、同じ茶碗にとります。
スープを食べ終わると、再び同じ茶碗に2杯目のごはん。ごはんを2杯で終わる人は、ごはんが半分くらいになったところで、スープを注ぎ、スープごはんで締めくくることも珍しくありません。
冒頭の写真は、ベトナム中部で昼ご飯を食べた時のもの。手前の魚の煮付けに、揚げた豆腐の煮付け、漬け物、それに野菜たっぷりのスープでした。向こうの方で、唯一の各自用食器であるご飯茶碗にごはんをよそっています。
ベトナムでは、若い女性でもごはんをもりもり食べます。日本では、体重を気にしてか、おかずは食べるけど、ごはんはピンポン玉くらいしか食べないという若い女性が増えているという話もありますが、ベトナムでは、華奢な若い女性が、当たり前のようにごはんをお代わりしていました。
アジアの長粒米は、粘りの弱いアミロースでんぷんが多く、日本の米よりもサラッとしています(ただし、韓国は日本と同じ短粒米です)。たくさん食べても胃にもたれません。ということは、おそらくダイエットにも貢献するんじゃないでしょうか。
アジアの食事は、おかずたっぷり。白いごはんはあくまでサラリとしていて出しゃばらず、豊富なおかずと一体になってきれいなデュエットを奏でる役割を見事に演じています。
日本の場合は、炊いたごはんにみそ汁、主菜、副菜、というのが、「正しいごはん」のイメージですね。アジアの多くでも、炊いたごはんは同じですが、それ以外のお皿構成というか、食べ方がやや違います。
韓国では、ごはん、おつゆとメインのおかずのほかに、キムチなどの小皿がたくさん出てきます。韓国料理店で、例えばメニューに「テンジャンチゲ」とあるので、それを注文すると、主役のテンジャンチゲ、つまり実だくさんのみそ汁のほかに、いろいろな種類のキムチが3、4つ、それに、野菜を煮たものとか、ゆでで味付けしたナムル類などが軽く3、4つは出てきます。
当然ながら、すごい皿数になります。家庭のごはんもそんな感じのようです。韓国北部から南部まで、農村の家庭でごはんをいただいたことがありますが、いずれの場合も、机に並べきれないほどの皿数で驚きました。客人をもてなす意味もあったはずですが、ふだんでもそれなりの皿数になると聞きました。
東南アジアは、また違います。皿数はそれほど多くはありません。でも、おかずがいっぱい、という感じは、韓国に負けていません。白いごはんは同じ。スープも好きな国が多いようですが、日本のように、個々のお椀によそられるのではなく、大鉢に入れられて、各自取り分ける式が多いです。
面白いと思ったのは、ベトナム。ごはんもおかずもスープも大皿、大鉢に入ってきます。個人用に置かれるのはごはん茶碗1個だけ。取り皿も汁碗もなく、茶碗1つですべてを兼用するんです。
まずごはんをよそって、好きなおかずをご飯の上にとって食べます。スープはどうするかと言えば、多くの場合、1杯目のごはんを食べ終わった時に、同じ茶碗にとります。
スープを食べ終わると、再び同じ茶碗に2杯目のごはん。ごはんを2杯で終わる人は、ごはんが半分くらいになったところで、スープを注ぎ、スープごはんで締めくくることも珍しくありません。
冒頭の写真は、ベトナム中部で昼ご飯を食べた時のもの。手前の魚の煮付けに、揚げた豆腐の煮付け、漬け物、それに野菜たっぷりのスープでした。向こうの方で、唯一の各自用食器であるご飯茶碗にごはんをよそっています。
ベトナムでは、若い女性でもごはんをもりもり食べます。日本では、体重を気にしてか、おかずは食べるけど、ごはんはピンポン玉くらいしか食べないという若い女性が増えているという話もありますが、ベトナムでは、華奢な若い女性が、当たり前のようにごはんをお代わりしていました。
アジアの長粒米は、粘りの弱いアミロースでんぷんが多く、日本の米よりもサラッとしています(ただし、韓国は日本と同じ短粒米です)。たくさん食べても胃にもたれません。ということは、おそらくダイエットにも貢献するんじゃないでしょうか。
アジアの食事は、おかずたっぷり。白いごはんはあくまでサラリとしていて出しゃばらず、豊富なおかずと一体になってきれいなデュエットを奏でる役割を見事に演じています。
2013年01月24日
米粉加工品を作る匠の技を目撃
米粉のおやつを作る現場を、ラオスの首都ビエンチャンで見る機会がありました。
屋台の女性は、おもむろに米粉を水に溶いたものを円筒形の上に貼った布のうえに広げます。筒の下には鍋が火にかけられていて、布からは蒸気が上がっています。
薄く広げられた米粉液は、少しすると蒸されて固まります。それをへらのようなものではがします。水分の多い、柔らかい米粉のクレープみたいなものなので、慎重にはがさないと、すぐに破けてしまいそうです。
これに、ひき肉で作ったあんをはさみ、くるくると巻いて、一丁上がり。
前回紹介した米粉のおやつも、みな蒸されていたようでした。このラオスと同じ方法で蒸すかどうかは分かりませんが、蒸す、というのが、米粉おやつの基本であることは間違いなさそうです。
米粉液は、蒸すとヒロヒロした柔らかい食感になります。その後の展開はどうにでもなります。前回のベトナムのおやつのように、ほとんど味らしい味をつけず、米粉生地の食感と米そのものの味を楽しむ感じのものもあれば、今回のラオスのひき肉巻きのように、しっかり味のついたあんを入れることもあるわけです。
蒸しとは違うのですが、タイで米粉を扱う「匠の技」を見ました。
この女性、右手で、米粉の生地をつかんで、鉄板の上にその生地の玉を一瞬、貼り付けます。そうすると、ごく薄い生地が鉄板に残ります。それがすぐに焼け、向こうの男性がそれをはがしていきます。
女性の生地玉の取り扱い方が見事。玉は直径20cmくらいあるのですが、その白いボールを片手で下向きにボヨンボヨンさせながら、鉄板の上にチャっとつけてすぐ引き上げ、また隣にもチャッとつけてすぐ引き上げます。
手を下向きにしているので、当然、生地も下に向いています。のろのろしていると、生地が下に落ちてしまうので、手早く動かさねばなりません。男性のはがすタイミングも重要で、2人の呼吸が合わないと量産のリズムが狂ってしまいます。
この薄焼き、どう食べるのかは分かりませんでしたが、2人の動きと白い生地玉の動きが面白いので、しばし見とれてしまいました。
屋台の女性は、おもむろに米粉を水に溶いたものを円筒形の上に貼った布のうえに広げます。筒の下には鍋が火にかけられていて、布からは蒸気が上がっています。
薄く広げられた米粉液は、少しすると蒸されて固まります。それをへらのようなものではがします。水分の多い、柔らかい米粉のクレープみたいなものなので、慎重にはがさないと、すぐに破けてしまいそうです。
これに、ひき肉で作ったあんをはさみ、くるくると巻いて、一丁上がり。
前回紹介した米粉のおやつも、みな蒸されていたようでした。このラオスと同じ方法で蒸すかどうかは分かりませんが、蒸す、というのが、米粉おやつの基本であることは間違いなさそうです。
米粉液は、蒸すとヒロヒロした柔らかい食感になります。その後の展開はどうにでもなります。前回のベトナムのおやつのように、ほとんど味らしい味をつけず、米粉生地の食感と米そのものの味を楽しむ感じのものもあれば、今回のラオスのひき肉巻きのように、しっかり味のついたあんを入れることもあるわけです。
蒸しとは違うのですが、タイで米粉を扱う「匠の技」を見ました。
この女性、右手で、米粉の生地をつかんで、鉄板の上にその生地の玉を一瞬、貼り付けます。そうすると、ごく薄い生地が鉄板に残ります。それがすぐに焼け、向こうの男性がそれをはがしていきます。
女性の生地玉の取り扱い方が見事。玉は直径20cmくらいあるのですが、その白いボールを片手で下向きにボヨンボヨンさせながら、鉄板の上にチャっとつけてすぐ引き上げ、また隣にもチャッとつけてすぐ引き上げます。
手を下向きにしているので、当然、生地も下に向いています。のろのろしていると、生地が下に落ちてしまうので、手早く動かさねばなりません。男性のはがすタイミングも重要で、2人の呼吸が合わないと量産のリズムが狂ってしまいます。
この薄焼き、どう食べるのかは分かりませんでしたが、2人の動きと白い生地玉の動きが面白いので、しばし見とれてしまいました。
2013年01月18日
おやつでも活躍、アジアの米粉
アジアの米話を続けます。写真はベトナムで見かけた米粉のおやつ。田舎のあるホテルで、朝食に並んでいたものです。
これ、説明するのがなかなか難しい食べ物です。というのも、「お菓子」ではないし、「ごはん」でもない。「おやつ」と書きましたが、朝食の一部として出てきたわけですから、軽食と言った方がいいのかもしれません。
例えば、左側にある緑色のもの。これは豆あんがはさんであって、甘い。お菓子といえばお菓子です。ところが、右上のものは、揚げたタマネギが載っていて、甘さはありません。薄い塩味がついています。
共通しているのは、みなアジアのインディカ米の米粉で作られていることです。甘さ、辛さはアクセント程度で、口に広がるのは米粉の味です。
こちらは麺といえば麺なんですが、ものすごく細く、麺同士がくっついていて、ほぐして食べることはできません。固まったままの状態で食べます。うっすらオイルがかかっており、青葱が散らしてあります。薄めの塩味。
こうした米粉生地を蒸したおやつの類は、形と味のバリエーションがいろいろあって楽しめます。形は、餃子のような形、巾着型、薄くのされた層が何枚も重なったも、最後のもののように麺風のもの、といろいろです。
米粉のおやつは、インディカ米特有の、さらっとした粘りのない食感が売り。特に強烈な味ではなく、あっさり系です。
小腹がすいた時に、ちょっと食べる。アジア米粉のおやつは、あまり出しゃばらず、静かに空腹を満たしてくれ、それほど後にも残りません。
アミロースでんぷんが少ない日本の米は腹にずしりときます。腹持ちもよい。逆に、アミロースでんぷんの多いアジア米は軽いタッチ。たくさん食べられます。
これ、説明するのがなかなか難しい食べ物です。というのも、「お菓子」ではないし、「ごはん」でもない。「おやつ」と書きましたが、朝食の一部として出てきたわけですから、軽食と言った方がいいのかもしれません。
例えば、左側にある緑色のもの。これは豆あんがはさんであって、甘い。お菓子といえばお菓子です。ところが、右上のものは、揚げたタマネギが載っていて、甘さはありません。薄い塩味がついています。
共通しているのは、みなアジアのインディカ米の米粉で作られていることです。甘さ、辛さはアクセント程度で、口に広がるのは米粉の味です。
こちらは麺といえば麺なんですが、ものすごく細く、麺同士がくっついていて、ほぐして食べることはできません。固まったままの状態で食べます。うっすらオイルがかかっており、青葱が散らしてあります。薄めの塩味。
こうした米粉生地を蒸したおやつの類は、形と味のバリエーションがいろいろあって楽しめます。形は、餃子のような形、巾着型、薄くのされた層が何枚も重なったも、最後のもののように麺風のもの、といろいろです。
米粉のおやつは、インディカ米特有の、さらっとした粘りのない食感が売り。特に強烈な味ではなく、あっさり系です。
小腹がすいた時に、ちょっと食べる。アジア米粉のおやつは、あまり出しゃばらず、静かに空腹を満たしてくれ、それほど後にも残りません。
アミロースでんぷんが少ない日本の米は腹にずしりときます。腹持ちもよい。逆に、アミロースでんぷんの多いアジア米は軽いタッチ。たくさん食べられます。
2013年01月12日
米粉文化が日本にない理由
アジアの米は、ごはん以外にもいろいろ加工されます。その代表格が麺。米麺については、ベトナムの麺を例に、去年、このブログで取り上げました。
フォーは薄さが身上のベトナム北部のヒラヒラ平麺。牛肉をのせた温かい汁麺が定番です。ブンは細くて柔らかく、断面が丸い麺。たれをかけて汁なし麺で食べたり、鍋で鍋材料と一緒に食べたりします。フーティウは細いけれどもややコシがあって断面が四角い麺。クメール人がもたらしたと言われる南部の麺で、温かい汁麺で食べることが多いようです。
タイだと、センミー、センレック、センヤイのトリオ。屋台の麺屋ではこの3つの中から好きな麺を選ぶことになります。センミーは相当細く、センレックはフォーくらいの平麺。センヤイはさらに幅が広がって、麺というより、ひらひらのパスタみたいな感じです。写真はセンヤイ。
センヤイはパスタみたい、と書きましたが、こんなのもあります。ベトナムの市場で見かけたまさにパスタ。中央左の白と黄色のもの、奥のマカロニのようなものは、すべて米の加工品です。女性が手にしているパッケージに英語でマカロニと書かれていますね。
ところで、東南アジアでこれだけ米麺が発達したのに、東北アジアの米どころである日本には、沖縄を含めて、米の麺はほとんどありません。麺といえば、うどんでもそうめんでもみな小麦。どうしてこれほど違いが大きいのでしょうか。
ひとつ、こういう説があります。
アジアのインディカ米は細長いので、精米の際に砕米がたくさん出ます。これに対して、日本で食べられている丸い米の場合は、割れにくい。ヌカは出ますが、砕米がたくさん出るようなことはありません。これがインディカ米の場合はそうはいかず、どうしても砕米が多くなり、それを利用した米粉文化が自然に発達した、というわけです。
目の前に砕米がたくさん出れば、それを利用しようとして、砕米をさらに細かくした米粉文化が自然に発達したのかもしれませんね。
フォーは薄さが身上のベトナム北部のヒラヒラ平麺。牛肉をのせた温かい汁麺が定番です。ブンは細くて柔らかく、断面が丸い麺。たれをかけて汁なし麺で食べたり、鍋で鍋材料と一緒に食べたりします。フーティウは細いけれどもややコシがあって断面が四角い麺。クメール人がもたらしたと言われる南部の麺で、温かい汁麺で食べることが多いようです。
タイだと、センミー、センレック、センヤイのトリオ。屋台の麺屋ではこの3つの中から好きな麺を選ぶことになります。センミーは相当細く、センレックはフォーくらいの平麺。センヤイはさらに幅が広がって、麺というより、ひらひらのパスタみたいな感じです。写真はセンヤイ。
センヤイはパスタみたい、と書きましたが、こんなのもあります。ベトナムの市場で見かけたまさにパスタ。中央左の白と黄色のもの、奥のマカロニのようなものは、すべて米の加工品です。女性が手にしているパッケージに英語でマカロニと書かれていますね。
ところで、東南アジアでこれだけ米麺が発達したのに、東北アジアの米どころである日本には、沖縄を含めて、米の麺はほとんどありません。麺といえば、うどんでもそうめんでもみな小麦。どうしてこれほど違いが大きいのでしょうか。
ひとつ、こういう説があります。
アジアのインディカ米は細長いので、精米の際に砕米がたくさん出ます。これに対して、日本で食べられている丸い米の場合は、割れにくい。ヌカは出ますが、砕米がたくさん出るようなことはありません。これがインディカ米の場合はそうはいかず、どうしても砕米が多くなり、それを利用した米粉文化が自然に発達した、というわけです。
目の前に砕米がたくさん出れば、それを利用しようとして、砕米をさらに細かくした米粉文化が自然に発達したのかもしれませんね。
2013年01月07日
土鍋炊きアジアごはんの香り
アジア米ばなしの2回目は「白ごはん」です。
アジア産インディカ米のごはんは、日本米のごはんより粘りが少ないのが特徴ですが、おいしく炊かれたごはんは、噛んだ時にねっとりしたごはん粒の中に歯がヌーッと入っていく感じがしっかりあります。特に高級米は、さらっとはしていますが、柔らかい独特のねっとり感があり、決して「ぼそぼそ」ではありません。
もう20年近く前になりますが、日本で米が不作になり、タイから米を緊急輸入したことがありました。1993年のこと。その時は「ぼそぼそしていておいしくない」という感想を抱いた人が多かったようです。インディカ米のおいしい炊き方、食べ方を知らない日本人が圧倒的だったため、そういう残念な結果になりました。
インディカ米は、多めの水で柔らかめに炊くと、おいしくなります。
お湯でゆで、余った湯を捨てる炊き方もあります。ただ、それをやると、せっかくの香りも弱まってしまい、もったいない気がします。米の1.3ー1.4倍の多めの水を入れ、日本の炊き方と同じようにフタをして水分を全部米に吸わせる方がいいようです。
それからアジアのごはんは温かいうちが命。冷めると食感が落ちますから、ぜひとも「炊きたて」を食べて下さい。
アジアの米の魅力の一つは、その香りにあります。特に香りの強い米は、香り米として高い値段で売られています。インドのバスマティ米、タイのホームマリ米。いずれも香り高い高級米として世界中に輸出されています。
ごはんを炊く時の香りがありますよね。あの香りが好きな人なら、アジアの香り米は大好きになるはずです。大いに食欲をそそられる香りです。
ベトナムでは、土鍋で炊いたごはんを売りにしている食堂を時々見かけました。ニオイアダンの葉を入れて炊き、さらに香りを強めている店もあります。
冒頭の写真がそれ。土鍋の炊きたてごはんは香りがよく、底の部分に少しおこげもついていて、その香ばしさがまたたまりません。
沖縄では、アダンはどこにでも生えていますが、ニオイアダンを入れてごはんを炊くというのは聞いたことがありません。
このニオイアダン、香り米の成分と同じものが豊富に含まれているんだそうです。インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナムなどのアジア各国では、ごはんを炊く時だけでなく、ニオイアダンの葉の汁を入れて緑色の米粉のお菓子やスポンジケーキを作ったりもします。
ニオイアダンは香り米の香りと同じですから、それをお菓子にも使うということは、米の香りが心底好きということ。アジアのごはん文化は奥が深いです。
アジア産インディカ米のごはんは、日本米のごはんより粘りが少ないのが特徴ですが、おいしく炊かれたごはんは、噛んだ時にねっとりしたごはん粒の中に歯がヌーッと入っていく感じがしっかりあります。特に高級米は、さらっとはしていますが、柔らかい独特のねっとり感があり、決して「ぼそぼそ」ではありません。
もう20年近く前になりますが、日本で米が不作になり、タイから米を緊急輸入したことがありました。1993年のこと。その時は「ぼそぼそしていておいしくない」という感想を抱いた人が多かったようです。インディカ米のおいしい炊き方、食べ方を知らない日本人が圧倒的だったため、そういう残念な結果になりました。
インディカ米は、多めの水で柔らかめに炊くと、おいしくなります。
お湯でゆで、余った湯を捨てる炊き方もあります。ただ、それをやると、せっかくの香りも弱まってしまい、もったいない気がします。米の1.3ー1.4倍の多めの水を入れ、日本の炊き方と同じようにフタをして水分を全部米に吸わせる方がいいようです。
それからアジアのごはんは温かいうちが命。冷めると食感が落ちますから、ぜひとも「炊きたて」を食べて下さい。
アジアの米の魅力の一つは、その香りにあります。特に香りの強い米は、香り米として高い値段で売られています。インドのバスマティ米、タイのホームマリ米。いずれも香り高い高級米として世界中に輸出されています。
ごはんを炊く時の香りがありますよね。あの香りが好きな人なら、アジアの香り米は大好きになるはずです。大いに食欲をそそられる香りです。
ベトナムでは、土鍋で炊いたごはんを売りにしている食堂を時々見かけました。ニオイアダンの葉を入れて炊き、さらに香りを強めている店もあります。
冒頭の写真がそれ。土鍋の炊きたてごはんは香りがよく、底の部分に少しおこげもついていて、その香ばしさがまたたまりません。
沖縄では、アダンはどこにでも生えていますが、ニオイアダンを入れてごはんを炊くというのは聞いたことがありません。
このニオイアダン、香り米の成分と同じものが豊富に含まれているんだそうです。インドネシア、マレーシア、シンガポール、ベトナムなどのアジア各国では、ごはんを炊く時だけでなく、ニオイアダンの葉の汁を入れて緑色の米粉のお菓子やスポンジケーキを作ったりもします。
ニオイアダンは香り米の香りと同じですから、それをお菓子にも使うということは、米の香りが心底好きということ。アジアのごはん文化は奥が深いです。
2013年01月02日
縄文時代は熱帯米を畑で作ってた
あけましておめでとうございます。みなさん、どんな新年を迎えられましたか。
1年の始まりにふさわしいお米の話をしましょう。アジアのお米ばなしです。きょうは「日本のアジア米」について。そんなのあるの? はい、「あった」んです。
ところで、アジア米といえば、最近「おっ」と思ったのは、ベトナムが世界一の米輸出大国になりそう、というニュースでした。世界の米輸出国といえば、そのベトナム、タイ、パキスタン、インド。これまでタイがずっと1位だったんですが、タイの輸出が落ち込んでいる間にベトナムが追いついたんでしょうか。
アジア各国は、米の生産量もすごいですが、食べ方の豊富さもなかなか。白いごはんとして食べるのはもちろんですが、そのほかに多様な米麺になりますし、米粉を使ったお菓子、おやつ類もいろいろあります。
熱帯アジアの米は、日本のそれとは違って、インディカと呼ばれる細長い米です。日本で食べられている丸いタイプの米は粘りが強くてねっちりとした噛みごたえがあり、それだけでも十分おいしいものです。一方、アジアの米は、さらっとした口あたりで、香りがよく、いろいろなおかずによく合い、たくさん食べてもおなかにもたれません。
そのアジア米ですが、かつては日本でも、熱帯アジアの米が作られていた、という話があります。「かつて」といっても、はるか昔、なんと縄文時代のことです。
「縄文時代の次の弥生時代に、渡来人が稲作をもたらした」と歴史の時間に教わりませんでしたか。ところが、この20年ほどの間にイネの遺伝子分析などが進んで、どうもそうではなかったらしいことがだんだん分かってきました。
どうやら、日本の稲作は、弥生時代ではなく、縄文時代から広く行われていたようなんです。
ただし、縄文の日本で広く行われていたのは、水田ではありません。熱帯アジア原産の陸稲の栽培でした。
今のような水田の稲作は縄文末期に入ってきたのですが、それが日本じゅうに広まるのにはだいぶ時間がかかったこともあり、その後も、陸稲栽培はかなり長い間、あちこちで行われていたらしいのです。
この説、アジアを歩いていると、説得力を感じてしまいます。アジアの中でも、あまり農業生産が盛んでないような山がちの場所などでは、今でも山の斜面でまだかなり陸稲が作られています。陸稲栽培を見ていると、ああ、これならだれでもできるなあ、と思います。
というのも、水田は、土木工事しないとできません。土地を真っ平らにして、周囲にあぜを起こす必要があります。もちろん、大昔はブルドーザーもパワーショベルもありませんし、金属製のスコップや鍬さえもなかったわけです。広大な面積の大量の重たい土を動かす作業を、すべて人力でやらざるをえません。
それはそれは過酷な作業です。よほど土地が好条件で、しかも何か強い動機がなければ、水田造成に踏み切ることはなかったでしょう。
ところで、この日本の陸稲は、アジアの多くでいま作られているインディカ米ともまた違う「熱帯ジャポニカ米」と呼ばれる稲でした。ジャポニカという名前で誤解しそうなんですが、日本原産ではありません。熱帯アジアの米です。それが南の方から日本にもたらされたんですね。
日本の米は、南方のアジア地域から沖縄を経て日本本土にもたらされた、というのは、柳田国男の有名な「海上の道」説です。
最近の研究で、熱帯ジャポニカの日本国内での広い分布の痕跡が確認されたこともあって、この「海上の道」説が再び注目されているみたいです。熱帯ジャポニカは、黒潮に乗り、沖縄を経て北上し、なんと東北地方まで行き渡っていました。
話がずいぶん昔のことになってしまいましたが、日本も、今は当たり前の水田風景の前に、熱帯アジア原産の陸稲を盛んに栽培していた時代が長かった、というのは、意外に新鮮な発見じゃないかな、と。
アジアの米ばなし。次回から、現代のアジアに戻ります。「アジアの白ごはん」からいくつもりです。
万鐘ももと庵は1/4から営業を開始します。ご来店をお待ちしています。ネットショップは既にオープンしていますよ。どうぞご利用下さい。
1年の始まりにふさわしいお米の話をしましょう。アジアのお米ばなしです。きょうは「日本のアジア米」について。そんなのあるの? はい、「あった」んです。
ところで、アジア米といえば、最近「おっ」と思ったのは、ベトナムが世界一の米輸出大国になりそう、というニュースでした。世界の米輸出国といえば、そのベトナム、タイ、パキスタン、インド。これまでタイがずっと1位だったんですが、タイの輸出が落ち込んでいる間にベトナムが追いついたんでしょうか。
アジア各国は、米の生産量もすごいですが、食べ方の豊富さもなかなか。白いごはんとして食べるのはもちろんですが、そのほかに多様な米麺になりますし、米粉を使ったお菓子、おやつ類もいろいろあります。
熱帯アジアの米は、日本のそれとは違って、インディカと呼ばれる細長い米です。日本で食べられている丸いタイプの米は粘りが強くてねっちりとした噛みごたえがあり、それだけでも十分おいしいものです。一方、アジアの米は、さらっとした口あたりで、香りがよく、いろいろなおかずによく合い、たくさん食べてもおなかにもたれません。
そのアジア米ですが、かつては日本でも、熱帯アジアの米が作られていた、という話があります。「かつて」といっても、はるか昔、なんと縄文時代のことです。
「縄文時代の次の弥生時代に、渡来人が稲作をもたらした」と歴史の時間に教わりませんでしたか。ところが、この20年ほどの間にイネの遺伝子分析などが進んで、どうもそうではなかったらしいことがだんだん分かってきました。
どうやら、日本の稲作は、弥生時代ではなく、縄文時代から広く行われていたようなんです。
ただし、縄文の日本で広く行われていたのは、水田ではありません。熱帯アジア原産の陸稲の栽培でした。
今のような水田の稲作は縄文末期に入ってきたのですが、それが日本じゅうに広まるのにはだいぶ時間がかかったこともあり、その後も、陸稲栽培はかなり長い間、あちこちで行われていたらしいのです。
この説、アジアを歩いていると、説得力を感じてしまいます。アジアの中でも、あまり農業生産が盛んでないような山がちの場所などでは、今でも山の斜面でまだかなり陸稲が作られています。陸稲栽培を見ていると、ああ、これならだれでもできるなあ、と思います。
というのも、水田は、土木工事しないとできません。土地を真っ平らにして、周囲にあぜを起こす必要があります。もちろん、大昔はブルドーザーもパワーショベルもありませんし、金属製のスコップや鍬さえもなかったわけです。広大な面積の大量の重たい土を動かす作業を、すべて人力でやらざるをえません。
それはそれは過酷な作業です。よほど土地が好条件で、しかも何か強い動機がなければ、水田造成に踏み切ることはなかったでしょう。
ところで、この日本の陸稲は、アジアの多くでいま作られているインディカ米ともまた違う「熱帯ジャポニカ米」と呼ばれる稲でした。ジャポニカという名前で誤解しそうなんですが、日本原産ではありません。熱帯アジアの米です。それが南の方から日本にもたらされたんですね。
日本の米は、南方のアジア地域から沖縄を経て日本本土にもたらされた、というのは、柳田国男の有名な「海上の道」説です。
最近の研究で、熱帯ジャポニカの日本国内での広い分布の痕跡が確認されたこともあって、この「海上の道」説が再び注目されているみたいです。熱帯ジャポニカは、黒潮に乗り、沖縄を経て北上し、なんと東北地方まで行き渡っていました。
話がずいぶん昔のことになってしまいましたが、日本も、今は当たり前の水田風景の前に、熱帯アジア原産の陸稲を盛んに栽培していた時代が長かった、というのは、意外に新鮮な発見じゃないかな、と。
アジアの米ばなし。次回から、現代のアジアに戻ります。「アジアの白ごはん」からいくつもりです。
万鐘ももと庵は1/4から営業を開始します。ご来店をお待ちしています。ネットショップは既にオープンしていますよ。どうぞご利用下さい。