品種改良

2010年03月21日

[第161話 農、南] 稲の品種改良に注ぐ情熱

 沖縄本島の稲作地域と言えば金武町だが、名護市喜瀬にも田んぼがある。喜瀬の水田地域を回っていたら、小さな苗が植えられていた。沖縄本島では非常に珍しい稲作専業農家、比嘉菊敏さんの田んぼだった。比嘉さんは新しい品種を自ら作っている。

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 比嘉さんの田んぼに植えられていた小さな苗は黒米。定植は10日ほど前のことで、まだ本当に小さな苗だが、よく見ると、紫色の色素を帯びている部分が葉のところどころにある。黒米のアントシアニンの紫色は、子実だけではなく、葉にも現われるらしい。

 第44話で書いたように、沖縄の稲作は八重山や伊平屋などの離島地域が中心で、沖縄本島では既に稲作自体が珍しいものになってしまった。わずかに残された金武町でも、その多くは自給用。

 専業農家の比嘉さんは、当然ながら米を出荷している。黒米だけでなく、普通の白いうるち米も作る。田んぼではターンムも作っているから、正確には、稲作専業農家ではなく、「田んぼ専業農家」というべきだろう。

 ことし比嘉さんは、新しい稲の苗を定植する予定だ。黒米の一種だが、うるち米ともかけ合わせたオリジナル品種。10年がかりで種を選抜し続け、ことしは500坪ほど定植できそうという。

 その苗床を見せてもらった。「モミを割らないと玄米の色が分からないので、すべてモミを割って、玄米を選抜します。だから、この苗はすべて玄米から発芽させたものなんですよ」。播種はモミをまくのが普通なので、玄米から作られた苗の話にはびっくりした。

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 こうした品種改良を自分でやる農家は、沖縄に限らず、現在は非常に少ない。しかし、洋の東西を問わず、農業が始まったとされる2万年前から、品種を絶えず改良してきたのは常に農家だったのだ。

 いま、品種改良は、農家の手から完全に離れている。品種改良を一手に引き受けているのは、米などの穀類なら農業試験場の技官、野菜類ならば民間の種会社。いずれも「育種の専門家」だ。

 だが、目を海外に転じると、農家が品種改良を手がけるケースはまだある。そのほとんどは、開発途上国の、それも交通の不便な地域。そういう地域社会に関する文化人類学者らの報告書を読むと、農家による品種改良の話が時々顔を出す。

 例えば、ペルーのリマにある国際イモセンターが出したある報告書によると、ネパールのある村では、女性の品種改良農家がいて、13種類のサツマイモの品種を改良し続けている。この品種は実が固いけど日持ちがいいので出荷用、この品種は見栄えは悪いが甘みが強いので自家用、この品種は水不足に強いので干ばつ対策用、この品種は甘みは今ひとつだが皮色がきれいなのでやはり出荷用、といった具合だ。その管理ぶりは、あきれるほど細かい。

 品種改良は、無名の篤農家の手によって、文書の記録が残されるはるか以前から行われていた。例えば、第142話でも触れたが、中尾佐助の名著「栽培植物と農耕の起源」によると、バナナが現在のように種なしになったのは約5000年前に今のインドネシアあたりで品種改良が行われたから、と推測されるらしい。

 いったいどんな農民がバナナを種なしにしたのだろうか。たまたま突然変異で種がなくなったバナナを見つけ、その理由を考え、そうする方法を考え考え・・・。いくつもの偶然、幸運、不運が重なり、長い時間がかかったに違いない。その間に登場する篤農家も、たくさん選手交代したことだろう。

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 二酸化炭素や騒音などを全く出さないゼロエミッションの電気自動車。日産自動車がその開発につぎ込んだ研究開発費は5000億円以上、と言われる。カルロス・ゴーン最高経営責任者がそれを明らかにしたのは昨年の東京モーターショーだった。

 比嘉さんやネパールの女性のような名も無き篤農家と、世界規模の巨大企業では、注がれる資金のケタはもちろん全く違う。だが、技術革新に注ぐ情熱は、農業、工業を問わず、今も昔も変わらない。

 もう一つの大きな違いは、育種の専門家や大企業による研究開発は大量生産のための研究開発であること。これに対して、農家による研究開発は、もっと細かく、多様だ。ネパール女性のサツマイモの例がそれを物語る。

 これからの消費者の多様なニーズに応えることができるのは、案外、こうした農家による研究開発になってくるかもしれない。

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2009年09月13日

[第134話 農、食] 地野菜を楽しむ農家民宿

 「農家民宿」は、読んで字のごとし、農家が経営する民宿。農家だから、畑で穫れたての新鮮野菜が食卓に並ぶ。沖縄本島北部の宜野座村で季節の地野菜を作っている仲間澄子さんの農家民宿「田元」をのぞいてみた。

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 田元は「タムトゥー」と読む。これは仲間家の屋号。沖縄の農村部では、今でも屋号で家を呼ぶことが多い。仲間家では、古い瓦家の隣りに鉄筋コンクリート造の自宅を建て、家人はそちらで生活することになったので、空いた古い瓦家を民宿として使うことにした。これが「田元」の始まり。

 その瓦家は、昔ながらの一番座、二番座のある間取り。一番座には床の間、二番座には仏壇がそれぞれある。

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 仲間さんはカンダバーやンスナバー、イーチョバーといった沖縄の地野菜を作っている。夏場ならモウイのあえもの、秋口にはシークワサーのジュース(下の写真)、冬にはダイコンの地漬けやイーチョバーの天ぷらが献立に加わる。パパイヤイリチャーやカンダバーのみそあえは年中できる。

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 カンダバーは万鐘本店第54話モウイは第1話野菜パパイヤは第92話でそれぞれ紹介した。イーチョバーはウイキョウ。さわやかな香りが特徴で、天ぷらにしたり、ボロボロジューシーにしたりする。

 「地野菜は、何にもしなくても、ほとんど放ったらかしでできるんですよ。農薬もいらないし」と仲間さん。

 話を聞けば簡単そうだが、仲間さんは、例えばカンダバーなら葉が柔らかく、えぐみの少ない品種を選んで植えている。カンダバーなど、沖縄ではそれこそどこでも生えている葉野菜だが、ちゃんとこだわりの品種を栽培しているところはやはり農家。

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 地野菜は、たとえばカンダバーでもハンダマでもイーチョバーでもゴーヤーでも、独特の香りや苦み、渋みがあって、それがおいしい。とはいえ、その香りや苦み、渋みが、度を過ぎたものでは、とても食べられない。適度ならば、「大人の味」として、おいしくいただける。

 だから農家は、品種について、長い間、研究を重ねてきた。この研究は、もちろん研究所みたいなところで行なわれるわけではなく、各農家が自分の畑で経験的に続けてきたもの。「いい種を残す」「いい種を人に分ける」という形で、その成果は細く長く受け継がれてきた。

 地球上で農業というものが始まって2万年。その99%以上にあたる1万9900年くらいの間、品種改良などの研究開発はすべて農家が担ってきた。例えば、バナナが今のような種なしの形になったのは、何千年も前にインドネシアで品種改良が行なわれたかららしい。そんな時代に研究所があったはずもない。

 話が急に大きくなってしまったが、仲間さんのカンダバーも、そんなふうにして農家の手で残されてきた「いい種」の一つなのだ。

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 田元の宿泊客は、畑で土いじりをしたり、それぞれの味わいを持つ地野菜に舌つづみを打つことができる。おやつのサーターアンダアギーを仲間さんと一緒に作ったりするチャンスもあるらしい。

 ホテルにあきた沖縄リピーターの間で田元は人気が高く、夏休みなどは予約で一杯になる。1回に1組しか泊れないから、予約は必須。1組5、6人までは泊れる。

 農家民宿はほかにもいくつかある。北部の農家民宿情報は、このHPが便利。田元も載っている。田元は宜野座村宜野座村字漢那112、 098-968-3992。

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