2012年01月08日
家族に支えられ、ラオスで人材育成
沖縄を創る人 第29回
アイ・シー・ネット(株)コンサルタント 平良那愛さん(下)
タイの小中高校での計2年間の教員生活、オーストラリアの大学院でマイノリティーの研究、結婚と出産を経て、20代後半だった平良那愛さんは、ODAプロジェクトの現場を担う途上国開発コンサルタントとして働き始めた。
途上国開発コンサルタントとは、どんなことをするのだろうか。
「日本のODAの実施機関であるJICA(国際協力機構)などから委託されて、プロジェクトの現場を動かします」と平良さん。
JICAはODAプロジェクトを計画し、予算を確保するが、JICAの職員自身が現場に貼り付くわけではない。実際に現場で走り回ってプロジェクトを推進する人々がいる。彼らは農業、教育、保健、インフラ整備などの各分野の官民の専門家で、その一翼を担うのが途上国開発コンサルタントというわけだ。
アイ・シー・ネットに入社した平良さんの最初の赴任地はラオスだった。ラオスは、タイの東隣りに位置する内陸国。経済成長著しいアセアン諸国の中では最も貧しい国に属する。
社会文化面はタイとの共通点が多い。言葉もタイ語がかなり通じる。
平良さんが従事したODAプロジェクトは、ラオス行政官の公共事業に関する能力向上を目指すものだった。平良さんは、インフラ整備などの公共事業計画をどのように審査すればいいか、その方法などを、中央の関係省庁、地方の関係機関などで研修した。
「南から北まで、すべての県を回りました」
ラオスは全国で4000件の公共事業が実施されているが、事業の計画・審査からモニタリング評価までの運営監理システムが整備されていないこと、資源配分や事業の優先度付け、実施監理・評価が適切に行われていないことが課題だった。
平良さんはコンサルタントチームのメンバーとともに、研修の計画を作り、教材を準備し、全国を回って行政官を相手に研修を続けた。地道な作業だが、ラオスがこれから発展していくには不可欠の取り組みといえる。
平良さんのそんな仕事を支えてくれるのが、家族。日本で知り合った中国人の夫は、平良さんの赴任とともに、ラオスについてきてくれた。
「毎日、身近で励ましてくれる家族がいるというのは本当にすばらしいこと。子供の成長と一緒のキャリア形成ってステキじゃないですか」
地方出張などでビエンチャンの自宅を留守にすることも多い。留守中、長男は夫がみてくれるが、事業家の夫も忙しい。そんな平良さん一家を支えてくれる人たちがいる。
「ラオス人の”家族”がいるんです」
借りている家の家主は、自分の兄弟たちの各所帯とともに、一つの敷地に家を持っている。平良さん一家は、家主ファミリー総勢3所帯が一緒に住んでいる一部を借りた。この3所帯+平良さん一家は、互いの玄関を開け放ち、子供たちはどこの家にも出入りして遊んだり、ごはんを食べさせてもらったりする家族のような関係だ。
少し前までの沖縄の農村部と同じように、平良さんの長男は、自分の家だけでなく、この3つの家族の間で大きくなった。このラオス人"家族”は、平良さんが不在の時に何でも頼める心強い存在といえる。
平良さんはもっと子供が欲しい、と話す。
「双子がいいですよね」
アジアの気候や人の感じは沖縄に似ている、植物が一緒だし、空気感も似ている、と平良さん。
「マレーシアの空港に降り立った時、ふるさとに帰った時のような波長を感じたことがあります」
タイに惚れ込み、ラオスで人材育成に励む平良さんの根っこには、やはり沖縄で培われた感覚が息づいているようだ。
[平良那愛さんとつながる] 平良さんが携わっているラオスのODAプロジェクトについてはJICAのHPが詳しい。こちらは、平良さんが所属するアイ・シー・ネット株式会社のHP。
アイ・シー・ネット(株)コンサルタント 平良那愛さん(下)
タイの小中高校での計2年間の教員生活、オーストラリアの大学院でマイノリティーの研究、結婚と出産を経て、20代後半だった平良那愛さんは、ODAプロジェクトの現場を担う途上国開発コンサルタントとして働き始めた。
途上国開発コンサルタントとは、どんなことをするのだろうか。
「日本のODAの実施機関であるJICA(国際協力機構)などから委託されて、プロジェクトの現場を動かします」と平良さん。
JICAはODAプロジェクトを計画し、予算を確保するが、JICAの職員自身が現場に貼り付くわけではない。実際に現場で走り回ってプロジェクトを推進する人々がいる。彼らは農業、教育、保健、インフラ整備などの各分野の官民の専門家で、その一翼を担うのが途上国開発コンサルタントというわけだ。
アイ・シー・ネットに入社した平良さんの最初の赴任地はラオスだった。ラオスは、タイの東隣りに位置する内陸国。経済成長著しいアセアン諸国の中では最も貧しい国に属する。
社会文化面はタイとの共通点が多い。言葉もタイ語がかなり通じる。
平良さんが従事したODAプロジェクトは、ラオス行政官の公共事業に関する能力向上を目指すものだった。平良さんは、インフラ整備などの公共事業計画をどのように審査すればいいか、その方法などを、中央の関係省庁、地方の関係機関などで研修した。
「南から北まで、すべての県を回りました」
ラオスは全国で4000件の公共事業が実施されているが、事業の計画・審査からモニタリング評価までの運営監理システムが整備されていないこと、資源配分や事業の優先度付け、実施監理・評価が適切に行われていないことが課題だった。
平良さんはコンサルタントチームのメンバーとともに、研修の計画を作り、教材を準備し、全国を回って行政官を相手に研修を続けた。地道な作業だが、ラオスがこれから発展していくには不可欠の取り組みといえる。
平良さんのそんな仕事を支えてくれるのが、家族。日本で知り合った中国人の夫は、平良さんの赴任とともに、ラオスについてきてくれた。
「毎日、身近で励ましてくれる家族がいるというのは本当にすばらしいこと。子供の成長と一緒のキャリア形成ってステキじゃないですか」
地方出張などでビエンチャンの自宅を留守にすることも多い。留守中、長男は夫がみてくれるが、事業家の夫も忙しい。そんな平良さん一家を支えてくれる人たちがいる。
「ラオス人の”家族”がいるんです」
借りている家の家主は、自分の兄弟たちの各所帯とともに、一つの敷地に家を持っている。平良さん一家は、家主ファミリー総勢3所帯が一緒に住んでいる一部を借りた。この3所帯+平良さん一家は、互いの玄関を開け放ち、子供たちはどこの家にも出入りして遊んだり、ごはんを食べさせてもらったりする家族のような関係だ。
少し前までの沖縄の農村部と同じように、平良さんの長男は、自分の家だけでなく、この3つの家族の間で大きくなった。このラオス人"家族”は、平良さんが不在の時に何でも頼める心強い存在といえる。
平良さんはもっと子供が欲しい、と話す。
「双子がいいですよね」
アジアの気候や人の感じは沖縄に似ている、植物が一緒だし、空気感も似ている、と平良さん。
「マレーシアの空港に降り立った時、ふるさとに帰った時のような波長を感じたことがあります」
タイに惚れ込み、ラオスで人材育成に励む平良さんの根っこには、やはり沖縄で培われた感覚が息づいているようだ。
[平良那愛さんとつながる] 平良さんが携わっているラオスのODAプロジェクトについてはJICAのHPが詳しい。こちらは、平良さんが所属するアイ・シー・ネット株式会社のHP。