沖縄

2013年04月09日

ももと庵、るるぶ沖縄ドライブに

 旅行しようという時、まずは本屋さんでるるぶのガイドブックを眺めてみる、という人も多いんじゃないでしょうか。そんな旅行ガイドの定番、るるぶの「るるぶ沖縄ドライブ14」に、万鐘ももと庵が掲載されました。

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 実は、昨年暮れに発売された、るるぶの沖縄ガイド本編「るるぶ沖縄13」にも、万鐘ももと庵が掲載されました。最近は「るるぶを見た」と言って来られるお客さまもいらっしゃいます。

 そんな矢先、今度は同じるるぶの「沖縄ドライブ14」に掲載されたわけです。

 るるぶ沖縄ドライブは、レンタカーを借りて沖縄をドライブする人々をターゲットに、5つのおすすめドライブコースを提案。ももと庵は、中部エリアの「海中道路&島めぐりドライブ」にランチスポットとして紹介されています。

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 この海中道路&島めぐりドライブ、沖縄自動車道の北中城インターチェンジを9:00に出発し、9:10中城城跡→10:40勝連城跡→11:45万鐘ももと庵→13:00海中道路→13:50ぬちまーす→14:40伊計ビーチというコース。

 世界遺産の城跡を2つ見て、ももと庵でゆったりとランチしてから、青い海の真ん中を走る海中道路の爽快ドライブで宮城島に渡ってぬちまーすの製塩を見学、最後は伊計島のコーラルリーフで遊ぶ、という盛りだくさんのドライブです。

 海中道路の先には、平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島がすべて車で行けるようになっていますので、天気に恵まれれば、最高の島旅ドライブになりそうですね。

 ももと庵スタッフ一同、「11時45分」にお待ちしておりまーす。

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2013年01月02日

縄文時代は熱帯米を畑で作ってた

 あけましておめでとうございます。みなさん、どんな新年を迎えられましたか。

 1年の始まりにふさわしいお米の話をしましょう。アジアのお米ばなしです。きょうは「日本のアジア米」について。そんなのあるの? はい、「あった」んです。

 ところで、アジア米といえば、最近「おっ」と思ったのは、ベトナムが世界一の米輸出大国になりそう、というニュースでした。世界の米輸出国といえば、そのベトナム、タイ、パキスタン、インド。これまでタイがずっと1位だったんですが、タイの輸出が落ち込んでいる間にベトナムが追いついたんでしょうか。

 アジア各国は、米の生産量もすごいですが、食べ方の豊富さもなかなか。白いごはんとして食べるのはもちろんですが、そのほかに多様な米麺になりますし、米粉を使ったお菓子、おやつ類もいろいろあります。

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 熱帯アジアの米は、日本のそれとは違って、インディカと呼ばれる細長い米です。日本で食べられている丸いタイプの米は粘りが強くてねっちりとした噛みごたえがあり、それだけでも十分おいしいものです。一方、アジアの米は、さらっとした口あたりで、香りがよく、いろいろなおかずによく合い、たくさん食べてもおなかにもたれません。

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 そのアジア米ですが、かつては日本でも、熱帯アジアの米が作られていた、という話があります。「かつて」といっても、はるか昔、なんと縄文時代のことです。

 「縄文時代の次の弥生時代に、渡来人が稲作をもたらした」と歴史の時間に教わりませんでしたか。ところが、この20年ほどの間にイネの遺伝子分析などが進んで、どうもそうではなかったらしいことがだんだん分かってきました。

 どうやら、日本の稲作は、弥生時代ではなく、縄文時代から広く行われていたようなんです。

 ただし、縄文の日本で広く行われていたのは、水田ではありません。熱帯アジア原産の陸稲の栽培でした。

 今のような水田の稲作は縄文末期に入ってきたのですが、それが日本じゅうに広まるのにはだいぶ時間がかかったこともあり、その後も、陸稲栽培はかなり長い間、あちこちで行われていたらしいのです。

 この説、アジアを歩いていると、説得力を感じてしまいます。アジアの中でも、あまり農業生産が盛んでないような山がちの場所などでは、今でも山の斜面でまだかなり陸稲が作られています。陸稲栽培を見ていると、ああ、これならだれでもできるなあ、と思います。

 というのも、水田は、土木工事しないとできません。土地を真っ平らにして、周囲にあぜを起こす必要があります。もちろん、大昔はブルドーザーもパワーショベルもありませんし、金属製のスコップや鍬さえもなかったわけです。広大な面積の大量の重たい土を動かす作業を、すべて人力でやらざるをえません。

 それはそれは過酷な作業です。よほど土地が好条件で、しかも何か強い動機がなければ、水田造成に踏み切ることはなかったでしょう。

 ところで、この日本の陸稲は、アジアの多くでいま作られているインディカ米ともまた違う「熱帯ジャポニカ米」と呼ばれる稲でした。ジャポニカという名前で誤解しそうなんですが、日本原産ではありません。熱帯アジアの米です。それが南の方から日本にもたらされたんですね。

 日本の米は、南方のアジア地域から沖縄を経て日本本土にもたらされた、というのは、柳田国男の有名な「海上の道」説です。

 最近の研究で、熱帯ジャポニカの日本国内での広い分布の痕跡が確認されたこともあって、この「海上の道」説が再び注目されているみたいです。熱帯ジャポニカは、黒潮に乗り、沖縄を経て北上し、なんと東北地方まで行き渡っていました。

 話がずいぶん昔のことになってしまいましたが、日本も、今は当たり前の水田風景の前に、熱帯アジア原産の陸稲を盛んに栽培していた時代が長かった、というのは、意外に新鮮な発見じゃないかな、と。

 アジアの米ばなし。次回から、現代のアジアに戻ります。「アジアの白ごはん」からいくつもりです。

 万鐘ももと庵は1/4から営業を開始します。ご来店をお待ちしています。ネットショップは既にオープンしていますよ。どうぞご利用下さい。

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2008年06月23日

[第62話 食] 冷凍でない本マグロを楽しむ

 梅雨明けした沖縄は、今、生本マグロ(クロマグロ)の季節。マグロ好きは毎年、この時季を心待ちにしている。沖縄のマグロ漁は沖合100―150km付近の近海で行われるので、冷凍されない生の本マグロが味わえるからだ。写真は200kgクラスの頭。沖縄市泡瀬の沖縄市漁協に隣接する鮮魚店パヤオで見かけた。

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 沖縄近海で本マグロ漁をしているのは、那覇地区漁協や沖縄県近海マグロ漁協に所属する20隻ほどの小型船が中心。4月下旬頃から揚がり始めるが、はしりのものはセリ値がキロ1万円といった猛烈な値段がつくので、地元にはほとんど出回らない。これらは東京・築地に直送され、高級料亭などに流れるようだ。

 5月半ば頃から水揚げが増え、値が落ち着くと、地元に出回るようになる。それから7月の初旬くらいまでが沖縄の生本マグロのシーズンだ。

 案外知られていないが、沖縄で水揚げされる魚種は実はマグロ類がトップ。全水揚げ量の約半分を占める。ただしこれは本マグロだけでなく、キハダやビンチョウなど、すべてを含む。既に述べたように、本マグロが揚がる時期は初夏の2カ月強だけだ。

 本マグロの多くが那覇の泊漁港に上がるので、漁港内に設けられた沖縄鮮魚卸流通協同組合の共同販売施設「泊いゆまち」に行けば、トロでも赤身でも、お好みのものが好きなだけ買える。いゆまちの「いゆ」は「うお」のこと。写真はその泊いゆまちの中でも、本マグロをたくさんそろえている有限会社カネヤマ水産のまぐろや本舗。

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 下の写真は業務用のブロックで、棚の一番上のものは1尾300kgの大物から切り分けた20kg前後の固まり。客のニーズによって、これを1kg単位で切ってくれる。店長の當山清史さんは板前出身。使う側として培ったプロの目でマグロの質を鋭く見分ける。「ことしは残念ながら、量も質も今ひとつなんです」と當山さん。とはいえ、一般のマグロファンにしてみれば、ことしも生本マグロの魅力は十分に楽しめる。

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 マグロの魅力は2つ。一つは、いわずと知れたトロの脂のうまさ。もう一つはジューシーな赤身の香りの高さだ。これぞマグロの味、と言えるのは、むしろ赤身の味と香りではないだろうか。

 そんな「ピンの赤身」はありませんかと當山さんに聞いたら「すごいのが時々入ります。ただ、そういうのはだいたい高級なお寿司屋さんに行ってしまうんです」との答が。やはり本当にうまいものを手に入れるのは簡単ではないらしい。

 泊いゆまちの各店は、200―300gの食べやすい大きさのサクに切って売っている。現在の価格で、赤身が1000円前後、中トロで1500円前後といったところ。ピンの赤身には遠いが、中落ちはマグロらしい味がする。見栄えはあまりしないが、400gほど入って1000円とお買い得(下の写真)。
 
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 泊いゆまちは那覇市港町1-1-18、泊漁港内。098-868-1096。朝6時から夕方6時まで。いゆまちは旧盆と正月以外は無休だが、入居している各店舗はそれぞれ個別に休みを設けている。

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2008年05月24日

[第57話 沖縄] 新県立博物館で沖縄をたどる

 那覇市の新都心に新しい県立博物館がオープンして5ヶ月近くが過ぎ、利用者が20万人を超えた。観光客だけでなく、地元の高校生なども沖縄学習の場として盛んに利用している。オーソドックスな沖縄の自然、歴史、文化、生活を学ぶにはおそらく最適の場。テーマを絞っても、じっくり見ていくと、2、3時間はあっという間にすぎてしまう。

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 博物館は中央部分に時系列で主要な展示物が置かれ、そこを回ることで、ひととおりの歴史や文化の流れが分かるようになっている。その中央部分を取り囲むように、自然史、考古、歴史、美術工芸、民俗といった部門別の展示室があって、さらに深くテーマを追いかけられる。展示のさわりを紹介しよう。写真は、いずれも、博物館の許可を得て万鐘が撮影した。

 まず、万国津梁の鐘。1458年に琉球国王尚泰久が鋳造し、首里城正殿にかけられた梵鐘で、その銘文に「舟楫を以て万国の津梁となし」(船を操って世界のかけはしになり)の言葉が刻まれていることで知られる。中継貿易で栄えた沖縄に国際色豊かな産物がたくさんあったことがうたわれており、貿易立国だった琉球王国の繁栄の象徴と言われる。首里城に置かれているものはレプリカで、こちらが本物。

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 円覚寺白象。1521年作で、沖縄で現存する最古の仏教木像。材料がチャーギ(イヌマキ)であることから、沖縄で制作されたとみられている。円覚寺は首里城の隣りにあった王家の菩提寺。戦争で焼失し、そこにあった仏教彫刻類の多くも破損が激しかった。近年、これを修復して新博物館開館とともに展示にこぎつけた。ただし、もともと騎乗していた仏像は失われている。

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 文書類もいろいろある。写真は琉球王国初の正史である中山世鑑。羽地朝秀が1650年に編纂した全6巻。薩摩藩支配下だったことが影響したのか、琉球最初の王舜天が源為朝の子だったなどという記述もある。

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 このほかにも、旧石器時代の港川人の人骨、さまざまな化石類、植物標本、土器、紅型などの衣装、中国や朝鮮から送られてきた公文書、肖像画、数多くの民具・農具など、もりだくさんの展示物が置かれている。

 この博物館には特徴が一つある。「沖縄は戦争で数多くの文化財が焼失したため、展示できるものが必ずしも豊富ではありません。こうしたハンデをカバーするためにも展示にはいろいろな工夫が求められます」と話すのは学芸員の上原久さん。

 例えば、史料や調査を頼りに、失われたものを復元する展示方法もその一つだ。写真は高位の神女だった伊平屋の阿母加那志の正装。こうした衣装の一部は保存されていたが、退色が激しかったため、調査によって復元し、往時の赤い色を蘇らせた。

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 模型による展示も工夫の一つといえるだろう。戦前、走っていた軽便鉄道は鉄道模型と当時の映像で展示が構成されている。写真は八重山上布の製作工程の模型。一見おもちゃのようだが、よく見ると、原料の苧布(ちょま)の栽培から始まって、その繊維を取り出す作業、糸につむぐ作業、機を織る作業など、一連の工程がリアルに再現されている。

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 展示のほかに、情報センターには書籍が豊富にそろっており、展示で見たものをさらに深く調べるのに便利。ふれあい体験室は、例えば、重箱に伝統料理を詰める模擬体験ができるなど、県外から来た子供でも楽しみながら学べるようになっている。

 沖縄県立博物館は那覇市おもろまち3-1-1、電話098-941-8200。月曜休館。入館時間は日、火、水、木が09:00-17:30、金、土が09:00-19:30。観覧料は常設展が一般400円、高校・大学250円、小中学生150円。

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2008年03月31日

[第48話 沖縄、南] ANA那覇ハブ(上) アジア成長で沖縄浮上

 ANA全日空が那覇空港を国際航空貨物の拠点空港にする、というニュースが流れたのは2007年7月。事業開始予定は2009年度下期だから、あと1年半しかない。

 「しかない」というのは、それまでに準備すべきことがいろいろありそうだから。「自分は関係ないけど」とおっしゃる方も、そう言わずに、今回と次回の記事を読んでいただきたい。ひょっとしたら、あなたも忙しくなるかもしれない。

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 全日空を含めた現在の日本の航空貨物輸送事業は、例えば関東の工場で作られた上海向けの製品を羽田発上海行きの便で運ぶ、という単線方式。これに対して今回のハブ方式は、各地の荷を1カ所にいったん集め、そこで目的地別に積み替えして、それぞれの目的地に飛行機を飛ばすというものだ。

 その「1カ所」がなぜ那覇なのか。沖縄の位置が中国にも韓国にも台湾にも近く、飛行距離と飛行時間が短くできるから、というのが答であることは容易に想像がつく。沖縄の地理的位置が有利なことについては、この万鐘本店でも、第19話のリムジンや第31話のブラジル石油公社の記事などで指摘してきた。

 しかし、だ。最近になって沖縄島がズズズッと移動して都合のよい位置に動いたわけでもないのに、なぜ今になって、こういう話が急浮上してきたのだろうか。

 「それは、航空貨物物流の環境が大きく変わってきたからなんです」と説明するのは、全日空でこの事業を担当している貨物本部事業戦略部主席部員の清水良浩さん。

 清水さんによると、これまで荷の動きは「日本発アジア向け」が主だったから、例えば日本の工場の近くの空港からアジアの目的地にシンプルに飛行機を飛ばせばそれでよかった。ところが、アジア各地の経済発展がこの20年くらいの間に進んだ結果、「アジア発アジア向け」の貨物需要が急速に増えて来た。「今後、主語が徐々に日本からアジアに変わっていくのではないでしょうか」と清水さんは語る。

 新たな主語になるアジアとは、1つ、2つの都市ではない。華北・華東・華南各経済圏の都市、台北、ソウル、バンコク、シンガポールといった複数の主語が舞台上に躍り出ている。むろん東京や大阪もその中で大きな位置を占めている。写真は経済発展著しいシンガポールの地下鉄駅。

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 全日空の見通しでは、アジア域内の航空貨物需要の総量は、2005年に380万トンだったのが、10年後の2015年には820万トンになるという。アジアの数多くの地域が、航空貨物の発地にも着地にもなるだけの大きな需要が見込めるというわけだ。

 こうなると、単線方式よりも、アジア各地からすべての荷物をどこか1カ所に集め、そこでアジア各地の行き先別に積み替えて飛行機を飛ばす方が合理的になる。この方式なら、単線方式にありがちな、時期によって荷が少なくてコストをカバーできないといったリスクがずっと小さくできるからだ。

 その「1カ所」は「アジア各地のどこにも近い場所」でなければならないから、日本では沖縄しかない。これは冒頭で述べた通り。次の図は飛行機で4時間の範囲を、万鐘お得意のグーグルアース活用南北逆さ地図の中で示しているが、例えば東京に拠点を置いたのではカバー範囲が北寄りになりすぎ、成長著しい中国南部などが遠くなってしまう。

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 こうして沖縄の地理的位置は、アジア各地の経済発展によって、航空貨物物流に関する限り、この10年ほどで急浮上した。次回はその那覇貨物ハブの正しい活用法について、4/6(日)に公開します。どうぞお楽しみに。

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2008年01月31日

[第38話 沖縄] 三線片手に歌える民謡広場

 検索エンジンで「三線教室」を調べると、全国各地の三線教室情報がズラリと出てくる。この勢いだと、習っている人たちの層も、入門者からセミプロ級まで、既にだいぶ厚くなっていることだろう。

 沖縄民謡も、ある程度うまくなってくれば、三線片手に人前で歌ってみたい、という気になるものだ。

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 沖縄には、コザを中心に民謡クラブがいくつかあるが、有名なプロの民謡歌手が経営する店がほとんど。言ってみれば有名歌手のライブハウスなので、セミプロはもちろん、初心者の出番など全くない。

 一方、カラオケでは、歌は歌えるが、自分で三線を演奏することができない。「歌三線(うたさんしん)」という言葉があるように、沖縄民謡は三線を弾きながら歌うのが基本。「歌だけ」では成り立たない。

 そんな中で、沖縄民謡の初心者でも気軽にステージに立たせてもらえる店が、うるま市にでき、民謡愛好家の間で人気を呼んでいる。

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 「民謡広場 嘉手久」。経営しているのは、自身もセミプロ民謡歌手の高江洲康栄さん。高江洲さんは、地元新聞社主催の民謡の新人賞、優秀賞、最高賞の各階段を順当に上り、現在は教師。師範の一つ手前のところにいる。そろそろCDを出したらどうか、という声が周囲から聞こえてくるが、自身は「まだまだ」と笑う。

 高江洲さんが民謡広場を始めたのは、そういう場がなくて自分自身が困ったから。「民謡クラブは、きちんと着物をつけた大先生がステージに立つから、われわれはとても出られない。でも、ステージで演奏する機会を積まないと、人前で演奏できるようにならないんですよ」と高江洲さん。

 民謡広場嘉手久では、午後8時の開店から1時間もすると、呼び水役として高江洲さん自身がまずミニステージに上がって、数曲演奏する。その後は、客が次々にステージに上がっては、三線片手に民謡をうなる。

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 嘉手久では、高江洲さんも着物をつけず、普段着のまま。「着物だと、どうしても堅苦しくなるでしょう」。客と同じ高さに立つことで、気軽にステージに出てもらいたい、という気配りだ。

 安さも魅力。有名歌手の民謡クラブは「ライブハウス+スナック」なので、しっかり飲めば1万5000円くらいかかることも珍しくない。嘉手久の場合は「お客さん自身が演奏を楽しむ場所だから」と高江洲さんは価格を大幅に抑えている。「かなり飲んでも5000円まではいきません」と妻の吉子さん。

 あそこならステージに立てる、という話を聞きつけて、沖縄民謡を習っている愛好家が遊びと練習を兼ねてやってくる。本土から来る人もたまにいるらしい。

 三線片手に一度人前で沖縄民謡を歌ってみたい、という人にお勧め。店内は沖縄方言が飛び交うが、気さくな高江洲さん夫妻は、だれでも気持ちよくもてなしてくれる。午後9時すぎに行って、泡盛をチビチビやりながら、高江洲さん夫妻や他の客と話していると、そのうち演奏が始まる。さあ、あなたもミニステージへ。もちろん、人の演奏を聞くだけでも楽しい。

 民謡広場嘉手久は、うるま市平良川111地階、電話098-973-1200。月曜定休。

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2008年01月07日

[第34話 食] 静かに守る首里の味

 琉球料理の正統派、古都・首里の味をひっそりと守っている店を紹介する。ともに首里に生まれ育った富名腰久雄さん、米子さん夫妻が経営する富久屋。「私たち2人の舌で覚えている首里の味をお出ししています」と久雄さんが語る。

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 まずは、むじぬ汁から(「の」が、琉球語では「ぬ」になる)。「むじ」とは、ターウム(田芋)の茎。本土では、サトイモの茎のズイキが食べられるが、これに近い。むじぬ汁は、むじがみそ汁に入っており、豚の三枚肉があしらってある。祝いごとがあると、首里ではむじぬ汁が作られたという。むじはシャクシャクした独特の歯ごたえがある。

 同じみそ仕立ての汁でも、むじぬ汁とは全く違うのが、いなむどぅち。こちらは甘い白みそ仕立てで、豚肉やこんにゃく、かまぼこなどが入っている。汁はいくぶんとろみがあり、コクは十分だが、不思議にしつこさはない。

 豚肉に黒ごまをまぶして蒸した、みぬだる。全く脂っぽくない。さっぱりした味付けだが、うまみはしっかり感じられる。

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 どぅるわかしーぬあぎー。ターウムをつぶして、豚肉、かまぼこなどを加えて練ったのがどぅるわかしーで、それをまるめてあぎー(揚げもの)にしたのがこれ。第6話のままやの料理でも登場した。脇道にそれるが、「あぎー」は、さーたーあんだあぎーの「あぎー」だ(「さーたー」は砂糖=甘い、「あんだ」は油)。

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 小鉢では、かんぴょういりちー。かんぴょうを昆布やこんにゃくなどといっしょにいため煮にしたもの。かんぴょうにヌヌっと入っていく歯ごたえが楽しい。昆布をいため煮にしたくーぶいりちーはよくあるが、かんぴょうのものは珍しい。

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 ピーナツで作る地豆豆腐(じーまーみどーふ)はポピュラーな沖縄料理だが、ここの地豆豆腐はべたつかず、切れがよい。

 祝膳のイメージで出している、というむじぬ汁定食についてきたごはんは赤飯だった。ただし、もち米ではなく、うるち米を使うのが首里流とのこと。

 料理全体の印象は、ヘルシーで繊細な和食のイメージ(もちろん料理の中身は和食とは違うが)に、豚のうまみが加わったという感じだ。豚だしのうまみは随所に使われているが、あくまで上品で、脂っぽさや臭みは一切ない。ていねいに作られたバランスのよいごはんをいただいた満足感が残った。

 定食だけでなく、富久屋は泡盛も用意しているから、一杯やりながら、首里の味を楽しむことができる。

 富久屋は、首里の龍潭通りから、旧県立博物館の横の細い道を入って間もなくの右側、道から少し奥に引っ込んだところにある。場所は大人の隠れ家風だが、中は木づくりで明るく、家族連れで楽しめる。看板は一応あるが、見えにくいので、分からなければ電話を。常連客が多いようだが、初めての客も、富名腰さんが温かくもてなしてくれる。

 那覇市首里当蔵町1-14、098-884-4201。営業時間は昼が11:00-15:00、夜は18:00-23:00。定食は、むじぬ汁定食が1200円、それ以外は1000円。単品は500円前後。ちゃんぷるー類や沖縄そばもある。

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2007年12月10日

[第29話 農、沖縄] 1株130kgで優勝 ヤマイモ勝負

 この写真の手前に写っているものは何でしょう。まるでアザラシが群れているみたいだが、これはヤマイモ。それも1株から収穫されたヤマイモだ。

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 うるま市の石川地区はヤマイモの生産が盛んで、12月に入ると、1株あたりのイモの重さを競う「やまんむすーぶ」が字ごとに開かれる。分かち書きにすると、やま・んむ・すーぶ。漢字に直せば、山芋勝負。字(あざ)伊波(いは)のすーぶに行ってみた。

 ヤマイモは、4月ごろに植え、11月後半から収穫される。沖縄のヤマイモは、熱帯のヤムの正統派。つるの株元には、直径1m近くにわたって、でっかいイモがゴロゴロ実る。アジアでもアフリカでも同じようなヤマイモが各地で栽培され、食べられている。

 すーぶは、字の役員が立会人になり、間違いなく1株についているイモであることを、事前に参加者が畑で掘り出す際に現場確認する。そのうえで、参加者は12月第2日曜日のすーぶの日に会場に運び込んで、計量する。

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 午前中は、班ごとにブルーシートを敷いて、計量した「出品作」を並べていく。「○○さんのは形がいいよ」「どうやってあんなに大きくするのかね」ー。重量と生産者名が書かれた段ボールの札を見ながら、参観者と生産者はゆっくりとヤマイモ談義を楽しむ。

 昼になると、婦人会や生活改善グループが大鍋で準備したヤマイモイリチャーとヤマイモ汁にみなで舌鼓を打つ。子供エイサーを披露した小学生たちも、おいしいヤマイモ料理にパクついていた。

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 ことしの優勝は2班の呉屋孝仁さんで、1株でなんと130.5kg。大人2人分の重量だ。鶏糞をうまく使って栽培するのがコツとのこと。「ことしのはそんなに大きくもないよ。去年はもっとだったから」と呉屋さん。優勝した呉屋さんにはヤギ1頭が贈呈された。

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 字伊波の場合、やまんむすーぶの日は、字の年次総会を兼ねていて、すーぶが終われば次年度の役員選出なども行う。まさに地に足のついた伝統行事だ。

 石川地区の各字のすーぶは、毎年12月の第2日曜と日程がほぼ決まっているので、興味のある人は、この日に訪ねていけばいい。ヤマイモ栽培に一家言ある地元の人が集まっているから、何か質問すればだれでも親切に教えてくれる。沖縄県民はもちろん、「5度目の沖縄」を計画中のベテラン沖縄旅行者にうってつけの催し。日程は石川地区字伊波、字山城など各字の公民館か、うるま市役所観光課098-965-5634で確認を。

 12月16日にはうるま市産業まつりで、全沖縄やまんむすーぶも開催される。ヤマイモの料理については回を改めて紹介します。


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