沖縄尚学高校

2009年01月19日

[第97話 沖縄、南] モンゴル孤児を支援する沖尚与座部OG

 第93話で紹介したように、沖縄尚学高校の部活動「地域政策研究部」、愛称「与座部」の生徒たちは、広島に、夕張に、アルゼンチンにと活動の場を広げてきた。高校で濃厚に活動して卒業した後、彼らはどんな道をたどるのだろうか。1人の与座部OGを追った。

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 照屋朋子さん。現在、上智大学法科大学院に在籍する照屋さんは、モンゴルの孤児を支援するNGO「ゆいまーるハミングバーズ」の代表だ。

 与座部の生徒たちが、調査研究や公演のため、国内各地や海外まで出かけるきっかけになったのが、9・11テロで沖縄が受けた風評被害だったことは、第93話で述べた。茨城県の高校が沖縄への修学旅行を中止しそうになった時、同部の生徒たちが奔走して「沖縄はふだん通り」というプロモーションビデオを作り、中止撤回を実現した。

 照屋さんはその時の中心メンバー。行動する与座部、の伝統を作り出した1人だった。

 照屋さんは、沖尚高校を卒業後、上京して早稲田大学法学部に進学。上智大学法科大学院に進み、法律の専門家として発展途上国の支援にかかわっていくことを目指している。

 ゆいまーるハミングバーズは、モンゴルのマンホールの中で暮らす親のない子供たちの窮状に心を傷めた照屋さんが2007年に東京で創設。孤児施設を出ていかざるをえない年齢に達した子供たちに大学進学のための奨学金を送ることを活動の中心に据えている。

 奨学金を送るだけでなく、孤児や貧困家庭のお母さんたちの経済活動を支えるデザインプロダクツ事業も企画した。彼らが自分たちで稼げるようにならなくては自立はありえない、と考えたからだ。この事業は代表の照屋さんとともに、梅野愛子さん、古里麻衣さんが担当している。

 ゆいまーるハミングバーズは昨年の夏、NPOイノベーショングラントという企画コンペで、他の2団体とともに優勝。活動資金を得るとともに、企業とのマッチングで、インテリア製品や小物を販売している日本企業と組むことになった。

 デザインプロダクツ事業の構想では、モンゴルの伝統衣装デールに使われる絹の生地を活用して、デザイン性の高い小物などをモンゴル側が製作し、パートナー企業に自社の日本のインテリアショップで販売してもらう。孤児施設の経済活動を軌道に乗せ、文字通り自立できる財務基盤を築くのを支援しよう、というアイデアだ。

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 だが、現実は厳しかった。モンゴルの自立支援施設で現在作られている小物のクオリティでは、その企業のインテリアショップには置けない、と言われてしまったのだ。置けない、というのは「売れない」と企業側が見ているから。日本市場が求める品質水準は想像以上に高かった。

 もう一つ、問題がある。モンゴル側の今の体制では、商品を安定的に生産できないこと。貧困家庭のお母さんや孤児院の女子生徒たちが時間を見つけては細々と小物などを作っている状態なので、日本企業の需要を満たすような生産体制にはまだ遠い。

 パートナー企業のギャラリーで開いた写真展の際には、モンゴル製の小物を置くことが認められた。商品としての力はまだないからお店には置けないけれども、チャリティーの場でならばいいでしょう、というわけだ。パートナー企業の経営者は照屋さんらの活動をよく理解してくれているので、先々、品質が一定の水準に達し、安定生産ができるようになれば、商品としての販売のチャンスを与えてくれるかもしれない。

 クリアしなければならないハードルはたくさんあるが、道が閉ざされているわけではない。早速、途上国産品のマーケティングに詳しい人に話を聞くなど、スタッフは現状打開の道を探っている。

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 昨年11月には、全国の他のモンゴル孤児支援NGOの仲間たちとともに、孤児施設の子供たちによるモンゴル伝統音楽のコンサートツアーを開催。子供たちは手作りの民族衣装に身を包み、日頃の猛練習の成果をふんだんに発揮して、聴衆を大いにうならせた。子供の演奏とは思えないハイレベルの演奏と子供らしい愛らしさに、各地で感動の渦が巻き起こった。

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 学業に、モンゴル支援のNGO活動に、照屋さんは忙しい。行動する国際派高校生が集う沖尚与座部は、卒業後、ひとまわり大きな世界にはばたく人材を輩出しつつある。

 ゆいまーるハミングバーズのHPはこちら。

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2008年12月26日

[第93話 沖縄、南] 沖尚、もう一つの甲子園級

 ことし最後の万鐘本店、締めくくりは、高校生の話で。

 沖縄尚学高校といえば、ことし春の甲子園で全国優勝した野球部が有名。さわやかな笑顔を時折見せながら剛速球を繰り出す東浜巨投手が高校野球ファンを魅了したのは記憶に新しい。だが今回は、その沖尚野球部ではなく、沖尚「与座部」が話の主役。ヨザブ? そう、ヨザブ。

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 沖縄尚学は、沖縄では数少ない私学の一つ。文武両道を掲げ、野球部をはじめスポーツ各部にはかなりの実力を備えた選手がいる一方で、大学の合格実績は沖縄県内でもトップクラスを誇る。

 文と武に加え、沖縄尚学にはもう一つの顔がある。国際派、がそれ。創立者の名城政次郎校長の専門が英語だったこともあり、かねてから英語教育に力を入れてきた。例えば、語学留学で1年間、欧米やアジアに派遣される生徒は、毎年20人前後に上る。

 こうした雰囲気は部活にも影響を与えている。そのシンボル的存在が与座部。正式名称は、地域国際交流クラブ、ことしから地域政策研究部に改称された。生徒たちは、尊敬と親しみを込めて、顧問の与座宏章教諭の名前を冠したニックネームで部を呼ぶ。

 地域政策研究部は、2000年にスタート。JICAの日系社会青年ボランティアとして3年間、アルゼンチンで生活した経験を持つ与座先生のもとに、国際交流に興味を持つ生徒たちが集まってきた。初めのうちは、JICA沖縄国際センターの講座に行ったり、世界の国々について勉強、研究する地味な活動をしていた。

 やがて、学んだことを県外や海外に発信する活動をしたいという生徒が出てきた。ちょうどその頃、9.11の米国同時多発テロ事件が発生。その余波で沖縄の観光客が一時的に減った。特に、修学旅行のキャンセルが相次いだ。いわゆる風評被害だった。

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 かねてから交流のあった茨城の高校が修学旅行をキャンセルしそうになっていることを聞いた与座部の生徒たちは、沖縄が全くふだん通りであることをビデオに撮影し、安心して沖縄に来てもらおうと自ら動き出した。県庁に観光文化局長を訪ねてインタビューし、町の表情を各地で写し、生徒たち自身がビデオの中でふだんと全く変わりない沖縄の様子を訴えた。

 自分たちの東京への修学旅行の際、茨城に足を伸ばしてビデオを手渡しながら、直接、訴えた。そのかいあって、茨城の高校は予定通り、沖縄修学旅行を実施することに。この出来事は、グローバルな視点で世界に向き合うだけでなく、自分たちの足元をどうするかを考える大切さを生徒たちに認識させることになった。

 それ以後の与座部は、研究活動でも、行動範囲が大きく広がった。例えば広島県の2つの町で、片方は商店街が栄えているのに、もう一方ではシャッター通りになっているのはなぜなのかを、現地でアンケートをとるなどして比較研究し、沖縄で同様の問題に悩む地域の活性化の道を探った。最近では、北海道夕張市の財政破綻とまちづくりのあり方を、北海道に飛び、現地調査して、沖縄と比較した。

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 夕張では、政府の補助金を受けた事業がことごとく失敗したのに比べて、そのような一切の支援を受けなかった夕張メロンだけが成功を収めている事実に注目。その構造を分析したうえで、沖縄の経済発展の最大の阻害要因は「補助金による甘え」と明快に結論づけた。大人たちがなかなか言えない正論をズバリ指摘する。

 研究とは別に、世界各地や沖縄の民族舞踊を演じるなどの芸能活動も手がけている。これをやるようになってから、あちこちから「公演に来てくれ」という声がかかるようになり、外向けの動きに拍車がかかった。地元のお年寄りの前で踊ることもあるが、海外にまで出かける経験もした。ことし8月、移民100周年を祝うアルゼンチンの沖縄県人会に招かれ、アルゼンチンに赴いて、記念公演で創作劇を演じたのだ。

 広島、夕張、アルゼンチン。外での活動が増えればお金もかかる。「基本的には自己負担なので大変ですが、部としても資金を集めて補助しています」と与座先生。現在部員は約50人。

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 若い感性と行動力が世界を動かすことはしばしばあるが、沖尚与座部の活動ぶりは、どこかそんな可能性を感じさせる。甲子園のように世間の注目を浴びることはないかもしれないが、沖尚与座部の活動内容の濃さは「甲子園級」といって間違いなさそうだ。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック