地野菜
2009年09月13日
[第134話 農、食] 地野菜を楽しむ農家民宿
「農家民宿」は、読んで字のごとし、農家が経営する民宿。農家だから、畑で穫れたての新鮮野菜が食卓に並ぶ。沖縄本島北部の宜野座村で季節の地野菜を作っている仲間澄子さんの農家民宿「田元」をのぞいてみた。
田元は「タムトゥー」と読む。これは仲間家の屋号。沖縄の農村部では、今でも屋号で家を呼ぶことが多い。仲間家では、古い瓦家の隣りに鉄筋コンクリート造の自宅を建て、家人はそちらで生活することになったので、空いた古い瓦家を民宿として使うことにした。これが「田元」の始まり。
その瓦家は、昔ながらの一番座、二番座のある間取り。一番座には床の間、二番座には仏壇がそれぞれある。
仲間さんはカンダバーやンスナバー、イーチョバーといった沖縄の地野菜を作っている。夏場ならモウイのあえもの、秋口にはシークワサーのジュース(下の写真)、冬にはダイコンの地漬けやイーチョバーの天ぷらが献立に加わる。パパイヤイリチャーやカンダバーのみそあえは年中できる。
カンダバーは万鐘本店第54話、モウイは第1話、野菜パパイヤは第92話でそれぞれ紹介した。イーチョバーはウイキョウ。さわやかな香りが特徴で、天ぷらにしたり、ボロボロジューシーにしたりする。
「地野菜は、何にもしなくても、ほとんど放ったらかしでできるんですよ。農薬もいらないし」と仲間さん。
話を聞けば簡単そうだが、仲間さんは、例えばカンダバーなら葉が柔らかく、えぐみの少ない品種を選んで植えている。カンダバーなど、沖縄ではそれこそどこでも生えている葉野菜だが、ちゃんとこだわりの品種を栽培しているところはやはり農家。
地野菜は、たとえばカンダバーでもハンダマでもイーチョバーでもゴーヤーでも、独特の香りや苦み、渋みがあって、それがおいしい。とはいえ、その香りや苦み、渋みが、度を過ぎたものでは、とても食べられない。適度ならば、「大人の味」として、おいしくいただける。
だから農家は、品種について、長い間、研究を重ねてきた。この研究は、もちろん研究所みたいなところで行なわれるわけではなく、各農家が自分の畑で経験的に続けてきたもの。「いい種を残す」「いい種を人に分ける」という形で、その成果は細く長く受け継がれてきた。
地球上で農業というものが始まって2万年。その99%以上にあたる1万9900年くらいの間、品種改良などの研究開発はすべて農家が担ってきた。例えば、バナナが今のような種なしの形になったのは、何千年も前にインドネシアで品種改良が行なわれたかららしい。そんな時代に研究所があったはずもない。
話が急に大きくなってしまったが、仲間さんのカンダバーも、そんなふうにして農家の手で残されてきた「いい種」の一つなのだ。
田元の宿泊客は、畑で土いじりをしたり、それぞれの味わいを持つ地野菜に舌つづみを打つことができる。おやつのサーターアンダアギーを仲間さんと一緒に作ったりするチャンスもあるらしい。
ホテルにあきた沖縄リピーターの間で田元は人気が高く、夏休みなどは予約で一杯になる。1回に1組しか泊れないから、予約は必須。1組5、6人までは泊れる。
農家民宿はほかにもいくつかある。北部の農家民宿情報は、このHPが便利。田元も載っている。田元は宜野座村宜野座村字漢那112、 098-968-3992。
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田元は「タムトゥー」と読む。これは仲間家の屋号。沖縄の農村部では、今でも屋号で家を呼ぶことが多い。仲間家では、古い瓦家の隣りに鉄筋コンクリート造の自宅を建て、家人はそちらで生活することになったので、空いた古い瓦家を民宿として使うことにした。これが「田元」の始まり。
その瓦家は、昔ながらの一番座、二番座のある間取り。一番座には床の間、二番座には仏壇がそれぞれある。
仲間さんはカンダバーやンスナバー、イーチョバーといった沖縄の地野菜を作っている。夏場ならモウイのあえもの、秋口にはシークワサーのジュース(下の写真)、冬にはダイコンの地漬けやイーチョバーの天ぷらが献立に加わる。パパイヤイリチャーやカンダバーのみそあえは年中できる。
カンダバーは万鐘本店第54話、モウイは第1話、野菜パパイヤは第92話でそれぞれ紹介した。イーチョバーはウイキョウ。さわやかな香りが特徴で、天ぷらにしたり、ボロボロジューシーにしたりする。
「地野菜は、何にもしなくても、ほとんど放ったらかしでできるんですよ。農薬もいらないし」と仲間さん。
話を聞けば簡単そうだが、仲間さんは、例えばカンダバーなら葉が柔らかく、えぐみの少ない品種を選んで植えている。カンダバーなど、沖縄ではそれこそどこでも生えている葉野菜だが、ちゃんとこだわりの品種を栽培しているところはやはり農家。
地野菜は、たとえばカンダバーでもハンダマでもイーチョバーでもゴーヤーでも、独特の香りや苦み、渋みがあって、それがおいしい。とはいえ、その香りや苦み、渋みが、度を過ぎたものでは、とても食べられない。適度ならば、「大人の味」として、おいしくいただける。
だから農家は、品種について、長い間、研究を重ねてきた。この研究は、もちろん研究所みたいなところで行なわれるわけではなく、各農家が自分の畑で経験的に続けてきたもの。「いい種を残す」「いい種を人に分ける」という形で、その成果は細く長く受け継がれてきた。
地球上で農業というものが始まって2万年。その99%以上にあたる1万9900年くらいの間、品種改良などの研究開発はすべて農家が担ってきた。例えば、バナナが今のような種なしの形になったのは、何千年も前にインドネシアで品種改良が行なわれたかららしい。そんな時代に研究所があったはずもない。
話が急に大きくなってしまったが、仲間さんのカンダバーも、そんなふうにして農家の手で残されてきた「いい種」の一つなのだ。
田元の宿泊客は、畑で土いじりをしたり、それぞれの味わいを持つ地野菜に舌つづみを打つことができる。おやつのサーターアンダアギーを仲間さんと一緒に作ったりするチャンスもあるらしい。
ホテルにあきた沖縄リピーターの間で田元は人気が高く、夏休みなどは予約で一杯になる。1回に1組しか泊れないから、予約は必須。1組5、6人までは泊れる。
農家民宿はほかにもいくつかある。北部の農家民宿情報は、このHPが便利。田元も載っている。田元は宜野座村宜野座村字漢那112、 098-968-3992。
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2007年07月27日
[第1話 食] モウイ―沖縄芝居の名わき役
沖縄の夏といえば、ゴーヤーからマンゴーまで、旬の味覚のオールスターが勢ぞろいする。そんな中で、地味ながらも渋い光を放っているのが、モウイだ。
モウイは、赤ウリとも呼ばれる。長めのきゅうりを4、5本束ねたくらいの大きさ。赤茶色の皮をむくと、中から水気たっぷりの白い果肉が顔を出す。
ゴーヤーのような苦みがあるわけではないし、ナーベラー(ヘチマ)のような独特の甘味があるわけでもない。クセがない、何とも素直な味だ。
最大の売りは、歯応えである。よく冷やしておくと、口に入れた時、心地よいパリパリ感が、暑さで減退気味の食欲を刺激してくれる。
皮をむいて縦半分に割り、中心部の種をさじでかき出す。3mmほどの厚さにスライスして、かるく塩をふり、10分ほど置くと水が出てくる。その水をよく切って、醤油と酢半々で作った酢醤油を適量かける。そのまま冷蔵庫で2時間、よく冷やせば出来上がり。
モウイは、沖縄県内ですら、農産物流通の主流からははずれている。市場流通するのは7、8月の短い期間のみだが、この時期でさえ置いていないスーパーがあるほどだ。
品種改良も出荷品質管理もほとんどされていないのだろう、形はふぞろいだし、大きさもまちまち。水分が多くて重たい割には、あまりにふだん着の存在すぎて、スイカやメロンのように付加価値をつけるのが難しく、その分、商業的なメリットが少ないのではないだろうか。
万鐘のあるうるま市のような農村部を抱える地域では、畑の隅に自家用に植えている人が少なくない。栽培管理の手間はほとんどかからないから、植えておけば自然にできる。お金を払って買う野菜、のイメージではない。市場流通からはずれてしまった、のではなく、もともと市場流通に本格的に乗っていないというべきだろう。
ゴーヤーがもはや国民的大スターだとすれば、モウイは、さしずめ沖縄芝居の名わき役といったところか。だが、このモウイ、毎年7月になると、沖縄の各地にちらほらと元気な姿を見せ、パリパリした歯ごたえ一本の名演技で観客を大いにうならせるのである。
モウイは、赤ウリとも呼ばれる。長めのきゅうりを4、5本束ねたくらいの大きさ。赤茶色の皮をむくと、中から水気たっぷりの白い果肉が顔を出す。
ゴーヤーのような苦みがあるわけではないし、ナーベラー(ヘチマ)のような独特の甘味があるわけでもない。クセがない、何とも素直な味だ。
最大の売りは、歯応えである。よく冷やしておくと、口に入れた時、心地よいパリパリ感が、暑さで減退気味の食欲を刺激してくれる。
皮をむいて縦半分に割り、中心部の種をさじでかき出す。3mmほどの厚さにスライスして、かるく塩をふり、10分ほど置くと水が出てくる。その水をよく切って、醤油と酢半々で作った酢醤油を適量かける。そのまま冷蔵庫で2時間、よく冷やせば出来上がり。
モウイは、沖縄県内ですら、農産物流通の主流からははずれている。市場流通するのは7、8月の短い期間のみだが、この時期でさえ置いていないスーパーがあるほどだ。
品種改良も出荷品質管理もほとんどされていないのだろう、形はふぞろいだし、大きさもまちまち。水分が多くて重たい割には、あまりにふだん着の存在すぎて、スイカやメロンのように付加価値をつけるのが難しく、その分、商業的なメリットが少ないのではないだろうか。
万鐘のあるうるま市のような農村部を抱える地域では、畑の隅に自家用に植えている人が少なくない。栽培管理の手間はほとんどかからないから、植えておけば自然にできる。お金を払って買う野菜、のイメージではない。市場流通からはずれてしまった、のではなく、もともと市場流通に本格的に乗っていないというべきだろう。
ゴーヤーがもはや国民的大スターだとすれば、モウイは、さしずめ沖縄芝居の名わき役といったところか。だが、このモウイ、毎年7月になると、沖縄の各地にちらほらと元気な姿を見せ、パリパリした歯ごたえ一本の名演技で観客を大いにうならせるのである。