コク
2011年09月25日
煮魚の奥から「あの味」が
沖縄とアジアの食 第2回 アンダカシー
ベトナム・ホーチミン市の食堂で、雷魚の煮付けを食べ進むうちに、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にあるのに気づいた。もぐもぐしていると、複雑な甘辛味の奥から「あの味」がじわじわと口に。久しぶりに旧友に出会ったような懐かしさ。アンダカシーじゃないか。
アンダカシーはウチナーグチ(沖縄語)。「アンダ+カシー」を和語にすれば「脂+かす」。豚のラードをとった後に残るカリカリした脂身かすのことだ。沖縄でも若い世代や都市部の人はアンダカシーを知らないかもしれないが、農村部の商店などには、今もアンダカシーが置かれていることがある。
ラードの作り方はこうだ。写真は沖縄ではなく、ラオス北部の食堂で見かけたもの。やり方は沖縄と全く同じ。大きな鍋に豚の脂身と水を入れて火にかける。加熱された脂身からラードが徐々に溶け出してくる。
やがて溶けた脂の量が水の量を上回り、最後は水が完全に蒸発する。脂身は、自身が出したラードによってカリカリに揚げられて終わる。これがアンダカシー(冒頭の写真)。
もちろん主産物はラードだ。昔の沖縄では、年末などに豚をつぶしたが、肉の方はすぐ食べてなくなってしまう。冷蔵庫のない時代には肉を大量の塩で漬け込んでスーチカーとして保存したが、それでも、脂の果たした「細く長い役割」には遠く及ばない。
ラードは酸化しにくい。植物油はすぐ酸化してしまうし、家庭で搾油することも簡単ではない。ラードなら簡単にたくさんとれて、しかも酸化せずに常温で長い間保存できる。
今と違って、昔の生活では、肉はたまにしか食べられないが、常備されているラードを野菜の煮込みやみそ汁に少し加えれば、すばらしい味と香りと栄養が得られた。ふだんの沖縄の食生活では、豚肉よりもラードの方が大きな役割を演じていたに違いない。
写真はラオスの市場。こんなふうに豚の脂身がドカンと売られている。それだけニーズが高いからだろう。
アンダカシーはラード作りの副産物ながら、脂身がきつね色に焦げて、何とも言えない独特の香りを放つ。料理に加えれば、コクと香りを与えてくれる。
ベトナムの雷魚の煮付けにアンダカシーが必ず入っているというわけではないが、くだんのホーチミン市の食堂は、アンダカシーを入れることでコクと香りを一段と高めていたのだろう。雷魚自体はあまり脂のない淡白な魚なので、全体のコクを増すのにアンダカシーはうってつけなのだ。
沖縄でも、かつてはアンダカシーをいろいろに使った。例えばー。
沖縄には、アンダンスーと呼ばれるごはんのお供がある。万鐘の肉みそは豚赤身肉を煮込んで作るが、アンダンスーは豚三枚肉を小さく切って、味噌、砂糖とともにいためて作る。久米島出身のある知人がアンダンスーの意外な作り方を教えてくれた。
「うちの母は、三枚肉ではなく、アンダカシーでアンダンスーを作っていました」
アンダカシー入りのアンダンスー。さぞ香ばしかったことだろう。
沖縄やアジアだけではない。アンダカシーは、アメリカの大きなスーパーにも置かれていたし、南アフリカの農村部でも見かけた。豚を食する世界中の人々が、同じ技術でラードをとり、アンダカシーを楽しんでいる。
アンダカシーは料理に使われるが、ちょっと塩をふってそのまま食べれば、おやつや酒のアテにも最高だ。
ところでー。ラードと言えば「体に悪い」と条件反射のように考えてしまうクセが今の日本人にはあるが、それはおそらく違う。ラードを食用に使っているラオス人が太っているわけではない。今の沖縄の肥満はひどいが、ラードを食べていた昔、沖縄県民が肥満に悩むなどという話はなかった。
なぜ? 答えは簡単。ラオス人も昔の沖縄も、まずは食べる油脂の総量が少なかったのだ。今の日本は、油脂の摂取量が多すぎる。もし同じ調子でラードを大量に食べたら体に悪いに決まっている。
逆に、少量の良質なラードを賢く食生活に取り入れれば、食は豊かになるはず。マーガリンやショートニングなどトランス脂肪酸を多く含む油脂を大幅に減らして、少量の良質なラードをうまく取り入れればいいのではないだろうか。
ベトナム・ホーチミン市の食堂で、雷魚の煮付けを食べ進むうちに、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にあるのに気づいた。もぐもぐしていると、複雑な甘辛味の奥から「あの味」がじわじわと口に。久しぶりに旧友に出会ったような懐かしさ。アンダカシーじゃないか。
アンダカシーはウチナーグチ(沖縄語)。「アンダ+カシー」を和語にすれば「脂+かす」。豚のラードをとった後に残るカリカリした脂身かすのことだ。沖縄でも若い世代や都市部の人はアンダカシーを知らないかもしれないが、農村部の商店などには、今もアンダカシーが置かれていることがある。
ラードの作り方はこうだ。写真は沖縄ではなく、ラオス北部の食堂で見かけたもの。やり方は沖縄と全く同じ。大きな鍋に豚の脂身と水を入れて火にかける。加熱された脂身からラードが徐々に溶け出してくる。
やがて溶けた脂の量が水の量を上回り、最後は水が完全に蒸発する。脂身は、自身が出したラードによってカリカリに揚げられて終わる。これがアンダカシー(冒頭の写真)。
もちろん主産物はラードだ。昔の沖縄では、年末などに豚をつぶしたが、肉の方はすぐ食べてなくなってしまう。冷蔵庫のない時代には肉を大量の塩で漬け込んでスーチカーとして保存したが、それでも、脂の果たした「細く長い役割」には遠く及ばない。
ラードは酸化しにくい。植物油はすぐ酸化してしまうし、家庭で搾油することも簡単ではない。ラードなら簡単にたくさんとれて、しかも酸化せずに常温で長い間保存できる。
今と違って、昔の生活では、肉はたまにしか食べられないが、常備されているラードを野菜の煮込みやみそ汁に少し加えれば、すばらしい味と香りと栄養が得られた。ふだんの沖縄の食生活では、豚肉よりもラードの方が大きな役割を演じていたに違いない。
写真はラオスの市場。こんなふうに豚の脂身がドカンと売られている。それだけニーズが高いからだろう。
アンダカシーはラード作りの副産物ながら、脂身がきつね色に焦げて、何とも言えない独特の香りを放つ。料理に加えれば、コクと香りを与えてくれる。
ベトナムの雷魚の煮付けにアンダカシーが必ず入っているというわけではないが、くだんのホーチミン市の食堂は、アンダカシーを入れることでコクと香りを一段と高めていたのだろう。雷魚自体はあまり脂のない淡白な魚なので、全体のコクを増すのにアンダカシーはうってつけなのだ。
沖縄でも、かつてはアンダカシーをいろいろに使った。例えばー。
沖縄には、アンダンスーと呼ばれるごはんのお供がある。万鐘の肉みそは豚赤身肉を煮込んで作るが、アンダンスーは豚三枚肉を小さく切って、味噌、砂糖とともにいためて作る。久米島出身のある知人がアンダンスーの意外な作り方を教えてくれた。
「うちの母は、三枚肉ではなく、アンダカシーでアンダンスーを作っていました」
アンダカシー入りのアンダンスー。さぞ香ばしかったことだろう。
沖縄やアジアだけではない。アンダカシーは、アメリカの大きなスーパーにも置かれていたし、南アフリカの農村部でも見かけた。豚を食する世界中の人々が、同じ技術でラードをとり、アンダカシーを楽しんでいる。
アンダカシーは料理に使われるが、ちょっと塩をふってそのまま食べれば、おやつや酒のアテにも最高だ。
ところでー。ラードと言えば「体に悪い」と条件反射のように考えてしまうクセが今の日本人にはあるが、それはおそらく違う。ラードを食用に使っているラオス人が太っているわけではない。今の沖縄の肥満はひどいが、ラードを食べていた昔、沖縄県民が肥満に悩むなどという話はなかった。
なぜ? 答えは簡単。ラオス人も昔の沖縄も、まずは食べる油脂の総量が少なかったのだ。今の日本は、油脂の摂取量が多すぎる。もし同じ調子でラードを大量に食べたら体に悪いに決まっている。
逆に、少量の良質なラードを賢く食生活に取り入れれば、食は豊かになるはず。マーガリンやショートニングなどトランス脂肪酸を多く含む油脂を大幅に減らして、少量の良質なラードをうまく取り入れればいいのではないだろうか。