ODA

2012年01月01日

体全部でタイを大好きに

沖縄を創る人 第28回
アイ・シー・ネット(株)コンサルタント 平良那愛さん(上)


 政府や国際機関が、開発途上国でさまざまな支援事業を行うODAプロジェクト。その現場を担うのが途上国開発コンサルタントと呼ばれる人々だ。平良さんは、専門の教育・人材育成に関するプロジェクトのスタッフや調査員として、途上国の現場で働いている。

TairaT11


 平良さんは浦添の出身。中学3年から高校3年までの間は、父の転勤に伴って宮崎で過ごし、大学は首都圏へ。大学時代に、タイの学校で高校生に日本語を教えるボランティアをやったのが途上国との付き合いの始まりだった。

 先輩の勧めでボランティアに応募した。赴任して1カ月半ほどしたある夜。ベッドで、突然、とめどなく涙があふれてきた。

 「見るもの聞くもの、タイのすべてが素晴らしいと感じながら毎日を過ごしていました。五感全部が反応していたんですね。それこそ、臭いにも、味にも」

 感動のシャワーを毎日浴びていたのが徐々にたまってきて、それが、大粒の涙になってあふれ出たのだった。体全部でタイが心底好きになってしまったらしい。

 タイで働きたい―。大学卒業後は、とにかくタイで働く道はないか、そればかり考えた。

TairaT1


 ボランティアで教えていたあの学校に働き口がないか。大学の恩師が「聞いてみたらいいんじゃないか」と言った。そううまい話はないだろうとは思ったが、ダメもとで電話をかけてみた。

 「仕事の口、何かありますかって聞いたら、ちょうどあるよ、って言われたんです」

 日本語教育のカリキュラムがなかったので作ってほしい、とのこと。うそのようなラッキーな話だった。二つ返事で引き受けた。

 タイでの教師生活は充実していた。赴任先の大学の附属学校は小中高一貫教育の完全独立採算で、学校の経費はすべて親が支払う授業料で賄われていた。つまり授業料はとても高く、それが払える富裕層の子弟が集まる学校だった。親の中には、リゾート地で名高いプーケット島やサムイ島に5つ星ホテルを何軒も経営している人もいた。

 充実した毎日だったが、時が経つにつれて、異なる世界をかいま見るようになった。きらびやかなデパートの入口には体の不自由な人が座り込んでいた。学校の近くにはスラム街もあった。経済成長著しいタイとはいえ、貧富の格差はまだまだ大きく、恵まれない境遇にいる人もたくさんいた。

 「いろいろな人に、どう思う?って聞いてみたんです」

 答えはさまざまだったが、仏教国タイでは、厳しい生活を強いられている人はそういう運命にある、という運命論を語る人が多かった。平良さんは、そういう受け止め方にどこか違和感を感じた。

 「このままここにいるのかな。ちょっと違うかな」。平良さんは自問し始めた。

TairaT4


 2年間のタイでの教師生活を終えた後、平良さんは改めて途上国の社会開発を学び直そうとオーストラリアの大学院に留学した。そこではマイノリティーと開発の接点を研究した。

 「やはり沖縄出身であることがマイノリティーに関心を持つ背景にあったと思います」と平良さん。

 宮崎時代には、いじめられたりすることはなかったが、「沖縄って裸足なんでしょう」と言われたりしたこともあった。別のクラスから好奇心で平良さんを見にくる生徒もいた。 

 大学院を修了して日本に戻ってから、結婚し、出産。出産の後まもなく、途上国の開発プロジェクトを受託するコンサルティング会社の門を叩いた。


bansyold at 00:00|PermalinkTrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote