大阪
2014年04月16日
そっくりさん番外編
今回は、そっくりさんじゃなくて、ベトナムでちょっとおかしなものを見つけましたので、番外編ということでご報告。かなりヘンです。
これ、農薬などを散布するのに使うエンジン付きの噴霧器なんです。ベトナム南部の田舎の農機具屋で見かけました。真ん中に「Okinawa」と大きく書かれているでしょう。なんだ?こりゃ、ですよね。
おかしいのは、その下に「Made in Taiwan」とあること。つまり、これは台湾製で、沖縄製というわけじゃないんです。
さらによく見ると、一番下に「Powered by Honda」。いよいよわけが分かりません。
地元の人の解説はこうでした。まず「Okinawa」とでっかく書かれているのは、日本をイメージさせるための言葉。日本製ではないんですが、まあ、日本っぽい性能のよさですよー、ということらしいです。
面白いのは「Tokyo」や「Osaka」じゃなくて「Okinawa」が日本を象徴する地名だととらえられていること。
よく「Osaka」とか「Tokyo」とか箱に書かれたちょっと怪しげな家電品を海外で見かけますけど、それはまさに日本をイメージさせるための言葉です。
日本をイメージさせるために「Okinawa」と書かれたものを見たのは、これが初めて。解説してくれたベトナム人に言わせると、Okinawaを知らないベトナム人はいないでしょう、ということでした。
どんなイメージなの?と聞いたら「リゾート」との答が返ってきました。沖縄の知名度はアジアでは意外に高いのかもしれません。
高度成長を続けるアジアー。富裕層・中間層が増えていますので、そういう人に沖縄にどんどん来てもらいたいわけですが、どうやら、その可能性はありそうですね。
これ、農薬などを散布するのに使うエンジン付きの噴霧器なんです。ベトナム南部の田舎の農機具屋で見かけました。真ん中に「Okinawa」と大きく書かれているでしょう。なんだ?こりゃ、ですよね。
おかしいのは、その下に「Made in Taiwan」とあること。つまり、これは台湾製で、沖縄製というわけじゃないんです。
さらによく見ると、一番下に「Powered by Honda」。いよいよわけが分かりません。
地元の人の解説はこうでした。まず「Okinawa」とでっかく書かれているのは、日本をイメージさせるための言葉。日本製ではないんですが、まあ、日本っぽい性能のよさですよー、ということらしいです。
面白いのは「Tokyo」や「Osaka」じゃなくて「Okinawa」が日本を象徴する地名だととらえられていること。
よく「Osaka」とか「Tokyo」とか箱に書かれたちょっと怪しげな家電品を海外で見かけますけど、それはまさに日本をイメージさせるための言葉です。
日本をイメージさせるために「Okinawa」と書かれたものを見たのは、これが初めて。解説してくれたベトナム人に言わせると、Okinawaを知らないベトナム人はいないでしょう、ということでした。
どんなイメージなの?と聞いたら「リゾート」との答が返ってきました。沖縄の知名度はアジアでは意外に高いのかもしれません。
高度成長を続けるアジアー。富裕層・中間層が増えていますので、そういう人に沖縄にどんどん来てもらいたいわけですが、どうやら、その可能性はありそうですね。
2012年03月11日
厳選の品揃えはまだまだ
沖縄を創る人 第35回
ジュンク堂書店那覇店店長 森本浩平さん(下)
全国的にみても好成績を上げているジュンク堂書店那覇店。向かうところ敵なし、と思いきや、森本浩平店長の口からは「品そろえはまだまだ」という意外な言葉が飛び出した。
1500坪の巨大なスペースに、平台ほとんどなしで、縦型書架に足下までびっしりの本。それ以上の品揃えと言われても、ちょっと想像がつかないがー。
「厳選、という意味で、まだまだなんです」
どんなにジュンク堂の売場が大きく、置かれている書籍点数が多いといっても、出版されている本全体からみれば一部にすぎない。店には、毎月、6000冊から8000冊もの本が入ってくる。そこには「置くべき本を厳選する作業」が必然的に伴う。
「ある分野の専門書の書架に、ある先生の本が置かれているとします。その分野の品揃えのプロなら、この先生の弟子筋に当たる別の先生の本が近くに置かれていなければならない、と考えます」
その専門分野と関係ない人には全く理解できないだろうが、特定のニーズを持った顧客ならば、確かにそのくらいの知識はあるかもしれない。
「ジュンク堂の場合、本土ですと、全13分野にそれぞれ品揃えのリーダーがいて、各店を巡回しながら品揃えをチェックし、店の担当者にアドバイスしています」
各分野のリーダーになる人というのは、その分野について圧倒的な知識を備えている経験20ー30年のベテラン。ある分野のリーダーは、個人でもその分野の本の収集に余念がなく、自宅では置き場所が足りなくなったため、新たにマンションの一室を借りて本を置く専用の部屋を確保しているという。
残念ながら沖縄は本土から離れているため、そのようなリーダーたちがひんぱんには巡回できないから、那覇店のスタッフが自分で品揃えをしていかねばならない。森本さんが「まだまだ」と言ったのは、そういう最高水準の品揃えから見ればまだ十分とはいえない、という意味だったのだ。大型書店の世界は奥が深い。
森本さんは「本はすべてを解決してくれる手段」だという。神戸に勤務していた時のこと。電車に乗っていた若い男性2人がこんな会話をしていた。
「きょうは何しよう」
「どうしようか」
「とりあえず、ジュンク堂に行こか」
森本さんが言う。「この『とりあえず』というところですよね。本を読めば問題や迷いが解決するかもしれない、と多くの人が期待しているわけです」
森本さん自身は、1999年大阪本店の立ち上げ時にジュンク堂に入社、翌2000年、23歳の時に神戸住吉店の店長、2005年に梅田ヒルトンプラザ店オープン時の店長を経験した。
沖縄にはジュンク堂クラスの大型書店がなかったため、大型書店にとって意味のあるような書籍の売上データがほとんどなかった。つまり、沖縄に出店して果たしてうまくいくかどうか、データの裏付けはなかった。
しかし、当時の社長は、神戸の孤児を沖縄に連れて行くボランティアなどで沖縄をしばしば訪れており、その間に、沖縄の書籍文化の深さを実感していたのではないか、と森本さんは言う。那覇店出店は社長プロジェクトだった。
普通の大手の書店がデータのない場所に出店することは、まず考えられないという。
「社長は、地域の人が困っているかどうかで出店を決めていました」
困っている地域にはニーズがある。つまり、本に親しむ沖縄の文化の深さを肌で感じていた社長は、それまでの沖縄の書籍の品ぞろえでは県民が困っているはずと考えた、というわけだ。
その読みは見事にあたったというほかない。
[森本浩平さんとつながる] ジュンク堂書店那覇店のHPはこちら。イベントのお知らせもある。沖縄の出版事情については沖縄県産本ネットワークのHPにいろいろ情報がある。例えば、「新刊案内」をクリックすると、あまり情報は新しくないものの、沖縄で出版されている本の多彩なラインナップがよく分かる。秋田で出版社を主宰する安倍甲さんの沖縄出版事情レポートも面白い。
ジュンク堂書店那覇店店長 森本浩平さん(下)
全国的にみても好成績を上げているジュンク堂書店那覇店。向かうところ敵なし、と思いきや、森本浩平店長の口からは「品そろえはまだまだ」という意外な言葉が飛び出した。
1500坪の巨大なスペースに、平台ほとんどなしで、縦型書架に足下までびっしりの本。それ以上の品揃えと言われても、ちょっと想像がつかないがー。
「厳選、という意味で、まだまだなんです」
どんなにジュンク堂の売場が大きく、置かれている書籍点数が多いといっても、出版されている本全体からみれば一部にすぎない。店には、毎月、6000冊から8000冊もの本が入ってくる。そこには「置くべき本を厳選する作業」が必然的に伴う。
「ある分野の専門書の書架に、ある先生の本が置かれているとします。その分野の品揃えのプロなら、この先生の弟子筋に当たる別の先生の本が近くに置かれていなければならない、と考えます」
その専門分野と関係ない人には全く理解できないだろうが、特定のニーズを持った顧客ならば、確かにそのくらいの知識はあるかもしれない。
「ジュンク堂の場合、本土ですと、全13分野にそれぞれ品揃えのリーダーがいて、各店を巡回しながら品揃えをチェックし、店の担当者にアドバイスしています」
各分野のリーダーになる人というのは、その分野について圧倒的な知識を備えている経験20ー30年のベテラン。ある分野のリーダーは、個人でもその分野の本の収集に余念がなく、自宅では置き場所が足りなくなったため、新たにマンションの一室を借りて本を置く専用の部屋を確保しているという。
残念ながら沖縄は本土から離れているため、そのようなリーダーたちがひんぱんには巡回できないから、那覇店のスタッフが自分で品揃えをしていかねばならない。森本さんが「まだまだ」と言ったのは、そういう最高水準の品揃えから見ればまだ十分とはいえない、という意味だったのだ。大型書店の世界は奥が深い。
森本さんは「本はすべてを解決してくれる手段」だという。神戸に勤務していた時のこと。電車に乗っていた若い男性2人がこんな会話をしていた。
「きょうは何しよう」
「どうしようか」
「とりあえず、ジュンク堂に行こか」
森本さんが言う。「この『とりあえず』というところですよね。本を読めば問題や迷いが解決するかもしれない、と多くの人が期待しているわけです」
森本さん自身は、1999年大阪本店の立ち上げ時にジュンク堂に入社、翌2000年、23歳の時に神戸住吉店の店長、2005年に梅田ヒルトンプラザ店オープン時の店長を経験した。
沖縄にはジュンク堂クラスの大型書店がなかったため、大型書店にとって意味のあるような書籍の売上データがほとんどなかった。つまり、沖縄に出店して果たしてうまくいくかどうか、データの裏付けはなかった。
しかし、当時の社長は、神戸の孤児を沖縄に連れて行くボランティアなどで沖縄をしばしば訪れており、その間に、沖縄の書籍文化の深さを実感していたのではないか、と森本さんは言う。那覇店出店は社長プロジェクトだった。
普通の大手の書店がデータのない場所に出店することは、まず考えられないという。
「社長は、地域の人が困っているかどうかで出店を決めていました」
困っている地域にはニーズがある。つまり、本に親しむ沖縄の文化の深さを肌で感じていた社長は、それまでの沖縄の書籍の品ぞろえでは県民が困っているはずと考えた、というわけだ。
その読みは見事にあたったというほかない。
[森本浩平さんとつながる] ジュンク堂書店那覇店のHPはこちら。イベントのお知らせもある。沖縄の出版事情については沖縄県産本ネットワークのHPにいろいろ情報がある。例えば、「新刊案内」をクリックすると、あまり情報は新しくないものの、沖縄で出版されている本の多彩なラインナップがよく分かる。秋田で出版社を主宰する安倍甲さんの沖縄出版事情レポートも面白い。
2011年02月27日
「金来火帰」で歌三線を出張指導
沖縄を創る人 第9回
三味線製作所代表・三線教室主宰 金城盛長さん(上)
三線を弾きながら沖縄民謡を歌って楽しむ人が全国的に増えている。全国を飛び回って「歌三線(うたさんしん)」を指導している金城盛長さんに話を聞いた。
金城さんは、めっぽう忙しい。本土の三線教室での出張指導が定期的に入っているからだ。例えば、ことし1月の動きなこんな調子だった。
1/ 7(金)名古屋で指導
1/ 8(土)鎌倉で指導
1/ 9(日)鎌倉で指導
1/10(月)鎌倉で指導
1/11(火)沖縄に戻る
1/14(金)大阪で指導
1/15(土)仙台で指導
1/16(日)沖縄に戻る
1/21(金)東京で指導
1/22(土)藤沢で指導
1/23(日)札幌で指導
1/24(月)沖縄に戻る
国会議員の忙しさを表現するのに「金帰火来」という言葉がある。週末に選挙区に帰って週明けに東京に来ることを毎週繰り返す、という意味だが、金城さんの日程はこれに似ている。ほぼ毎週、金曜発で全国各地に指導に出かけ、週明けに沖縄に帰ることを繰り返すから、議員とは逆の「金来火帰」。一時の三線ブームは落ち着いたと言われているが、少なくとも金城さんの多忙ぶりを見る限り、そういう話でもないような気がしてくる。
金城さんはいま、沖縄の1教室を含めて、全国に教室を6つ抱えている。
京都出身のある女性が、沖縄にいた時に金城さんに三線を習い、京都に戻った後、「通信教育で教えてほしい」と言われたのが本土在住者への三線指導のきっかけ。この女性が演奏をカセットに吹き込んで沖縄に送り、それを金城さんが聞いて電話で指導する「通信教育」だった。次いで金沢に住む人にも同様に2年間、通信教育をした。
「カセットを聞けば、音の出し方に問題があることがすぐ分かるんですよ。三線に関心を持っている人が目の前にいて、しかも、おかしな演奏の仕方をしていると分かれば、放っておけないじゃないですか」
旅好きの金城さんは、「温泉があって、酒がおいしい」金沢に、気分転換に出かけ、初めてその人に会った。当初は金沢旅行を時々楽しむついでに三線を指導するくらいのつもりだったが、三線指導を希望する沖縄出身者や大学生が金沢にいたこともあり、そうした人々を母体に、やがて教室に発展していった。
金城さんの「本業」は父の代からの三線製作。もちろん今も三線を作り続けている。県内の客が中心だが、本土からの注文も増えた。ある時、鎌倉の三線サークルから5、6丁のまとまった注文が入ったので、納品の際に弾き方を指導した。
「おかしなクセがついていたので、それを直してあげたんです」
夜の飲み会の席で、金城さんが即席ライブをやったところ、ぜひ教えに来てほしい、という話になり、鎌倉教室が始まった。
金沢教室の教え子の1人が仙台に転居したことがきっかけで、やがて仙台教室が始まった。大阪の教え子の1人が札幌に転勤し、それと前後して札幌の別の人から三線の注文が入って、これが札幌教室になった。というような具合で、いもづる式に三線教室が広がっていった。
金曜に出かけると、ほぼ毎日、7、8時間は歌いっぱなし。一つの場所で、普通クラスのほかに初級クラスや中級クラスがあり、それらが終わると、夜は何人かの個人指導が待っている。
「火曜日だけは一切歌わないようにして、のどを休めています」と金城さん。もちろん、地元沖縄でも三線教室を持ち、県内の専門学校の作業療法学科でも歌三線を教えているから、火曜日以外はほぼ連日、民謡を歌い続けていることになる。それにしても、この腰の軽さは尋常ではない。なぜ?
「若い頃は、旅行業志望だったんです」
続きは3/6(日)に。
三味線製作所代表・三線教室主宰 金城盛長さん(上)
三線を弾きながら沖縄民謡を歌って楽しむ人が全国的に増えている。全国を飛び回って「歌三線(うたさんしん)」を指導している金城盛長さんに話を聞いた。
金城さんは、めっぽう忙しい。本土の三線教室での出張指導が定期的に入っているからだ。例えば、ことし1月の動きなこんな調子だった。
1/ 7(金)名古屋で指導
1/ 8(土)鎌倉で指導
1/ 9(日)鎌倉で指導
1/10(月)鎌倉で指導
1/11(火)沖縄に戻る
1/14(金)大阪で指導
1/15(土)仙台で指導
1/16(日)沖縄に戻る
1/21(金)東京で指導
1/22(土)藤沢で指導
1/23(日)札幌で指導
1/24(月)沖縄に戻る
国会議員の忙しさを表現するのに「金帰火来」という言葉がある。週末に選挙区に帰って週明けに東京に来ることを毎週繰り返す、という意味だが、金城さんの日程はこれに似ている。ほぼ毎週、金曜発で全国各地に指導に出かけ、週明けに沖縄に帰ることを繰り返すから、議員とは逆の「金来火帰」。一時の三線ブームは落ち着いたと言われているが、少なくとも金城さんの多忙ぶりを見る限り、そういう話でもないような気がしてくる。
金城さんはいま、沖縄の1教室を含めて、全国に教室を6つ抱えている。
京都出身のある女性が、沖縄にいた時に金城さんに三線を習い、京都に戻った後、「通信教育で教えてほしい」と言われたのが本土在住者への三線指導のきっかけ。この女性が演奏をカセットに吹き込んで沖縄に送り、それを金城さんが聞いて電話で指導する「通信教育」だった。次いで金沢に住む人にも同様に2年間、通信教育をした。
「カセットを聞けば、音の出し方に問題があることがすぐ分かるんですよ。三線に関心を持っている人が目の前にいて、しかも、おかしな演奏の仕方をしていると分かれば、放っておけないじゃないですか」
旅好きの金城さんは、「温泉があって、酒がおいしい」金沢に、気分転換に出かけ、初めてその人に会った。当初は金沢旅行を時々楽しむついでに三線を指導するくらいのつもりだったが、三線指導を希望する沖縄出身者や大学生が金沢にいたこともあり、そうした人々を母体に、やがて教室に発展していった。
金城さんの「本業」は父の代からの三線製作。もちろん今も三線を作り続けている。県内の客が中心だが、本土からの注文も増えた。ある時、鎌倉の三線サークルから5、6丁のまとまった注文が入ったので、納品の際に弾き方を指導した。
「おかしなクセがついていたので、それを直してあげたんです」
夜の飲み会の席で、金城さんが即席ライブをやったところ、ぜひ教えに来てほしい、という話になり、鎌倉教室が始まった。
金沢教室の教え子の1人が仙台に転居したことがきっかけで、やがて仙台教室が始まった。大阪の教え子の1人が札幌に転勤し、それと前後して札幌の別の人から三線の注文が入って、これが札幌教室になった。というような具合で、いもづる式に三線教室が広がっていった。
金曜に出かけると、ほぼ毎日、7、8時間は歌いっぱなし。一つの場所で、普通クラスのほかに初級クラスや中級クラスがあり、それらが終わると、夜は何人かの個人指導が待っている。
「火曜日だけは一切歌わないようにして、のどを休めています」と金城さん。もちろん、地元沖縄でも三線教室を持ち、県内の専門学校の作業療法学科でも歌三線を教えているから、火曜日以外はほぼ連日、民謡を歌い続けていることになる。それにしても、この腰の軽さは尋常ではない。なぜ?
「若い頃は、旅行業志望だったんです」
続きは3/6(日)に。