勝連城跡

2013年08月13日

激変?! 勝連城休憩所

 世界遺産・勝連城跡を見に来る人のほとんどが車を停める勝連城跡駐車場。その横にある休憩所が、かつてとはだいぶ様子が違ってきました。

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 この休憩所、つい最近までは、ドリンク類の自動販売機が外に置かれている以外は何もなかったんです。椅子と畳の部分があるだけ。まあ、クーラーは効いているので、暑い時はひと休みできるのですが、本当にそれだけでした。

 まず変わったのは、1ヶ月半ほど前に、地元の産品を販売するみやげ店「うるまーる」がオープンしたこと。うるま市観光物産協会が休憩所の一角で始めたんです。

 万鐘の肉みそも置いています。冒頭の写真は、万鐘の肉みそを持つ真鶴さやか店長。

 うるま市には、質のよい特産品がいろいろあるので、それらを集めて売ろうというわけです。肉みそのようなごはんのお供もあれば、世界一の生産量を誇るもずくの加工品、スイーツ類まで、さまざま。

 ちょうどこの日、畳の空間を利用してミニ講演会が開かれていました。うるま市史跡ガイドの会会長の仲村春吉さんが「世界遺産再発見・勝連城跡」と題して、勝連城をめぐるさまざまな歴史のエピソードを紹介し、熱弁をふるっていました。

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 こんなにたくさんの人がこの休憩所に入っているのを見たのは、正直な話、初めてでした。

 これまで「にぎわい」があまり感じられなかった勝連城跡休憩所でしたが、こうした地道な努力で、だんだん人が集まる場になってきたようで、うれしい限りです。

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2013年06月23日

万鐘ももと庵、開店1周年

 きょう6月23日、万鐘ももと庵は開店1周年を迎えます。勝連城跡のふもとの、ほとんど人通りのない場所に産声を上げてから1年。みなさまのご愛顧に心から感謝申し上げます。

 おきなわの味、アジアの香りー。他のどこのレストランでも食べることができないオリジナリティあふれる料理やデザートを、これからも作ってまいります。新メニューもいろいろ企画していますので、どうぞお楽しみに。緑豊かな安らぎの空間づくりも、さらに充実させていきたいと思います。

 きょうは開店記念ということで、粗品を用意しています。ぜひご来店下さい。

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 開店時に制作したももと庵のパンフレットが既に品切れしていたのですが、新版がこのほど出来上がりました。表紙は、勝連城跡の一番上から太平洋の青い海を臨む写真。左下にももと庵の赤い屋根が見えています。

 開店時よりもメニューが増えていますので、見開きページの左側には、8種類の膳メニューの主菜の写真を配置しています。英語を話すお客様もときどき来られるので、メニュー写真には簡単な英語の説明も加えました。

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 見開きの右側では、勝連城跡の歴史や、周辺の歴史スポットを地図入りでご案内しました。お食事の後、近くを散策されて、勝連城をめぐる歴史ロマンを感じて下さいね。

 ももと庵の名前の由来になっている「百十踏揚(ももとふみあがり)」についても説明しています。琉球国王の娘として生まれ、国の華と慕われながら、政略結婚で勝連に嫁ぎ、勝連と首里の対峙の荒波に飲み込まれていく激動の人生、です。


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2013年05月15日

城跡を越え、歩いてももと庵へ

 先日、珍しく、ももと庵に歩いて来店したお客様がおられました。「勝連城跡の向こう側から来たんです」。あ、その手があったかー。思わずヒザを打ちました。

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 これは、グーグルアースで上空から見た勝連城跡周辺の写真です。県道16号線沿いに勝連城跡駐車場があります。そのまま南西方向に進めば海中道路です。

 勝連城跡の勝連城跡を見ようとする人はほとんど、西原御門側にある勝連城跡駐車場に車を置いて、勝連城跡に上ります。見終わったら、そのまま駐車場に戻るのが普通です。車がそこに置いてあるんですから、当然ですね。

 一方、ももと庵に来る方は、この写真の上の方に見えるパーラーみなみ前から分岐する脇道に入って、そのまま勝連城跡の南西側を海を見ながら走り、ももと庵にたどり着くことになります。

 つまりパーラーみなみの分岐点で、勝連城跡に行く人とももと庵に行く人は完全に分かれるのが現状です。

 ところが、ところがー。

 先日のお客さまのように、勝連城跡駐車場に車を止め、勝連城跡に上り、その後に、駐車場とは反対側に降りていき、南風原御門跡側から海側の脇道に降り立ち、そこから100mほどのももと庵に来て食事をする、というルートもあるんです。

 上のグーグルアースのオリジナルの道路標示では城跡から南風原御門側に降りてくる道は示されていませんので、拡大して、その道を書き足したのが下の写真です。

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 これでお分かりのように、城跡を降りてから、南風原御門跡を通って海側の道に出るまでの距離はわずか200m弱。道に出てからももと庵までは、100mあるかないかの近さです。

 グーグルアースではきれいには見えていませんが、南風原御門側に降りる道は、細いながらもちゃんとあるんです。

 このルートだと、天気のいい日は、南風原御門側の道を降りていくと、木立の先に太平洋の青い海が見えてくる、という楽しみがあります。

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 出口は、ちょっと情けない感じの手すりがあるだけ。しばらく前のブログ記事でご案内しましたよね。

 この道、人の手があまり入っていないので、14世紀の勝連城をイメージするにはかえっていいかもしれません。

 勝連城跡を越え、歩いてももと庵へー。お試し下さい。

 

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2013年04月21日

海中道路に直結する新道が開通

 勝連城跡前から海中道路入口に直接つながる新しい道路が、このほど完成しました。

 県道16号線をももと庵入口側から勝連城跡駐車場前を過ぎて進むと、与勝中学を右手前角に見る三叉路にぶつかっていたんですが、今回、三叉路のふさがっていた正面が開いて道になり、そのまま海中道路までつながりました。

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 写真は勝連城跡側から新道の入口を見たもの。この先に海中道路があります。

 Google mapにはまだ表示されていません。と思いきや、拡大拡大していき、最大まで拡大すると、工事中の新道が部分的に出てくるのが分かります。そう言えば、この道路、10年以上前から工事をしていました。

 勝連城跡前から海中道路入口までは2km弱といったところでしょうか。早速、走ってみました。この道を使うと、勝連城跡から海中道路の入口まで、信号があまりないこともあって、数分で着いてしまいます。

 これからは、海中道路ドライブや島めぐりと勝連城跡の見学がセットで楽しみやすくなることでしょう。

 ももと庵が「るるぶ沖縄ドライブ」に掲載されたと前々回お伝えしましたが、海中道路は、今や年間50万人が訪れ、ドライブコースとして不動の人気を誇っています。潮風を浴びながら海の真ん中を突っ走るのは爽快そのもの。その先には平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島がつながっていますので、島めぐりドライブも楽しめますよ。

 話は変わりますが、この海中道路誕生の歴史秘話、ご存知でしょうか。実は、だいぶ前にこのブログで取り上げたことがあるんです。

 なんとなんと、離島苦から脱しようとした平安座島の人々が、石を1つ1つ手で海に投げ入れて埋め立て、道を作ろうとした、というウソみたいな話。作業の途中で台風に見舞われ、せっかく置いた石が全部流されるなど、苦闘の連続でした。

 信じられないかもしれませんが、実話です。詳しい話はこちらをどうぞ。感動ものです。


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2013年04月09日

ももと庵、るるぶ沖縄ドライブに

 旅行しようという時、まずは本屋さんでるるぶのガイドブックを眺めてみる、という人も多いんじゃないでしょうか。そんな旅行ガイドの定番、るるぶの「るるぶ沖縄ドライブ14」に、万鐘ももと庵が掲載されました。

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 実は、昨年暮れに発売された、るるぶの沖縄ガイド本編「るるぶ沖縄13」にも、万鐘ももと庵が掲載されました。最近は「るるぶを見た」と言って来られるお客さまもいらっしゃいます。

 そんな矢先、今度は同じるるぶの「沖縄ドライブ14」に掲載されたわけです。

 るるぶ沖縄ドライブは、レンタカーを借りて沖縄をドライブする人々をターゲットに、5つのおすすめドライブコースを提案。ももと庵は、中部エリアの「海中道路&島めぐりドライブ」にランチスポットとして紹介されています。

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 この海中道路&島めぐりドライブ、沖縄自動車道の北中城インターチェンジを9:00に出発し、9:10中城城跡→10:40勝連城跡→11:45万鐘ももと庵→13:00海中道路→13:50ぬちまーす→14:40伊計ビーチというコース。

 世界遺産の城跡を2つ見て、ももと庵でゆったりとランチしてから、青い海の真ん中を走る海中道路の爽快ドライブで宮城島に渡ってぬちまーすの製塩を見学、最後は伊計島のコーラルリーフで遊ぶ、という盛りだくさんのドライブです。

 海中道路の先には、平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島がすべて車で行けるようになっていますので、天気に恵まれれば、最高の島旅ドライブになりそうですね。

 ももと庵スタッフ一同、「11時45分」にお待ちしておりまーす。

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2012年11月23日

勝連城の一番上からの絶景

 勝連城跡の一番上、「一の曲輪(くるわ)」まで登ってみましょう。

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 正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。

 一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。

 いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。

 おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。

 足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。

 三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。

 一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。

 グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。

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 これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。

 防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。

 少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。

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 北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。

 500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。

 北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。



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2012年11月08日

大きな経済力と言われても・・・

 勝連城跡から出土した中国、元の時代の染付。元の染付の高度なデザインについては、前回、紹介しました。

 「陶磁の道」という古典的名著を書いた東洋学者で考古学者の三上次男が、勝連城跡から出土した元染付のかけらを鑑定したところ、その多くは「至正様式」と呼ばれる最高級品であることが確認されました。

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 21世紀の現代でも、「至正様式の元染付」といえば、ゼロがいくつも並ぶような天文学的な値が世界的につきます。例えば、2005年にロンドンのオークションで元染付の壺が日本円にして30億円で落札された、という記録があります。その時点で、陶磁オークション史上の最高価格だったとのこと。

 15世紀の当時も、それらが大変な高級品であったことは疑いのないところです。

 そういう高級品が出てくるということは、つまり、当時の勝連にはものすごい経済力があったということ。三上次男も論文でそのことに触れています。

 世界に高級品として輸出されていた貴重品である元染付の陶磁を買える人が勝連にはいた、あるいは買える組織が勝連にはあった、ということでしょう。ひょっとしたら、勝連は、そんな海外の高級品が売買される貿易ルート、貿易拠点の一つだった、ということになるのかもしれません。

 昔の、15世紀ころの沖縄は、那覇だけが都市で、それ以外の地域はすべて農村だったというのが通り相場。そんな純農村であったはずの勝連に、世界的にも高級な輸入陶磁器を買えるほどの大きな経済力があった、と言われても、どうもイメージできません。

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 ただ、よく考えてみると、勝連城という城はかなり立派な城です。あれだけの城があったのですから、それを支える経済力があって、周辺にも、いろいろな立派な施設があったり、人やモノの往来が盛んだったりしたのかもしれません。

 ももと庵のある場所は、勝連城の南風原御門(はえばる・うじょう)から海側に出てすぐ左のところ。反対側の西原御門(にしはら・うじょう)側入口の休憩所に置かれている復元模型で言えば、左側の手前にある門が西原御門、その先の奥にある門が正門だった南風原御門です。

 正門のすぐ前ですから、ももと庵のあたりにも何かあったことは間違いなさそうです。

 何か手がかりでも落ちていないかなあー。

 500年以上前の手がかりが簡単に落ちているはずもないですが、そんなことを思いながら、店の回りを歩いたりしています。

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2012年11月03日

勝連城跡から超高級の染付が

 前回は、勝連城の正門だった南風原御門側からの上がり方を紹介しました。今度は勝連城の歴史のナゾに少しだけ分け入ってみることにしましょう。

 勝連城跡からは、いろいろなものが出土しています。中でもすごいのは、中国の元(げん)の時代の染付(そめつけ)の破片が出たこと。

 「な、なにいっ! ゲ、ゲンのソメツケっ!」 その道の方なら驚きのあまり卒倒するくらいのシロモノなのだそうです。

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 卒倒する前に、染付について少々。染付というのは、鮮やかな紺色の絵が描かれている白い磁器のこと。写真のように、私たちがふだん使っている食器にもたくさんあります。

 勝連城跡から出た染付は、こうしたふだん使いの食器とは、ちょっと、いや、だいぶ違います。

 勝連城跡から出た染付は、染付という絵付けの技法が始まったとされる中国の元の時代のものなんです。「チンギスハン」「元寇」の元ですね。13世紀から14世紀に中国を支配しました。

 元時代の染付は、たんに染付の始まりだからということで珍重されているわけではありません。その後の時代の染付と比べても、精巧で絢爛豪華な模様の大型作品が多く、最高級品としてアジア各地や、遠くイスラム文化圏に輸出されていました。

 東京にある戸栗美術館が収蔵品の写真をホームページに載せています。このページの「2.中国陶磁」の「元時代」を開けてみて下さい。この皿の模様のスゴいこと。

 この美術館のブログに同じ皿の写真が載っています。模様がよく見えるこちらの写真を拝借しました。素人目にも、まったくため息が出るほどの精巧さです。

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 元の染付には、海中の魚の絵が描かれた大型の壺など、日本の重要文化財に指定されている作品もあります。

 最高級品である元の染付。日本で出土するのは、沖縄のグスク跡からが多く、中でも勝連城跡が圧倒的ということらしいんです。ということは?!?! ?!?!?!

 続きは次回に。


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