2013年10月05日

アジアの食を知る100枚の写真

 ももと庵の企画「おいしいアジアへようこそ」の最終回が昨夜、開かれ、台風が接近する荒れ模様の中をたくさんの方々にご参加いただきました。

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 ベトナム風鋳込み揚げ豆腐、フィリピン風魚の酢じめ、ラオス風豚肉の香りあえ、などのスペシャルアジア膳を食べていただいた後、インドシナ半島の国々の食に関するスライドを100枚ほどお見せしました。

 タイ、ベトナム、ラオス、カンボジアなどは世界有数の米どころ。ごはん文化はもちろん、米の麺なども盛んに食べられています。ごはんの炊き方、食べ方、おかず、太さや食べ方が多彩な麺などをスライドでお見せしました。

 野菜をたくさん食べるのもアジアの食の大きな特徴です。沖縄では、肉や野菜をいためて食べることが多いんですが、アジアに行くと、焼いた肉と生の野菜をあえた料理もよく出てきます。

 実際に食べていただいたラオス風の豚肉香りあえで言いますと、豚肉を焼いて冷ましてから、生のタマネギやニラ、にんにく、生姜などをたっぷり入れ、魚醤やレモンで味をつけながら、よくあえます。野菜類は火を通さないので、生の鮮烈な味と香りが楽しめるわけですね。

 市場で売られている豊富な野菜もスライドでお見せしました。肉や魚、豆腐などが市場でどんなふうに売られているか、どんなふうに取り扱われているかも紹介しました。

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 冷蔵設備のないところで生鮮食料品の鮮度を保つ技術の一例として、発酵させた生魚の写真を見ていただきました。

 周年30度の常夏の地域で、生の魚が腐敗せずに何日も保てるというのは、冷蔵施設が当たり前の日本ではちょっと信じられないかもしれません。参加されたみなさんも一様に驚かれていました。

 おかげさまで「おいしいアジアへようこそ」は好評のうちに終了しました。また別の季節にスペシャルアジアメニューを企画したいと考えていますので、ご期待下さい。

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2013年01月12日

米粉文化が日本にない理由

 アジアの米は、ごはん以外にもいろいろ加工されます。その代表格が麺。米麺については、ベトナムの麺を例に、去年、このブログで取り上げました。

 フォーは薄さが身上のベトナム北部のヒラヒラ平麺。牛肉をのせた温かい汁麺が定番です。ブンは細くて柔らかく、断面が丸い麺。たれをかけて汁なし麺で食べたり、鍋で鍋材料と一緒に食べたりします。フーティウは細いけれどもややコシがあって断面が四角い麺。クメール人がもたらしたと言われる南部の麺で、温かい汁麺で食べることが多いようです。

 タイだと、センミー、センレック、センヤイのトリオ。屋台の麺屋ではこの3つの中から好きな麺を選ぶことになります。センミーは相当細く、センレックはフォーくらいの平麺。センヤイはさらに幅が広がって、麺というより、ひらひらのパスタみたいな感じです。写真はセンヤイ。

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 センヤイはパスタみたい、と書きましたが、こんなのもあります。ベトナムの市場で見かけたまさにパスタ。中央左の白と黄色のもの、奥のマカロニのようなものは、すべて米の加工品です。女性が手にしているパッケージに英語でマカロニと書かれていますね。

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 ところで、東南アジアでこれだけ米麺が発達したのに、東北アジアの米どころである日本には、沖縄を含めて、米の麺はほとんどありません。麺といえば、うどんでもそうめんでもみな小麦。どうしてこれほど違いが大きいのでしょうか。

 ひとつ、こういう説があります。

 アジアのインディカ米は細長いので、精米の際に砕米がたくさん出ます。これに対して、日本で食べられている丸い米の場合は、割れにくい。ヌカは出ますが、砕米がたくさん出るようなことはありません。これがインディカ米の場合はそうはいかず、どうしても砕米が多くなり、それを利用した米粉文化が自然に発達した、というわけです。

 目の前に砕米がたくさん出れば、それを利用しようとして、砕米をさらに細かくした米粉文化が自然に発達したのかもしれませんね。


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2013年01月02日

縄文時代は熱帯米を畑で作ってた

 あけましておめでとうございます。みなさん、どんな新年を迎えられましたか。

 1年の始まりにふさわしいお米の話をしましょう。アジアのお米ばなしです。きょうは「日本のアジア米」について。そんなのあるの? はい、「あった」んです。

 ところで、アジア米といえば、最近「おっ」と思ったのは、ベトナムが世界一の米輸出大国になりそう、というニュースでした。世界の米輸出国といえば、そのベトナム、タイ、パキスタン、インド。これまでタイがずっと1位だったんですが、タイの輸出が落ち込んでいる間にベトナムが追いついたんでしょうか。

 アジア各国は、米の生産量もすごいですが、食べ方の豊富さもなかなか。白いごはんとして食べるのはもちろんですが、そのほかに多様な米麺になりますし、米粉を使ったお菓子、おやつ類もいろいろあります。

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 熱帯アジアの米は、日本のそれとは違って、インディカと呼ばれる細長い米です。日本で食べられている丸いタイプの米は粘りが強くてねっちりとした噛みごたえがあり、それだけでも十分おいしいものです。一方、アジアの米は、さらっとした口あたりで、香りがよく、いろいろなおかずによく合い、たくさん食べてもおなかにもたれません。

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 そのアジア米ですが、かつては日本でも、熱帯アジアの米が作られていた、という話があります。「かつて」といっても、はるか昔、なんと縄文時代のことです。

 「縄文時代の次の弥生時代に、渡来人が稲作をもたらした」と歴史の時間に教わりませんでしたか。ところが、この20年ほどの間にイネの遺伝子分析などが進んで、どうもそうではなかったらしいことがだんだん分かってきました。

 どうやら、日本の稲作は、弥生時代ではなく、縄文時代から広く行われていたようなんです。

 ただし、縄文の日本で広く行われていたのは、水田ではありません。熱帯アジア原産の陸稲の栽培でした。

 今のような水田の稲作は縄文末期に入ってきたのですが、それが日本じゅうに広まるのにはだいぶ時間がかかったこともあり、その後も、陸稲栽培はかなり長い間、あちこちで行われていたらしいのです。

 この説、アジアを歩いていると、説得力を感じてしまいます。アジアの中でも、あまり農業生産が盛んでないような山がちの場所などでは、今でも山の斜面でまだかなり陸稲が作られています。陸稲栽培を見ていると、ああ、これならだれでもできるなあ、と思います。

 というのも、水田は、土木工事しないとできません。土地を真っ平らにして、周囲にあぜを起こす必要があります。もちろん、大昔はブルドーザーもパワーショベルもありませんし、金属製のスコップや鍬さえもなかったわけです。広大な面積の大量の重たい土を動かす作業を、すべて人力でやらざるをえません。

 それはそれは過酷な作業です。よほど土地が好条件で、しかも何か強い動機がなければ、水田造成に踏み切ることはなかったでしょう。

 ところで、この日本の陸稲は、アジアの多くでいま作られているインディカ米ともまた違う「熱帯ジャポニカ米」と呼ばれる稲でした。ジャポニカという名前で誤解しそうなんですが、日本原産ではありません。熱帯アジアの米です。それが南の方から日本にもたらされたんですね。

 日本の米は、南方のアジア地域から沖縄を経て日本本土にもたらされた、というのは、柳田国男の有名な「海上の道」説です。

 最近の研究で、熱帯ジャポニカの日本国内での広い分布の痕跡が確認されたこともあって、この「海上の道」説が再び注目されているみたいです。熱帯ジャポニカは、黒潮に乗り、沖縄を経て北上し、なんと東北地方まで行き渡っていました。

 話がずいぶん昔のことになってしまいましたが、日本も、今は当たり前の水田風景の前に、熱帯アジア原産の陸稲を盛んに栽培していた時代が長かった、というのは、意外に新鮮な発見じゃないかな、と。

 アジアの米ばなし。次回から、現代のアジアに戻ります。「アジアの白ごはん」からいくつもりです。

 万鐘ももと庵は1/4から営業を開始します。ご来店をお待ちしています。ネットショップは既にオープンしていますよ。どうぞご利用下さい。

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2008年03月07日

[第44話 農] 田植えが始まった

 ことしの田植えが始まった。写真は金武町。抜けるような青空の下で、島本勉さんが小型の田植え機を慎重に運転し、青々とした苗をスッ、スッとリズミカルに植えていた。ただ、面積はわずかなもの。自家消費用の米という。

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 八重山では田植えは既にほぼ終わっており、沖縄本島と伊是名、伊平屋などが今から本格的な田植えシーズンを迎える。

 沖縄の稲作は、2、3月田植えの6、7月収穫。その後にもう1作、2期目を作ることもあるが、2期目は台風に当たる確率が高いのと、どうしても収量が落ちるので、やらない人も多い。品種は「ひとめぼれ」か「ちゅらひかり」。

 沖縄本島では、ターウム(田芋)用の田は金武町や宜野湾市にかなりあるが、稲が植えられている田はあまり見られない。金武町、恩納村、国頭村に少しあるくらいだ。

 現在の沖縄の稲作は離島が担っている。トップは八重山。石垣島、西表島などで1800トンほど作っている。八重山の稲作は日本一早い。5月末から6月に収穫された米は超早場米として高値で取り引きされる。JA沖縄八重山営農センターの話では、日本一高価な新潟・魚沼産コシヒカリに次ぐ値がつくという。品種はひとめぼれ。

 伊平屋島では1000トン、伊是名島で200トンほどの米がそれぞれ作られている。伊是名の米はブランド化され、沖縄本島のスーパーなどで売られている。伊平屋の米は特にブランド化はしておらず、ブレンド米の一部になる。

 こうして離島を中心に米は作られているが、沖縄全体でも1000haほどの作付けにすぎない。

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 かつて、沖縄では稲作がもっと盛んだった。戦後の最盛期だった1955年の作付面積は現在の10倍以上の1万2000ha。農村部に住む年輩者に聞くと、稲作を大豆などと輪作していたと話す人が多い。人類普遍の食糧ともいえる「穀物+豆」の黄金の組み合わせである。

 しかし1960年代から、カネになるサトウキビへの転換が進み、水田は急速に姿を消していった。ちょうどこの頃と時期を同じくして、各家庭で飼われていた豚やヤギも姿を消していく。作物と家畜の複合経営によって食べものを自給していく仕組みが崩壊。農業は現金収入を得るための換金農業になり、自分の食べものは、作るのではなく買うものになった。

 農村部では、朝起きれば野良着を着て畑に出る習慣を続けているおばあもたくさんいるが、今は小面積の野菜類が中心。主食になるような米やイモ類を自給している人は少ない。離島は別として、少なくとも沖縄本島の稲作は、こうした歴史の流れの中で生き残った数少ない主食自給農業と言えるだろう。

bansyold at 00:17|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote