南風原御門
2016年01月07日
正月の勝連城
毎年、正月には勝連城に登っています。ことしは1/2の午後に登りました。一番上の「一の曲輪(くるわ)」から見た太平洋です。正面の島かげは、沖縄本島南部の知念半島。
勝連城の正門だった南風原御門跡の入口は、ももと庵からわずか数十メートルの距離。目と鼻の先なので、そこから登ろうと思えば毎日でも登れるのですが、ちょっときつい勾配だったりすることもあって、実際にはなかなか、、、。
正月は、三が日から人が絶えません。この日もガイドさんが観光客を案内していました。
こちら↓が三の曲輪から二の曲輪に上がるところの石垣。急勾配なので、息が切れます。
それにしてもこの石垣、空間の形にピッタリ合うように一つひとつ形の違う石をコツコツ成形して組み合わせていったわけで、電動工具も測量器具もない時代の土木技術の高さを感じます。
重たいですから運ぶのも大変だったはず。完成までにいったい何年かかったんでしょうか。
頑張って一気にてっぺんの一の曲輪まで上がると、小さな広場のようになっていて、四方が見渡せます。まさに絶景。ここに阿麻和利(あまわり)と妻の百十踏揚(ももと・ふみあがり)のいる館があったはずです。
下って、大勢の人々が帰るのと反対の、南風原御門があった海側に出る道へ向かいます。木が自然のアーチを作っています。ここを下って城跡を出ると、すぐ左手がももと庵です。
勝連城の正門だった南風原御門跡の入口は、ももと庵からわずか数十メートルの距離。目と鼻の先なので、そこから登ろうと思えば毎日でも登れるのですが、ちょっときつい勾配だったりすることもあって、実際にはなかなか、、、。
正月は、三が日から人が絶えません。この日もガイドさんが観光客を案内していました。
こちら↓が三の曲輪から二の曲輪に上がるところの石垣。急勾配なので、息が切れます。
それにしてもこの石垣、空間の形にピッタリ合うように一つひとつ形の違う石をコツコツ成形して組み合わせていったわけで、電動工具も測量器具もない時代の土木技術の高さを感じます。
重たいですから運ぶのも大変だったはず。完成までにいったい何年かかったんでしょうか。
頑張って一気にてっぺんの一の曲輪まで上がると、小さな広場のようになっていて、四方が見渡せます。まさに絶景。ここに阿麻和利(あまわり)と妻の百十踏揚(ももと・ふみあがり)のいる館があったはずです。
下って、大勢の人々が帰るのと反対の、南風原御門があった海側に出る道へ向かいます。木が自然のアーチを作っています。ここを下って城跡を出ると、すぐ左手がももと庵です。
2013年05月15日
城跡を越え、歩いてももと庵へ
先日、珍しく、ももと庵に歩いて来店したお客様がおられました。「勝連城跡の向こう側から来たんです」。あ、その手があったかー。思わずヒザを打ちました。
これは、グーグルアースで上空から見た勝連城跡周辺の写真です。県道16号線沿いに勝連城跡駐車場があります。そのまま南西方向に進めば海中道路です。
勝連城跡の勝連城跡を見ようとする人はほとんど、西原御門側にある勝連城跡駐車場に車を置いて、勝連城跡に上ります。見終わったら、そのまま駐車場に戻るのが普通です。車がそこに置いてあるんですから、当然ですね。
一方、ももと庵に来る方は、この写真の上の方に見えるパーラーみなみ前から分岐する脇道に入って、そのまま勝連城跡の南西側を海を見ながら走り、ももと庵にたどり着くことになります。
つまりパーラーみなみの分岐点で、勝連城跡に行く人とももと庵に行く人は完全に分かれるのが現状です。
ところが、ところがー。
先日のお客さまのように、勝連城跡駐車場に車を止め、勝連城跡に上り、その後に、駐車場とは反対側に降りていき、南風原御門跡側から海側の脇道に降り立ち、そこから100mほどのももと庵に来て食事をする、というルートもあるんです。
上のグーグルアースのオリジナルの道路標示では城跡から南風原御門側に降りてくる道は示されていませんので、拡大して、その道を書き足したのが下の写真です。
これでお分かりのように、城跡を降りてから、南風原御門跡を通って海側の道に出るまでの距離はわずか200m弱。道に出てからももと庵までは、100mあるかないかの近さです。
グーグルアースではきれいには見えていませんが、南風原御門側に降りる道は、細いながらもちゃんとあるんです。
このルートだと、天気のいい日は、南風原御門側の道を降りていくと、木立の先に太平洋の青い海が見えてくる、という楽しみがあります。
出口は、ちょっと情けない感じの手すりがあるだけ。しばらく前のブログ記事でご案内しましたよね。
この道、人の手があまり入っていないので、14世紀の勝連城をイメージするにはかえっていいかもしれません。
勝連城跡を越え、歩いてももと庵へー。お試し下さい。
これは、グーグルアースで上空から見た勝連城跡周辺の写真です。県道16号線沿いに勝連城跡駐車場があります。そのまま南西方向に進めば海中道路です。
勝連城跡の勝連城跡を見ようとする人はほとんど、西原御門側にある勝連城跡駐車場に車を置いて、勝連城跡に上ります。見終わったら、そのまま駐車場に戻るのが普通です。車がそこに置いてあるんですから、当然ですね。
一方、ももと庵に来る方は、この写真の上の方に見えるパーラーみなみ前から分岐する脇道に入って、そのまま勝連城跡の南西側を海を見ながら走り、ももと庵にたどり着くことになります。
つまりパーラーみなみの分岐点で、勝連城跡に行く人とももと庵に行く人は完全に分かれるのが現状です。
ところが、ところがー。
先日のお客さまのように、勝連城跡駐車場に車を止め、勝連城跡に上り、その後に、駐車場とは反対側に降りていき、南風原御門跡側から海側の脇道に降り立ち、そこから100mほどのももと庵に来て食事をする、というルートもあるんです。
上のグーグルアースのオリジナルの道路標示では城跡から南風原御門側に降りてくる道は示されていませんので、拡大して、その道を書き足したのが下の写真です。
これでお分かりのように、城跡を降りてから、南風原御門跡を通って海側の道に出るまでの距離はわずか200m弱。道に出てからももと庵までは、100mあるかないかの近さです。
グーグルアースではきれいには見えていませんが、南風原御門側に降りる道は、細いながらもちゃんとあるんです。
このルートだと、天気のいい日は、南風原御門側の道を降りていくと、木立の先に太平洋の青い海が見えてくる、という楽しみがあります。
出口は、ちょっと情けない感じの手すりがあるだけ。しばらく前のブログ記事でご案内しましたよね。
この道、人の手があまり入っていないので、14世紀の勝連城をイメージするにはかえっていいかもしれません。
勝連城跡を越え、歩いてももと庵へー。お試し下さい。
2012年11月23日
勝連城の一番上からの絶景
勝連城跡の一番上、「一の曲輪(くるわ)」まで登ってみましょう。
正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。
一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。
いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。
おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。
足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。
三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。
一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。
グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。
これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。
防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。
少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。
北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。
500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。
北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。
正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。
一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。
いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。
おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。
足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。
三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。
一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。
グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。
これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。
防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。
少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。
北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。
500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。
北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。
2012年10月29日
勝連城にはもう1つの入口があった
だいぶ秋めいてきました。勝連はよい天気が続いています。ももと庵の前の海も色あざやか。勝連城跡の石垣が、青空にくっきりと映えています。
ももと庵があるのは、勝連城跡に来る人のほとんどが入る西原御門側とは反対の、南風原御門側です。
西原御門側には、県道16号線があり、駐車場や休憩所もあるので、勝連城跡といえば、西原御門側から入るものと思っている方がほとんどでしょう。ところがー
ももと庵から出て右側にわずか30mほど行ったところに、こんな小さな入口があります。いかにも通用口といったふぜいの簡単な造りのこの入口が、南風原御門側から勝連城跡に上る道の入口なんです。
南風原御門。「はえばるうじょう」と読みます。雑草に覆われているこの小さな入口の先にあった南風原御門こそ、実は勝連城跡の正門だったんです。
与並岳生さんの「琉球王女・百十踏揚(ももとふみあがり)」には、首里王府と対峙していた勝連城主の阿麻和利(あまわり)に嫁ぐために首里から勝連にやってきた国王尚泰久の娘、百十踏揚の一行が、いよいよ勝連城に足を踏み入れるシーンがあります。ちょっとだけ、さわりを引用させてもらいます。
行列はゆったりと涼傘をなびかせて、勝連城へ登って行った。
城のふもとには、将兵や村人たちが、総出で出迎えていた。
(中略)
行列は、城の南面の、石畳を敷いた長い急坂を登って行った。上り詰めたところの門が、正門の南風原御門だった。
首里城の門と同じ、櫓を乗せた石造の拱門であった。
この後、百十踏揚は、初めて阿麻和利と対面します。続きは、ぜひ本を読んで下さい(ももと庵で売っています)。読み出したら、他のことに手がつけられなくなりますけど。
この南風原御門側の入口から勝連城に上ると、勝連城跡の石垣が、びっくりするくらいすぐ近くに現われます。歩く距離も、西原御門側からよりだいぶ短くてすむ感じです。写真は、南風原御門側の入口から入って、少し勾配のある道を2、3分上り、視界が開けたとたん、目に飛び込んでくる勝連城跡です。
南風原御門それ自体は、今はありません。このあたりにあったはず、ということです。
南風原御門側から勝連城跡に出入りするおもしろさの一つは、それが海側にあって、沖縄本島の東側を一望できることでしょう。泡瀬から始まって、中城、西原、与那原と続き、知念までが見えます。
西原の先には首里があります。緊張関係にあった15世紀の首里と勝連。首里国王の娘をめとった阿麻和利は、どんな思いで、この風景を毎日眺めていたのでしょう。いや、むしろ、政略結婚で阿麻和利に嫁ぐことになった百十踏揚自身が、地元で大歓迎されながらも、いったいどんな複雑な思いでこの風景を眺めていたかー。想像力がかき立てられますね。
南風原御門側入口からの勝連城。ぜひ一度、上がってみて下さい。
それから、与並さんの「琉球王女・百十踏揚」。猛烈に面白いですよ。これを読んでから勝連城に立つと、登場人物が生きて動き出します。
ただ、ドンと分厚い大作なので、時間とお金に多少ゆとりのある時がいいかも。県内の各書店や万鐘ももと庵で取り扱っています。セブンネットでも扱っていますので、県外の方もぜひ。
ももと庵があるのは、勝連城跡に来る人のほとんどが入る西原御門側とは反対の、南風原御門側です。
西原御門側には、県道16号線があり、駐車場や休憩所もあるので、勝連城跡といえば、西原御門側から入るものと思っている方がほとんどでしょう。ところがー
ももと庵から出て右側にわずか30mほど行ったところに、こんな小さな入口があります。いかにも通用口といったふぜいの簡単な造りのこの入口が、南風原御門側から勝連城跡に上る道の入口なんです。
南風原御門。「はえばるうじょう」と読みます。雑草に覆われているこの小さな入口の先にあった南風原御門こそ、実は勝連城跡の正門だったんです。
与並岳生さんの「琉球王女・百十踏揚(ももとふみあがり)」には、首里王府と対峙していた勝連城主の阿麻和利(あまわり)に嫁ぐために首里から勝連にやってきた国王尚泰久の娘、百十踏揚の一行が、いよいよ勝連城に足を踏み入れるシーンがあります。ちょっとだけ、さわりを引用させてもらいます。
行列はゆったりと涼傘をなびかせて、勝連城へ登って行った。
城のふもとには、将兵や村人たちが、総出で出迎えていた。
(中略)
行列は、城の南面の、石畳を敷いた長い急坂を登って行った。上り詰めたところの門が、正門の南風原御門だった。
首里城の門と同じ、櫓を乗せた石造の拱門であった。
この後、百十踏揚は、初めて阿麻和利と対面します。続きは、ぜひ本を読んで下さい(ももと庵で売っています)。読み出したら、他のことに手がつけられなくなりますけど。
この南風原御門側の入口から勝連城に上ると、勝連城跡の石垣が、びっくりするくらいすぐ近くに現われます。歩く距離も、西原御門側からよりだいぶ短くてすむ感じです。写真は、南風原御門側の入口から入って、少し勾配のある道を2、3分上り、視界が開けたとたん、目に飛び込んでくる勝連城跡です。
南風原御門それ自体は、今はありません。このあたりにあったはず、ということです。
南風原御門側から勝連城跡に出入りするおもしろさの一つは、それが海側にあって、沖縄本島の東側を一望できることでしょう。泡瀬から始まって、中城、西原、与那原と続き、知念までが見えます。
西原の先には首里があります。緊張関係にあった15世紀の首里と勝連。首里国王の娘をめとった阿麻和利は、どんな思いで、この風景を毎日眺めていたのでしょう。いや、むしろ、政略結婚で阿麻和利に嫁ぐことになった百十踏揚自身が、地元で大歓迎されながらも、いったいどんな複雑な思いでこの風景を眺めていたかー。想像力がかき立てられますね。
南風原御門側入口からの勝連城。ぜひ一度、上がってみて下さい。
それから、与並さんの「琉球王女・百十踏揚」。猛烈に面白いですよ。これを読んでから勝連城に立つと、登場人物が生きて動き出します。
ただ、ドンと分厚い大作なので、時間とお金に多少ゆとりのある時がいいかも。県内の各書店や万鐘ももと庵で取り扱っています。セブンネットでも扱っていますので、県外の方もぜひ。