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2008年03月07日

[第44話 農] 田植えが始まった

 ことしの田植えが始まった。写真は金武町。抜けるような青空の下で、島本勉さんが小型の田植え機を慎重に運転し、青々とした苗をスッ、スッとリズミカルに植えていた。ただ、面積はわずかなもの。自家消費用の米という。

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 八重山では田植えは既にほぼ終わっており、沖縄本島と伊是名、伊平屋などが今から本格的な田植えシーズンを迎える。

 沖縄の稲作は、2、3月田植えの6、7月収穫。その後にもう1作、2期目を作ることもあるが、2期目は台風に当たる確率が高いのと、どうしても収量が落ちるので、やらない人も多い。品種は「ひとめぼれ」か「ちゅらひかり」。

 沖縄本島では、ターウム(田芋)用の田は金武町や宜野湾市にかなりあるが、稲が植えられている田はあまり見られない。金武町、恩納村、国頭村に少しあるくらいだ。

 現在の沖縄の稲作は離島が担っている。トップは八重山。石垣島、西表島などで1800トンほど作っている。八重山の稲作は日本一早い。5月末から6月に収穫された米は超早場米として高値で取り引きされる。JA沖縄八重山営農センターの話では、日本一高価な新潟・魚沼産コシヒカリに次ぐ値がつくという。品種はひとめぼれ。

 伊平屋島では1000トン、伊是名島で200トンほどの米がそれぞれ作られている。伊是名の米はブランド化され、沖縄本島のスーパーなどで売られている。伊平屋の米は特にブランド化はしておらず、ブレンド米の一部になる。

 こうして離島を中心に米は作られているが、沖縄全体でも1000haほどの作付けにすぎない。

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 かつて、沖縄では稲作がもっと盛んだった。戦後の最盛期だった1955年の作付面積は現在の10倍以上の1万2000ha。農村部に住む年輩者に聞くと、稲作を大豆などと輪作していたと話す人が多い。人類普遍の食糧ともいえる「穀物+豆」の黄金の組み合わせである。

 しかし1960年代から、カネになるサトウキビへの転換が進み、水田は急速に姿を消していった。ちょうどこの頃と時期を同じくして、各家庭で飼われていた豚やヤギも姿を消していく。作物と家畜の複合経営によって食べものを自給していく仕組みが崩壊。農業は現金収入を得るための換金農業になり、自分の食べものは、作るのではなく買うものになった。

 農村部では、朝起きれば野良着を着て畑に出る習慣を続けているおばあもたくさんいるが、今は小面積の野菜類が中心。主食になるような米やイモ類を自給している人は少ない。離島は別として、少なくとも沖縄本島の稲作は、こうした歴史の流れの中で生き残った数少ない主食自給農業と言えるだろう。

bansyold at 00:17│TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック  

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