焼肉

2011年11月13日

鍋の底知れぬバリエーション

沖縄とアジアの食 第9回 熱帯アジアの鍋(下)


 日本では鍋料理の鍋は、すきやきの鉄鍋などを除いて、土鍋が多い。土鍋はいかにも温かそう。アジアではほとんどステンレス製やアルミ製だった。ベトナム鍋も、タイすきの鍋も。ラオスの鍋もそうだった。

 暑い中では、涼しげな金属鍋が似合うかもしれない。前回の冒頭写真のようなタイプが普通だが、こんなのもある。

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 カウボーイハットのつばのように、翼が広がっていて、そこに材料を並べる。肉、レバー、エビ、イカ、それに各種野菜。食べたい材料を、適宜、中に入れていく。ブンなど、ここに乗りきらない材料は別皿で控えている。

 次は、前回のイカネギ鍋で出てきたパーティー銀皿風の鍋が再び登場する。この鍋は材料が相当変わっていて、イモのような甘くないバナナと肉、それにたっぷりの野菜。これらをどろどろの汁に入れて煮る。

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 これが意外にうまかった。絶妙のバランス。汁にはウッチン(ターメリック)が使われている。こうした複雑な味がどこからひねり出されてくるのか。ちょっと想像力が追いつかない。

 しかも、この鍋は、穀物系として、ブンではなく、なんとなんとフランスパンをめいめいの取り皿に入れ、鍋材料をお迎えする。はあ? フランスパン? と思ったが、パンの焼けた部分の味に、鍋の汁のうまみがピタリと寄り添って、うまい。こんな味の組み立て、一体どうやって思いつくのか。

 変わった形の鍋、という意味ではこちらを紹介しないわけにはいかない。タイではムーカタ、ラオスではシンダードと呼ばれている鍋料理。写真はラオス北部。

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 ジンギスカン鍋とよく似た真ん中の盛り上がった部分にラードを乗せて脂を溶かしてから、主に豚肉を焼いて、焼肉として食べる。一方、下の溝の部分にはダシがはられていて、そこにエビや野菜、キノコ、はるさめなどを入れて楽しむ。ダシに味はついているが、ピーナツ味噌、ライム、唐辛子、刻みニンニクなどを足す。

 「首都のビエンチャンでは、10年くらい前から見かけるようになりましたね。上で焼いた肉の肉汁が下に入って、汁がうまくなるみたいです」とラオスの知人。ただし、食べ放題の安い店だと、汁は顆粒コンソメだったりする。

 これが「何でもあり」のこだわりのない欲張り鍋の代表格なら、その正反対の鍋もある。ベトナム中部で遭遇したストイックな鍋。

 鍋はありふれた形だが、中身がすごい。すごい、といっても、材料は2つだけ。地鶏のぶつ切りとゴーヤーの葉。地鶏の強いダシに、ゴーヤーの苦い葉をどかどか入れて、もりもり食べる。

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 ほとんど薬膳の世界とも言うべきストイックな鍋だが、これがまたうまい。当然ながら、苦い。ゴーヤー葉の強烈な苦さが、地鶏の強い旨味に抱きかかえられて、うまい。デトックスになりそうな、そんなありがたい鍋だった。

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 この店は高床式の東屋。地鶏料理の専門店なのだという。

 アジア鍋は、底知れぬバリエーションを見せてくれる。その盛り上がりぶりは、とどまるところを知らない。

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2011年10月09日

肉はいつまでもつか

沖縄とアジアの食 第4回 肉扱いの文化

 そろそろアジア麺の話をしようか、と思って、ベトナム・ハノイの旧市街で食べたこのフォーの写真を取り出したら、また肉の話になってしまうことに気づいた。麺好きの方には申し訳ないが、もう1回、肉の話におつきあい下さい。

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 昨年、富山、福井の焼肉チェーン店で出された生牛肉ユッケが原因の食中毒で、4人が亡った。

 肉の取り扱いは難しい。それは必ずしも「取り扱い技術の難度が高い」という意味ではない。肉を取り扱うことが国民的な生活技術、生活文化になっておらず、暗黙の衛生管理基準のようなものがないため、よけい難しくなっているように思える。

 南アフリカ共和国の田舎で、結婚披露宴に出席したことがある。披露宴はひたすら屋外でのダンス。次々に大音響の曲がかかり、参加者は体を動かす。新郎新婦も踊りの輪に加わる。その地域では、結婚式があると牛を1頭つぶし、肉を焼いて参列者にふるまう。久しぶりのごちそうに、ダンスの合間に食事をとる参列者たちの表情もほころんで見えた。

 しばらくして、会場内の小さな小屋に案内された。そこには牛の頭と内臓が置かれていた。部屋が狭いこともあるだろうが、アンモニアの強い臭いがたちこめていた。屠畜から少し時間が経っているようだった。

 南アフリカでは、おかずに牛の内臓の入ったシチューをよく食べる。肉でも魚でも、内臓は栄養豊富で味も濃いごちそう。どの国でも、内臓を捨てるような伝統文化はまず存在しない。

 東京でフランス料理のシェフから聞いた話だが、腕っこきのフレンチの料理人は、ありきたりの肉料理ではなく、内臓料理にこそ腕のふるいがいがあると思っているのだそうだ。それほど、フレンチの内臓料理は多彩で、奥が深いということなのだろう。

 南ア農村の結婚式で、小屋に置いてあった牛の内臓のアンモニア臭を感じながら、思った。「この人たちは、牛の内臓がどれくらいもつかを、よく知っているー」。めったいにないごちそうである牛の内臓を腐らせて終わるなんてことは、絶対にありえない。

 沖縄にも、そういう肉取り扱い技術の文化がある。市場でもスーパーでも、肉が大きな固まりのままで売られている。肉や内臓がどれくらいもつものか、家庭の主婦がだいたい経験的に分かっている。

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 1960年くらいまでの沖縄の農村では、どの家庭も豚を飼い、自分たちで屠畜もやっていた。1頭丸ごと処理するのだから、南アの牛と同じく、内臓まで含めて、すべての部位の取り扱い方法は「常識」だったに違いない。

 日本の本土でも、魚肉の取り扱い方については、文化と呼べる基礎がある。

 たとえば、どれくらいの鮮度なら刺身で食べられるかは、どの魚屋やスーパーも自分で判断している。魚を売る方も、そして大方の客も、目のにごり具合や、身の色、香りなどから、その魚の鮮度がいいか悪いか、ある程度は経験的に判断できる。暗黙の衛生管理基準のようなものがあると言ってもいい。

 一般に、大きな肉ほど腐りにくい。その意味では、魚の多くは、牛肉や豚肉の大きな固まりよりも腐りやすい。ただ、肉の大きな固まりも、空気や異物に触れる表面は、どんどん悪くなっていく。

 焼肉チェーン店での事故の後に「トリミング」という専門用語がニュースで流れた。肉の表面を削ることを言う。そう、大きな固まり肉でも、空気や手が触れる表面は、時間の経過とともに悪くなるから、悪くなった部分を削らなければならない。

 肉食の長い地域では、そういうことが文化として受け継がれている。日本でも、例えばサバは腐りやすいからよほど鮮度がよくなければ刺身で食べる人はいない、といった細かさで取り扱いの文化があるように、肉食文化が根付いている地域では、つぶしてから何日目からは肉の表面をこれくらいの厚さで削り落とす方が安全、といったそれなりの生活技術を多くの人が知っている。

 日本での事件の後に、韓国の焼肉店のスタッフが、なぜそんなことが起きるのか分からない、と首をかしげている映像をテレビのニュースで見た。肉食文化の長い伝統がある韓国では、日本の鮮魚と同じように、肉の熟成と腐敗について社会の経験の層が厚いのだろう。1990年代半ばに韓国の農村部を回ったことがあるが、裏庭で自分で豚をつぶしている農家がまだあった。

 写真はバンコクの市場の肉屋。肉が固まりなのはもちろんだが、冷蔵ではなく、常温で売っている。タイだけではない。東南アジアのほとんどは、精肉を常温で流通させている。それは冷蔵システムが発達していないからではあるのだが、常温となれば、肉扱いの技術はさらに高度なものにならざるをえない。

 常温の方が菌の繁殖速度は速いから、リスクもそれだけ大きい。統計をとれば、冷蔵流通が普通になっている日本より食中毒の発生頻度は高いかもしれないが、では食中毒が毎日のように起きているか、と言えば、さすがにそんなことはないだろう。それを支えているのは、細かい政策・制度でも、高度な検査機器でもなく、長い経験を通じて培われてきた普通の人々の肉に関する鮮度感覚にほかならない。

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 冒頭写真のハノイのフォーの店では、のせる牛肉を、担当の女性が大きな肉の固まりから薄く切り分け、すぐ使っていた。切り分けて、あまり時間をおかずに使うことがノウハウといえる。それなら、新たに表面に出た部分に菌が繁殖しない。

 こういう扱い方が分かっているから、常夏の国で、冷蔵庫もなしで、生肉を食べてもめったにあたらない。もし、しばしばあたるようなことがあれば、みなが危険を感じて、星の数ほどあるフォー屋も、生肉のせをやめざるをえなくなってしまうだろう。

 もう少し細かく言うなら、フォーの生牛肉の安全については(1)肉の鮮度(2)かけるスープの温度(3)肉の厚さと量―の3つの要素が重要だと思う。

 ベトナムは長い肉食文化を持つ地域なので、鮮度の悪い肉を使うことは一般的には考えにくい。数多くの客が訪れる人気店なら、試されずみの客数が多いという意味だけでなく、原材料の回転がよいという意味でも、さらに安心だろう。

 万一を考えて、スープによる熱殺菌効果を期待するには、スープが90度、95度といった高温でないといけない。それは注がれるスープの湯気の立ち具合を見ればだいたい分かる。

 加えて、肉があまり厚いとスープの温度が肉の中心まで伝わらない。肉の量が多すぎても、冷たい肉がスープの温度を下げてしまう。

 適度な厚さと量の肉がのり、湯気がたっぷりと上がる鍋から熱々のスープがかけられて、フォーが出てきたら、肉をスープによくひたしながら少し待ち、肉全体が白濁気味のミディアム状態になってからおもむろに食べる。

 日本本土は、特に戦後、肉の大量生産が行われるようになって、肉食が一気に大衆化した。しかし、肉を扱う伝統文化は弱いから、扱い方を知らない人が肉を扱う可能性がどうしても高くなる。特に、高度な判断を求められるユッケのような境界線のところで、社会全体の経験不足が出てしまうように思う。

 食のあり方に政府が介入して特定の食べ方を「禁止」したりするのはいかがなものかと思うが、るる述べてきた文脈からすれば、取り扱い方法がよく見えない飲食店が出す生肉については「無理をしないでおく」というのが正解のような気がする。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック