興南
2011年04月03日
「珠算に強い沖縄」が生まれるまで
沖縄を創る人第14回
宮城珠算学校校長 宮城忍人さん(上)
沖縄はそろばんが盛ん。その中でもトップクラスの成績を誇る浦添市の宮城珠算学校に校長の宮城忍人さんを訪ねた。
「○○君、暗算の部で日本一」。そんな記事が地元紙に載ることが時々ある。ただ新聞の扱いは小さく、甲子園優勝のような強い印象は、残念ながらあまりない。実際のところ、沖縄でそろばんはどれくらい盛んなのだろうか。
宮城さんの話では、全国の珠算関連団体は、日本珠算連盟(日珠連)と全国珠算教育連盟(全珠連)が2大勢力で、沖縄のそろばん教師の多くは全珠連の認定を受けている。その全珠連の都道府県別検定受験者数のトップスリーは、1位沖縄6万0490人、2位愛知4万6473人、3位東京3万7253人(2009年度)。
人口1000人当たりの検定受験者数を計算してみると、沖縄43人、愛知6人、東京3人になる。沖縄はそろばんが「ものすごく盛ん」であることは、どうやら間違いなさそうだ。
有段者も多い。京都にある全珠連本部事務局によると、最高位である十段のこれまでの取得者は、全国で珠算の部が1012人、暗算の部が1133人。うち沖縄は、珠算118人、暗算194人で「ダントツの1位です」(同事務局)。珠算の2位が広島で94人、暗算の2位は東京で83人にそれぞれとどまっている。暗算では、2位東京の2倍以上の十段がいるわけだ。
競技成績もいい。最近の一例を挙げれば、所属団体に関係なくだれでも参加する1000人規模の「全国珠算競技大会そろばんクリスマスカップ2010」で、昨年、沖縄県は中学の部で団体優勝。子供から大人までが同じ土俵で競い合う年齢無制限の読み上げ算競技では、宮城珠算学校所属の中学生玉那覇有亮君が日本一に輝いた。
宮城さんが言う。「いま、沖縄の高校が甲子園に行ってユニホームに『沖尚』『興南』と書かれていたら、他府県の選手たちがびびってしまうという話がありますが、珠算も同じです。大会で座る座席に『沖縄』とあったら、他府県の選手はそれだけでかなり緊張するようです」
どんな経緯で珠算がこれほど強くなったのか。空手のように、ひょっとしたら琉球王国時代からの歴史があるのかも―。そんなことがチラッと頭をかすめたが、見事にはずれた。
宮城さんによると、昭和の時代には、沖縄勢の成績は決して芳しいものではなかった。沖縄のそろばん教師たちは、強豪とされる他府県から教師を招くなどして、地道な勉強を重ねた。成果が現われるようになったのは平成になってから。個人で日本一を獲得する例が出始めたという。
野球の話に戻れば、昔の沖縄勢は、甲子園の大舞台に立つと、自信がないために緊張のあまりトンネルし、さらに自信を喪失するというイメージだった。それが地道な努力で少しずつ強くなり、平成に入ると、沖縄水産高校の活躍くらいから全国上位の結果を出し始めた。やがて沖縄尚学高校が活躍し、昨年は興南高校が春夏連覇を果たして最高峰を極めるに至った。
珠算隆盛までの経緯も、同じ時期に重なっているようだ。
「私たちの世代は、まだ『内地の人は優れている』という感覚でした。今の子たちは違います。全国大会に行って、本番直前に『大丈夫か』と声をかけると『自分たちは日本一をとりに来ましたから』と自信に満ちた表情で言って、しっかり実力を発揮できるんです」
宮城珠算学校は、忍人さんの父清次郎さんが創設し、ことしでで55年になる。現在、約750人の生徒を抱える県内でも最大規模のそろばん塾。これまでに、珠算で16人、暗算では29人の十段を輩出してきた。
そうした優秀な生徒と教師陣を率いる宮城さん自身もよほどのそろばん使いなのではないかと思って尋ねたら、意外な答えが返ってきた。
「私自身は、珠算はそれほどできないんです」
続きは4月10日に。
宮城珠算学校校長 宮城忍人さん(上)
沖縄はそろばんが盛ん。その中でもトップクラスの成績を誇る浦添市の宮城珠算学校に校長の宮城忍人さんを訪ねた。
「○○君、暗算の部で日本一」。そんな記事が地元紙に載ることが時々ある。ただ新聞の扱いは小さく、甲子園優勝のような強い印象は、残念ながらあまりない。実際のところ、沖縄でそろばんはどれくらい盛んなのだろうか。
宮城さんの話では、全国の珠算関連団体は、日本珠算連盟(日珠連)と全国珠算教育連盟(全珠連)が2大勢力で、沖縄のそろばん教師の多くは全珠連の認定を受けている。その全珠連の都道府県別検定受験者数のトップスリーは、1位沖縄6万0490人、2位愛知4万6473人、3位東京3万7253人(2009年度)。
人口1000人当たりの検定受験者数を計算してみると、沖縄43人、愛知6人、東京3人になる。沖縄はそろばんが「ものすごく盛ん」であることは、どうやら間違いなさそうだ。
有段者も多い。京都にある全珠連本部事務局によると、最高位である十段のこれまでの取得者は、全国で珠算の部が1012人、暗算の部が1133人。うち沖縄は、珠算118人、暗算194人で「ダントツの1位です」(同事務局)。珠算の2位が広島で94人、暗算の2位は東京で83人にそれぞれとどまっている。暗算では、2位東京の2倍以上の十段がいるわけだ。
競技成績もいい。最近の一例を挙げれば、所属団体に関係なくだれでも参加する1000人規模の「全国珠算競技大会そろばんクリスマスカップ2010」で、昨年、沖縄県は中学の部で団体優勝。子供から大人までが同じ土俵で競い合う年齢無制限の読み上げ算競技では、宮城珠算学校所属の中学生玉那覇有亮君が日本一に輝いた。
宮城さんが言う。「いま、沖縄の高校が甲子園に行ってユニホームに『沖尚』『興南』と書かれていたら、他府県の選手たちがびびってしまうという話がありますが、珠算も同じです。大会で座る座席に『沖縄』とあったら、他府県の選手はそれだけでかなり緊張するようです」
どんな経緯で珠算がこれほど強くなったのか。空手のように、ひょっとしたら琉球王国時代からの歴史があるのかも―。そんなことがチラッと頭をかすめたが、見事にはずれた。
宮城さんによると、昭和の時代には、沖縄勢の成績は決して芳しいものではなかった。沖縄のそろばん教師たちは、強豪とされる他府県から教師を招くなどして、地道な勉強を重ねた。成果が現われるようになったのは平成になってから。個人で日本一を獲得する例が出始めたという。
野球の話に戻れば、昔の沖縄勢は、甲子園の大舞台に立つと、自信がないために緊張のあまりトンネルし、さらに自信を喪失するというイメージだった。それが地道な努力で少しずつ強くなり、平成に入ると、沖縄水産高校の活躍くらいから全国上位の結果を出し始めた。やがて沖縄尚学高校が活躍し、昨年は興南高校が春夏連覇を果たして最高峰を極めるに至った。
珠算隆盛までの経緯も、同じ時期に重なっているようだ。
「私たちの世代は、まだ『内地の人は優れている』という感覚でした。今の子たちは違います。全国大会に行って、本番直前に『大丈夫か』と声をかけると『自分たちは日本一をとりに来ましたから』と自信に満ちた表情で言って、しっかり実力を発揮できるんです」
宮城珠算学校は、忍人さんの父清次郎さんが創設し、ことしでで55年になる。現在、約750人の生徒を抱える県内でも最大規模のそろばん塾。これまでに、珠算で16人、暗算では29人の十段を輩出してきた。
そうした優秀な生徒と教師陣を率いる宮城さん自身もよほどのそろばん使いなのではないかと思って尋ねたら、意外な答えが返ってきた。
「私自身は、珠算はそれほどできないんです」
続きは4月10日に。