インディカ

2013年01月02日

縄文時代は熱帯米を畑で作ってた

 あけましておめでとうございます。みなさん、どんな新年を迎えられましたか。

 1年の始まりにふさわしいお米の話をしましょう。アジアのお米ばなしです。きょうは「日本のアジア米」について。そんなのあるの? はい、「あった」んです。

 ところで、アジア米といえば、最近「おっ」と思ったのは、ベトナムが世界一の米輸出大国になりそう、というニュースでした。世界の米輸出国といえば、そのベトナム、タイ、パキスタン、インド。これまでタイがずっと1位だったんですが、タイの輸出が落ち込んでいる間にベトナムが追いついたんでしょうか。

 アジア各国は、米の生産量もすごいですが、食べ方の豊富さもなかなか。白いごはんとして食べるのはもちろんですが、そのほかに多様な米麺になりますし、米粉を使ったお菓子、おやつ類もいろいろあります。

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 熱帯アジアの米は、日本のそれとは違って、インディカと呼ばれる細長い米です。日本で食べられている丸いタイプの米は粘りが強くてねっちりとした噛みごたえがあり、それだけでも十分おいしいものです。一方、アジアの米は、さらっとした口あたりで、香りがよく、いろいろなおかずによく合い、たくさん食べてもおなかにもたれません。

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 そのアジア米ですが、かつては日本でも、熱帯アジアの米が作られていた、という話があります。「かつて」といっても、はるか昔、なんと縄文時代のことです。

 「縄文時代の次の弥生時代に、渡来人が稲作をもたらした」と歴史の時間に教わりませんでしたか。ところが、この20年ほどの間にイネの遺伝子分析などが進んで、どうもそうではなかったらしいことがだんだん分かってきました。

 どうやら、日本の稲作は、弥生時代ではなく、縄文時代から広く行われていたようなんです。

 ただし、縄文の日本で広く行われていたのは、水田ではありません。熱帯アジア原産の陸稲の栽培でした。

 今のような水田の稲作は縄文末期に入ってきたのですが、それが日本じゅうに広まるのにはだいぶ時間がかかったこともあり、その後も、陸稲栽培はかなり長い間、あちこちで行われていたらしいのです。

 この説、アジアを歩いていると、説得力を感じてしまいます。アジアの中でも、あまり農業生産が盛んでないような山がちの場所などでは、今でも山の斜面でまだかなり陸稲が作られています。陸稲栽培を見ていると、ああ、これならだれでもできるなあ、と思います。

 というのも、水田は、土木工事しないとできません。土地を真っ平らにして、周囲にあぜを起こす必要があります。もちろん、大昔はブルドーザーもパワーショベルもありませんし、金属製のスコップや鍬さえもなかったわけです。広大な面積の大量の重たい土を動かす作業を、すべて人力でやらざるをえません。

 それはそれは過酷な作業です。よほど土地が好条件で、しかも何か強い動機がなければ、水田造成に踏み切ることはなかったでしょう。

 ところで、この日本の陸稲は、アジアの多くでいま作られているインディカ米ともまた違う「熱帯ジャポニカ米」と呼ばれる稲でした。ジャポニカという名前で誤解しそうなんですが、日本原産ではありません。熱帯アジアの米です。それが南の方から日本にもたらされたんですね。

 日本の米は、南方のアジア地域から沖縄を経て日本本土にもたらされた、というのは、柳田国男の有名な「海上の道」説です。

 最近の研究で、熱帯ジャポニカの日本国内での広い分布の痕跡が確認されたこともあって、この「海上の道」説が再び注目されているみたいです。熱帯ジャポニカは、黒潮に乗り、沖縄を経て北上し、なんと東北地方まで行き渡っていました。

 話がずいぶん昔のことになってしまいましたが、日本も、今は当たり前の水田風景の前に、熱帯アジア原産の陸稲を盛んに栽培していた時代が長かった、というのは、意外に新鮮な発見じゃないかな、と。

 アジアの米ばなし。次回から、現代のアジアに戻ります。「アジアの白ごはん」からいくつもりです。

 万鐘ももと庵は1/4から営業を開始します。ご来店をお待ちしています。ネットショップは既にオープンしていますよ。どうぞご利用下さい。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote