電気工事士

2012年02月12日

家族のために日本で生きる

沖縄を創る人 第33回
 ペルー出身沖縄3世 平敷兼長さん(下)


 鶴見から20年ぶりに故郷ペルーに戻った平敷兼長さんは、ペルーでも電気工事で生計を立てようと考えた。しかし日本で高度な電気工事技術を身につけた平敷さんの目に映ったペルーの電気工事のレベルは低く、やる気が失せた。電気工事だけでは実入りが少ないことも分かった。

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 そこで平敷さんは、電気工事を含めて、住宅のリフォームを丸ごと請け負う仕事を始めた。日本で電気工事の仕事をしながら見ようみまねで身につけた建築工事のノウハウがここで生かされた。とはいえ、リフォームの仕事だけでは、将来に大きな期待ができそうにないという思いが募っていった。

 「ラーメンはどうかな、と思ったんです」

 ペルーでは日本食の寿司店が成功を収めていた。日本のラーメンも人気が高い、という情報が入ってきた。

 「どうせやるなら、豚を養うところから始めて、ラーメンまでやったらどうだろう」

 平敷さんは夢を膨らませていった。

 昨年12月、妻の親族に不幸があったため、家族で日本に来た。南半球は12月から夏休みなので、子供たちもその期間は学校に行かなくていい。向こうで生まれた長女も含めて、一家5人で2年ぶりに日本に来た。

 年が明けたら、また一家でペルーに戻る予定だった。ところが、1月になって家族の中で「小さな激震」が起きた。日本生まれの長男が旧友と会った後に「ぼくは日本で大学まで行きたい」と言い出したのだ。

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 「ショックでした。ペルーに戻るつもりでしたから」

 南米は景気がいいのは確かだが、治安はよくない。

 「ペルーだと、やはり子供が外で自由に遊べないですし、バスも危ないので乗れません。日本生まれの長男にペルーでの生活はきつかったのでしょう」

 子供の安全は何にも代えられないと思った、という。

 「大学という子供の将来を考えても、日本の方がいいかもしれないなと考えるようになりました」

 平敷さんは再び日本で暮らす道を選ぶことにした。平敷さん自身の両親はペルー在住だが、ブラジル出身の妻の家族は日本に戻ってきていることもあり、妻は賛成してくれた。

 「子供と妻が日本で、となったら、もう抵抗できませんよね」

 とはいえ、日本で電気工事の仕事環境が厳しいことに変わりはない。東日本大震災で日本の景気はさらに悪くなっているように見える。

 平敷さんは、まずは電気工事士の免許取得に挑戦するつもりだ。電気工事会社は、電気工事士の資格を持つ仲間の協力で経営している。だが、厳しい時代には、人を頼りにせず、自らが資格を持っていなければならないと考えている。

 平敷さんにとってハードルが高いのは日本語の書き言葉。20年の日本生活のおかげで会話は自由にできるようになったが、漢字での読み書きは簡単ではない。だが、家族のために日本での生活を選んだ平敷さんは、厳しいことも含めて、これまでやってこなかったこともやるハラを固めている。

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 スペイン語で育った日系仲間は周囲にたくさんいる。そんな仲間とスペイン語で時々おしゃべりしてストレスを解消する。「これが、妻がブラジル出身仲間とおしゃべりする席だと言葉はポルトガル語になるんです」と平敷さんは笑う。

 沖縄には一度だけ行った。浦添出身の親族が今は石垣島にいるので、あいさつに行った。

 「タクシーに乗って行き先の家の名前を言ったら、住所も言わないのにすぐ連れていってくれたのが、ちょっとびっくりでした」

 [平敷兼長さんとつながる] ペルーの日系人社会については、例えば、沖縄系のフェルナンド仲宗根さんが編集している日系人新聞を読むと、その一端がかいま見える。一方、川崎・鶴見かいわいは、日系移民2、3世や沖縄出身者が多いことで知られる。例えば東京外大の受田宏之准教授の報告を読むと、そんな様子がよく分かる。このレストランガイドによると、鶴見や川崎にはペルーやブラジルなどの南米料理店もいろいろある。世界各地の沖縄移民数については、沖縄県のまとめが便利。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック