2011年10月16日

ヒラヒラ感がたまらない

沖縄とアジアの食 第5回 フォー

 前回はフォーの写真を出しておきながら、肉の話に終始してしまった。今回から麺の話に移る。そのフォーからいこう。

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 ハノイの旧ハンザ市場の近く。旧市街は、いかにもごちゃごちゃした下町ふぜいが魅力だ。各店舗は間口が狭いからか、通りにまで品を出して売っているので、どことなく屋台店舗風の趣きになる。米粉の菓子、果物、麺類、豆腐、鶏。何でもある。その合間を天秤棒や自転車に野菜などを載せた商人が行き交う。

 食品関係の店に混じって、飲食店もいろいろある。店舗内だけでは狭いので、歩道上にもどんどん展開して、プラスチックのイスを並べる。子供用にしか見えない低くて小さなイス。人々はそこに腰掛けて、麺類やベトナム風の濃いコーヒーをゆっくりと楽しむ。

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 食料品店、飲食店、天秤棒。一つひとつが小さなピースで、街全体がジグソーパズルのように見えてくる。街路樹がどこも適度に張り出して木陰を作っているから、常夏の国ではあっても、意外に涼しい。

 その中に、ひときわ、人の出入りが激しいフォー屋があった。間口1.2mほど。見ていると、次々に客が声をかけ、注文が入る。かなりの人気店らしい。「限定××食、売り切れじまい」といった趣きだ。

 女性3人で切り盛りしている。1人が外でトッピング用の牛肉をせっせと薄切りにしている。前回書いたように、切った後はあまり間を置かずに使うのが衛生管理上のノウハウ。別の1人が奥で麺をどんぶりに入れ、もう1人が具や調味料を入れて熱いスープを注ぎ、客に出す。見事な連携プレー。

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 生牛肉のフォーを注文した。念のため、化学調味料は少しにしてね、と言ったら、分かってるわよぉ、と言わんばかりのはじけるような笑顔で応じてくれた。若いベトナム人に聞いたが、ひと頃は化学調味料全盛で、何にでも大量に入れていたが、最近は敬遠する人もいるらしい。

 麺。ひたすら薄く仕上げてられていて、スープと一体になったヒラヒラした感触がたまらない。スルスル、スルスル、いくらでも入ってしまう。コシめいたものは全くない。コシが欲しいとも思わない。

 麺のコシは、スルスルとすすり上げて口に入れた後、噛んだ時に得られる食感。フォーを食べていて思うのは、薄さとヒラヒラした独特の食感が口いっぱいに広がり、そのボリュームでそれなりの噛み応えがあれば十分、ということ。スープと完全に一体化した麺に、歯を押し戻すようなコシがあったら、かえって邪魔になる。

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 日本では、麺といえば小麦の麺が中心なので、グルテンの生成によるコシが命ということになっている。沖縄でも、沖縄そばは独特のコシで、その話は以前、万鐘本店で書いたが、ともかくコシがなくては話にならない。パスタもそう。芯が残るくらいのゆで加減がいい、とされる。

 フォーの食感は、そうしたコシとは対極にある。が、噛み応えがないわけではない。

 フォーの原材料になるベトナムの長粒種のコメは、粘りのないアミロースでんぷんの含有量が日本米より多い。

 日本の短粒米の品種改良は、粘りの強いアミロペクチンでんぷんの含有量を上げ、粘りを高めることに力が注がれてきた。電気炊飯器も、コンピューター制御で複雑な火加減を実現しているが、その目指すところは、粘りのあるごはんを炊き上げることに尽きる。かくして、いまの日本の食卓に出てくるごはんは、ものすごく粘りが強い。昭和の時代のアミロースが多い米の食感がどんなものだったか、大方の日本人は忘れているのではないか。

 フォーのソフトな歯ごたえは、まさにアミロース中心の食感。粘りはほとんどなく、歯にまとわりつくことがない。実にさらり、としている。透明なスープとの相性抜群の「さらり麺」だ。

 この場合、薄さが命だろう。アミロース中心の麺が太かったり、厚かったりしたら、歯を押し戻す力がない中に歯がだらしなく埋没していくような中途半端な感じになり、もたつくに違いない。薄ければ、歯がスっと入ったとたんに切れて、心地よい。

 この店、これまで食べたどのフォー屋よりうまかった。

 ラッキーなことに1時間後、再び近くを通った。よし、失礼してもう1杯食べようか、と思ってのぞいたら、店はもう閉まっていた。


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2011年10月09日

肉はいつまでもつか

沖縄とアジアの食 第4回 肉扱いの文化

 そろそろアジア麺の話をしようか、と思って、ベトナム・ハノイの旧市街で食べたこのフォーの写真を取り出したら、また肉の話になってしまうことに気づいた。麺好きの方には申し訳ないが、もう1回、肉の話におつきあい下さい。

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 昨年、富山、福井の焼肉チェーン店で出された生牛肉ユッケが原因の食中毒で、4人が亡った。

 肉の取り扱いは難しい。それは必ずしも「取り扱い技術の難度が高い」という意味ではない。肉を取り扱うことが国民的な生活技術、生活文化になっておらず、暗黙の衛生管理基準のようなものがないため、よけい難しくなっているように思える。

 南アフリカ共和国の田舎で、結婚披露宴に出席したことがある。披露宴はひたすら屋外でのダンス。次々に大音響の曲がかかり、参加者は体を動かす。新郎新婦も踊りの輪に加わる。その地域では、結婚式があると牛を1頭つぶし、肉を焼いて参列者にふるまう。久しぶりのごちそうに、ダンスの合間に食事をとる参列者たちの表情もほころんで見えた。

 しばらくして、会場内の小さな小屋に案内された。そこには牛の頭と内臓が置かれていた。部屋が狭いこともあるだろうが、アンモニアの強い臭いがたちこめていた。屠畜から少し時間が経っているようだった。

 南アフリカでは、おかずに牛の内臓の入ったシチューをよく食べる。肉でも魚でも、内臓は栄養豊富で味も濃いごちそう。どの国でも、内臓を捨てるような伝統文化はまず存在しない。

 東京でフランス料理のシェフから聞いた話だが、腕っこきのフレンチの料理人は、ありきたりの肉料理ではなく、内臓料理にこそ腕のふるいがいがあると思っているのだそうだ。それほど、フレンチの内臓料理は多彩で、奥が深いということなのだろう。

 南ア農村の結婚式で、小屋に置いてあった牛の内臓のアンモニア臭を感じながら、思った。「この人たちは、牛の内臓がどれくらいもつかを、よく知っているー」。めったいにないごちそうである牛の内臓を腐らせて終わるなんてことは、絶対にありえない。

 沖縄にも、そういう肉取り扱い技術の文化がある。市場でもスーパーでも、肉が大きな固まりのままで売られている。肉や内臓がどれくらいもつものか、家庭の主婦がだいたい経験的に分かっている。

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 1960年くらいまでの沖縄の農村では、どの家庭も豚を飼い、自分たちで屠畜もやっていた。1頭丸ごと処理するのだから、南アの牛と同じく、内臓まで含めて、すべての部位の取り扱い方法は「常識」だったに違いない。

 日本の本土でも、魚肉の取り扱い方については、文化と呼べる基礎がある。

 たとえば、どれくらいの鮮度なら刺身で食べられるかは、どの魚屋やスーパーも自分で判断している。魚を売る方も、そして大方の客も、目のにごり具合や、身の色、香りなどから、その魚の鮮度がいいか悪いか、ある程度は経験的に判断できる。暗黙の衛生管理基準のようなものがあると言ってもいい。

 一般に、大きな肉ほど腐りにくい。その意味では、魚の多くは、牛肉や豚肉の大きな固まりよりも腐りやすい。ただ、肉の大きな固まりも、空気や異物に触れる表面は、どんどん悪くなっていく。

 焼肉チェーン店での事故の後に「トリミング」という専門用語がニュースで流れた。肉の表面を削ることを言う。そう、大きな固まり肉でも、空気や手が触れる表面は、時間の経過とともに悪くなるから、悪くなった部分を削らなければならない。

 肉食の長い地域では、そういうことが文化として受け継がれている。日本でも、例えばサバは腐りやすいからよほど鮮度がよくなければ刺身で食べる人はいない、といった細かさで取り扱いの文化があるように、肉食文化が根付いている地域では、つぶしてから何日目からは肉の表面をこれくらいの厚さで削り落とす方が安全、といったそれなりの生活技術を多くの人が知っている。

 日本での事件の後に、韓国の焼肉店のスタッフが、なぜそんなことが起きるのか分からない、と首をかしげている映像をテレビのニュースで見た。肉食文化の長い伝統がある韓国では、日本の鮮魚と同じように、肉の熟成と腐敗について社会の経験の層が厚いのだろう。1990年代半ばに韓国の農村部を回ったことがあるが、裏庭で自分で豚をつぶしている農家がまだあった。

 写真はバンコクの市場の肉屋。肉が固まりなのはもちろんだが、冷蔵ではなく、常温で売っている。タイだけではない。東南アジアのほとんどは、精肉を常温で流通させている。それは冷蔵システムが発達していないからではあるのだが、常温となれば、肉扱いの技術はさらに高度なものにならざるをえない。

 常温の方が菌の繁殖速度は速いから、リスクもそれだけ大きい。統計をとれば、冷蔵流通が普通になっている日本より食中毒の発生頻度は高いかもしれないが、では食中毒が毎日のように起きているか、と言えば、さすがにそんなことはないだろう。それを支えているのは、細かい政策・制度でも、高度な検査機器でもなく、長い経験を通じて培われてきた普通の人々の肉に関する鮮度感覚にほかならない。

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 冒頭写真のハノイのフォーの店では、のせる牛肉を、担当の女性が大きな肉の固まりから薄く切り分け、すぐ使っていた。切り分けて、あまり時間をおかずに使うことがノウハウといえる。それなら、新たに表面に出た部分に菌が繁殖しない。

 こういう扱い方が分かっているから、常夏の国で、冷蔵庫もなしで、生肉を食べてもめったにあたらない。もし、しばしばあたるようなことがあれば、みなが危険を感じて、星の数ほどあるフォー屋も、生肉のせをやめざるをえなくなってしまうだろう。

 もう少し細かく言うなら、フォーの生牛肉の安全については(1)肉の鮮度(2)かけるスープの温度(3)肉の厚さと量―の3つの要素が重要だと思う。

 ベトナムは長い肉食文化を持つ地域なので、鮮度の悪い肉を使うことは一般的には考えにくい。数多くの客が訪れる人気店なら、試されずみの客数が多いという意味だけでなく、原材料の回転がよいという意味でも、さらに安心だろう。

 万一を考えて、スープによる熱殺菌効果を期待するには、スープが90度、95度といった高温でないといけない。それは注がれるスープの湯気の立ち具合を見ればだいたい分かる。

 加えて、肉があまり厚いとスープの温度が肉の中心まで伝わらない。肉の量が多すぎても、冷たい肉がスープの温度を下げてしまう。

 適度な厚さと量の肉がのり、湯気がたっぷりと上がる鍋から熱々のスープがかけられて、フォーが出てきたら、肉をスープによくひたしながら少し待ち、肉全体が白濁気味のミディアム状態になってからおもむろに食べる。

 日本本土は、特に戦後、肉の大量生産が行われるようになって、肉食が一気に大衆化した。しかし、肉を扱う伝統文化は弱いから、扱い方を知らない人が肉を扱う可能性がどうしても高くなる。特に、高度な判断を求められるユッケのような境界線のところで、社会全体の経験不足が出てしまうように思う。

 食のあり方に政府が介入して特定の食べ方を「禁止」したりするのはいかがなものかと思うが、るる述べてきた文脈からすれば、取り扱い方法がよく見えない飲食店が出す生肉については「無理をしないでおく」というのが正解のような気がする。

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2011年10月02日

アグーはラードをとる豚だった

沖縄とアジアの食 第3回 M字のアジア地豚
 
 ラードといえば、アグーと呼ばれる沖縄在来種の豚は、ラードをとるための豚だった。沖縄の昔の暮らしでラードがいかに大切な食品だったかは、前回、述べた通り。その大切なラードを供給してくれたのがアグーだった。

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 アグーは、体重80kgくらいの小さな体に、厚さ4、5cmもの背脂肪が載っている。西洋種の豚が、体重が110kgにもなるのに背脂は2cmに届かなかったりするのと全く対照的だ。

 西洋種は、肉を少しでもたくさんとるために脂肪が薄くなるよう、長い時間をかけて改良されてきた。これに対してアグーはもともと脂がたっぷりあるからこそ重宝された。

 戦後、アグーは西洋種と交配が進み、純系種が消えかけていたのを、さまざまな人々の努力で、ようやく純系種に近いとされる状態にまで「戻し交配」したところ。産肉を目指すとしたら、そのための改良はこれから、というのが実態だ。アグーに限ったことではないが、安定した系統の造成には、少なくとも20-30年かかる。

 そもそもアグーはラードをとるための豚なので、肉は少ない。脂が多くて肉が少ないこと、にもかかわらず生育期間が、つまり餌代をはじめとする生産コストが2倍以上になること、さらに時間をかけても体はあまり大きくならないことを考え併せると、アグーの価格は、すぐ大きくなって肉が大量にとれる西洋種の豚肉の3、4倍になってしまう。いくら希少価値といっても、100gで400円もするような高い豚肉が売れるはずもない。

 現実的な解決策として、経済性の高い西洋種とかけ合わせた豚を「アグー」の名前で売ることになる。出回っている「アグー」のほとんどは、アグーの血が一部入った西洋種との交配豚だ。

 アグーは500-600年前に中国から入ってきたらしい。小型で毛が黒い。ラオスでもベトナムでも、アグーに似た地豚を見た。

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 2枚の写真はラオスで見た地の豚。2頭の豚とも雌で、いずれも乳がよく張っている。1枚目は毛が黒だが、下腹部は少し白い毛が混じっている。2枚目は、赤土の泥水を浴びたばかりなので、すっかりそんな色になっているが、毛は黒に少し白が混じっている。こちらは体が少し大きかった。体つきから見て、中国系の改良種の血が混じっているかもしれない。

 2頭の豚とも、背中がくぼんで、横から見るとアルファベットの「M」のように見える。冒頭のアグーも、心なしかM字っぽい。昔のアグーの写真を見ると、もっとはっきりM字の形をしているものもある。下の写真はベトナムで見た地豚。やはり背中がくぼんでM字に見える。

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 アジアにはM字の豚があちこちにいるようだ。ラオスの豚もベトナムの豚も、アグーと同じく、ラードタイプの豚とみられる。途上国の田舎では、舎飼いではなく、放し飼い。そこらじゅうを歩き回ってはエサを探している。

 アグーは、本来の役割、つまりラード作りに生かした方がいいように思う。アグーの脂の質は非常に優れている。融点が低く、口どけがよい。イベリコ豚と同じように、夏場は常温で脂が溶け出すほど。大げさに言えば、ラード観が変わってしまうくらいの、すっきりした脂だ。

 一般の人が最もラードを身近に食べているのは、トンカツ専門店のトンカツだろう。トンカツ専門店のトンカツが香ばしく、サクサクした食感で、うまみが感じられる最大の理由は、揚げ油にラードを使うから。

 でも、アグーの高級ラードを、揚げ油として大量に使うのはあまりにもったいない。そのまま食べる料理に使いたい。

 例えば、サラミソーセージの白い脂は豚のラードだが、そこにアグーのラードを使ったら、さぞおいしいサラミができるだろう。あるいは、シンプルなキャベツいため。フライパンにアグーのラードをひとさじ入れて加熱し、キャベツをよくいためて塩をふるだけ。加熱されたラードとそれで焼かれたキャベツの香り高さ。あきれるほどうまいはずだ。火を止める前にジャッと醤油をたらせば、ごはんに最高のおかずになる。

 万鐘島ぶたのラードも、融点の低さとすっきりした感じはアグーに負けていない。商品化してはいないが、万鐘島ぶたのラードついてはこちらの過去記事をどうぞ。

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2011年09月25日

煮魚の奥から「あの味」が

沖縄とアジアの食 第2回 アンダカシー

 ベトナム・ホーチミン市の食堂で、雷魚の煮付けを食べ進むうちに、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にあるのに気づいた。もぐもぐしていると、複雑な甘辛味の奥から「あの味」がじわじわと口に。久しぶりに旧友に出会ったような懐かしさ。アンダカシーじゃないか。

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 アンダカシーはウチナーグチ(沖縄語)。「アンダ+カシー」を和語にすれば「脂+かす」。豚のラードをとった後に残るカリカリした脂身かすのことだ。沖縄でも若い世代や都市部の人はアンダカシーを知らないかもしれないが、農村部の商店などには、今もアンダカシーが置かれていることがある。

 ラードの作り方はこうだ。写真は沖縄ではなく、ラオス北部の食堂で見かけたもの。やり方は沖縄と全く同じ。大きな鍋に豚の脂身と水を入れて火にかける。加熱された脂身からラードが徐々に溶け出してくる。

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 やがて溶けた脂の量が水の量を上回り、最後は水が完全に蒸発する。脂身は、自身が出したラードによってカリカリに揚げられて終わる。これがアンダカシー(冒頭の写真)。

 もちろん主産物はラードだ。昔の沖縄では、年末などに豚をつぶしたが、肉の方はすぐ食べてなくなってしまう。冷蔵庫のない時代には肉を大量の塩で漬け込んでスーチカーとして保存したが、それでも、脂の果たした「細く長い役割」には遠く及ばない。

 ラードは酸化しにくい。植物油はすぐ酸化してしまうし、家庭で搾油することも簡単ではない。ラードなら簡単にたくさんとれて、しかも酸化せずに常温で長い間保存できる。

 今と違って、昔の生活では、肉はたまにしか食べられないが、常備されているラードを野菜の煮込みやみそ汁に少し加えれば、すばらしい味と香りと栄養が得られた。ふだんの沖縄の食生活では、豚肉よりもラードの方が大きな役割を演じていたに違いない。

 写真はラオスの市場。こんなふうに豚の脂身がドカンと売られている。それだけニーズが高いからだろう。

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 アンダカシーはラード作りの副産物ながら、脂身がきつね色に焦げて、何とも言えない独特の香りを放つ。料理に加えれば、コクと香りを与えてくれる。

 ベトナムの雷魚の煮付けにアンダカシーが必ず入っているというわけではないが、くだんのホーチミン市の食堂は、アンダカシーを入れることでコクと香りを一段と高めていたのだろう。雷魚自体はあまり脂のない淡白な魚なので、全体のコクを増すのにアンダカシーはうってつけなのだ。

 沖縄でも、かつてはアンダカシーをいろいろに使った。例えばー。

 沖縄には、アンダンスーと呼ばれるごはんのお供がある。万鐘の肉みそは豚赤身肉を煮込んで作るが、アンダンスーは豚三枚肉を小さく切って、味噌、砂糖とともにいためて作る。久米島出身のある知人がアンダンスーの意外な作り方を教えてくれた。

 「うちの母は、三枚肉ではなく、アンダカシーでアンダンスーを作っていました」

 アンダカシー入りのアンダンスー。さぞ香ばしかったことだろう。

 沖縄やアジアだけではない。アンダカシーは、アメリカの大きなスーパーにも置かれていたし、南アフリカの農村部でも見かけた。豚を食する世界中の人々が、同じ技術でラードをとり、アンダカシーを楽しんでいる。

 アンダカシーは料理に使われるが、ちょっと塩をふってそのまま食べれば、おやつや酒のアテにも最高だ。

 ところでー。ラードと言えば「体に悪い」と条件反射のように考えてしまうクセが今の日本人にはあるが、それはおそらく違う。ラードを食用に使っているラオス人が太っているわけではない。今の沖縄の肥満はひどいが、ラードを食べていた昔、沖縄県民が肥満に悩むなどという話はなかった。

 なぜ? 答えは簡単。ラオス人も昔の沖縄も、まずは食べる油脂の総量が少なかったのだ。今の日本は、油脂の摂取量が多すぎる。もし同じ調子でラードを大量に食べたら体に悪いに決まっている。

 逆に、少量の良質なラードを賢く食生活に取り入れれば、食は豊かになるはず。マーガリンやショートニングなどトランス脂肪酸を多く含む油脂を大幅に減らして、少量の良質なラードをうまく取り入れればいいのではないだろうか。

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2011年09月18日

死んだ魚は買いません

 シリーズ「沖縄を創る人」に加えて、新シリーズ「沖縄とアジアの食」を始めます。沖縄はアジアへの玄関口。アジアを歩くと、あちこちで沖縄とよく似た豊かな食に出会います。新シリーズでは、そんな話を綴っていきます。更新は毎週日曜日。不定期になりますが、「沖縄を創る人」も随時掲載します。


沖縄とアジアの食 第1回 雷魚の甘辛煮

 ごはんにのった輪切りの煮魚。ベトナムの国民的ごはんのおかず、雷魚の甘辛煮だ。醤油と砂糖で作る日本の甘辛味の魚の煮付けと似ていて、ごはんがすすむ、すすむ。

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 日本の魚の煮付けと似てはいるが、ベトナムの煮魚の味わいはもっと複雑な感じ。使われている調味料が日本の煮魚と違う。

 まず、醤油ではなく、魚醤ヌクマムを使う。煮込み料理なので、ヌクマム独特の香りはほとんど飛んでしまい、うまみだけが残っている。ヌクマムのうまみは、醤油よりは線が細いが、先のとんがったモリで突くような鋭い強さがあって、彫りの深い味を作り出す。

 魚の煮汁の甘みは、砂糖をひとひねりしたカラメルが担う。カラメルは砂糖を加熱して少し焦がしたもので、日本ではプリンのソースとしておなじみ。焦がし具合にもよるが、甘みにわずかな苦みが加わるから、ただの砂糖よりも複雑な味になる。

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 雷魚は淡水魚なので、微かな臭みがあるが、魚醤とカラメルの煮汁がその臭みを消してくれる。

 中までしっかりと甘辛味がしみ込んだ煮魚を白いごはんと一緒に口に入れれば、アジアのごはん文化の豊かさをしみじみと実感できる。アジアの米どころと言えば、まずはタイと、このベトナムを挙げないわけにはいかない。知人のベトナム人が言った。

 「南部のメコンデルタには巨大な精米所が軒を並べていますよ」

 メコンデルタは、場所によって3期作までできるそうだ。

 ベトナムは日本とよく似た形で、南北に長い海岸線を持つ国なのだが、食卓に出てくる魚と言えば、決まって雷魚のような淡水魚だ。なぜだろう、と考えているうちに、面白いものを見た。

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 ホーチミン市郊外の巨大な魚卸売市場。大きな鍋のようなタンクがいくつも並ぶ。聞けば、生きた魚を入れて運ぶタンクとのこと。一緒にいたベトナム人が言った。

 「ベトナム人は、死んだ魚は買いません」

 その後、各地を回ったが、地方の小さな市場でも、たらいの水に入れて生きたままで売られている魚が多かった。

 それにしてもー。魚より水の方がはるかに重いのだから、生きたまま運べばかなりの運搬コストになるはず。

 日本では、ベトナム流で言えば「死んだ魚」が鮮魚店に並んで鮮度を競っている。が、周年、摂氏30度近いベトナムでは、死んだ魚はすぐ腐敗する。「新鮮な魚」から「危ない魚」に変わるまでの時間が短いから、「生きた魚」にこだわらざるをえない、ということか。

 海の魚を内陸まで生きたまま運ぶことはできないから、生きた魚を食べようとすれば、消費地に池を掘り、そこで淡水魚を養殖する以外にない。実際、ベトナムの内陸部で、こんなところに、と思うような場所に灌漑兼養殖のための大きな池が作られているのをあちこちで見た。 

 ホーチミン市の、ある食堂で昼ごはんに定番の煮魚を食べながら、ベトナム人と淡水魚のそんな関係をつらつら考えていたら、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にいくつかあるのに気づいた。ん? 魚ではない。何だろう。

 続きは次回9/25に。

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2011年07月17日

大学入試が変われば、英語を話す人が増える

沖縄を創る人 第27回
 サイ・テク・カレッジ那覇主任講師 小波本あゆみさん(下)

 
 専門学校で英語を教える小波本あゆみさんは、沖縄ならではの質問を受けることがある。米軍関係者と結婚した沖縄の女性に共通の悩み、子供を日本の学校に入れるか、基地内の学校に入れるか、という相談だ。

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 「将来、その子が日本で暮らすか、アメリカで暮らすか、です。日本で生きていくなら日本の学校、アメリカで暮らすなら基地内の学校を勧めます」

 言語力は、学校で習うものも大きいが、それと日常生活の言語環境とのギャップに注意しなければならないと小波本さんは言う。

 「例えば、米軍基地内の学校を出たとします。そのまま日本社会に入ると、普通の日本人より英語は少しできるけど、日本語は漢字が読めないといった中途半端なことになります。日本社会で生きていくなら、日本の学校の方が力をつけてくれるわけです」

 「アメリカで暮らすなら、英語力がつく基地内の学校ということになりますが、基地内の学校を出て英語で勝負しようとしても、米本土に行ったら、ネイティブには太刀打ちできません。やはり米本土に渡って日常の言語環境を英語に切り替え、そのうえで向こうの大学などで本格的に英語力を鍛えないと、あちらでの競争力は得られません」

 前回、英語を話す力をつけるのに必要だと小波本さんが強調した「文を組み立てる練習の繰り返し」の最大のものが、実は日常の言語環境なのだ。周囲が日本語でコミュニケーションしていれば、こちらも日本語で話そうと努力し、文を組み立てる訓練を毎日、毎日、自然に繰り返すことになる。基地内の学校といっても、社会環境全体は日本語世界。

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 逆に、相手が英語ならば英語で文の組み立て訓練を毎日やることになる。

 沖縄は本土復帰前、米軍の軍政下にあった。基地内やその周辺で働く人も多かった。米軍人と遭遇し、コミュニケーションする場面は、今よりずっと多かったに違いない。

 沖縄のお年寄りの中には、氷水のことを「アイスワーラー」と呼ぶ人がいる。本土復帰前の米軍支配時代に、生きるための英語を体当たりで身につけた世代だ。学校で英語を習ったことが全くなくても、本当に必要ならば相手が何を言っているのかを必死で聞きとり、それをマネする。Ice waterをアメリカ人が発音したら「アイスウォーター」ではなく「アイスワーラー」になるのだ。

 いま小学校での英語教育導入が進んでいる。小波本さんに言わせれば、日本社会で育っている子供が、週一回の英語の授業で会話ができるようになるのは無理。

 「一番大切なことは、母国語をしっかり身につけてからの外国語の習得であること。自分のアイデンティティの確立のためには、どの言語で自分の気持ちを言語化するかがとても重要です。まれに、きちんと二分化できる人がいますが、多くの人は混乱するか、母国語と外国語がちゃんぽんになってしまうかだと思います」

 「小学校での英語教育の最も重要なことは、英語で話すことが恥ずかしくない、という感覚をできるだけ養うこと。自分の伝えたいことを相手に伝えるため、身振り手振りも加えて、一生懸命工夫をすること。つまり、コミュニケーション能力を高めるということです。これは、日本語でのコミュニケーション能力にも繋がってきます」

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 では、日本人がもう少し英語を話せるようになるのに最も効果的な方法は? 小波本さんは即座に答えた。

 「大学入試のあり方を変えること。中学、高校の英語教育は、すべて大学入試につながっていますから」

 大学入試が、今のような分析型ではなく、文を組み立てる力をみるタイプのものに変われば、中学高校でもそのようなスキル訓練が重視されるようになるという。

 例えば、米国が外国人の英語学習者向けに実施しているTOEFL(トーフル)試験は、高いスキルを要求され、分析力だけでは高得点できない。日本人が苦手な英語試験といわれる。大学入試がそうしたタイプの試験になれば、中学高校の英語教育も焦点がそこに移るはず、と小波本さんはみている。

 [小波本あゆみさんとつながる] 小波本さんが勤務するサイ・テク・カレッジ那覇のHPはこちら。小波本さんが教鞭をとっている国際コミュニケーション情報科の説明もある。日本人が苦手とされるTOEFLのHPはこちら

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2011年07月10日

日本人が英語を話せない3つの理由

沖縄を創る人 第26回
 サイ・テク・カレッジ那覇主任講師 小波本あゆみさん(上)


 米軍基地の存在で、本土よりも「英語が身近にある」とされる沖縄。でも、英語が話せる県民はごくわずか。なぜだろうか。専門学校で長年英語教育を続けてきた小波本あゆみさんに聞いた。

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 小波本さんは、短大の英語科を出た後、ハワイの大学に2年間留学。沖縄に戻ってからは専門学校でずっと英語を教えてきた。その途中で小学校の英語指導員(JTE)も経験した。現在は那覇市の専門学校、南星学園サイ・テク・カレッジ那覇の国際コミュニケーション情報科で教鞭をとる。

 小波本さんによると、多くの人が英語を話せない理由は3つある。

 第1は、なんといっても「恥ずかしい」という気持ち。

 「日本人の多くは、もし間違っていたらどうしよう、恥ずかしい、とつい考えてしまいます」と小波本さんは言う。

 小波本さん自身、ハワイ留学時代、アメリカの学生らが、あまり内容のないことでもどんどん話そうとするのを見て、恥ずかしがりの自分を自覚したという。恥ずかしさを意識してしまったら、言葉が出てこなくなるのは当然。高い場所に上って、下を見たとたんに足がすくむようなものだろう。

 「内気で恥ずかしがり屋の日本人」を克服しようとすれば、そうした感情を意識的にフタをするしかなさそうだ。清水の舞台から飛び降りる、という言葉もある。

 「発音のまずさ、を気にする人も多いですが、英語の発音にもいろいろあります。TOEIC(トーイック)のテストでも、アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語をわざと混ぜているくらいです。日本語なまりを気にしてはいけません」

 さて、英語がうまく話せない理由の第2は、言葉の並べ方としての文法を知らないこと。文法は、学校である程度は教えてくれるから、学校優等生ならばそこそこ分かっているかもしれない。

 「でも普通の生徒の多くは、heの時はis、過去ならwasと、個々の事項をバラバラに記憶しているだけ。条件反射のようなものです」

 小波本さんが専門学校生に、be動詞とは何か、どう変化するか、を体系的に教えると、「初めて分かった」と納得する学生がたくさんいるという。

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 いよいよトリ、第3の理由にいこう。それは、英文の組み立て訓練の圧倒的な不足、だ。第1、第2の問題までクリアできたとしても、これができないために話せない人がたくさんいるという。

 「学校は、さまざまな形で英語を分析してみせます。テストもそういう力を問います。しかし、分析を何回繰り返しても、話す力、つまり文を作る力はつきません。文を作る力は、文を作る訓練を繰り返すことでしかつかないんです」

 確かに、学校の英語教育に大きな影響を与えている大学入試も、伝統的に、分析的なもの、分析力を問うものが多いようだ。

 しかし、話せるようになるには、実際に文を作ってみることを繰り返し、スキルをつけるしかない。よく考えてみれば、これも当たり前のことかも。

 スポーツの世界で考えるとすぐ分かる。例えば、ビデオで相手チームの動きをいくら完璧に分析できたとしても、実際に自分たちが体を動かして何度も何度も練習を繰り返し、グラウンドやコートに立った時の力をつけなければ、勝てるわけがない。

 小波本さんに言わせれば、日本の学校の英語教育は、体を動かす練習をほとんどしないで、ビデオ分析ばかりやっていることになる。だから、相当の学校優等生でも、英文法には詳しいが一言も話せない、という人がたくさんいるのだ。

 「話す力は、アナリシス(分析)する力ではなく、クリエーション(創造)する力なんです」

 小波本さんの話をまとめると、どうすれば英語が話せるようになるかが見えてきそうだ。まず「間違ったらどうしよう」という羞恥心に意識的にフタをすること。次に、単語の並べ方である文法をひととおり体系的に理解すること。さらに、そうした文法理解の上に立って、英文を組み立てる作文練習を何度も何度も繰り返し、実際に英文を組み立てる力をつけること。3番目は、訓練、練習なので、ある程度の時間がかかる。

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 「語彙の不足」もよく指摘されるが、どうだろうか。

 「作文練習を繰り返すと語彙が増えていきますよ。例えば簡単な日記を英語で書いてみる。ゲームの話でも、その日の体調の話でもいいですから、これは英語で何て言うのかな、と辞書で調べながら書く。そうすれば、学校では習わないけれど、生活に顔を出すさまざまな単語を英語で書くことになります」

 原発も放射能も、便秘も下痢も、キクもガジュマルも、おそらく学校では教えない。でもこれらの単語を使わずに暮らすことは不可能。英語日記を書けば、日常に登場する言葉を次々に英語にしなければならない。辞書を引き引き、そんな語彙がどんどん増えていくという寸法だ。

 続きは次回7/17(日)に。

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2011年05月08日

南が上の「アジアが見える地図」近日発売

 [お知らせ シリーズ「沖縄を創る人」の更新をさらに1週間延期し、今回は、万鐘オリジナルの南北逆さ地図「アジアの世紀」を紹介します]

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 理由はよく分からないが、人の目の動きは、上から下に向かうよりも下から上に向かう方が自然、ということなのかもしれない。

 写真は、アジアを南北逆さにした万鐘オリジナル地図「アジアの世紀」。見慣れた地図と上下が反対なので最初は戸惑うが、しばらく我慢してながめていると、普通の地図を見る時とは全く違う感覚が得られる。アジア各国がくっきりと存在感を示し、なんとも身近に感じられるのだ。

 北が上のアジア地図だと、中国南部から東南アジアにかけての一帯は、視野の左下の方に来る。下の方には細かい神経が届かないからなのか、「いくつかの国がごちゃごちゃある」というイメージになりがち。だから、現地に行ったことのある人を別にすれば、アジア各国の位置や都市名について、案外知らない人が多いのではないだろうか。

 南北をひょいと逆さにして、南を上にもってくるだけなのだが、これだけでまるで違うアジア像が浮かび上がるから不思議。最初は見慣れないため違和感が強いが、しばらく見ていると、アジア諸国や各都市が、ひとつひとつ目に入ってくる。

 シンガポールって、思ってたより遠い。これがマラッカ海峡か。ミャンマーが意外に大きい。四川省はだいぶ内陸。バングラデシュより東にもインド領があったとは。お茶のアッサムがそこにあるぞー。

 次々に発見がある。「アジアが見える」感があって、たまらない。

 考えてみれば、地球は丸く、人がその表面を移動する時には「上」も「下」もない。南北逆さ地図で、例えば、琉球王国時代の貿易船の進路をイメージしてみれば、それが実感できる。下の拡大図を下からスクロールしながら、次のルートをたどってみてほしい。

 沖縄から出発し、弧を描くようにして台湾の南を経て、中国福建省にたどりつく。さらに大陸の海岸線に沿って南シナ海をベトナム方面に向けて航行する。

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 その先でタイに行くこともできるし、マレー半島からスマトラ、ジャワを目指すこともできる。

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 この南進ルート、北が上の地図よりも、逆さ地図の方がずっとラクにたどれる。まるで船に乗って進んでいるような感覚ー。

 万鐘本店はかつて、グーグルアースを使って、南北逆さ地図を実験したことがある。その時、多くの読者から「そういう地図はないですか」という問い合わせをいただいた。あれから5年余り。ようやく、オリジナルの南北逆さ地図が完成の運びになった。

 全体像は最初の写真の通り。左下に日本本土、その上部に沖縄、その右上方に中国大陸と南シナ海、東南アジア各国が広がる。さらにその右側にはバングラデシュ、インドの半分くらいとスリランカまでが入っている。

 アジアは、多くの人口が集中し、高い経済成長を続ける、21世紀の地球の中心舞台。アジアの東端に位置する日本にとって最も重要な地域であることは言うまでもない。アジアへのゲートウェイに位置するわが沖縄にしてみれば、なおさら。

 南北逆さ地図「アジアの世紀」は、各国とも国境線と主要都市が入っている。高低差や河川、道路は含まれていない。都市は、人口規模を基本にした。50万人以上の都市の多くが含まれ、30万程度の都市も一部入っている。ただし、クアラルンプールやジャカルタ、東京など、一部の大都市圏は、至近距離に複数の大都市がひしめいているため、周辺都市名の一部はスペースの関係で割愛せざるをえなかった。中国とインドは広大で、都市だけでは位置がよく分からないため、省や州の境界と省州名も入れた。

 サイズはB2変形判。発売開始は5月下旬の予定。販売は、この万鐘本店ではなく、物販専門の万鐘YH店になります。発売開始はこの本店でも左側の欄でお知らせします。どうぞお楽しみに。

bansyold at 02:27|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック