米軍基地

2011年07月17日

大学入試が変われば、英語を話す人が増える

沖縄を創る人 第27回
 サイ・テク・カレッジ那覇主任講師 小波本あゆみさん(下)

 
 専門学校で英語を教える小波本あゆみさんは、沖縄ならではの質問を受けることがある。米軍関係者と結婚した沖縄の女性に共通の悩み、子供を日本の学校に入れるか、基地内の学校に入れるか、という相談だ。

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 「将来、その子が日本で暮らすか、アメリカで暮らすか、です。日本で生きていくなら日本の学校、アメリカで暮らすなら基地内の学校を勧めます」

 言語力は、学校で習うものも大きいが、それと日常生活の言語環境とのギャップに注意しなければならないと小波本さんは言う。

 「例えば、米軍基地内の学校を出たとします。そのまま日本社会に入ると、普通の日本人より英語は少しできるけど、日本語は漢字が読めないといった中途半端なことになります。日本社会で生きていくなら、日本の学校の方が力をつけてくれるわけです」

 「アメリカで暮らすなら、英語力がつく基地内の学校ということになりますが、基地内の学校を出て英語で勝負しようとしても、米本土に行ったら、ネイティブには太刀打ちできません。やはり米本土に渡って日常の言語環境を英語に切り替え、そのうえで向こうの大学などで本格的に英語力を鍛えないと、あちらでの競争力は得られません」

 前回、英語を話す力をつけるのに必要だと小波本さんが強調した「文を組み立てる練習の繰り返し」の最大のものが、実は日常の言語環境なのだ。周囲が日本語でコミュニケーションしていれば、こちらも日本語で話そうと努力し、文を組み立てる訓練を毎日、毎日、自然に繰り返すことになる。基地内の学校といっても、社会環境全体は日本語世界。

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 逆に、相手が英語ならば英語で文の組み立て訓練を毎日やることになる。

 沖縄は本土復帰前、米軍の軍政下にあった。基地内やその周辺で働く人も多かった。米軍人と遭遇し、コミュニケーションする場面は、今よりずっと多かったに違いない。

 沖縄のお年寄りの中には、氷水のことを「アイスワーラー」と呼ぶ人がいる。本土復帰前の米軍支配時代に、生きるための英語を体当たりで身につけた世代だ。学校で英語を習ったことが全くなくても、本当に必要ならば相手が何を言っているのかを必死で聞きとり、それをマネする。Ice waterをアメリカ人が発音したら「アイスウォーター」ではなく「アイスワーラー」になるのだ。

 いま小学校での英語教育導入が進んでいる。小波本さんに言わせれば、日本社会で育っている子供が、週一回の英語の授業で会話ができるようになるのは無理。

 「一番大切なことは、母国語をしっかり身につけてからの外国語の習得であること。自分のアイデンティティの確立のためには、どの言語で自分の気持ちを言語化するかがとても重要です。まれに、きちんと二分化できる人がいますが、多くの人は混乱するか、母国語と外国語がちゃんぽんになってしまうかだと思います」

 「小学校での英語教育の最も重要なことは、英語で話すことが恥ずかしくない、という感覚をできるだけ養うこと。自分の伝えたいことを相手に伝えるため、身振り手振りも加えて、一生懸命工夫をすること。つまり、コミュニケーション能力を高めるということです。これは、日本語でのコミュニケーション能力にも繋がってきます」

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 では、日本人がもう少し英語を話せるようになるのに最も効果的な方法は? 小波本さんは即座に答えた。

 「大学入試のあり方を変えること。中学、高校の英語教育は、すべて大学入試につながっていますから」

 大学入試が、今のような分析型ではなく、文を組み立てる力をみるタイプのものに変われば、中学高校でもそのようなスキル訓練が重視されるようになるという。

 例えば、米国が外国人の英語学習者向けに実施しているTOEFL(トーフル)試験は、高いスキルを要求され、分析力だけでは高得点できない。日本人が苦手な英語試験といわれる。大学入試がそうしたタイプの試験になれば、中学高校の英語教育も焦点がそこに移るはず、と小波本さんはみている。

 [小波本あゆみさんとつながる] 小波本さんが勤務するサイ・テク・カレッジ那覇のHPはこちら。小波本さんが教鞭をとっている国際コミュニケーション情報科の説明もある。日本人が苦手とされるTOEFLのHPはこちら

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2011年06月19日

父娘の歴史が交錯する米軍基地を眼下に

沖縄を創る人 第23回
 あやかりの杜図書館司書 玉城留美さん(下)


 あやかりの杜図書館司書の玉城留美さんは、アメリカの長距離電話会社AT&Tの沖縄営業所に14年間勤務していた。主なクライアントは米軍の軍人。加入契約をとりつけるための販促キャンペーンによく出かけた。

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 「例えば、うるま市のホワイトビーチに軍艦が入港したら、出かけて行って、上陸する軍人たちに『家族に20分無料で電話できますよ』と、ミリタリーディスカウント商品の契約を勧誘するんです」

 軍艦に乗っていると長い間家族と話ができないから、軍人は、上陸した時、家族に電話したいと思っている。無料のホットドックなどを用意し、NTTドコモから携帯の端末を借りて、沖合停泊中の軍艦から小型ボートで上陸してくる船員たちに、港で無料通話を勧めた。大きな船だと1000人規模の乗組員がいるから、マーケットとして大きい。

 玉城さんのいた沖縄市のオフィスは、全盛期にはアメリカ人30人に日本人2人といった構成。仕事は、会話も文書もすべて英語の世界だった。

 「父が嘉手納基地でコンピューターのメンテナンスの仕事をしていた関係で、家でも時々英語をしゃべることがありました」

 父は秋田県、母は沖縄・粟国島の出身。もちろん、父はもともと英語ができたわけではなかった。だが、そんな父の仕事の影響で、英語は身近な存在だった。英英辞典、イディオム集といった普通の家庭にはない本も置かれていた。

 「小さい頃は、大人になったら英語は自然に話せるようになるんだろうと漠然と思っていたんです。小学生のある時、いつまでたっても全然しゃぺれるようにならないので、父に聞いたら、父が、何言ってるんだ、おれも必死でやっているんだよ、って」

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 そこで玉城さんは独学で英語を勉強し始めた。初めは洋画のビデオを借りてきて、一生懸命見た。字幕を読まないようにと紙の帯を貼って隠し、音を聞き取る努力を続けた。十三祝いに父の友人からソニーのウォークマンをもらった。オートリバース機能もついていない頃で、A面からB面に変えるのにカセットをひっくり返しながら、ラジオの語学講座や米軍放送の録音を聴いた。

 短大も英語科に進学。

 「でも、英語は目的ではありませんでした」。英語は好きだったが、英語教師になろうというように、英語自体を目的にしたことはなかった。

 幼い頃からの夢は2つあった。一つは図書館司書。短大の後に専門学校で図書館司書の勉強をして、資格を得た。だが、図書館司書のポストは少ない。すぐに就職することはできなかった。

 玉城さんのもう一つの夢は、絵描きになることだった。絵描きでは食べていけないよ、と親に言われて、趣味にとどめることにしたが、今でも絵は大好き。AT&Tの職場の同僚でお話を執筆している人がいて、その彼女の作品「さとしの願いー千羽鶴の伝説」に絵をつけて、共同で絵本を自費出版したこともある。

 リーマンショックや通信技術の変化によって、AT&T沖縄営業所の事業規模が縮小されることになったちょうどその頃、あやかりの杜図書館の開設準備ボランティアの募集があった。玉城さんは、勤務時間が短縮されたAT&Tでの仕事と並行して、あやかりの杜図書館の開設準備にボランティアとして携わった。

 やがてAT&Tは営業所を閉鎖。玉城さんは、あやかりの杜図書館に司書として勤務することになった。

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 幼い頃からの夢を実現して、2児の母となった今、図書館で司書として働く玉城さん。あやかりの杜からは、東シナ海、太平洋の青い海に加えて、周囲にある米軍基地の芝生の鮮やかな緑が眼下に広がる。

 父娘2代の歴史が交錯する米軍基地を少し距離を置いて眺める場に身を置きながら、玉城さんはいま、インドの図書館学者ランガナタンの「図書館は成長する有機体である」という言葉を改めてかみしめる。自治体財政難のいま、図書館の置かれている現実は厳しい。だが、もし本当に成長することを阻まれてしまったら、公共図書館は存在意義を問われかねない、と玉城さんは思う。

 「予算の削減と利用者のニーズの狭間にあって、プロとして恥ずかしくないサービスをしたいと思っています」

[玉城留美さんとつながる] あやかりの杜についてはこちらを。この中に図書館の詳しい説明がある。図書館のほかに、小さな宿泊施設やキャンプ場なども併設されている。絶景の屋上には、軽い食事ができる喫茶室も。

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2011年05月22日

沖縄を先端医療特区に

沖縄を創る人 第19回
 浦添総合病院循環器内科医長 宮城直人さん(下)


 循環器専門医の宮城直人さんは、1年ほど前、強烈な体験をした。欧米で既に安全性や有効性が立証されたある心疾患治療器具をヨーロッパ心臓病学会の発表などで知った。早速、開発元の米国企業のCEOにメールを書いて問い合わせたら、こんな問いが返ってきた。

 「あなたの病院はフェンスの内か外か」

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 沖縄には「フェンスの内側」、つまり米軍基地内に、在沖米海軍病院がある。CEOいわく、そこでならば米食品衛生局に認可されたこの器具を使うことは問題ないが、フェンスの外側、つまり日本の厚生労働省の管轄区域では無理、と。

 米海軍病院の医療設備や治療能力は決して高いものとはいえず、実際、海軍病院から宮城さんの病院に搬送されてくる患者も少なくない。そんな海軍病院でしか最新器具を使えないという理不尽さ。

 そこに、日頃向き合っている循環器疾患の遠因を作った米軍支配の時代が、どうしてもオーバ―ラップする。あの時代さえなければ、県民の食生活が今のように油脂類を大量に摂取することにはなっていなかったのではないか。

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 そんな理不尽さに打ちのめされながら、宮城さんの頭に「先端医療特区」というアイデアが浮かんできた。フェンスの向こうとこちら、とはまさに一国二制度。ならば、それを逆手にとって、沖縄を先端医療特区とし、時間がかかる厚生労働省の認可を待たずに新薬や最新医療器具を使える一国二制度を実現したらどうか。

 これが実現すれば、ドラッグラグ、デバイスラグから解放されるだけではない。同じラグに悩む本土の医療機関からも「学び」のために専門医が集まってくる。そして、そのような治療の1日も早い認可を心から待ち望んでいる患者たちも、全国からやってくるはずだ。沖縄の病院なら使ってくれるとなれば、世界の製薬会社や医療器具メーカーも最新情報を携えて沖縄を訪れることだろう。

 「今でも医学部卒業後の研修医の研修場所として、沖縄は全国で5本の指に入るほど高い人気があります。その理由の一つは症例が豊富だから。ところが、せっかく沖縄で研修しても、その後に定着しない。やはりラグの大きさが最大の理由でしょう」

 医療特区は、先端医療そのものを沖縄にもたらすだけでなく、さまざまな人と情報の動きを作り出し、沖縄の経済振興に確実に結びつく。

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 政府は「一国二制度」になることを理由として、さまざまな特区構想について、限定的なものしか認めようとしない傾向がある。しかし「フェンスの向こうとこちら」という明らかな一国二制度が沖縄には既に存在している。基地負担では一国二制度が現にあるのだから、メリットをもたらす一国二制度も政府は認めるべきではないかー。宮城さんはそう考える。

 ものごとにはステップがあるから、一気に沖縄全域を医療特区にするのは難しいかもしれない。米海軍病院との提携から始めてもよい。海軍病院でなら最新器具や治療薬が既に使えるのだから、そこと全面的に提携して「フェンスの外の医師」が海軍病院に勤務して「フェンスの外の患者」を治療できるようにする。よい成果が出てきたら、その範囲やステージを「フェンスの外側」に拡大していく。

 保険制度が適用されなければ特区を設ける意味は半減するから、この点は最初から必須だ。ただし、日本の厚生労働省未認可である以上、治療の結果については原則として患者の自己責任とする。マイナスの結果が生じても、日本政府が責任を問われることはない。

 「それでも最新治療を受けたいと考える患者さんは、県内外を問わず、たくさんいるはずです」

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 沖縄県民は、日常的にフェンスと向き合って半世紀以上生活してきた。そんなフェンスを逆利用して、開かれた世界への扉に変えることができたらー。宮城さんは先端医療特区構想を県知事にぜひ伝えたいと思っている。

 [宮城直人さんとつながる] 宮城さんが勤務する浦添総合病院のホームページに、循環器センターのページがある。狭心症、心筋梗塞などの症状や、検査方法、治療方法の解説が詳しい。

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2009年01月25日

[第98回 食] 米軍レストランでぷちアメリカ体験

 沖縄の広大な米軍基地の中で、ただ一つ、地元民や観光客が入れる施設がある。北中城村のアワセゴルフ場と併設のメドウズ・レストラン。このレストランは、アメリカ風のレストランではなく、アメリカのレストランそのもの。アドベンチャー気分でぷちアメリカ体験はいかが?

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 米軍基地の敷地内には、ショッピングセンターからボウリング場まで、小さな町にあるような施設はだいたい何でもある。海兵隊で、こうした民生関連施設を一手に運営するのが海兵隊コミュニティサービス(MCCS)。ただ、民生施設とはいってもすべて軍事基地内にあるので、軍関係者以外は立ち入りできない。メドウズ・レストランもMCCSが運営する米軍施設の一つだが、例外的に基地のフェンス外にあるため、だれでも利用できるというわけだ。

 「特に日曜日は日本人の利用客が多いですね」とレストラン事務所のジョン・ライトルさん。訪ねたのは土曜日だったが、アメリカ人の客に混じって、地元のゴルファーらしきグループもテーブルをいくつか囲んでいた。

 「アメリカ風ではなく、アメリカそのもの」というのは、例えば、日中の室内の暗さ。アメリカでは日本のように外光が大量に室内に入る設計は好まれず、日中の室内はかなり暗い。このレストランも薄暗い席が多い。目が慣れてくればどうということはないが、最初はちょっと面食らうかもしれない。ゴルフコースが見える窓際の席は明るいので、日本人客の多くはそちらにすわっている。床がビニルタイルでなくじゅうたん風なのもアメリカ式。

 陽気なアメリカ人は、フレンドリーに人と会話する。このレストランのウエイトレスは沖縄の人だが、みな笑顔で客とよくしゃべる。見ず知らすのウエイトレスとこれほど話が弾むというのも、考えてみれば何ともアメリカ的。日本のレストランではあまり見られない光景だ。

 肝心のメニューはほぼ100パーセント、アメリカ食。サンドイッチ類にはたっぷりとフライドポテトがついてくる。クリスピーなフライドチキンも、食べきれないような量がドカーンと登場する。

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 ハンバーガーは、ファーストフードのそれとは違って、文字通りアメリカ仕様。アメリカのハンバーガーのパテは、牛ひき肉以外は本当に何も入れない牛100%が普通で、ここのもそう。パン粉はおろか玉ねぎさえ入っていない。かつ大きい。ファーストフードのハンバーガーの2倍以上ある。上の写真はブルーチーズのハンバーガー。ブルーチーズはアメリカ人好みの味らしく、サラダにかけるブルーチーズドレッシングは、アメリカの国民的サラダドレッシングの一つだ。

 サンドイッチ類にはカップスープが1ドルでつけられる、とメニューにあったので、頼んでみたら、ドロリとした「食べるスープ」が出てきた。日本でポピュラーなコンソメなどのさらさらスープはアメリカではまずお目にかからない。このメドウズ・レストランで出てくるのも純アメリカ式ぽってりスープ。

 コーヒー、紅茶用の小袋入りの砂糖は、白い袋に入った本物の砂糖と、ピンクまたは青色の袋に入った粉末人工甘味料の2種類が置かれている。要ダイエットの人が日本とは比較にならないほど多いアメリカでは、どのレストランに行ってもこの2つに遭遇する。

 支払いはドルのみだが、ドルを持っていない人は、入口で頼めば両替してくれる。メニューは日本語版が用意されているし、ウエイトレスはみな沖縄の女性なので、言葉の問題は全く起きない。

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 北中城村の国道329号線ライカム交差点を、那覇から沖縄市向けなら右折すると、まもなく左手に、ゴルフ場のクラブハウスに隣接してメドウズ・レストランがある。

 電話で問い合わせする場合は、098-911-511にかけると米軍基地の交換手が出るので、「内線645-4980を」と日本語で言えばつないでくれる。詳しい営業時間などはメドウズ・レストランの公式サイトで(このサイトは英語のみ)。

 現在のアワセゴルフ場は、近く、敷地が日本側に返還されるため、メドウズ・レストランともども、2009年11月に移転の予定。移転先はうるま市のキャンプコートニーの近くになる。ライトルさんによれば、移転後はレストランの名前も変わるだろうという。

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