ラード
2011年10月02日
アグーはラードをとる豚だった
沖縄とアジアの食 第3回 M字のアジア地豚
ラードといえば、アグーと呼ばれる沖縄在来種の豚は、ラードをとるための豚だった。沖縄の昔の暮らしでラードがいかに大切な食品だったかは、前回、述べた通り。その大切なラードを供給してくれたのがアグーだった。
アグーは、体重80kgくらいの小さな体に、厚さ4、5cmもの背脂肪が載っている。西洋種の豚が、体重が110kgにもなるのに背脂は2cmに届かなかったりするのと全く対照的だ。
西洋種は、肉を少しでもたくさんとるために脂肪が薄くなるよう、長い時間をかけて改良されてきた。これに対してアグーはもともと脂がたっぷりあるからこそ重宝された。
戦後、アグーは西洋種と交配が進み、純系種が消えかけていたのを、さまざまな人々の努力で、ようやく純系種に近いとされる状態にまで「戻し交配」したところ。産肉を目指すとしたら、そのための改良はこれから、というのが実態だ。アグーに限ったことではないが、安定した系統の造成には、少なくとも20-30年かかる。
そもそもアグーはラードをとるための豚なので、肉は少ない。脂が多くて肉が少ないこと、にもかかわらず生育期間が、つまり餌代をはじめとする生産コストが2倍以上になること、さらに時間をかけても体はあまり大きくならないことを考え併せると、アグーの価格は、すぐ大きくなって肉が大量にとれる西洋種の豚肉の3、4倍になってしまう。いくら希少価値といっても、100gで400円もするような高い豚肉が売れるはずもない。
現実的な解決策として、経済性の高い西洋種とかけ合わせた豚を「アグー」の名前で売ることになる。出回っている「アグー」のほとんどは、アグーの血が一部入った西洋種との交配豚だ。
アグーは500-600年前に中国から入ってきたらしい。小型で毛が黒い。ラオスでもベトナムでも、アグーに似た地豚を見た。
2枚の写真はラオスで見た地の豚。2頭の豚とも雌で、いずれも乳がよく張っている。1枚目は毛が黒だが、下腹部は少し白い毛が混じっている。2枚目は、赤土の泥水を浴びたばかりなので、すっかりそんな色になっているが、毛は黒に少し白が混じっている。こちらは体が少し大きかった。体つきから見て、中国系の改良種の血が混じっているかもしれない。
2頭の豚とも、背中がくぼんで、横から見るとアルファベットの「M」のように見える。冒頭のアグーも、心なしかM字っぽい。昔のアグーの写真を見ると、もっとはっきりM字の形をしているものもある。下の写真はベトナムで見た地豚。やはり背中がくぼんでM字に見える。
アジアにはM字の豚があちこちにいるようだ。ラオスの豚もベトナムの豚も、アグーと同じく、ラードタイプの豚とみられる。途上国の田舎では、舎飼いではなく、放し飼い。そこらじゅうを歩き回ってはエサを探している。
アグーは、本来の役割、つまりラード作りに生かした方がいいように思う。アグーの脂の質は非常に優れている。融点が低く、口どけがよい。イベリコ豚と同じように、夏場は常温で脂が溶け出すほど。大げさに言えば、ラード観が変わってしまうくらいの、すっきりした脂だ。
一般の人が最もラードを身近に食べているのは、トンカツ専門店のトンカツだろう。トンカツ専門店のトンカツが香ばしく、サクサクした食感で、うまみが感じられる最大の理由は、揚げ油にラードを使うから。
でも、アグーの高級ラードを、揚げ油として大量に使うのはあまりにもったいない。そのまま食べる料理に使いたい。
例えば、サラミソーセージの白い脂は豚のラードだが、そこにアグーのラードを使ったら、さぞおいしいサラミができるだろう。あるいは、シンプルなキャベツいため。フライパンにアグーのラードをひとさじ入れて加熱し、キャベツをよくいためて塩をふるだけ。加熱されたラードとそれで焼かれたキャベツの香り高さ。あきれるほどうまいはずだ。火を止める前にジャッと醤油をたらせば、ごはんに最高のおかずになる。
万鐘島ぶたのラードも、融点の低さとすっきりした感じはアグーに負けていない。商品化してはいないが、万鐘島ぶたのラードついてはこちらの過去記事をどうぞ。
ラードといえば、アグーと呼ばれる沖縄在来種の豚は、ラードをとるための豚だった。沖縄の昔の暮らしでラードがいかに大切な食品だったかは、前回、述べた通り。その大切なラードを供給してくれたのがアグーだった。
アグーは、体重80kgくらいの小さな体に、厚さ4、5cmもの背脂肪が載っている。西洋種の豚が、体重が110kgにもなるのに背脂は2cmに届かなかったりするのと全く対照的だ。
西洋種は、肉を少しでもたくさんとるために脂肪が薄くなるよう、長い時間をかけて改良されてきた。これに対してアグーはもともと脂がたっぷりあるからこそ重宝された。
戦後、アグーは西洋種と交配が進み、純系種が消えかけていたのを、さまざまな人々の努力で、ようやく純系種に近いとされる状態にまで「戻し交配」したところ。産肉を目指すとしたら、そのための改良はこれから、というのが実態だ。アグーに限ったことではないが、安定した系統の造成には、少なくとも20-30年かかる。
そもそもアグーはラードをとるための豚なので、肉は少ない。脂が多くて肉が少ないこと、にもかかわらず生育期間が、つまり餌代をはじめとする生産コストが2倍以上になること、さらに時間をかけても体はあまり大きくならないことを考え併せると、アグーの価格は、すぐ大きくなって肉が大量にとれる西洋種の豚肉の3、4倍になってしまう。いくら希少価値といっても、100gで400円もするような高い豚肉が売れるはずもない。
現実的な解決策として、経済性の高い西洋種とかけ合わせた豚を「アグー」の名前で売ることになる。出回っている「アグー」のほとんどは、アグーの血が一部入った西洋種との交配豚だ。
アグーは500-600年前に中国から入ってきたらしい。小型で毛が黒い。ラオスでもベトナムでも、アグーに似た地豚を見た。
2枚の写真はラオスで見た地の豚。2頭の豚とも雌で、いずれも乳がよく張っている。1枚目は毛が黒だが、下腹部は少し白い毛が混じっている。2枚目は、赤土の泥水を浴びたばかりなので、すっかりそんな色になっているが、毛は黒に少し白が混じっている。こちらは体が少し大きかった。体つきから見て、中国系の改良種の血が混じっているかもしれない。
2頭の豚とも、背中がくぼんで、横から見るとアルファベットの「M」のように見える。冒頭のアグーも、心なしかM字っぽい。昔のアグーの写真を見ると、もっとはっきりM字の形をしているものもある。下の写真はベトナムで見た地豚。やはり背中がくぼんでM字に見える。
アジアにはM字の豚があちこちにいるようだ。ラオスの豚もベトナムの豚も、アグーと同じく、ラードタイプの豚とみられる。途上国の田舎では、舎飼いではなく、放し飼い。そこらじゅうを歩き回ってはエサを探している。
アグーは、本来の役割、つまりラード作りに生かした方がいいように思う。アグーの脂の質は非常に優れている。融点が低く、口どけがよい。イベリコ豚と同じように、夏場は常温で脂が溶け出すほど。大げさに言えば、ラード観が変わってしまうくらいの、すっきりした脂だ。
一般の人が最もラードを身近に食べているのは、トンカツ専門店のトンカツだろう。トンカツ専門店のトンカツが香ばしく、サクサクした食感で、うまみが感じられる最大の理由は、揚げ油にラードを使うから。
でも、アグーの高級ラードを、揚げ油として大量に使うのはあまりにもったいない。そのまま食べる料理に使いたい。
例えば、サラミソーセージの白い脂は豚のラードだが、そこにアグーのラードを使ったら、さぞおいしいサラミができるだろう。あるいは、シンプルなキャベツいため。フライパンにアグーのラードをひとさじ入れて加熱し、キャベツをよくいためて塩をふるだけ。加熱されたラードとそれで焼かれたキャベツの香り高さ。あきれるほどうまいはずだ。火を止める前にジャッと醤油をたらせば、ごはんに最高のおかずになる。
万鐘島ぶたのラードも、融点の低さとすっきりした感じはアグーに負けていない。商品化してはいないが、万鐘島ぶたのラードついてはこちらの過去記事をどうぞ。
2011年09月25日
煮魚の奥から「あの味」が
沖縄とアジアの食 第2回 アンダカシー
ベトナム・ホーチミン市の食堂で、雷魚の煮付けを食べ進むうちに、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にあるのに気づいた。もぐもぐしていると、複雑な甘辛味の奥から「あの味」がじわじわと口に。久しぶりに旧友に出会ったような懐かしさ。アンダカシーじゃないか。
アンダカシーはウチナーグチ(沖縄語)。「アンダ+カシー」を和語にすれば「脂+かす」。豚のラードをとった後に残るカリカリした脂身かすのことだ。沖縄でも若い世代や都市部の人はアンダカシーを知らないかもしれないが、農村部の商店などには、今もアンダカシーが置かれていることがある。
ラードの作り方はこうだ。写真は沖縄ではなく、ラオス北部の食堂で見かけたもの。やり方は沖縄と全く同じ。大きな鍋に豚の脂身と水を入れて火にかける。加熱された脂身からラードが徐々に溶け出してくる。
やがて溶けた脂の量が水の量を上回り、最後は水が完全に蒸発する。脂身は、自身が出したラードによってカリカリに揚げられて終わる。これがアンダカシー(冒頭の写真)。
もちろん主産物はラードだ。昔の沖縄では、年末などに豚をつぶしたが、肉の方はすぐ食べてなくなってしまう。冷蔵庫のない時代には肉を大量の塩で漬け込んでスーチカーとして保存したが、それでも、脂の果たした「細く長い役割」には遠く及ばない。
ラードは酸化しにくい。植物油はすぐ酸化してしまうし、家庭で搾油することも簡単ではない。ラードなら簡単にたくさんとれて、しかも酸化せずに常温で長い間保存できる。
今と違って、昔の生活では、肉はたまにしか食べられないが、常備されているラードを野菜の煮込みやみそ汁に少し加えれば、すばらしい味と香りと栄養が得られた。ふだんの沖縄の食生活では、豚肉よりもラードの方が大きな役割を演じていたに違いない。
写真はラオスの市場。こんなふうに豚の脂身がドカンと売られている。それだけニーズが高いからだろう。
アンダカシーはラード作りの副産物ながら、脂身がきつね色に焦げて、何とも言えない独特の香りを放つ。料理に加えれば、コクと香りを与えてくれる。
ベトナムの雷魚の煮付けにアンダカシーが必ず入っているというわけではないが、くだんのホーチミン市の食堂は、アンダカシーを入れることでコクと香りを一段と高めていたのだろう。雷魚自体はあまり脂のない淡白な魚なので、全体のコクを増すのにアンダカシーはうってつけなのだ。
沖縄でも、かつてはアンダカシーをいろいろに使った。例えばー。
沖縄には、アンダンスーと呼ばれるごはんのお供がある。万鐘の肉みそは豚赤身肉を煮込んで作るが、アンダンスーは豚三枚肉を小さく切って、味噌、砂糖とともにいためて作る。久米島出身のある知人がアンダンスーの意外な作り方を教えてくれた。
「うちの母は、三枚肉ではなく、アンダカシーでアンダンスーを作っていました」
アンダカシー入りのアンダンスー。さぞ香ばしかったことだろう。
沖縄やアジアだけではない。アンダカシーは、アメリカの大きなスーパーにも置かれていたし、南アフリカの農村部でも見かけた。豚を食する世界中の人々が、同じ技術でラードをとり、アンダカシーを楽しんでいる。
アンダカシーは料理に使われるが、ちょっと塩をふってそのまま食べれば、おやつや酒のアテにも最高だ。
ところでー。ラードと言えば「体に悪い」と条件反射のように考えてしまうクセが今の日本人にはあるが、それはおそらく違う。ラードを食用に使っているラオス人が太っているわけではない。今の沖縄の肥満はひどいが、ラードを食べていた昔、沖縄県民が肥満に悩むなどという話はなかった。
なぜ? 答えは簡単。ラオス人も昔の沖縄も、まずは食べる油脂の総量が少なかったのだ。今の日本は、油脂の摂取量が多すぎる。もし同じ調子でラードを大量に食べたら体に悪いに決まっている。
逆に、少量の良質なラードを賢く食生活に取り入れれば、食は豊かになるはず。マーガリンやショートニングなどトランス脂肪酸を多く含む油脂を大幅に減らして、少量の良質なラードをうまく取り入れればいいのではないだろうか。
ベトナム・ホーチミン市の食堂で、雷魚の煮付けを食べ進むうちに、1センチ角くらいの小さな固まりが煮汁の中にあるのに気づいた。もぐもぐしていると、複雑な甘辛味の奥から「あの味」がじわじわと口に。久しぶりに旧友に出会ったような懐かしさ。アンダカシーじゃないか。
アンダカシーはウチナーグチ(沖縄語)。「アンダ+カシー」を和語にすれば「脂+かす」。豚のラードをとった後に残るカリカリした脂身かすのことだ。沖縄でも若い世代や都市部の人はアンダカシーを知らないかもしれないが、農村部の商店などには、今もアンダカシーが置かれていることがある。
ラードの作り方はこうだ。写真は沖縄ではなく、ラオス北部の食堂で見かけたもの。やり方は沖縄と全く同じ。大きな鍋に豚の脂身と水を入れて火にかける。加熱された脂身からラードが徐々に溶け出してくる。
やがて溶けた脂の量が水の量を上回り、最後は水が完全に蒸発する。脂身は、自身が出したラードによってカリカリに揚げられて終わる。これがアンダカシー(冒頭の写真)。
もちろん主産物はラードだ。昔の沖縄では、年末などに豚をつぶしたが、肉の方はすぐ食べてなくなってしまう。冷蔵庫のない時代には肉を大量の塩で漬け込んでスーチカーとして保存したが、それでも、脂の果たした「細く長い役割」には遠く及ばない。
ラードは酸化しにくい。植物油はすぐ酸化してしまうし、家庭で搾油することも簡単ではない。ラードなら簡単にたくさんとれて、しかも酸化せずに常温で長い間保存できる。
今と違って、昔の生活では、肉はたまにしか食べられないが、常備されているラードを野菜の煮込みやみそ汁に少し加えれば、すばらしい味と香りと栄養が得られた。ふだんの沖縄の食生活では、豚肉よりもラードの方が大きな役割を演じていたに違いない。
写真はラオスの市場。こんなふうに豚の脂身がドカンと売られている。それだけニーズが高いからだろう。
アンダカシーはラード作りの副産物ながら、脂身がきつね色に焦げて、何とも言えない独特の香りを放つ。料理に加えれば、コクと香りを与えてくれる。
ベトナムの雷魚の煮付けにアンダカシーが必ず入っているというわけではないが、くだんのホーチミン市の食堂は、アンダカシーを入れることでコクと香りを一段と高めていたのだろう。雷魚自体はあまり脂のない淡白な魚なので、全体のコクを増すのにアンダカシーはうってつけなのだ。
沖縄でも、かつてはアンダカシーをいろいろに使った。例えばー。
沖縄には、アンダンスーと呼ばれるごはんのお供がある。万鐘の肉みそは豚赤身肉を煮込んで作るが、アンダンスーは豚三枚肉を小さく切って、味噌、砂糖とともにいためて作る。久米島出身のある知人がアンダンスーの意外な作り方を教えてくれた。
「うちの母は、三枚肉ではなく、アンダカシーでアンダンスーを作っていました」
アンダカシー入りのアンダンスー。さぞ香ばしかったことだろう。
沖縄やアジアだけではない。アンダカシーは、アメリカの大きなスーパーにも置かれていたし、南アフリカの農村部でも見かけた。豚を食する世界中の人々が、同じ技術でラードをとり、アンダカシーを楽しんでいる。
アンダカシーは料理に使われるが、ちょっと塩をふってそのまま食べれば、おやつや酒のアテにも最高だ。
ところでー。ラードと言えば「体に悪い」と条件反射のように考えてしまうクセが今の日本人にはあるが、それはおそらく違う。ラードを食用に使っているラオス人が太っているわけではない。今の沖縄の肥満はひどいが、ラードを食べていた昔、沖縄県民が肥満に悩むなどという話はなかった。
なぜ? 答えは簡単。ラオス人も昔の沖縄も、まずは食べる油脂の総量が少なかったのだ。今の日本は、油脂の摂取量が多すぎる。もし同じ調子でラードを大量に食べたら体に悪いに決まっている。
逆に、少量の良質なラードを賢く食生活に取り入れれば、食は豊かになるはず。マーガリンやショートニングなどトランス脂肪酸を多く含む油脂を大幅に減らして、少量の良質なラードをうまく取り入れればいいのではないだろうか。
2007年11月30日
[第27話 食] 口どけのよい丸いちんすこう
ちんすこう、と言えば、最も有名な沖縄の伝統菓子。沖縄みやげの定番でもある。中国菓子の影響を受けて、明治時代に現在のちんすこうを初めて作り上げた老舗、新垣菓子店をはじめ、沖縄にはちんすこうメーカーがいくつかある。今回はその中からニューウェーブを紹介しよう。その名も、まんまるちんすこう。写真右はよくあるタイプ、左がまんまるちんすこうだ。
ちんすこうはクッキーと似ているが、食べれば違いが分かる。まず、クッキーは口に含むとバターの味と香りがするが、ちんすこうはバター味ではない。それもそのはず、ちんすこうはラードで作るのだ。ラードについては前回、第26話であれこれ書いた。
もう一つ、大きな違いが。クッキーの中には、サクサクする口当たりのものが多いが、ちんすこうは、最初のひと口、ふた口こそサクっとした歯ごたえがあるものの、全体にしっとりと柔らかい。そして、噛むうちに口の中でサーッと溶けていく。「後半の口溶けのよさ」こそが、ちんすこう最大の持ち味といえる。まんまるちんすこうは、この口溶けのよさ、ホロホロ感がすばらしい。
初めの写真の右側のように、ちんすこうの主流は長い形をしている。まんまるちんすこうはその名の通り、まんまるなので、外観はニューウェーブといえる。だが中身はむしろ伝統製法に忠実だ。まんまるちんすこうを作っているプラスの共同経営者中西夕美絵さんの話では、まんまるちんすこうは、プレーン味の場合、小麦粉、砂糖、ラードのみを使い、低温でじっくり焼き上げるという。
原材料について6、7種類のちんすこうを比べてみたが、原材料が小麦、ラード、砂糖だけ、というのはほとんどなかった。膨張剤(ふくらし粉)はまず入っている。卵を入れているものも多い。さらには、ラードではなく、ショートニングや植物油脂で作られているものまであった。ここまでくると、もはやちんすこうとは呼べないような気もする。パイン味や紅イモ味などの場合は、香料や色素が入っているタイプが少なくない。
中西さんは、初めは沖縄で中国茶を販売していた。やがて、中国茶に合ういいお茶うけがないか、ということになり、伝統菓子のちんすこうを作り始めたという。
まんまるちんすこうは、写真で見ると一口で食べられそうだが、思ったより大きい。重さを比べてみたら、普通の長いタイプのちんすこうが1個12gほどなのに対し、まんまるちんすこうは1個16g強だった。かわいい形の割には食べごたえがあるので、2、3個食べればお茶うけとしては十分満足できる。
まんまるちんすこうは、プレーンのほか、塩、みそ、コーヒー、コーヒーキャラメル、黒糖きなこ、黒糖チョコの味がある。透明なプラスチックのカップに8個入って263円。カジュアルなデザインの箱づめもある。
首里店は、那覇市松川414、098-886-2144。那覇の国際通りの中心部、むつみ橋にもショップがある。インターネットでも販売している。「まんまるちんすこう」で検索を。
ちんすこうはクッキーと似ているが、食べれば違いが分かる。まず、クッキーは口に含むとバターの味と香りがするが、ちんすこうはバター味ではない。それもそのはず、ちんすこうはラードで作るのだ。ラードについては前回、第26話であれこれ書いた。
もう一つ、大きな違いが。クッキーの中には、サクサクする口当たりのものが多いが、ちんすこうは、最初のひと口、ふた口こそサクっとした歯ごたえがあるものの、全体にしっとりと柔らかい。そして、噛むうちに口の中でサーッと溶けていく。「後半の口溶けのよさ」こそが、ちんすこう最大の持ち味といえる。まんまるちんすこうは、この口溶けのよさ、ホロホロ感がすばらしい。
初めの写真の右側のように、ちんすこうの主流は長い形をしている。まんまるちんすこうはその名の通り、まんまるなので、外観はニューウェーブといえる。だが中身はむしろ伝統製法に忠実だ。まんまるちんすこうを作っているプラスの共同経営者中西夕美絵さんの話では、まんまるちんすこうは、プレーン味の場合、小麦粉、砂糖、ラードのみを使い、低温でじっくり焼き上げるという。
原材料について6、7種類のちんすこうを比べてみたが、原材料が小麦、ラード、砂糖だけ、というのはほとんどなかった。膨張剤(ふくらし粉)はまず入っている。卵を入れているものも多い。さらには、ラードではなく、ショートニングや植物油脂で作られているものまであった。ここまでくると、もはやちんすこうとは呼べないような気もする。パイン味や紅イモ味などの場合は、香料や色素が入っているタイプが少なくない。
中西さんは、初めは沖縄で中国茶を販売していた。やがて、中国茶に合ういいお茶うけがないか、ということになり、伝統菓子のちんすこうを作り始めたという。
まんまるちんすこうは、写真で見ると一口で食べられそうだが、思ったより大きい。重さを比べてみたら、普通の長いタイプのちんすこうが1個12gほどなのに対し、まんまるちんすこうは1個16g強だった。かわいい形の割には食べごたえがあるので、2、3個食べればお茶うけとしては十分満足できる。
まんまるちんすこうは、プレーンのほか、塩、みそ、コーヒー、コーヒーキャラメル、黒糖きなこ、黒糖チョコの味がある。透明なプラスチックのカップに8個入って263円。カジュアルなデザインの箱づめもある。
首里店は、那覇市松川414、098-886-2144。那覇の国際通りの中心部、むつみ橋にもショップがある。インターネットでも販売している。「まんまるちんすこう」で検索を。
2007年11月24日
[第26話 食] 来るか、ラード復権の時
ラード=豚の脂といえば、「ダイエットの敵」「体に悪い」と思われがち。だが、良質のラードが持つ香りとコクは本当にすばらしい。写真は万鐘島ぶたからとったラード(非売品)。28度くらいの室温ではトロリとした半液状だ。
良質のラードがいかにおいしいか。とんかつ専門店の多くが豚肉をラードで揚げていることはよく知られている。加熱したラードの香ばしさとコクは、植物油の比ではない。
世界にいる豚総頭数の1/3を擁する豚の国、中国。今でこそ、発育が速く経済性の高い大型の西洋種が主流になっているが、かつては中型のラードタイプが中心だった。ラードタイプとは、脂肪が厚く、ラードがたくさんとれる品種のこと。これは、肉以上にラードが重要な生産物だったからだ。
沖縄の在来種アグーも、典型的な中型のラードタイプの豚。下の写真はアグーの純系種をカットしているところだが、肉の周囲に脂がたっぷりついているのが分かる。脂の厚みは西洋種の3、4倍はあるだろう。昨今はアグーの肉がもてはやされているが、もともとは、ラードの生産が重要だったのだ。
なぜそれほどラードが大切だったのか。答は、ラードの方が肉よりも「使いで」があったから。貧しい時代のふだんのおかずは野菜ばかりだが、その中にラードをひとさじ加えると、味も香りも栄養価もグンと高まった。ラードはわずか20gで家族全員に栄養と満足を与えることができた。豚肉もタンパク質というすばらしい栄養を含んでいるが、さすがに20gでは、そこまでの芸当はできない。
ラードは薬としても使われていた。昔の沖縄では、熱が出ると、ラードと塩を混ぜて背中に塗った。地球を半周した南アフリカ共和国北部のある農村でも、発熱した子供の背中にはラードを塗る、と現地の人が話すのを聞いたことがある。面白いことに、その際には塩を混ぜるという点まで沖縄と同じだった。
さて、そんなラードを現代の私たちはどう食べればいいか。どれほど良質なラードでも、脂である以上、カロリーは高いし、一定量のコレステロールを含むから、食べすぎはいけない。だが、どのみち油脂類の摂取は必要なのだから、他の油脂を控え、ここぞ、という時には良質のラードを使ったらどうだろう。
欧米諸国やFAO、WHOなどの国際機関で「アレルギー疾患を悪化させる」「胎児、乳児に悪影響」「ボケを引き起こす」など、その悪影響が次々に明るみに出ているトランス脂肪酸。これは、マーガリン、ショートニングに代表される硬化植物油や、高温で抽出された植物油などに多く含まれる。米国政府は、既に、マーガリンなどのパッケージにトランス脂肪酸の含有量を表示することを義務づけている。
ファーストフードのカリカリフライドポテトを揚げる油も同様の植物油。売れ残ったフライドポテトにはハエも近づかないし、菌がつかないから何日も腐らない、という話があるらしい。トランス脂肪酸は自然界にはほとんどないもので、言う人に言わせれば「油のプラスチック」。こうした表現がどこまで当たっているかはともかく、「植物性だから体にいい」というような単純な話でないことだけは確かなようだ。
人間の、動物としての感覚をもう少し信じてもいいんじゃないか、と万鐘は考える。例えば、かつてのマーガリンは非常に臭かったし、何とも気持ちの悪い味がした。最近はさまざまな技術でその異様さを懸命に抑えようとしているが、それでも本物のバターのようなすっきりした透明感は望めない。
この「臭い」「気持ち悪い」は、体になじまないものとして体自身が拒絶反応を示している証拠、と考えれば分かりやすい。逆に、体にいいものは「すっきりしている」。その結果、豊かな時代にはついつい食べ過ぎるから体に悪い働きをする結果になりがち、ということなのではないだろうか。
もちろんラードにもピンからキリまである。豚の飼い方や餌にもいろいろあるから、それは当然だ。胸が悪くなるようなラードは、体に悪いものを含んでいるのだろう。しかし、芳香を漂わせる良質のラードは、もっと食べられていい。チャンプルーの類だけでも、こうしたラードで作れば、うまさ3倍増間違いなし、だ。
ラードの機能に関する研究が今後さらに進めば、体によいの成分の存在が分かるなどして、本格的な復権の時がやって来るかもしれない―。豚屋の万鐘はそう夢見ている。
良質のラードがいかにおいしいか。とんかつ専門店の多くが豚肉をラードで揚げていることはよく知られている。加熱したラードの香ばしさとコクは、植物油の比ではない。
世界にいる豚総頭数の1/3を擁する豚の国、中国。今でこそ、発育が速く経済性の高い大型の西洋種が主流になっているが、かつては中型のラードタイプが中心だった。ラードタイプとは、脂肪が厚く、ラードがたくさんとれる品種のこと。これは、肉以上にラードが重要な生産物だったからだ。
沖縄の在来種アグーも、典型的な中型のラードタイプの豚。下の写真はアグーの純系種をカットしているところだが、肉の周囲に脂がたっぷりついているのが分かる。脂の厚みは西洋種の3、4倍はあるだろう。昨今はアグーの肉がもてはやされているが、もともとは、ラードの生産が重要だったのだ。
なぜそれほどラードが大切だったのか。答は、ラードの方が肉よりも「使いで」があったから。貧しい時代のふだんのおかずは野菜ばかりだが、その中にラードをひとさじ加えると、味も香りも栄養価もグンと高まった。ラードはわずか20gで家族全員に栄養と満足を与えることができた。豚肉もタンパク質というすばらしい栄養を含んでいるが、さすがに20gでは、そこまでの芸当はできない。
ラードは薬としても使われていた。昔の沖縄では、熱が出ると、ラードと塩を混ぜて背中に塗った。地球を半周した南アフリカ共和国北部のある農村でも、発熱した子供の背中にはラードを塗る、と現地の人が話すのを聞いたことがある。面白いことに、その際には塩を混ぜるという点まで沖縄と同じだった。
さて、そんなラードを現代の私たちはどう食べればいいか。どれほど良質なラードでも、脂である以上、カロリーは高いし、一定量のコレステロールを含むから、食べすぎはいけない。だが、どのみち油脂類の摂取は必要なのだから、他の油脂を控え、ここぞ、という時には良質のラードを使ったらどうだろう。
欧米諸国やFAO、WHOなどの国際機関で「アレルギー疾患を悪化させる」「胎児、乳児に悪影響」「ボケを引き起こす」など、その悪影響が次々に明るみに出ているトランス脂肪酸。これは、マーガリン、ショートニングに代表される硬化植物油や、高温で抽出された植物油などに多く含まれる。米国政府は、既に、マーガリンなどのパッケージにトランス脂肪酸の含有量を表示することを義務づけている。
ファーストフードのカリカリフライドポテトを揚げる油も同様の植物油。売れ残ったフライドポテトにはハエも近づかないし、菌がつかないから何日も腐らない、という話があるらしい。トランス脂肪酸は自然界にはほとんどないもので、言う人に言わせれば「油のプラスチック」。こうした表現がどこまで当たっているかはともかく、「植物性だから体にいい」というような単純な話でないことだけは確かなようだ。
人間の、動物としての感覚をもう少し信じてもいいんじゃないか、と万鐘は考える。例えば、かつてのマーガリンは非常に臭かったし、何とも気持ちの悪い味がした。最近はさまざまな技術でその異様さを懸命に抑えようとしているが、それでも本物のバターのようなすっきりした透明感は望めない。
この「臭い」「気持ち悪い」は、体になじまないものとして体自身が拒絶反応を示している証拠、と考えれば分かりやすい。逆に、体にいいものは「すっきりしている」。その結果、豊かな時代にはついつい食べ過ぎるから体に悪い働きをする結果になりがち、ということなのではないだろうか。
もちろんラードにもピンからキリまである。豚の飼い方や餌にもいろいろあるから、それは当然だ。胸が悪くなるようなラードは、体に悪いものを含んでいるのだろう。しかし、芳香を漂わせる良質のラードは、もっと食べられていい。チャンプルーの類だけでも、こうしたラードで作れば、うまさ3倍増間違いなし、だ。
ラードの機能に関する研究が今後さらに進めば、体によいの成分の存在が分かるなどして、本格的な復権の時がやって来るかもしれない―。豚屋の万鐘はそう夢見ている。