2008年01月19日

[第36話 食、南] シトギ文化の一翼担うムーチー 

 旧暦12月8日はムーチー。ことしの新暦では1月15日にあたる。この日は、家庭でサンニン(月桃)の葉に包んで蒸したムーチーを作って食べるならわしだ。

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 サンニンの葉には殺菌成分が豊富に含まれている。ムーチー作りの時は、家の消毒を兼ねているんじゃないかと思うくらい、サンニンの強い香りが部屋じゅうに漂う。

 ムーチーに漢字をあてる時は「鬼餅」と書く。鬼餅の由来として、鬼になった兄を妹が退治するというすごい民話があるが、そのお話は他のサイトに詳しいので、そちらに譲る。「鬼餅」「ムーチー」で検索すると、たくさん出てくる。

 ムーチーは和語の「モチ」に当たるが、本土のモチと沖縄のムーチーには決定的な違いがある。それは本土のモチが、蒸したモチ米を臼と杵でつき上げるのに対し、沖縄のムーチーは、生のモチ米粉に水や砂糖を加えて形を整え、最後に蒸して加熱するという点だ。

 ムーチーのように、米粉に水を加えて練ったものをシトギと呼ぶ。もともとは水に浸して柔らかくした生のモチ米を臼でひき、ペースト状にしたものを指した。シトギを加熱すれば、出来上がりはモチのようになるが、歯ごたえは、ついたモチの方が強い。

 シトギは、米粉加工品なので、いろいろと姿を変えて展開していく。名著『栽培植物と農耕の起源』『料理の起源』で知られる中尾佐助は、シトギの展開を一つの文化圏と読み解いている。例えば、中国・台湾で米粉から作られる「ビーフン」、フィリピンの米粉蒸しパン「プト」、スリランカの米粉薄焼き「アッパ(ホッパー)」などは、すべてシトギから作られ、一つの文化圏を形成している、というわけだ。

 シトギにほかならないムーチーも、こうしたアジアのシトギ文化の一翼を担っているといえそうだ。沖縄にはムーチーをはじめ、小豆を乗せたフチャギや味噌入りのナントゥーといったモチ類があるが、いずれもシトギ。ついたモチは見られない。

 日本本土でも加熱しない生シトギが各地で神事に使われてきており、中国南部に発するとみられるシトギ文化の、いわば北限に位置づけられるらしい。

 さて、ムーチーの作り方はいたってシンプル。用意するものは、モチ米粉(白玉粉)、水、サンニンの葉。味付け用に、砂糖、黒砂糖、紅芋粉など、好きなものを適宜用意する。

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 粉と水に砂糖類をよく混ぜ、耳たぶくらいの固さにする。生シトギの状態だ。ピンポン玉2つくらいの分量をとり、楕円形にして、サンニンの葉の中央に乗せる。サンニンの葉を三つ折りにして、真ん中をワラかヒモでゆわえ、葉が開かないようにして、20分ほど蒸せば出来上がり。

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 子供たちは自分の歳の数だけムーチーをぶら下げておいて、毎日少しずつ食べていく。初めにも書いたように、サンニンの葉には殺菌作用があるので、冬でも15度を切ることが珍しい沖縄でさえ、そのまま置いておいても、1週間くらいはカビが生えない。

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2007年12月24日

[第31話 沖縄、南] ブラジル石油公社、沖縄進出のココロ

 11月初め、大きなニュースが流れた。ブラジルの国営石油公社ペトロブラスが沖縄・西原町の南西石油を買収したのだ。南西石油は、沖縄県内の2006年度企業売上高ランキングで堂々1位の大企業。ただ、製油所としては能力が小さく、設備も老朽化しているため、親会社のエクソンモービルは閉鎖を含めて将来を検討していた。

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 そんな南西石油をブラジルが買うって、どういう意味? 分からない時は当事者に聞くのが一番だ。早速、ペトロブラスの関係者に会って、今回の進出の背景を尋ねた。

 ペトロブラス関係者によると、ブラジルの埋蔵原油はかなりの量に上る。特に、11月初旬に発表された埋蔵量80億バレルに上る巨大なテュビ海底油田の発見は、世界を驚かせた。この巨大油田によって、ブラジルは良質な軽質原油を大量に確保。世界市場での販路開拓は同国にとってますます重要な課題になった。

 今回の沖縄進出は、南西石油の既存施設があったことが直接の理由のようだ。製油所を新設するとなれば、巨額の資金が必要になるし、行政や地域との交渉などにも労力と時間がかかる。

 加えて、沖縄の「戦略的な地理的位置」が決め手になったことを、この関係者は指摘した。「沖縄は、台湾にも韓国にも中国にも日本本土にも近いでしょう」

 ペトロブラスは、沖縄で精製した石油をこうしたアジア各地で販売しようと考えている。同社はこれまで、欧米など26カ国に石油を販売してきたが、アジアへの本格的展開はこれから。その皮切りの拠点として、有利な地理的位置にある沖縄を選んだというわけだ。

 沖縄県内では、東京を意識した経済振興策ばかりが語られがちだが、もう少し視点を自由にしてアジア全体をながめる必要がありそうだ。ここで、第22話の南北逆さ地図をもう一度。

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 沖縄のこの優位な位置を活用してきたのは、これまで、皮肉なことに米軍だけだった。それが、今回のブラジルの進出によって、「アジア最前線、沖縄」が、民間経済活動の拠点として本格的に生かされる可能性が出てきた。

 この機会を沖縄側がどう活用するか。軍事拠点から脱出し、「万国津梁、再び」を実現するうえで、ひとつの試金石になるだろう。

 ペトロブラス関係者は、もう一つ、興味深い話を披露してくれた。同社が、沖縄でバイオエタノールの生産にも取り組む意欲を持っている、という話だ。

 バイオエタノールはトウモロコシやサトウキビから作る燃料用アルコール。ブラジルは1975年から開発に取り組み、今や世界で唯一のバイオエタノール輸出国になった。

 ブラジルでは、ガソリン100%でもエタノール100%でも、あるいはどんな比率の両者のミックスでもOKというFFV(Flexible Fuel Vehicle)車が8割を占める。ユーザーは市場価格を見て、安い燃料を選べるという。

 従来はもっぱら石油を扱ってきたペトロブラスも、FFVの普及により、「25%エタノール入りガソリン」などを生産し始めている。同社が沖縄でのエタノール生産を視野に入れているのは、アジアでFFV時代が来れば、同社のガソリン販売チャンネルの中に、ブラジルにとって「もう一つの得意分野」であるエタノールをほぼそのまま組み入れることができるからだ。

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 沖縄では、エタノールを主にサトウキビから作ることになる。亜熱帯の自然特性を生かして、沖縄が自前のエネルギー源を持てるかもしれないというのは、さまざまなハードルを超えなければならないにしても、夢のある話だ。

 来年は、日本からのブラジル移民100周年。ペトロブラス関係者も、この日伯の強いきずなが今回の進出の背景にあることを強調した。100周年という節目の年に、140万日系移民の1割を占める沖縄系移民の故郷沖縄に、ブラジル国営石油公社ペトロブラスが精油所を持つ―。大いに象徴的な出来事と言えそうである。

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2007年11月12日

[第24話 食、南] コザのインターナショナルなタイ麺屋

 コザ(沖縄市)には、どこかインターナショナルな空気が漂う。米軍嘉手納基地の門前だからというだけではない。確かにアメリカさんも多いが、インドやフィリピンなどのアジア系やラテンアメリカ系の人々も町を闊歩している。今回はそんなコザの町で、タイの麺料理を出す店を紹介しよう。

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 リチャードさん、ミコさん夫妻がやっているソムチャイ。胡屋十字路に近いセンター街の1本目を左に入ったレンガ敷きのパルミラ通りにある小ぶりな店だ。赤いトウガラシの絵が目を引く。

 リチャードさんはフィリピン生まれのタイ育ち。成人してから家族でカナダに引っ越し、さらに日本に移り、横浜生まれのミコさんと長野で出会い、とうとう沖縄に来てしまったという、まさにインターナショナルを地で行く経歴の持ち主だ。

 少年期を過ごしたタイの料理が一番好きだから、それを広めたくてこの店を始めた、という。「沖縄は野菜がタイとよく似ていますね」とリチャードさん。店名のソムチャイはタイ男性の最もポピュラーな名前。ミコさんが「日本で言えば、太郎さん、みたいな感じです」と説明してくれた。

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 まず、タイ風やきそばのパッタイ。米のめんに肉やえび、豆腐などの具が入る。辛さ、甘さ、酸っぱさ、しょっぱさが全部同居している、これぞタイの味、という感じだ。

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 次は、クイチャオナム。透明なスープに米のめんが入っている。揚げニンニクとバジル、ミント、ネギ、干しえびが香りのアクセント。アジアの香り、である。スープはさっぱりしていてクセがなく、さほど辛くない。焼豚もうまい。舌触りのなめらかなめんがスルスルと入っていく。

 場所柄もあるだろうが、外国人客が多い。リチャードさん、ミコさんが英語で気さくに話しかけるから、日本語に不自由な人でも入りやすいのだろう。赤とライムグリーンのカジュアルな内装が楽しい。胡屋かいわいはシャッター通りが多いが、この店は間違いなく元気だ。

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 沖縄市中央1-17-14 098-937-2208。月、火が定休。国道330号線側からセンター街に入ってすぐ左1本目のパルミラ通りにあるが、車は入れない。センター街から1本目の道を右折したところにある有料駐車場に車を置いて歩くとよい。


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2007年11月06日

[第23話 南] 焼魚再発見―アンゴラ風アジの塩焼き

 新カテゴリー「南」を前回に続けてお届けする。今回は、琉球王国の貿易の舞台だった南シナ海からマラッカ海峡を抜けてインド洋を渡り、一気にアフリカまで行く。喜望峰を回った大西洋を北上したアンゴラが舞台。沖縄とも豚とも関係ないが、それはそれはおいしい南の話を仕入れたので、冷めないうちにアツアツをお伝えしたい。題して、アンゴラ風アジの塩焼き―。

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 能書きよりも、まずはその作り方からいこう。アンゴラ風アジの塩焼きは、たっぷりニンニクを使う。焼いた後はニンニク、ニンニクした味にはならず、ニンニクは裏方に回って深いうまみになるところが面白い。

 まず、すり込むニンニク塩ペーストを作る。ニンニクを入れ、叩いて大まかに砕いたら、塩を加え、ジャリジャリとよくすりつぶしていく。

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 今回はアジだが、脂がのった大きめのイワシが手に入ったら、ぜひ試していただきたい。サンマでもおそらくいけるし、タチウオなどでやってもおいしいかもしれない。とにかく脂がノリノリにのっていることが条件だ。

 魚の側面に、深さ4、5mmの切れ目を1、2本入れる。全体にニンニク塩ペーストをよくぬったうえで、この切れ目の中にもニンニク塩ペーストを詰める。これがコツ。

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 15分ほど室温にそのまま置いてニンニク塩をよくしみ込ませてから、炭火でじっくり焼く。都会のマンション暮らしの人はグリルかロースターで、となる。魚の厚さにもよるが、20分以上かけてゆっくりと焼きたい。

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 焼き上がりは、不思議なほどニンニクの突出した味がしない。ニンニク臭くもない。ニンニクは魚の中に入り込んで、魚の脂と一体になり、見事なうまみに変わっている。

 アンゴラは旧ポルトガル領。この塩焼きもポルトガルの料理技術が伝えられた結果だという。そう言えば、ポルトガルには名物のイワシの塩焼きがあった。

 アンゴラは、すぐ横をベンゲラ海流が北上する。アジ、タイセイヨウニシン、サバ、タチウオ、タイ、サワラ、イカ、タコなど、日本人にもおなじみの魚の宝庫。シイラやハタも上がる。もちろんアンゴラの人々は大の魚好きだ。

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 「こんなにおいしい塩焼きがあったのか」―。塩焼きの味はよく知っているはずの日本人が、驚きをもって再発見する塩焼き。一度お試しあれ。

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2007年10月31日

[第22話 南] 南を上にしてアジアを見る

 これまでの万鐘本店の記事分類は「沖縄」「食」「農」の3つだったが、今回から新カテゴリーとして「南」を加える。沖縄は、さらに南の国や地域との間にさまざまな次元の接点を持つ。それらを紹介したり、時には沖縄をすっ飛ばして南そのものの話題もお届けしたい。初回は「南北逆さ地図」のお話。

 グーグルアースを使うと、上空のさまざまな高さから世界を眺めることができる。北朝鮮の核貯蔵施設だって茶の間で簡単に見られるという。そのグーグルアースで、沖縄と東南アジアの一帯をくるりと南北逆さにしてみたのが、この地図だ。

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 まず、奄美、沖縄、宮古、八重山、台湾、中国・福州が、東シナ海を取り囲むようにして、きれいな弧を描いていることがよく分かる。この弧は、北が上の地図でも全く同じはずなのだが、この地図で見ると妙に目立つ。その部分を拡大してみよう。

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 歴史を振り返れば、この弧は、実際にさまざまなつながりを持ってきた。奄美から八重山までの琉球王国の版図内はもちろん、その先の台湾、中国・福州まで、人々の行き来は盛んだった。琉球王国が中国に朝貢する際の窓口は泉州から福州に移り、そこには琉球の大使館の役割を果たす「福州琉球館」が置かれていた。

 現代に目を転じると、経済発展著しい中国は、上海から香港までの沿岸部一帯が、その牽引役を果たしている。うるま市でリムジンを作っている株式会社アミューザが深圳をターゲットにしているという話は第19話で紹介した。中国南部の沿岸地域に焦点を合わせた時、琉球弧が日本の最前線に位置していることが、この地図だとよく分かる。

 初めの逆さ地図に戻って、もう一つ、目に入るのは、台湾、福州の先に大きく広がる南シナ海だろう。環南シナ海の拡大図がこれ。

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 琉球王国も南シナ海を舞台に、アジアの国々との間で盛んに貿易をしていた。主な貿易の相手国はシャム(タイ)、安南(ベトナム)、ジャワ(インドネシア・ジャワ島)、パレンバン(同・スマトラ島)、マラッカ(マレーシア)、スマトラ(インドネシア・スマトラ島)、パタニ(タイ南部)など。これら南の国々で得たコショウなどを中国に、中国の磁器などを各地に、といった中継貿易をしていた。

 これらの国々はいずれも、明(中国)の朝貢要請に応じる形で、その国際秩序の中で貿易をしていた。初期には、倭冦に手を焼いた明が琉球にその相手をさせようと考えて、数多くの船を与えたり、他国には課した進貢回数の制限を設けないなどの優遇措置をとった結果、琉球はこの貿易ネットワークの中でぐんぐん頭角を現したという。

 白石一郎の歴史小説『怒濤のごとく』に登場する明末期の鄭芝龍も、若き日に長崎、琉球、フィリピン、インドネシア、タイなどをまたにかけた南シナ海の密貿易で財をなした。その鄭芝龍と平戸の日本人妻との間に生まれたのが鄭成功。彼は、清に最後まで抵抗したため中国では英雄視されている、…と、この海域をめぐる話は尽きない。

 南シナ海の地図を見ていると、船を進めるにしたがって安南やマラッカが徐々に近づいてくる感覚になれる。南が下だと、どうもそういう気分になりにくい。だから南を目指す時は、地図をヒョイとひっくり返して「前進」したい。

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