平安座島

2013年04月21日

海中道路に直結する新道が開通

 勝連城跡前から海中道路入口に直接つながる新しい道路が、このほど完成しました。

 県道16号線をももと庵入口側から勝連城跡駐車場前を過ぎて進むと、与勝中学を右手前角に見る三叉路にぶつかっていたんですが、今回、三叉路のふさがっていた正面が開いて道になり、そのまま海中道路までつながりました。

Shindo


 写真は勝連城跡側から新道の入口を見たもの。この先に海中道路があります。

 Google mapにはまだ表示されていません。と思いきや、拡大拡大していき、最大まで拡大すると、工事中の新道が部分的に出てくるのが分かります。そう言えば、この道路、10年以上前から工事をしていました。

 勝連城跡前から海中道路入口までは2km弱といったところでしょうか。早速、走ってみました。この道を使うと、勝連城跡から海中道路の入口まで、信号があまりないこともあって、数分で着いてしまいます。

 これからは、海中道路ドライブや島めぐりと勝連城跡の見学がセットで楽しみやすくなることでしょう。

 ももと庵が「るるぶ沖縄ドライブ」に掲載されたと前々回お伝えしましたが、海中道路は、今や年間50万人が訪れ、ドライブコースとして不動の人気を誇っています。潮風を浴びながら海の真ん中を突っ走るのは爽快そのもの。その先には平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島がつながっていますので、島めぐりドライブも楽しめますよ。

 話は変わりますが、この海中道路誕生の歴史秘話、ご存知でしょうか。実は、だいぶ前にこのブログで取り上げたことがあるんです。

 なんとなんと、離島苦から脱しようとした平安座島の人々が、石を1つ1つ手で海に投げ入れて埋め立て、道を作ろうとした、というウソみたいな話。作業の途中で台風に見舞われ、せっかく置いた石が全部流されるなど、苦闘の連続でした。

 信じられないかもしれませんが、実話です。詳しい話はこちらをどうぞ。感動ものです。


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2012年09月14日

向笠千恵子さんのトコトン現場主義

 向笠千恵子さんは、「日本の朝ごはん」「日本人が食べたいほんもの」から、最近の「食の街道を行く」まで、食に関する数多くの著書をお持ちのフードジャーナリストです。

 テレビやラジオ番組にもしばしば出演しているほか、農水省の「食アメニティコンテスト」審査会長、「本場の本物」審査専門委員などを歴任。最近では、NHKのラジオ深夜便「大人の旅ガイド」に生出演しています。

 その向笠さんが、万鐘の肉みそを雑誌dancyuのごはん特集で取り上げて下さったことがあります。

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 dancyuは、言わずと知れた食の専門誌で、キャッチフレーズは「食こそエンターテインメント」。毎回、興味深いテーマで特集を組みますが、2008年11月号は「特集 ごはんはもっと旨く炊けます!」でした。

 お米の選び方から炊き方、玄米の新しいメニューなど、ごはんをめぐるさまざまな情報が満載の中で、ごはんと一緒に食べるとおいしい「ごはんの友」も取り上げられました。

 東京・浅草で「レストラン大宮」を経営する大宮勝男シェフと向笠さんの二人が、ごはんの友をいろいろテーブルに並べて試食しながらの対談です。

 明太子の頂点と言われる無添加の明太子や、天然うなぎを白焼きにして煮込んだ天然鰻茶漬といったそうそうたるラインナップの中で、万鐘の肉みそを取り上げていただきました。

 向笠さんは全国の津々浦々を回り、伝統食やほんもののおいしさに出会っては、その魅力を全国の人々に伝えています。小さな生産者にも温かなまなざしを注ぎ、応援して下さいます。

 すごいなあといつも思うのは、徹底した現場主義であること。万鐘のような、本当に小さな現場にまで何度も足を運び、現場を自分の目で見るとともに、生産者の声に耳を傾け、舌で味わいます。これだけたくさんの本を書くのに、いったい全国の何カ所を回ったのでしょうか。

 先日も沖縄そばの取材に来られて、連日、朝4時起きで生産現場を歩いた由。沖縄そばは、豆腐などと同じく、未明から早朝にかけて製造作業し、朝には作り終えています。そんな現場にいくつか足を運んだとのこと。

 写真は、ももと庵から近い海中道路を渡った先の平安座島で伝統行事「サンガチャー」を取材する向笠千恵子さんです。

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 向笠さんの近著「食の街道を行く」は、パリで開催された2011年「グルマン世界料理本大賞」を受賞しました。同大賞は料理本のアカデミー賞と言われます。鯖街道、ぶり街道、昆布の道、砂糖街道、唐辛子の道といったさまざまな食材が運ばれた道を、まさに現場主義で歩きながら、歴史に思いをはせ、歴史を受け継ぐ今の人々の姿を描いています。

 向笠千恵子さんのホームページはこちら。著書はAmazonでも購入できます。


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2008年09月09日

[第75話 沖縄] お年寄りは宝

 後期高齢者医療制度を挙げるまでもなく、お年寄りが肩身の狭い思いをさせられることが多い昨今。沖縄本島東側の平安座(へんざ)島で、面白いものを見つけた。

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 万鐘本店46話の海中道路、51話のサングヮーチャーで登場した平安座島。その公民館には、99歳のお祝いを迎えたお年寄りたちの肖像写真がずらりと並んでいる。歴代区長の肖像写真を掲げる公民館は多いが、長生きのお年寄りを顕彰している公民館は、さすがの沖縄でもあまり見ない。

 立派なことをしたから顕彰されるのではない。長生きそれ自体が最高の価値、という、ヒトにとって根源的ともいえる価値観。

 沖縄の各地では数え97歳を「カジマヤー」と呼んで盛大にお祝いする習慣があるが、平安座島では99歳の白寿を「ガージーバール」と呼び、島を挙げて祝うのがならわし。旧暦の9月9日にこの祝賀行事が行われる。人口1500人の島で、対象者は年に1人か2人という。

 旧9月9日の午後、まず、祝われる人の家に公民館からごちそうが届けられる。午後3時からはパレード。公民館特製のリヤカーを改造した車に本人が鎮座して、島じゅうを1時間半にわたって練り歩く。その後は祝宴になる。

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 沖縄では、若者も年寄りの意見は聞くといわれる。確かに、悪たれ小僧どもが、90歳近いおばあに諭されているような光景は、ときどき見かける。

 沖縄民謡のベテラン歌手、登川誠仁の「じいちゃん、ばあちゃん」の歌い出しはこんな歌詞で始まる。

 昔云言葉に御年寄や宝 話花咲ち手墨習てぃ

 [標準語]
 昔からの金言、お年寄りは宝 語り合う慶び、教えを請うありがたさ

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 現代人の力の源泉は恐らく「稼ぎがいいこと」なのだろうが、お年寄りが尊敬されるのは稼ぎがいいからではない。稼ぎ以上に重視される価値観があるからこそ、万事に長じているお年寄りに教えを請うのが「ありがたい」のだ。

 もちろん、年をとれば病気がちになるし、お金もかかる。しかし、そこは、稼げる人々が相応に経費を負担する。

 例えば、平安座島のガージーバールの祝いには大勢の人が参加して、いろいろとお金がかかる。祝われる本人の家族はその経費を負担するが、背景には、広範囲の親類から祝い金が集まる仕組みがある。公民館も経費負担の一環としてかなりの祝い金を出す。

 長寿の祝いは、こうして親族と地域が経済的に支えている。家族が遠方にいたり、本人が老人ホームに入っているようなケースもあるが、そんな時も島に残る親族が支える。

 少子高齢化社会では、稼げる人が減ってくるから大変だ。沖縄は子だくさん社会を続けているおかげで、若年労働力がまだ豊富。子を産み育てるのは、社会を成り立たせる根幹中の根幹だから、これは大きな強みといえる。

 とはいえ、将来はやはり大変だろう。ただ、沖縄の社会は、今後も子だくさんを続け、稼ぎ手が働きつつ、お年寄りを大切にする姿勢を、できるギリギリまで保とうとするに違いない。なぜって、それが沖縄そのものだから。

 こんな古い琉歌がある。

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 百歳年寄りぬ うち笑ていめす
 くりどぅ世栄いぬ しるしさらみ

 [標準語] 
 百歳のお年寄りが、声も高らかに笑っている
 これこそが社会繁栄の証しである

 立派なビルよりも、お年寄りの笑い声―。沖縄は復帰後、ずいぶん立派なビルも増えたが、お年寄りを敬って大事にする気持ちと、それを裏打ちする子だくさんのスタンスはまだ堅持しているように見える。

 ただ、ちょっと補足するならば、この琉歌の「うち笑ていめす」は、「微笑んでいる」というよりは「呵々大笑する」ようなニュアンスだ。

 お年寄りを大切にするというのは、必ずしも「手を引いてあげる」という感じではない。90歳過ぎて1人暮らしというような話は珍しくない。むろん、これは元気な人の場合だが。

 大切にされるお年寄りも、案外サバサバしている。そうした強さがなければ、声も高らかに笑えないし、若者は敬いようがない。照りつける太陽の下で、弱々しい姿はあまり絵にならない。

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2008年04月18日

[第51話 沖縄] 豊漁祈る平安座島のサングヮチャー

 数多くの伝統行事が行われる平安座島で、年間最大の行事サングヮチャーが行われた。島人は強い日差しの中で歌い、舞って、海の安全と豊漁を祈った。

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 旧暦3月3日から5日に行われるからサングヮチャー(「サングヮツの行事」の意)。潮干狩りをするハマウリ(浜降り)が沖縄各地では行われるが、平安座島では、この日に、集落を挙げて海の安全と豊漁を祈願する。

 初日は海難事故で亡くなった身内を慰霊する日。それぞれの家族ごとに浜に出て、海難の方角へ向かって慰霊する。

 中日にあたる旧3月4日、行事は最大の盛り上がりを見せる。ことしの新暦では4月9日。昼を過ぎた頃から、それまでの雨混じりの曇天が、ウソのようにみるみる晴れ、雲の合間から強い日差しが差し始めた。午後1時、平安座公民館の裏手にある東川上商店前の路上。数多くの観光客やマスコミ関係者などが見守る中で、まず下條義明自治会長がサングヮチャー3日間の概要を説明した。

 初めに三線片手の地方(じかた)の男たちと音取り(ニードゥイ)の女たちが「三月の歌」を歌って奉納。うちの1人がさらにモリを手に舞い、マクブとタマンを突き刺してトゥダヌイユした。トゥダはモリ、イユは魚(ウオ)だから、トゥダヌイユは直訳すれば「モリの魚」。

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 突く際に、太鼓や手拍子で、マクブとタマンが歌詞に織り込まれた漁の歌を歌う。黒く体を塗った男たちや、かぶりものをした男たちも入ってきて、慶びの踊りを次々に舞った。このマクブとタマンは翌日、解体して、神官であるノロに献上してから、おつゆにして、島人にふるまわれる。

 ひととおりの神事が終わると、魚をかたどった神輿をかついで、島の少し沖にあるナンザ岩に向けて行進。引き潮の際には、ナンザ岩まで歩いて渡れるのだ。おばあたちは男たちが岩に渡るのを見送り、男たちが岩で祈りを捧げる。ナンザ岩では、下條自治会長が、ニライの海にいるすべての魚が平安座に押し寄せてきてほしい、と神に豊漁を祈願した。

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 こうした行事が終わると、重箱などに詰めたポーポーを持ち寄って、祝宴が始まる。ポーポーは、小麦粉と黒砂糖を水で溶き、その生地を薄くのばして焼いたものをくるくると丸めたお菓子。サングヮチャーの日は、各家庭でポーポーをたくさん作る。

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 島人の話では、サングヮチャーのポーポーは、小麦を丸ごとひいた全粒粉で作るので、独特の舌ざわりになる。かつて、この時期は麦の収穫期にあたっていたため、サングヮチャーの食べ物としてポーポーが定着したという。

 ところで、こうした薄焼きをくるくる丸めたお菓子には、もう一つある。白い生地を焼いて、甘い味噌を中に入れて巻いたものがそれだ。正しくはこちらがポーポーではないかと言う人が多い。中国語で炮炮(パオパオ)がポーポーになったのだとすれば、中にあんが入っているのがポーポーで、何も入っていないのはチンビンが正解、というわけだ。

 ただ、面白いことに、この混乱は平安座島だけでなく、全沖縄に見られる。言葉としてポーポーの方が印象に残りやすいため、薄焼きを丸めたものは、中身のあるなしにかかわらず、みなポーポーということに徐々になってきたのかもしれない。

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2008年03月19日

[第46話 沖縄] 「人力」でスタートした海中道路建設

 沖縄本島中部東側に突き出している与勝半島と平安座(へんざ)島を結ぶ全長4.7kmの海中道路。青い海を眺めながらドライブを楽しむ人が多いが、この海中道路には驚くべき前史があった。今回は、離島の人々の心情を雄弁に物語るこの話題を。

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 海中道路は1971年、石油会社が平安座島に石油タンクを建設するのに伴って作られた。沖縄が日本本土に復帰する2年前のこと。これが現在利用されている道路だが、実はそれ以前にも、海中道路の建設が試みられていた。離島苦に悩む平安座島の人々が、なんと人力で海に石を置いて自力で道を造ろうとしたのである。

 下の2枚の白黒写真はいずれも平安座自治会に提供していただいた。1枚目の写真は、平安座島の女性たちが、石を頭に乗せて運んでいるところ。島から掘り出した石をこうして女性たちが運び、海に落としては道路の基盤を造っていった。

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 5km近い距離の海を人力で埋めて道を造ろうとは、普通なら、だれも考えないだろう。平安座の人々はなぜそれをやったのか。

 「離島苦というのは、実際に経験した者でないと分からないものですよ」と話すのは、平安座自治会長の下條義明さん。平安座島と沖縄本島とを何としても陸続きにして、不便な島の暮らしをラクに豊かにしたい―。その一念が、一見不可能とも思える人力による海中道路建設に人々を駆り立てたのだ。下條さんは子供のころ、埋め立て用の石を掘り出す作業を手伝わされた時の光景を、今も鮮明を覚えているという。
 
 平安座島と与勝半島屋慶名を結ぶのは浅瀬の海。干潮の時には砂地が顔を出す。道路が出来る前は渡船が主な交通手段だったが、干潮時だけはトラック輸送が行われていた。写真は、そのトラックが人や物資を乗せて出発するところ。1日のうちのわずかな時間とはいえ、こうして沖縄本島と島が陸続きになる光景を島人は毎日見ていた。このことも、人力で道を造ろうという動機づけになったに違いない。

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 かくして、1961年3月9日、人力による海中道路工事は始まった。島人総出で石を運び、道路は着々と建設が進んだ。が、7月、台風デルタの来襲で一部が流失。9月の台風ナンシーでは、島民の汗の結晶は無惨にもすべて破壊された。中心になって自力工事を推進した当時の玉栄政善自治会長は「憤怒のあまり失神寸前の態であった。悲嘆の涙は流れて止まず、呆然と立ちすくむ様であった」と、その無念さを記している。

 しかし島人はあきらめなかった。工法を再考し、翌1962年4月に工事を再開した。今度は資金をやりくりしてセメントを少しずつ買っては、コンクリートの道を再び自力で造り始めた。その年のうちに130mを構築。4年後には80mを増築した。まさに不屈の精神というほかない。そうこうしているうちに、石油会社の進出が決まり、現在の道路が建設された。

 いま沖縄で平安座島と言えば、伝統行事の島として名高い。自治会が正式に関与する行事だけで年間40以上、これに各家庭で行われている行事を加えると、70以上の伝統行事があるという。

 島が最大の盛り上がりを見せるのが、旧暦3月3日から5日に行われるサングヮチャー。ことしは新暦で4月8日から10日に当たる。海の安全と豊漁を祈るこの伝統行事には多くの観光客も訪れる。サングヮチャーはじめ、平安座の諸行事についての問い合わせは平安座自治会098-977-8127。

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