海中道路
2013年05月15日
城跡を越え、歩いてももと庵へ
先日、珍しく、ももと庵に歩いて来店したお客様がおられました。「勝連城跡の向こう側から来たんです」。あ、その手があったかー。思わずヒザを打ちました。
これは、グーグルアースで上空から見た勝連城跡周辺の写真です。県道16号線沿いに勝連城跡駐車場があります。そのまま南西方向に進めば海中道路です。
勝連城跡の勝連城跡を見ようとする人はほとんど、西原御門側にある勝連城跡駐車場に車を置いて、勝連城跡に上ります。見終わったら、そのまま駐車場に戻るのが普通です。車がそこに置いてあるんですから、当然ですね。
一方、ももと庵に来る方は、この写真の上の方に見えるパーラーみなみ前から分岐する脇道に入って、そのまま勝連城跡の南西側を海を見ながら走り、ももと庵にたどり着くことになります。
つまりパーラーみなみの分岐点で、勝連城跡に行く人とももと庵に行く人は完全に分かれるのが現状です。
ところが、ところがー。
先日のお客さまのように、勝連城跡駐車場に車を止め、勝連城跡に上り、その後に、駐車場とは反対側に降りていき、南風原御門跡側から海側の脇道に降り立ち、そこから100mほどのももと庵に来て食事をする、というルートもあるんです。
上のグーグルアースのオリジナルの道路標示では城跡から南風原御門側に降りてくる道は示されていませんので、拡大して、その道を書き足したのが下の写真です。
これでお分かりのように、城跡を降りてから、南風原御門跡を通って海側の道に出るまでの距離はわずか200m弱。道に出てからももと庵までは、100mあるかないかの近さです。
グーグルアースではきれいには見えていませんが、南風原御門側に降りる道は、細いながらもちゃんとあるんです。
このルートだと、天気のいい日は、南風原御門側の道を降りていくと、木立の先に太平洋の青い海が見えてくる、という楽しみがあります。
出口は、ちょっと情けない感じの手すりがあるだけ。しばらく前のブログ記事でご案内しましたよね。
この道、人の手があまり入っていないので、14世紀の勝連城をイメージするにはかえっていいかもしれません。
勝連城跡を越え、歩いてももと庵へー。お試し下さい。
これは、グーグルアースで上空から見た勝連城跡周辺の写真です。県道16号線沿いに勝連城跡駐車場があります。そのまま南西方向に進めば海中道路です。
勝連城跡の勝連城跡を見ようとする人はほとんど、西原御門側にある勝連城跡駐車場に車を置いて、勝連城跡に上ります。見終わったら、そのまま駐車場に戻るのが普通です。車がそこに置いてあるんですから、当然ですね。
一方、ももと庵に来る方は、この写真の上の方に見えるパーラーみなみ前から分岐する脇道に入って、そのまま勝連城跡の南西側を海を見ながら走り、ももと庵にたどり着くことになります。
つまりパーラーみなみの分岐点で、勝連城跡に行く人とももと庵に行く人は完全に分かれるのが現状です。
ところが、ところがー。
先日のお客さまのように、勝連城跡駐車場に車を止め、勝連城跡に上り、その後に、駐車場とは反対側に降りていき、南風原御門跡側から海側の脇道に降り立ち、そこから100mほどのももと庵に来て食事をする、というルートもあるんです。
上のグーグルアースのオリジナルの道路標示では城跡から南風原御門側に降りてくる道は示されていませんので、拡大して、その道を書き足したのが下の写真です。
これでお分かりのように、城跡を降りてから、南風原御門跡を通って海側の道に出るまでの距離はわずか200m弱。道に出てからももと庵までは、100mあるかないかの近さです。
グーグルアースではきれいには見えていませんが、南風原御門側に降りる道は、細いながらもちゃんとあるんです。
このルートだと、天気のいい日は、南風原御門側の道を降りていくと、木立の先に太平洋の青い海が見えてくる、という楽しみがあります。
出口は、ちょっと情けない感じの手すりがあるだけ。しばらく前のブログ記事でご案内しましたよね。
この道、人の手があまり入っていないので、14世紀の勝連城をイメージするにはかえっていいかもしれません。
勝連城跡を越え、歩いてももと庵へー。お試し下さい。
2013年04月21日
海中道路に直結する新道が開通
勝連城跡前から海中道路入口に直接つながる新しい道路が、このほど完成しました。
県道16号線をももと庵入口側から勝連城跡駐車場前を過ぎて進むと、与勝中学を右手前角に見る三叉路にぶつかっていたんですが、今回、三叉路のふさがっていた正面が開いて道になり、そのまま海中道路までつながりました。
写真は勝連城跡側から新道の入口を見たもの。この先に海中道路があります。
Google mapにはまだ表示されていません。と思いきや、拡大拡大していき、最大まで拡大すると、工事中の新道が部分的に出てくるのが分かります。そう言えば、この道路、10年以上前から工事をしていました。
勝連城跡前から海中道路入口までは2km弱といったところでしょうか。早速、走ってみました。この道を使うと、勝連城跡から海中道路の入口まで、信号があまりないこともあって、数分で着いてしまいます。
これからは、海中道路ドライブや島めぐりと勝連城跡の見学がセットで楽しみやすくなることでしょう。
ももと庵が「るるぶ沖縄ドライブ」に掲載されたと前々回お伝えしましたが、海中道路は、今や年間50万人が訪れ、ドライブコースとして不動の人気を誇っています。潮風を浴びながら海の真ん中を突っ走るのは爽快そのもの。その先には平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島がつながっていますので、島めぐりドライブも楽しめますよ。
話は変わりますが、この海中道路誕生の歴史秘話、ご存知でしょうか。実は、だいぶ前にこのブログで取り上げたことがあるんです。
なんとなんと、離島苦から脱しようとした平安座島の人々が、石を1つ1つ手で海に投げ入れて埋め立て、道を作ろうとした、というウソみたいな話。作業の途中で台風に見舞われ、せっかく置いた石が全部流されるなど、苦闘の連続でした。
信じられないかもしれませんが、実話です。詳しい話はこちらをどうぞ。感動ものです。
県道16号線をももと庵入口側から勝連城跡駐車場前を過ぎて進むと、与勝中学を右手前角に見る三叉路にぶつかっていたんですが、今回、三叉路のふさがっていた正面が開いて道になり、そのまま海中道路までつながりました。
写真は勝連城跡側から新道の入口を見たもの。この先に海中道路があります。
Google mapにはまだ表示されていません。と思いきや、拡大拡大していき、最大まで拡大すると、工事中の新道が部分的に出てくるのが分かります。そう言えば、この道路、10年以上前から工事をしていました。
勝連城跡前から海中道路入口までは2km弱といったところでしょうか。早速、走ってみました。この道を使うと、勝連城跡から海中道路の入口まで、信号があまりないこともあって、数分で着いてしまいます。
これからは、海中道路ドライブや島めぐりと勝連城跡の見学がセットで楽しみやすくなることでしょう。
ももと庵が「るるぶ沖縄ドライブ」に掲載されたと前々回お伝えしましたが、海中道路は、今や年間50万人が訪れ、ドライブコースとして不動の人気を誇っています。潮風を浴びながら海の真ん中を突っ走るのは爽快そのもの。その先には平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島がつながっていますので、島めぐりドライブも楽しめますよ。
話は変わりますが、この海中道路誕生の歴史秘話、ご存知でしょうか。実は、だいぶ前にこのブログで取り上げたことがあるんです。
なんとなんと、離島苦から脱しようとした平安座島の人々が、石を1つ1つ手で海に投げ入れて埋め立て、道を作ろうとした、というウソみたいな話。作業の途中で台風に見舞われ、せっかく置いた石が全部流されるなど、苦闘の連続でした。
信じられないかもしれませんが、実話です。詳しい話はこちらをどうぞ。感動ものです。
2013年04月09日
ももと庵、るるぶ沖縄ドライブに
旅行しようという時、まずは本屋さんでるるぶのガイドブックを眺めてみる、という人も多いんじゃないでしょうか。そんな旅行ガイドの定番、るるぶの「るるぶ沖縄ドライブ14」に、万鐘ももと庵が掲載されました。
実は、昨年暮れに発売された、るるぶの沖縄ガイド本編「るるぶ沖縄13」にも、万鐘ももと庵が掲載されました。最近は「るるぶを見た」と言って来られるお客さまもいらっしゃいます。
そんな矢先、今度は同じるるぶの「沖縄ドライブ14」に掲載されたわけです。
るるぶ沖縄ドライブは、レンタカーを借りて沖縄をドライブする人々をターゲットに、5つのおすすめドライブコースを提案。ももと庵は、中部エリアの「海中道路&島めぐりドライブ」にランチスポットとして紹介されています。
この海中道路&島めぐりドライブ、沖縄自動車道の北中城インターチェンジを9:00に出発し、9:10中城城跡→10:40勝連城跡→11:45万鐘ももと庵→13:00海中道路→13:50ぬちまーす→14:40伊計ビーチというコース。
世界遺産の城跡を2つ見て、ももと庵でゆったりとランチしてから、青い海の真ん中を走る海中道路の爽快ドライブで宮城島に渡ってぬちまーすの製塩を見学、最後は伊計島のコーラルリーフで遊ぶ、という盛りだくさんのドライブです。
海中道路の先には、平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島がすべて車で行けるようになっていますので、天気に恵まれれば、最高の島旅ドライブになりそうですね。
ももと庵スタッフ一同、「11時45分」にお待ちしておりまーす。
実は、昨年暮れに発売された、るるぶの沖縄ガイド本編「るるぶ沖縄13」にも、万鐘ももと庵が掲載されました。最近は「るるぶを見た」と言って来られるお客さまもいらっしゃいます。
そんな矢先、今度は同じるるぶの「沖縄ドライブ14」に掲載されたわけです。
るるぶ沖縄ドライブは、レンタカーを借りて沖縄をドライブする人々をターゲットに、5つのおすすめドライブコースを提案。ももと庵は、中部エリアの「海中道路&島めぐりドライブ」にランチスポットとして紹介されています。
この海中道路&島めぐりドライブ、沖縄自動車道の北中城インターチェンジを9:00に出発し、9:10中城城跡→10:40勝連城跡→11:45万鐘ももと庵→13:00海中道路→13:50ぬちまーす→14:40伊計ビーチというコース。
世界遺産の城跡を2つ見て、ももと庵でゆったりとランチしてから、青い海の真ん中を走る海中道路の爽快ドライブで宮城島に渡ってぬちまーすの製塩を見学、最後は伊計島のコーラルリーフで遊ぶ、という盛りだくさんのドライブです。
海中道路の先には、平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島がすべて車で行けるようになっていますので、天気に恵まれれば、最高の島旅ドライブになりそうですね。
ももと庵スタッフ一同、「11時45分」にお待ちしておりまーす。
2012年11月28日
海中道路の先の島々を一望
一の曲輪(くるわ)、つまり勝連城の一番上から眺める絶景の話を続けます。
北側を見てみましょう。これは金武湾です。沖縄本島東側を勝連城から北上すると石川、金武、宜野座と続きますが、その方向です。やんばるの山がこんもりと盛り上がっていますね。白い建物と煙突は沖縄電力具志川火力発電所です。沖縄には原発はありません。
さらに目を東寄りに向けてみましょう。海中道路がくの字に曲がって、平安座島までつながっているのが分かります。海中道路の赤い支柱が中央付近に立っています。
平安座島の石油備蓄基地のタンク群、その先の宮城島、伊計島が見えます。海中道路の右側にある島は浜比嘉島です。こちらも橋がかかっていて、車で行くことができます。
天気のよい日に、ぜひ一の曲輪まで登ってみて下さい。写真でも分かるように、一の曲輪それ自体はそんなに広い場所ではありません。
北側を見てみましょう。これは金武湾です。沖縄本島東側を勝連城から北上すると石川、金武、宜野座と続きますが、その方向です。やんばるの山がこんもりと盛り上がっていますね。白い建物と煙突は沖縄電力具志川火力発電所です。沖縄には原発はありません。
さらに目を東寄りに向けてみましょう。海中道路がくの字に曲がって、平安座島までつながっているのが分かります。海中道路の赤い支柱が中央付近に立っています。
平安座島の石油備蓄基地のタンク群、その先の宮城島、伊計島が見えます。海中道路の右側にある島は浜比嘉島です。こちらも橋がかかっていて、車で行くことができます。
天気のよい日に、ぜひ一の曲輪まで登ってみて下さい。写真でも分かるように、一の曲輪それ自体はそんなに広い場所ではありません。
2012年11月23日
勝連城の一番上からの絶景
勝連城跡の一番上、「一の曲輪(くるわ)」まで登ってみましょう。
正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。
一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。
いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。
おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。
足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。
三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。
一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。
グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。
これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。
防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。
少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。
北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。
500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。
北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。
正門だった南風原御門(はえばる・うじょう)側入口は、このブログで紹介した「通用口のような階段」です。本当にこれが世界遺産の入口か、と言いたくなるようなふぜいですが、ここから上がると、城跡の石垣まですぐに行けます。
一方、西原御門(にしはら・うじょう)側入口は、道向かいに駐車場がありますので、そこに車を止め、県道を渡って、上がり口から城跡内に入ります。ゲートのようなものはなく、無料です。
いずれの側から入っても、見上げれば、見事な石積みが何重かに折り重なって目に入ってきます。
おお、この上まで登るのかー。「上る」ではなく、「登る」という字がふさわしい険しさです。実際、足腰の弱い方にはかなりしんどいでしょう。
足場はだいぶ整備されていますので、足をふみはずすことはないと思いますが、運動不足気味の中高年の方々は「ピッケルが欲しいなあ」などとため息をつきながら、ゆっくりゆっくり登っていくことになります。
三の曲輪(くるわ)、二の曲輪。そして一番上まで行くと、いよいよ一の曲輪です。
一の曲輪から見渡す周辺は、まさに絶景。風に吹かれながら、しばし絶景に身をゆだね、登坂の疲れをいやします。
グーグルアースの表示によると、一の曲輪の海抜は74mほど。25、6階建てビルの一番上くらいの高さです。
これは、ももと庵ホームページのトップページの写真と同じく、一の曲輪から、南側の太平洋を眺めた光景です。左下の赤い屋根がももと庵、その背後にある白い住宅群は「シートピア勝連」。きれいな海が見える住宅地なので、地元出身以外の方もたくさん住んでいます。
防波堤の少し外側くらいまで、エメラルドグリーンの珊瑚礁の海が広がっています。
少し右寄り、つまり西寄りに目を向ければ、沖縄本島の東側が一望できます。
北中城、中城、与那原、さらにはその先の知念半島までが見えます。沖縄本島の東側をこうして全部一度に見渡せる場所はなかなか貴重です。
500年前、琉球国王尚泰久の娘、百十踏揚(ももとふみあがり)をめとった阿麻和利(あまわり)は、こうして沖縄本島の全体を毎日、見渡していたわけですね。
北側の風景は次回。海中道路などがきれに見えます。
2012年09月14日
向笠千恵子さんのトコトン現場主義
向笠千恵子さんは、「日本の朝ごはん」「日本人が食べたいほんもの」から、最近の「食の街道を行く」まで、食に関する数多くの著書をお持ちのフードジャーナリストです。
テレビやラジオ番組にもしばしば出演しているほか、農水省の「食アメニティコンテスト」審査会長、「本場の本物」審査専門委員などを歴任。最近では、NHKのラジオ深夜便「大人の旅ガイド」に生出演しています。
その向笠さんが、万鐘の肉みそを雑誌dancyuのごはん特集で取り上げて下さったことがあります。
dancyuは、言わずと知れた食の専門誌で、キャッチフレーズは「食こそエンターテインメント」。毎回、興味深いテーマで特集を組みますが、2008年11月号は「特集 ごはんはもっと旨く炊けます!」でした。
お米の選び方から炊き方、玄米の新しいメニューなど、ごはんをめぐるさまざまな情報が満載の中で、ごはんと一緒に食べるとおいしい「ごはんの友」も取り上げられました。
東京・浅草で「レストラン大宮」を経営する大宮勝男シェフと向笠さんの二人が、ごはんの友をいろいろテーブルに並べて試食しながらの対談です。
明太子の頂点と言われる無添加の明太子や、天然うなぎを白焼きにして煮込んだ天然鰻茶漬といったそうそうたるラインナップの中で、万鐘の肉みそを取り上げていただきました。
向笠さんは全国の津々浦々を回り、伝統食やほんもののおいしさに出会っては、その魅力を全国の人々に伝えています。小さな生産者にも温かなまなざしを注ぎ、応援して下さいます。
すごいなあといつも思うのは、徹底した現場主義であること。万鐘のような、本当に小さな現場にまで何度も足を運び、現場を自分の目で見るとともに、生産者の声に耳を傾け、舌で味わいます。これだけたくさんの本を書くのに、いったい全国の何カ所を回ったのでしょうか。
先日も沖縄そばの取材に来られて、連日、朝4時起きで生産現場を歩いた由。沖縄そばは、豆腐などと同じく、未明から早朝にかけて製造作業し、朝には作り終えています。そんな現場にいくつか足を運んだとのこと。
写真は、ももと庵から近い海中道路を渡った先の平安座島で伝統行事「サンガチャー」を取材する向笠千恵子さんです。
向笠さんの近著「食の街道を行く」は、パリで開催された2011年「グルマン世界料理本大賞」を受賞しました。同大賞は料理本のアカデミー賞と言われます。鯖街道、ぶり街道、昆布の道、砂糖街道、唐辛子の道といったさまざまな食材が運ばれた道を、まさに現場主義で歩きながら、歴史に思いをはせ、歴史を受け継ぐ今の人々の姿を描いています。
向笠千恵子さんのホームページはこちら。著書はAmazonでも購入できます。
テレビやラジオ番組にもしばしば出演しているほか、農水省の「食アメニティコンテスト」審査会長、「本場の本物」審査専門委員などを歴任。最近では、NHKのラジオ深夜便「大人の旅ガイド」に生出演しています。
その向笠さんが、万鐘の肉みそを雑誌dancyuのごはん特集で取り上げて下さったことがあります。
dancyuは、言わずと知れた食の専門誌で、キャッチフレーズは「食こそエンターテインメント」。毎回、興味深いテーマで特集を組みますが、2008年11月号は「特集 ごはんはもっと旨く炊けます!」でした。
お米の選び方から炊き方、玄米の新しいメニューなど、ごはんをめぐるさまざまな情報が満載の中で、ごはんと一緒に食べるとおいしい「ごはんの友」も取り上げられました。
東京・浅草で「レストラン大宮」を経営する大宮勝男シェフと向笠さんの二人が、ごはんの友をいろいろテーブルに並べて試食しながらの対談です。
明太子の頂点と言われる無添加の明太子や、天然うなぎを白焼きにして煮込んだ天然鰻茶漬といったそうそうたるラインナップの中で、万鐘の肉みそを取り上げていただきました。
向笠さんは全国の津々浦々を回り、伝統食やほんもののおいしさに出会っては、その魅力を全国の人々に伝えています。小さな生産者にも温かなまなざしを注ぎ、応援して下さいます。
すごいなあといつも思うのは、徹底した現場主義であること。万鐘のような、本当に小さな現場にまで何度も足を運び、現場を自分の目で見るとともに、生産者の声に耳を傾け、舌で味わいます。これだけたくさんの本を書くのに、いったい全国の何カ所を回ったのでしょうか。
先日も沖縄そばの取材に来られて、連日、朝4時起きで生産現場を歩いた由。沖縄そばは、豆腐などと同じく、未明から早朝にかけて製造作業し、朝には作り終えています。そんな現場にいくつか足を運んだとのこと。
写真は、ももと庵から近い海中道路を渡った先の平安座島で伝統行事「サンガチャー」を取材する向笠千恵子さんです。
向笠さんの近著「食の街道を行く」は、パリで開催された2011年「グルマン世界料理本大賞」を受賞しました。同大賞は料理本のアカデミー賞と言われます。鯖街道、ぶり街道、昆布の道、砂糖街道、唐辛子の道といったさまざまな食材が運ばれた道を、まさに現場主義で歩きながら、歴史に思いをはせ、歴史を受け継ぐ今の人々の姿を描いています。
向笠千恵子さんのホームページはこちら。著書はAmazonでも購入できます。
2009年05月25日
[第118話 食] タコライスじゃない、たこめし
「タコライスにタコは入ってないの?」 観光客から何度か聞かれた。タコライスはタコスの応用だからタコとは関係ないんです―。そんな会話を何度か交わしているうちに、「たこめし」ののぼりがはためいているのをたまたま万鐘の地元うるま市で見かけた。こちらはタコ入りらしい。おー、ほんとにタコ入りのごはんがあるじゃないか。早速、たこめしに挑戦した。
うるま市の与勝半島と平安座島を結ぶ海中道路の話は第46話で紹介したが、「たこめし」ののぼりが風にゆれていたのは、その海中道路の入り口。お店の名前は、たこ焼き食堂ハリセンボン。
たこめしは、沖縄の沿岸で獲れる島ダコを使った炊き込みごはんだった。島だこを使うので、正確には「島だこめし」(500円)。ごはんの上にちゃんとタコがのっている。タコをゆでた汁でごはんを炊くので、ごはんは薄い色に染まっていて、ほんのりとタコの香りがする。うまい。もちろん温かいのがおいしいが、お弁当にして冷めても十分いけるんじゃないかと思える味わいだ。
タコライスは、メキシコ料理のタコスのトルティーヤに包まれている中身をごはんの上に乗せた沖縄発の創作料理。スパイスのきいたピリカラひき肉と刻んだレタス、チーズなどがごはんの上にのっている。偶然だが、ハリセンボンのすぐ隣りには、元祖タコライスのお店があるので、期せずして「タコライスvsたこめし」の図になっている。
ハリセンボンは、大阪出身の漆師(うるし)康治さんと、海中道路を渡った平安座島出身の美幸さん夫妻が切り盛りしている。たこ焼きがメインだが、「ごはんものが欲しい」というお客さんの声に応えて、タコにこだわる漆師さんが島ダコを使った島だこめしを始めた。
メインメニューのたこ焼きも魅力。「普通の上等」をうたう普通のたこ焼き(350円)は、ソースの甘さと柔らかい生地が渾然一体となって口の中に広がり、そこに歯ごたえのあるタコが加わって、絶妙のバランス。はふはふ言いながら、あっという間に平らげてしまう。
創作たこ焼きもいろいろあって楽しい。例えば「もずくねぎポン酢たこ焼き」(450円)。たこ焼きの中に地元産のもずくが入っている。
沖縄の特産品であるもずくを活用した料理はいろいろ提案されているが、やはりもずくはとろりとした柔らかな食感が命。残念ながら、もずく創作料理の多くが、もずくのこの食感を生かしきれていない。例えば、もずくの天ぷらなどもおいしいけれど、「あー、もずくを食べているなあ」という実感は湧かない。
このもずくたこ焼きはそれらとは全く違う。たこ焼きのとろーり柔らかな生地ともずくのとろーり食感とがぴったりと合い、もずく本来のおいしさがちゃんと生かされているのだ。ねぎポン酢の甘くないタレも、もずくを見事に引き立てる。
「もずくに下味がつけてあるんですが、初めの頃は、その水分がたこ焼き生地に入るためにうまく焼けなかったりしたこともありました」と漆師さん。どんな新製品にも開発の苦労があるが、もずくたこ焼きもそう。
もずくはこの界隈でもたくさん生産されている。地産地消を口で言うのは簡単だが、地で穫れたものをとり入れても、それによってさらにおいしくならなければ意味がない。もずくたこ焼きは、まさにもずくが入ったことで誕生した新しいおいしさだ。とろーり同士のハーモニーは、あつあつでないと最高潮に達しないので、持ち帰るよりも、作りたてをお店で食べるのがお勧め。
ハリセンボンは海中道路の入口にあるので、海中道路を通って平安座島や浜比嘉島、宮城島、伊計島に行く人々が立ち寄るが、その一方で、地元の子供たちにも大人気。部活帰りの中学生などが、タコせんべいにたこ焼きをはさんだサンド・デ・タコヤキ(100円)などにパクついている。地域の風景に溶け込んだマチヤーグワー(お店)だ。
ハリセンボンは、うるま市与那城屋慶名405-3、090-9406-6415。月曜定休。HPはこちら。島だこめしは数量限定品なので、売り切れることもしばしば。確実に食べたければ電話で予約を。
うるま市の与勝半島と平安座島を結ぶ海中道路の話は第46話で紹介したが、「たこめし」ののぼりが風にゆれていたのは、その海中道路の入り口。お店の名前は、たこ焼き食堂ハリセンボン。
たこめしは、沖縄の沿岸で獲れる島ダコを使った炊き込みごはんだった。島だこを使うので、正確には「島だこめし」(500円)。ごはんの上にちゃんとタコがのっている。タコをゆでた汁でごはんを炊くので、ごはんは薄い色に染まっていて、ほんのりとタコの香りがする。うまい。もちろん温かいのがおいしいが、お弁当にして冷めても十分いけるんじゃないかと思える味わいだ。
タコライスは、メキシコ料理のタコスのトルティーヤに包まれている中身をごはんの上に乗せた沖縄発の創作料理。スパイスのきいたピリカラひき肉と刻んだレタス、チーズなどがごはんの上にのっている。偶然だが、ハリセンボンのすぐ隣りには、元祖タコライスのお店があるので、期せずして「タコライスvsたこめし」の図になっている。
ハリセンボンは、大阪出身の漆師(うるし)康治さんと、海中道路を渡った平安座島出身の美幸さん夫妻が切り盛りしている。たこ焼きがメインだが、「ごはんものが欲しい」というお客さんの声に応えて、タコにこだわる漆師さんが島ダコを使った島だこめしを始めた。
メインメニューのたこ焼きも魅力。「普通の上等」をうたう普通のたこ焼き(350円)は、ソースの甘さと柔らかい生地が渾然一体となって口の中に広がり、そこに歯ごたえのあるタコが加わって、絶妙のバランス。はふはふ言いながら、あっという間に平らげてしまう。
創作たこ焼きもいろいろあって楽しい。例えば「もずくねぎポン酢たこ焼き」(450円)。たこ焼きの中に地元産のもずくが入っている。
沖縄の特産品であるもずくを活用した料理はいろいろ提案されているが、やはりもずくはとろりとした柔らかな食感が命。残念ながら、もずく創作料理の多くが、もずくのこの食感を生かしきれていない。例えば、もずくの天ぷらなどもおいしいけれど、「あー、もずくを食べているなあ」という実感は湧かない。
このもずくたこ焼きはそれらとは全く違う。たこ焼きのとろーり柔らかな生地ともずくのとろーり食感とがぴったりと合い、もずく本来のおいしさがちゃんと生かされているのだ。ねぎポン酢の甘くないタレも、もずくを見事に引き立てる。
「もずくに下味がつけてあるんですが、初めの頃は、その水分がたこ焼き生地に入るためにうまく焼けなかったりしたこともありました」と漆師さん。どんな新製品にも開発の苦労があるが、もずくたこ焼きもそう。
もずくはこの界隈でもたくさん生産されている。地産地消を口で言うのは簡単だが、地で穫れたものをとり入れても、それによってさらにおいしくならなければ意味がない。もずくたこ焼きは、まさにもずくが入ったことで誕生した新しいおいしさだ。とろーり同士のハーモニーは、あつあつでないと最高潮に達しないので、持ち帰るよりも、作りたてをお店で食べるのがお勧め。
ハリセンボンは海中道路の入口にあるので、海中道路を通って平安座島や浜比嘉島、宮城島、伊計島に行く人々が立ち寄るが、その一方で、地元の子供たちにも大人気。部活帰りの中学生などが、タコせんべいにたこ焼きをはさんだサンド・デ・タコヤキ(100円)などにパクついている。地域の風景に溶け込んだマチヤーグワー(お店)だ。
ハリセンボンは、うるま市与那城屋慶名405-3、090-9406-6415。月曜定休。HPはこちら。島だこめしは数量限定品なので、売り切れることもしばしば。確実に食べたければ電話で予約を。
2008年03月19日
[第46話 沖縄] 「人力」でスタートした海中道路建設
沖縄本島中部東側に突き出している与勝半島と平安座(へんざ)島を結ぶ全長4.7kmの海中道路。青い海を眺めながらドライブを楽しむ人が多いが、この海中道路には驚くべき前史があった。今回は、離島の人々の心情を雄弁に物語るこの話題を。
海中道路は1971年、石油会社が平安座島に石油タンクを建設するのに伴って作られた。沖縄が日本本土に復帰する2年前のこと。これが現在利用されている道路だが、実はそれ以前にも、海中道路の建設が試みられていた。離島苦に悩む平安座島の人々が、なんと人力で海に石を置いて自力で道を造ろうとしたのである。
下の2枚の白黒写真はいずれも平安座自治会に提供していただいた。1枚目の写真は、平安座島の女性たちが、石を頭に乗せて運んでいるところ。島から掘り出した石をこうして女性たちが運び、海に落としては道路の基盤を造っていった。
5km近い距離の海を人力で埋めて道を造ろうとは、普通なら、だれも考えないだろう。平安座の人々はなぜそれをやったのか。
「離島苦というのは、実際に経験した者でないと分からないものですよ」と話すのは、平安座自治会長の下條義明さん。平安座島と沖縄本島とを何としても陸続きにして、不便な島の暮らしをラクに豊かにしたい―。その一念が、一見不可能とも思える人力による海中道路建設に人々を駆り立てたのだ。下條さんは子供のころ、埋め立て用の石を掘り出す作業を手伝わされた時の光景を、今も鮮明を覚えているという。
平安座島と与勝半島屋慶名を結ぶのは浅瀬の海。干潮の時には砂地が顔を出す。道路が出来る前は渡船が主な交通手段だったが、干潮時だけはトラック輸送が行われていた。写真は、そのトラックが人や物資を乗せて出発するところ。1日のうちのわずかな時間とはいえ、こうして沖縄本島と島が陸続きになる光景を島人は毎日見ていた。このことも、人力で道を造ろうという動機づけになったに違いない。
かくして、1961年3月9日、人力による海中道路工事は始まった。島人総出で石を運び、道路は着々と建設が進んだ。が、7月、台風デルタの来襲で一部が流失。9月の台風ナンシーでは、島民の汗の結晶は無惨にもすべて破壊された。中心になって自力工事を推進した当時の玉栄政善自治会長は「憤怒のあまり失神寸前の態であった。悲嘆の涙は流れて止まず、呆然と立ちすくむ様であった」と、その無念さを記している。
しかし島人はあきらめなかった。工法を再考し、翌1962年4月に工事を再開した。今度は資金をやりくりしてセメントを少しずつ買っては、コンクリートの道を再び自力で造り始めた。その年のうちに130mを構築。4年後には80mを増築した。まさに不屈の精神というほかない。そうこうしているうちに、石油会社の進出が決まり、現在の道路が建設された。
いま沖縄で平安座島と言えば、伝統行事の島として名高い。自治会が正式に関与する行事だけで年間40以上、これに各家庭で行われている行事を加えると、70以上の伝統行事があるという。
島が最大の盛り上がりを見せるのが、旧暦3月3日から5日に行われるサングヮチャー。ことしは新暦で4月8日から10日に当たる。海の安全と豊漁を祈るこの伝統行事には多くの観光客も訪れる。サングヮチャーはじめ、平安座の諸行事についての問い合わせは平安座自治会098-977-8127。
海中道路は1971年、石油会社が平安座島に石油タンクを建設するのに伴って作られた。沖縄が日本本土に復帰する2年前のこと。これが現在利用されている道路だが、実はそれ以前にも、海中道路の建設が試みられていた。離島苦に悩む平安座島の人々が、なんと人力で海に石を置いて自力で道を造ろうとしたのである。
下の2枚の白黒写真はいずれも平安座自治会に提供していただいた。1枚目の写真は、平安座島の女性たちが、石を頭に乗せて運んでいるところ。島から掘り出した石をこうして女性たちが運び、海に落としては道路の基盤を造っていった。
5km近い距離の海を人力で埋めて道を造ろうとは、普通なら、だれも考えないだろう。平安座の人々はなぜそれをやったのか。
「離島苦というのは、実際に経験した者でないと分からないものですよ」と話すのは、平安座自治会長の下條義明さん。平安座島と沖縄本島とを何としても陸続きにして、不便な島の暮らしをラクに豊かにしたい―。その一念が、一見不可能とも思える人力による海中道路建設に人々を駆り立てたのだ。下條さんは子供のころ、埋め立て用の石を掘り出す作業を手伝わされた時の光景を、今も鮮明を覚えているという。
平安座島と与勝半島屋慶名を結ぶのは浅瀬の海。干潮の時には砂地が顔を出す。道路が出来る前は渡船が主な交通手段だったが、干潮時だけはトラック輸送が行われていた。写真は、そのトラックが人や物資を乗せて出発するところ。1日のうちのわずかな時間とはいえ、こうして沖縄本島と島が陸続きになる光景を島人は毎日見ていた。このことも、人力で道を造ろうという動機づけになったに違いない。
かくして、1961年3月9日、人力による海中道路工事は始まった。島人総出で石を運び、道路は着々と建設が進んだ。が、7月、台風デルタの来襲で一部が流失。9月の台風ナンシーでは、島民の汗の結晶は無惨にもすべて破壊された。中心になって自力工事を推進した当時の玉栄政善自治会長は「憤怒のあまり失神寸前の態であった。悲嘆の涙は流れて止まず、呆然と立ちすくむ様であった」と、その無念さを記している。
しかし島人はあきらめなかった。工法を再考し、翌1962年4月に工事を再開した。今度は資金をやりくりしてセメントを少しずつ買っては、コンクリートの道を再び自力で造り始めた。その年のうちに130mを構築。4年後には80mを増築した。まさに不屈の精神というほかない。そうこうしているうちに、石油会社の進出が決まり、現在の道路が建設された。
いま沖縄で平安座島と言えば、伝統行事の島として名高い。自治会が正式に関与する行事だけで年間40以上、これに各家庭で行われている行事を加えると、70以上の伝統行事があるという。
島が最大の盛り上がりを見せるのが、旧暦3月3日から5日に行われるサングヮチャー。ことしは新暦で4月8日から10日に当たる。海の安全と豊漁を祈るこの伝統行事には多くの観光客も訪れる。サングヮチャーはじめ、平安座の諸行事についての問い合わせは平安座自治会098-977-8127。