三線

2011年03月13日

歌三線の「指導要領」を作りたい

沖縄を創る人 第11回
 三味線製作所代表・三線教室主宰 金城盛長さん(下)


 金城盛長さんの仕事は三線製作と歌三線演奏の指導だが、それにもう一つ、スケールの大きな仕事が加わろうとしている。それは、三線指導法の体系化だ。25年にわたる歌三線の指導を通じて、金城さんは、従来になかった新しい方法を含めて、三線指導法を模索してきた。

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 同じ楽器でも、例えばピアノなら「バイエルから始めて」「運指法はこうして」というようなある程度標準化された指導の体系がある。しかし、沖縄の三線については、そこまでの標準化された指導法はない。それぞれの先生がそれぞれの流儀で指導しているのが現状だ。共通しているのは楽譜の「工工四」だけ、と言っても言い過ぎではない。

 三線は「歌三線」と言われるように、歌が主役。

 「私の教室では、初めから歌わせます。ある程度弾けるようになっても、楽器に詰まった時には、とにかく歌え、と言っています。口三味線(くちじゃみせん)、ですね」

 その歌詞の多くは、琉球語(ウチナーグチ)で書かれている。その発音がおかしければ、いくら三線が弾けても、全体としておかしな演奏になってしまう。宮古民謡や八重山民謡には、またその地域特有の言葉と発音がある。

 「少なくとも自分の教え子に関しては、外国人だからできない、ヤマトンチュだからできない、なんて沖縄の人に言わせたくないんです。だから私の教室ではウチナーグチの発音も教えます」

 楽器の構造の理解も重要だ。金城さんの教室では、三線の分解から始める。「分解」と言えば、手の動きもそう。バチを持って動かす角度や方向がおかしいためにちゃんとした音が出せない人が多い。金城さんはそんな手の動きを一つひとつ分解して、説明する。

 「関節の動きから見ていて、アドバイスします」と金城さん。そうすることで、どの動きがおかしいのか、生徒自身が把握しやすくなる。

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 要するに、従来の三線学習は、体で覚えている先生の動きを「見てまねする」ものだった。金城さんはそれをいかに分かりやすい言葉にするか、に心を砕いてきた。金城さん自身は父の動きを「見てまねした」のだが、指導者としての金城さんは、さまざまな体の動きの一つひとつを分解し、言葉に置き換え、正確に分かりやすく伝える方法を模索してきたと言える。

 楽譜「工工四」の活用でも、ひと工夫している。現代音楽に慣れている人にとっては、ピアノの鍵盤を併用して教えると理解が早いという。

 特に半音と全音の違いは、三線の棹には書かれていないから、ツボを正確に押さえられるようになるまで時間がかかるが、ピアノなら鍵盤によって視覚的に分かる。工工四で表わされるそれぞれの音と隣の音との関係が半音か全音かの違いがしっかり分かっていれば、弦を押さえる際にツボと隣のツボとの距離が半音と全音では全く違ってくることが容易に理解される。

 「三線の先生でも、ツボを教えるために生徒の三線の棹にテープを貼ったりするんですが、貼る位置が間違っていることがあるんです。もちろん先生自身は音で聞いているから、自分で演奏する時は正確なツボを押さえているんですが、教える時にその場所がズレたりするわけです」

 金城さんの合理的な指導の背景には、時間に限りがある、という事情もある。金城さんがどんなに激しく出張しても、教え子の手をとって教えられる時間は限られている。だからこそ、10回の稽古で言うことを1回で言えるようになることが大事だと考えて、指導法や表現の仕方を工夫してきた。

 「沖縄の民謡の世界では、調弦(チンダミ)ができるようになるのに10年かかる、と言われます。だが、できない状態が10年続くより、1日も早くできるようになって、できてから10年を使った方がいいに決まってるんです」

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 合理的にやるべきところは徹底して合理的にやるのが金城さんのやり方だ。こうしたさまざまな指導経験をこれから集大成して、体系的な三線の指導法、言ってみれば「指導要領」を作り上げたいと考えている。

 「伝統を守る、と言いますけど、守り始めたら伝統は消えるんです。いかに今を楽しむかが大事。今の人が心からいいなと思えば、必ず次の時代に引き継いでくれます」

 「沖縄では、結婚披露宴の幕開けは、かぎやで風を演奏するでしょう。締めはカチャーシーをやりますよね。あれは、今の人がいいと思うからやっているんです。曲は昔に作られたものだけれども、だれも古いなんて思ってない」

 「沖縄は、いい加減なところがおおらかさだし、よさであると言われています。もちろんそういう面は大切にすべきですが、すべてがいい加減では話になりません」

 伝統を未来へのポテンシャルと位置づけられる圧倒的な視野の広さ。あふれる情熱を歯切れのよい言葉に載せて、語り出したら止まらない。

 [金城盛長さんとつながる] 金城さんの三味線製作所は那覇市松山1−19−9、098−868−1525。三線教室のHPは、こちら。沖縄を含む全国6教室それぞれの情報が載っている。各教室参加者の中には、自身のブログで、金城さんの三線教室での経験を綴っている人も。「金城盛長」で検索すると、そうしたブログが出てくる。金城さんの三味線製作所のHPはこちら。好きな民謡演奏家がいれば、その演奏家の音色に近い音を出す三線を作ってくれる。

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2011年03月06日

フォルクローレで沖縄民謡にめざめる

沖縄を創る人 第10回
 三味線製作所代表・三線教室主宰 金城盛長さん(中)


 毎週のように本土各地に出かけ、5カ所の三線教室で出張指導している金城盛長さんは、若い頃、旅行業を志望していた。それほどの「旅好き」だからこそ、今やっている出張指導の激しい動きが、あまり苦にならない。

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 高校を卒業した後に上京。東京にある旅行業の専門学校で学び、卒業後に旅行会社を受験した。面接した旅行会社のある部長は、若い頃にインドやイギリスを旅した経験があった。金城さんも、一度海外に出てみたいと思っていた。

 「やりたいことがあるんなら、やってこいよ、その後でまた来たらいいよ、とその部長が言ってくれたんです」

 そこで金城さんは、興味を抱いていた中南米の旅に半年間、出かけた。1984年のこと。メキシコ、グアテマラなどを経て、ペルー、ボリビアなどを歩いた。

 ペルーのクスコから、インカ遺跡のマチュピチュに向かう電車に乗った時のことだった。民族楽器のチャランゴを持った青年が乗り込んできて、フォルクローレを歌い始めた。どうやら観光客相手に演奏している青年らしかった。

 明るいけれど、どこかもの悲しいアンデスの響き。10弦のチャランゴの音色とフォルクローレの歌声が金城さんの体にしみ込んできた。なぜか無性に「音楽をやりたい」と思った。その時ー。

 「突然、おやじの顔が浮かんできたんです」

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 父は、那覇市松山で三線製作所を構え、三線の稽古もしていた。だから、金城さんがものごごろついた時から、家の中には常に歌三線が響いていた。

 しかし金城さん自身は、子供の頃、民謡にあまり関心を向けることはなかった。特に反発していたというわけではなかったが、父が稽古をしている時はその音を避けるように外に出ていき、稽古が終わった頃に帰ってくるような少年だった。父も強いて民謡を本格的にさせることはなかった。

 それでも、歌三線の中で育ったから、調弦(チンダミ)はできたし、踊りのカチャーシーの早弾き曲「唐船(トウシン)ドーイ」くらいは弾けた。高校卒業後、東京に出た時も、父は三線を持たせた。だが、その三線も、東京ではほとんど弾くことがなかったから、やがて皮が破けてしまった。

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 三線に貼られている蛇の皮は、時間が経つと自然に膠着して徐々に固くなっていく。ひんぱんに練習していれば、音の微振動によって常に少しずつ伸ばされるため膠着が防げるのだが、弾かずにずっと置いていると、膠着が進み、乾燥した時に真ん中でバッと切れてしまう。

 そんな調子だったから、三線を自分でやろうとは考えてもいなかったし、ましてや父の跡を継ごうなどとは全く思ってもいなかった。

 だがー。アンデスのフォルクローレを聞いて、音楽をやりたい、と思った時、金城さんにとっての音楽とは、ほかでもない沖縄民謡だった。知らず知らずのうちに、沖縄民謡は金城さんの体じゅうにしみ込んでいたということだろう。

 南米の旅を終えた金城さんは早速沖縄に戻り、父について、三線製作と三線の稽古を本格的に始めた。

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 それから25年あまり。いま全国を出張指導で駆け回っている金城さんは、ライフワークとも呼ぶべき大仕事に取り組もうとしている。

 その話は次回3/13(日)に。

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2011年02月27日

「金来火帰」で歌三線を出張指導

沖縄を創る人 第9回
 三味線製作所代表・三線教室主宰 金城盛長さん(上)


 三線を弾きながら沖縄民謡を歌って楽しむ人が全国的に増えている。全国を飛び回って「歌三線(うたさんしん)」を指導している金城盛長さんに話を聞いた。

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 金城さんは、めっぽう忙しい。本土の三線教室での出張指導が定期的に入っているからだ。例えば、ことし1月の動きなこんな調子だった。

 1/ 7(金)名古屋で指導
 1/ 8(土)鎌倉で指導
 1/ 9(日)鎌倉で指導
 1/10(月)鎌倉で指導
 1/11(火)沖縄に戻る

 1/14(金)大阪で指導
 1/15(土)仙台で指導
 1/16(日)沖縄に戻る

 1/21(金)東京で指導
 1/22(土)藤沢で指導
 1/23(日)札幌で指導
 1/24(月)沖縄に戻る

 国会議員の忙しさを表現するのに「金帰火来」という言葉がある。週末に選挙区に帰って週明けに東京に来ることを毎週繰り返す、という意味だが、金城さんの日程はこれに似ている。ほぼ毎週、金曜発で全国各地に指導に出かけ、週明けに沖縄に帰ることを繰り返すから、議員とは逆の「金来火帰」。一時の三線ブームは落ち着いたと言われているが、少なくとも金城さんの多忙ぶりを見る限り、そういう話でもないような気がしてくる。

 金城さんはいま、沖縄の1教室を含めて、全国に教室を6つ抱えている。

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 京都出身のある女性が、沖縄にいた時に金城さんに三線を習い、京都に戻った後、「通信教育で教えてほしい」と言われたのが本土在住者への三線指導のきっかけ。この女性が演奏をカセットに吹き込んで沖縄に送り、それを金城さんが聞いて電話で指導する「通信教育」だった。次いで金沢に住む人にも同様に2年間、通信教育をした。

 「カセットを聞けば、音の出し方に問題があることがすぐ分かるんですよ。三線に関心を持っている人が目の前にいて、しかも、おかしな演奏の仕方をしていると分かれば、放っておけないじゃないですか」

 旅好きの金城さんは、「温泉があって、酒がおいしい」金沢に、気分転換に出かけ、初めてその人に会った。当初は金沢旅行を時々楽しむついでに三線を指導するくらいのつもりだったが、三線指導を希望する沖縄出身者や大学生が金沢にいたこともあり、そうした人々を母体に、やがて教室に発展していった。

 金城さんの「本業」は父の代からの三線製作。もちろん今も三線を作り続けている。県内の客が中心だが、本土からの注文も増えた。ある時、鎌倉の三線サークルから5、6丁のまとまった注文が入ったので、納品の際に弾き方を指導した。

 「おかしなクセがついていたので、それを直してあげたんです」

 夜の飲み会の席で、金城さんが即席ライブをやったところ、ぜひ教えに来てほしい、という話になり、鎌倉教室が始まった。

 金沢教室の教え子の1人が仙台に転居したことがきっかけで、やがて仙台教室が始まった。大阪の教え子の1人が札幌に転勤し、それと前後して札幌の別の人から三線の注文が入って、これが札幌教室になった。というような具合で、いもづる式に三線教室が広がっていった。

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 金曜に出かけると、ほぼ毎日、7、8時間は歌いっぱなし。一つの場所で、普通クラスのほかに初級クラスや中級クラスがあり、それらが終わると、夜は何人かの個人指導が待っている。

 「火曜日だけは一切歌わないようにして、のどを休めています」と金城さん。もちろん、地元沖縄でも三線教室を持ち、県内の専門学校の作業療法学科でも歌三線を教えているから、火曜日以外はほぼ連日、民謡を歌い続けていることになる。それにしても、この腰の軽さは尋常ではない。なぜ?

 「若い頃は、旅行業志望だったんです」


 続きは3/6(日)に。


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2008年01月31日

[第38話 沖縄] 三線片手に歌える民謡広場

 検索エンジンで「三線教室」を調べると、全国各地の三線教室情報がズラリと出てくる。この勢いだと、習っている人たちの層も、入門者からセミプロ級まで、既にだいぶ厚くなっていることだろう。

 沖縄民謡も、ある程度うまくなってくれば、三線片手に人前で歌ってみたい、という気になるものだ。

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 沖縄には、コザを中心に民謡クラブがいくつかあるが、有名なプロの民謡歌手が経営する店がほとんど。言ってみれば有名歌手のライブハウスなので、セミプロはもちろん、初心者の出番など全くない。

 一方、カラオケでは、歌は歌えるが、自分で三線を演奏することができない。「歌三線(うたさんしん)」という言葉があるように、沖縄民謡は三線を弾きながら歌うのが基本。「歌だけ」では成り立たない。

 そんな中で、沖縄民謡の初心者でも気軽にステージに立たせてもらえる店が、うるま市にでき、民謡愛好家の間で人気を呼んでいる。

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 「民謡広場 嘉手久」。経営しているのは、自身もセミプロ民謡歌手の高江洲康栄さん。高江洲さんは、地元新聞社主催の民謡の新人賞、優秀賞、最高賞の各階段を順当に上り、現在は教師。師範の一つ手前のところにいる。そろそろCDを出したらどうか、という声が周囲から聞こえてくるが、自身は「まだまだ」と笑う。

 高江洲さんが民謡広場を始めたのは、そういう場がなくて自分自身が困ったから。「民謡クラブは、きちんと着物をつけた大先生がステージに立つから、われわれはとても出られない。でも、ステージで演奏する機会を積まないと、人前で演奏できるようにならないんですよ」と高江洲さん。

 民謡広場嘉手久では、午後8時の開店から1時間もすると、呼び水役として高江洲さん自身がまずミニステージに上がって、数曲演奏する。その後は、客が次々にステージに上がっては、三線片手に民謡をうなる。

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 嘉手久では、高江洲さんも着物をつけず、普段着のまま。「着物だと、どうしても堅苦しくなるでしょう」。客と同じ高さに立つことで、気軽にステージに出てもらいたい、という気配りだ。

 安さも魅力。有名歌手の民謡クラブは「ライブハウス+スナック」なので、しっかり飲めば1万5000円くらいかかることも珍しくない。嘉手久の場合は「お客さん自身が演奏を楽しむ場所だから」と高江洲さんは価格を大幅に抑えている。「かなり飲んでも5000円まではいきません」と妻の吉子さん。

 あそこならステージに立てる、という話を聞きつけて、沖縄民謡を習っている愛好家が遊びと練習を兼ねてやってくる。本土から来る人もたまにいるらしい。

 三線片手に一度人前で沖縄民謡を歌ってみたい、という人にお勧め。店内は沖縄方言が飛び交うが、気さくな高江洲さん夫妻は、だれでも気持ちよくもてなしてくれる。午後9時すぎに行って、泡盛をチビチビやりながら、高江洲さん夫妻や他の客と話していると、そのうち演奏が始まる。さあ、あなたもミニステージへ。もちろん、人の演奏を聞くだけでも楽しい。

 民謡広場嘉手久は、うるま市平良川111地階、電話098-973-1200。月曜定休。

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2007年10月25日

[第21話 沖縄] 民謡人気衰えず、三線作りも好調

 全国的な三線ブームはまだ続いているようだ。うるま市にある津波三線店社長の津波清一さんの話では、月に50本ほど作る三線の半分以上が本土向けだという。個人がインターネットで注文してくることもあるし、本土の楽器店が仕入れるケースもある。本土の各地に三線教室ができているという。

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 津波三線店は、先代が創業して既に50年余り。「昔は、三線をひく人はアシバー(遊び人)と言われ、やや白い目で見られていたんですが、そうした雰囲気はこの20年で大きく変わりましたね」と津波さんは語る。

 三線は、胴体に蛇の皮を張り、竿をつけて組み上げていく。胴体と竿の噛み合わせが悪いといい音が出ないため、紙を差し込んで隙き間の具合をみながら、竿を抜いては胴体を槌でこつこつ叩いて形を整える。根気のいる作業だ。

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 仕上げの段階では、実際につまびいて音を確かめ、全体的な仕上がり具合をチェックする。全体のバランスは経験が豊富でないとつかめない文字通り職人芸の世界。最終点検する津波社長のまなざしは真剣そのものだ。

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 沖縄民謡の世界は相変わらず元気、元気。「民謡の新人」はポツポツ出ているし、「民謡の新曲」も毎年作られ続けている。そして、歌三線のすぐ隣りには琉舞や組踊が。夏の風物詩、エイサーの全国的人気も健在だ。津波三線店も、三線だけでなく、太鼓、パーランクーなどの楽器や舞踊関係の道具類・衣装を製造したり、販売したりしている。

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 こうした元気が本土に波及しているのかもしれない。沖縄の地元紙琉球新報、沖縄タイムスがそれぞれ主催する三線コンクールでは、最高賞をとった人が紙面に顔写真入りで紹介されるが、その中にも本土の出身者が少しずつ増えてきた。

 「この調子が続けばいいんですが」。津波社長は控えめに言うが、沖縄民謡にはどこか人を引きつける力がある。例えば、古典音楽における三線と歌の旋律のかけあいなど、ぞくぞくするほどスリリング。現代音楽にも三線の音色は不思議になじむ。三線を「聞きたい」「弾きたい」と思う人はまだ増え続けるのではないだろうか。

 津波三線店はうるま市平良川184-1、電話098-973-3997。http://www.34ten.com/

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