高齢者

2008年09月09日

[第75話 沖縄] お年寄りは宝

 後期高齢者医療制度を挙げるまでもなく、お年寄りが肩身の狭い思いをさせられることが多い昨今。沖縄本島東側の平安座(へんざ)島で、面白いものを見つけた。

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 万鐘本店46話の海中道路、51話のサングヮーチャーで登場した平安座島。その公民館には、99歳のお祝いを迎えたお年寄りたちの肖像写真がずらりと並んでいる。歴代区長の肖像写真を掲げる公民館は多いが、長生きのお年寄りを顕彰している公民館は、さすがの沖縄でもあまり見ない。

 立派なことをしたから顕彰されるのではない。長生きそれ自体が最高の価値、という、ヒトにとって根源的ともいえる価値観。

 沖縄の各地では数え97歳を「カジマヤー」と呼んで盛大にお祝いする習慣があるが、平安座島では99歳の白寿を「ガージーバール」と呼び、島を挙げて祝うのがならわし。旧暦の9月9日にこの祝賀行事が行われる。人口1500人の島で、対象者は年に1人か2人という。

 旧9月9日の午後、まず、祝われる人の家に公民館からごちそうが届けられる。午後3時からはパレード。公民館特製のリヤカーを改造した車に本人が鎮座して、島じゅうを1時間半にわたって練り歩く。その後は祝宴になる。

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 沖縄では、若者も年寄りの意見は聞くといわれる。確かに、悪たれ小僧どもが、90歳近いおばあに諭されているような光景は、ときどき見かける。

 沖縄民謡のベテラン歌手、登川誠仁の「じいちゃん、ばあちゃん」の歌い出しはこんな歌詞で始まる。

 昔云言葉に御年寄や宝 話花咲ち手墨習てぃ

 [標準語]
 昔からの金言、お年寄りは宝 語り合う慶び、教えを請うありがたさ

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 現代人の力の源泉は恐らく「稼ぎがいいこと」なのだろうが、お年寄りが尊敬されるのは稼ぎがいいからではない。稼ぎ以上に重視される価値観があるからこそ、万事に長じているお年寄りに教えを請うのが「ありがたい」のだ。

 もちろん、年をとれば病気がちになるし、お金もかかる。しかし、そこは、稼げる人々が相応に経費を負担する。

 例えば、平安座島のガージーバールの祝いには大勢の人が参加して、いろいろとお金がかかる。祝われる本人の家族はその経費を負担するが、背景には、広範囲の親類から祝い金が集まる仕組みがある。公民館も経費負担の一環としてかなりの祝い金を出す。

 長寿の祝いは、こうして親族と地域が経済的に支えている。家族が遠方にいたり、本人が老人ホームに入っているようなケースもあるが、そんな時も島に残る親族が支える。

 少子高齢化社会では、稼げる人が減ってくるから大変だ。沖縄は子だくさん社会を続けているおかげで、若年労働力がまだ豊富。子を産み育てるのは、社会を成り立たせる根幹中の根幹だから、これは大きな強みといえる。

 とはいえ、将来はやはり大変だろう。ただ、沖縄の社会は、今後も子だくさんを続け、稼ぎ手が働きつつ、お年寄りを大切にする姿勢を、できるギリギリまで保とうとするに違いない。なぜって、それが沖縄そのものだから。

 こんな古い琉歌がある。

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 百歳年寄りぬ うち笑ていめす
 くりどぅ世栄いぬ しるしさらみ

 [標準語] 
 百歳のお年寄りが、声も高らかに笑っている
 これこそが社会繁栄の証しである

 立派なビルよりも、お年寄りの笑い声―。沖縄は復帰後、ずいぶん立派なビルも増えたが、お年寄りを敬って大事にする気持ちと、それを裏打ちする子だくさんのスタンスはまだ堅持しているように見える。

 ただ、ちょっと補足するならば、この琉歌の「うち笑ていめす」は、「微笑んでいる」というよりは「呵々大笑する」ようなニュアンスだ。

 お年寄りを大切にするというのは、必ずしも「手を引いてあげる」という感じではない。90歳過ぎて1人暮らしというような話は珍しくない。むろん、これは元気な人の場合だが。

 大切にされるお年寄りも、案外サバサバしている。そうした強さがなければ、声も高らかに笑えないし、若者は敬いようがない。照りつける太陽の下で、弱々しい姿はあまり絵にならない。

bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック